ガザだけではない。ハイチはひどいことになっています。スーダンもそう。アフガニスタンでは自爆テロがあった。
目が覚めて、食事をして、日が差していたり雨が降っていたりのなか学校に出かける子どもたち、そして明日に備えてまた眠る…、そういうことを静かに繰り返す。それが平和というなら、そこから猛烈に遠いところで今日過ごしている人たちがたくさんいる。
どうして自分がその人たちの一人ではないのか? 私が無残にも殺される一人でないわけがない(あるいは、無慈悲に銃を向ける一人であったかもしれない、もうすぐ還暦を迎える今は、自分は絶対に銃を取ることはないと確信しつつあるけれど)。
幸い、おそらく偶然、私の日常は静かで平和です、本日は。
以下は、数年前に『世界は開いているから食べてみるのもいい 16歳の君に伝えたかったこと』という自費出版本に書いた文章です。
私は世界80億人の中では、かなり強者です。10年ほど前に障害を得たことで、若干弱者の装いを匂わせることはありつつ、しかし車イス者として(さらに労災受給者として)障害者の中の強者でもあり続けています。越境における強者と弱者の存在は、特に強者である私には無視できない課題でもあります。その課題に対して、私はこんなふうに考えて対処してきたんだよぉ。と16歳の君に伝えたかったのでした。
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口と肛門
越境した先で、越境者は〝よそ者〟となる。
越境における弱者と強者の関係は根が深い。越境ではどうしても弱者が生まれがちだ。
たとえば越境者が越境前から弱者だったとすれば、その越境は、人からであれ自然からであれ元いた場所で受けた〝迫害〟からの逃避である可能性が高い。越境先でのよそ者としての不利益を顧みず弱者は境界を超え、ほとんどの場合に超えた先でも弱者のままだ。
さらに、これまで多くの越境は強者によってなされてきた。それは古くは〝侵略〟だった。強者による越境は、先住民を弱者に貶めることになる。さらに現在行われている途上国への〝開発〟支援も、現代風に洗練された〝侵略〟だとする声も少なくない。そんな声を上げる人たちは、開発で利益を得るのはごく限られた裕福層だけで、多くの住民にとって開発は彼らの生活様式や価値観を破壊してきたと主張する。実際に途上国の開発に関わってきた者として、そんな声は常に自らの行為を振り返る契機になった。つまり、それらの主張は私にとっては常に注意喚起として有効だったということだ。開発が侵略性を帯びやすいのは確かで、そうならないためにはいつも油断は禁物ということだ。
〝開発〟が侵略かどうかの議論は横に置くとしても、弱者が強者を対象に開発行為を行わないことは確かだ。開発は常に強者の仕業だった。侵略だろうと開発だろうと、強者にズカズカと踏み込んでこられた側からすれば、その越境行為は多くの場合迷惑極まりない。
社会学者の岸政彦1は、マイノリティ――渡辺京二(後段の段落で登場)の文脈での弱者――の語りをマジョリティが聞くことの意義を次のように書く。
もし境界線が易々と乗り越えられていく物語を、当の境界線を「構造的に押し付けている側」であるマジョリティの人びとが語ってしまった場合、自らが押し付けている壁を否定し、隠蔽し、その責任から逃避することになる。だから私は、私たちは、あくまでも境界線の傍らに踏みとどまるべきなのである。2
この文章の背景には、岸がヤマトンチュ(大和人)としてウチナーンチュ(沖縄人)の生活史を研究対象としてきたことがある。多数派に立つ者の気構えとして、岸の指摘は鋭い。もちろん、岸がいう踏みとどまるべき境界線に達する以前にも、岸がウチナーンチュと対面するまでに超えていった境界はいくつもあるはずだと私は思っているけれど。つまり、どの境界線の傍らで立ち止まるかも、おそらく越境者それぞれの判断なんだ。
渡辺京二3は水俣病闘争4に加わったことでも知られているけれど、その経験から熊本ではない場から水俣病闘争に関わった人びとを〝心中志願者集団〟と呼び、次のように書いた。
心中志願とはいうまでもなく一種の過剰表現である。抑制していえば、それは自分の人生の一時期を、患者とともに歩み通したいというささやかな念願のことにすぎない。水俣病闘争の当事者は、患者とその家族である。それ以外のものは、絶対に当事者ではない、だとすれば、われわれは何によって、水俣病闘争に係るのであろう。支援という言葉はよくない、われわれは自分のこととして、水俣病の運動をやるのだというものがいる。気持はわかる。だが、君は水俣病患者ではなく、水俣病が我が事であるはずはない。5
〝心中〟とは、愛し合う者同士が一緒に自死を選び取ることだ。本来は弱者でないものがあえて弱者によりそい、弱者とともに歩むかのような行為を選び取ることを指して〝心中志願〟と渡辺は揶揄した。なぜなら、心中志願者は弱者が抱える問題――死に限らなくとも――を自由に回避できるからだ。実際に問題に直面しているのはあくまで当事者であり、支援者は絶対に当事者にはなれない。渡辺はそのことを痛感した経験が山ほどあるのだろう。
なぜ心中志願者が絶えないのか。それは、弱者だけが身に纏うことができる〝無垢さ(のようなもの)〟や〝正しさ(のようなもの)〟があると多くの人々が感じ、それが弱者ではない者を惹きつけるからだろう。そしてそんな弱者への勘違いも、強者に特権があるからこそなせる業だ。
渡辺の指摘もわかる。当事者とその支援者との関係を俯瞰すれば、支援者が当事者の切実さに寄り添いきれずに、当事者を助けるどころか困惑させてしまう事例は珍しくない。あるいは、弱者とその支援者が共依存に陥ってしまうことも多い。弱者は支援者を手放したくないからこそ弱者であり続けようとし、支援者は弱者の存在によってのみ自己実現の充実に浸る。そんな危険性に自覚的であればあるだけ、よそ者である支援者は自らの偽善を思い知ることになる。そのことを、私も君もときどき思い出していい。
一方で、強者やマジョリティは、弱者やマイノリティの前では未来永劫そのレッテルから自由にはなれないのだろうか。ようやくたどり着いた境界線であっても、それを超えることなく単にその傍らに踏みとどまることに甘んじなければならない。その境界を跨げば「自らが押し付けている壁を否定し、隠蔽し、その責任から逃避する」ことになり、さらに踏み込みすぎれば〝心中志願者〟と揶揄される。それが、これからの越境者が自覚すべき越境のエチケットなのだろうか。でも、私はそんなエチケットを身につけて越境を続けてきたわけでは、おそらくない。
2015年に亡くなった言語学者で文化人類学者でもある西江雅之6は、「わたしにとって、自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と語った7。結局は西江の書く〝自分の内と外という境界〟8に立ち戻ることが私にとっての〝越境の技術〟だった。単純にいえば、個として立ち、個の視点を守るということ。私は強者である前にひとりの人で、私の前に立つ人は――たとえ彼が社会的弱者であっても――まずひとりの人としてある。単数形で考え、可能な限り複数形を使わない、そんなとき、ヤマトンチュとウチナーンチュという単語は使いどころを失うし、〝心中〟を取りやめて生き残る希望が生まれるときがある。そんな小さな覚悟だけが、先に書いた越境のジレンマに対抗できるんじゃないだろうか。もちろん、云うは易し行うは難し、だけれども。でも覚悟とは、いつだってその程度のものだ。
だからよそ者であるひとりの君が卑屈になる必要はない。よそ者として〝当事者〟という他者に積極的にかかわることがあるならば「世界は開いているから仕方がない」といえばいいし、いうしかない。起こってしまった他人の痛みは、どうやっても事後的によそ者としてしか知りようがない。もし君と同じ世界を生きる人の痛みを君が知ってしまったときには、臆せずその痛みを〝自分のこと〟とする想像力を駆使するしかないじゃないか。
そんなことが君の身に起きるのならば、それは君にとって厳しく孤独な体験になるだろう。そして、そんな体験こそが、自分と他者との境界を徹底的に揺さぶり、君がやがて身に着けるかもしれない寛容さや憐憫によって他者の痛みをわずかに和らげることを可能にする、そんな第一歩になるはずだ。
たとえそれが一生涯の一時期であったとしても、恥じることはない。そのことで君を否定し糾弾する権利など、誰も持ってはいない。自分が「単純に正しくなれない」ことを恐れることはない。むしろ、単純な正しさなど身にまとってはいけない。その一時期が君の一生涯の財産になるのは確かで、それは君が本当の当事者になったときにも必ず役立つはずだ。
越境する言葉の専門家で詩人でもある管啓次郎9は次のように書く。
雑食を擁護し顕揚することがはじめて開きうる地平を、信じる。そうすることで伝統を逃れ、文化を逃れ、ついにはつねに凝固したがっている私を、逃れる。食べられないものは食べられないという味覚の保守主義に対して、雑食の選択は味覚の急進主義だ。そして現実には、ぼくらの食生活はこの両極のあいだをゆききしつつ、段階的に拡大しながら流れてゆく以外にないだろう。純粋な保守主義は未知のものを食べる楽しみを奪うし、純粋な急進主義はひどい身体的ストレスをもたらすにちがいないからだ。10
越境において、結局あてになるのは自分ひとりの肉体、中でも胃袋とそれに続く消化器系という、極めて個人的なものになる。一度下痢をしたからもう二度と口にしないのか、腹を下しつつも食べ繰り返すことで胃腸が馴れて、いつしか下痢とは無縁になるのか。それを決めるのも、結局は口(と肛門)を持つ君自身だ。持って生まれた肉体や消化器官の強さは人ぞれぞれだから、そこにはどうしても運不運がつきまとう。それもやはり、仕方がない。味覚もそうだ。辛いのはどうしてもだめな人はいる。食べられないものを食べろといわれても困るのはもっともな話だ。
だから無理に食べろとはいわない。でも味わってみたら、と伝えたいことがあちらにもこちらにもたくさんあったりする、ということなんだ。
- 岸政彦 1967年生まれ 社会学者 その著書に『断片的なものの社会学』朝日出版社 2015 など多数。 ↩︎
- 21ページ 岸政彦/著『はじめての沖縄 よりみちパン!セ』新曜社 2018 ↩︎
- 渡辺京二 1930年京都府出身。思想史家、評論家。『逝きし世の面影』平凡社ライブラリー 2005年、『死民と日常 私の水俣病闘争』弦書房 2017年など著書多数。水俣病闘争支援や石牟礼道子(水俣病を告発した『苦海浄土』の著者)との半世紀にわたる協働でも知られる。 ↩︎
- 水俣病とは1956(昭和31)年に公式に〝発見〟された公害病で、日本窒素肥料(現チッソ)水俣工場から廃棄された有機水銀による中毒性中枢神経疾患のこと。チッソと国の責任追及と、その賠償を求めた患者側の運動が水俣病闘争と呼ばれる。 ↩︎
- 72ページ 「現実と幻のはさまで」より 渡辺京二/著 小川哲生/編 『渡辺京二コレクション2 民衆論 民衆という幻像』ちくま学芸文庫 2011 ↩︎
- 西江雅之 1937年東京都出身 文化人類学者・言語学者 2015年死去。『花のある遠景』せりか書房 1975、『ヒトかサルかと問われても―〝歩く文化人類学者〟半生記』読売新聞社 1998、『花のある遠景 写真集』左右社 2015、など著書多数。 ↩︎
- 8ページ 西江雅之/著『異郷日記』青土社 2008 ↩︎
- と書きつつ、私自身は自分の内にもいくつもの境界が生まれることを自覚する。自分の内側が、西江ほどは確立していないということなのだろう。西江と私は違うから、仕方がない。 ↩︎
- 管啓次郎 1958年生まれ 比較文学研究者、翻訳家、詩人。『狼が連れだって走る月』 筑摩書房 1994、『オムニフォン 〈世界の響き〉の詩学』 岩波書店 2005、『本は読めないものだから心配するな』 左右社 2009など著書多数。 ↩︎
- 210ページ 管啓次郎/著『トロピカル・ゴシップ(混血地帯の旅と思考)』青土社 1998 ↩︎


















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