高校時代の同級生Aさん、今、高校の国語の先生、が
フェースブックに次のような投稿をされた。
「六月」(『見えない配達夫』)
授業で「読んだ」。
読み方を変えて「読んだ」。
当てた生徒は、また読み方を変えて「読んだ」。
もう一人当ててみた。
嬉しかった。
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる(茨木のり子)
茨木のり子、1926(大正15)年生まれ、2006(平成18)年没。
ぼくにとって、茨木のり子を初めて知ったのは「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」だったのだろうと思う。『自分の感受性ぐらい』が発表されたのは1977年だ。昭和52年。
あぁ、王貞治がハンクアーロンのホームラン記録を追い抜いた年に書かれたんだなぁ。ぼくは中学生。それから数年後、高校を卒業して浪人中だったろうか、「自分の感受性ぐらい 自分で守れ ばかものよ」と『自分の感受性ぐらい』の最後の3行を、高校時代の友人たちと始めた同人誌の巻頭言に選んだのはKだったか。Aさんも、その同人誌の友人だ。
そうか、Aさん、国語の先生であれば、茨木のり子とのつきあいは、いつも現在進行系だろう。
彼女の生徒さんたちが、いろんな風に音読したのは、以下の詩なのだろうか。六月「見えない配達夫」。ぼくも声を出して、読んでみた。
六月 「見えない配達夫」 茨木のり子 1958
Ⅰ
三月 桃の花はひらき
五月 藤の花々はいっせいに乱れ
九月 葡萄の棚には葡萄は重く
十一月 青い蜜柑は熟れはじめる
地の下には少しまぬけな配達夫がいて
帽子をあみだにペダルをふんでいるのだろう
かれらは伝える 根から根へ
逝きやすい季節のこころを
世界中の桃の木に 世界中のレモンの木に
すべての植物たちのもとに
どっさりの手紙 どっさりの指令
かれらもまごつく とりわけ春と秋には
えんどうの花の咲くときや
どんぐりの実の落ちるときが
北と南で少しずつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない
秋のしだいに深まってゆく朝
いちぢくをもいでいると
古参の配達夫に叱られている
へまなアルバイト達の気配があった
Ⅱ
三月 雛のあられを切り
五月 メーデーのうた巷にながれ
九月 稻と台風とをやぶにらみ
十一月 あまたの若者があまたの娘と盃を交わす
地の上にも国籍不明の郵便局があって
見えない配達夫が律儀に走っている
かれらは伝える ひとびとへ
逝きやすい時代のこころを
世界中の窓々に 世界中の扉々に
すべての民族の朝と夜とに
どっさりの暗示 どっさりの警告
かれらもまごつく 大戦の後や荒廃の地では
ルネッサンスの花咲くときや
革命の実のみのるときが
北と南で少しずつずれたりするのも
きっとそのせいにちがいない
未知の年があける朝
じっとまぶたをあわせると
虚無を肥料に咲き出ようとする
人間たちの花々もあった
うーん、Aさんの生徒たちは、いったいどんな風にそれぞれ「変えて読んだ」のだろう。
どんな風に変えようがあったのだろう。悲しそうに?いやいや、それはないよね。嬉しそうに?楽しそうに?力強く?懐かしそうに?ちょっと怒ったように?
2020年代を生きる高校生が、懐かしそうだったり、怒ったようにだったり、というようにはまだこの詩は読めないだろう。とすれば、戸惑うようにだろうか?謎のように?驚いたように?
Aさんは、「嬉しかった」と書いている。おそらく、生徒たちの感受性の豊かさ、創造力の多様さ、魂の奔放さ、が嬉しかったんだろうと想像するけれど、実際にはどうだったのだろうか。彼女が書いた、最後の3行。それは以下の詩からだ。
6月 茨木のり子 1956
どこかに美しい村はないか
一日の仕事の終わりには一杯の黒ビール
鍬を立てかけ 籠をおき
男も女も大きなジョッキをかたむける
どこかに美しい街はないか
食べられる実をつけた街路樹が
どこまでも続き すみれいろした夕暮れは
若者のやさしいさざめきで満ち満ちる
どこかに美しい人と人の力はないか
同じ時代をともに生きる
したしさとおかしさとそうして怒りが
鋭い力となって たちあらわれる
ステキな詩だなぁ。でも、2021年、この詩を書ける詩人はいるのだろうか?もちろん、同じである必要はまったくない。けれども、同じような精神で、今の言葉で、これだけの共感と共生と、希望と期待と潜熱と、で綴れる詩人はいるのだろうか? 茨木のり子が使った「やさしい」や「美しい」や、「怒り」、「すみいろした夕暮れ」…、それを懐かしいとしか思えないのが、今ではないのか?
ぼくが、今、茨木のり子に感応してしまったのには、理由がある。
たまたま、次の詩を数日前に読んだばかりだったのです。
戦争責任を問われてその人は言った
そういう言葉のアヤについて
文学方面はあまり研究していないので
お答えできかねます
思わず笑いが込みあげて
どす黒い笑い吐血のような
噴きあげては 止まり また噴きあげる
三歳の童子だって笑い出すだろう
文学研究果たさねば あばばばばとも言えないとしたら
四つの島
笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて どよもすか
三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア
野ざらしのどくろさえカタカタカタと笑ったのに
笑殺どころか頼朝級のやじひとつ飛ばず
どこへ行ったのか 散じたか 落首狂歌のスピリット
四海波静かにて
黙々の薄気味わるい群衆と
後白河以来の帝王学無音のままに貼りついて
ことしも耳すます除夜の鐘
以上、茨木のり子さんの詩「四海波静」、初出「ユリイカ」1975(昭和50)年11月号。最近、再読したある本の中で、この詩の存在を再確認したのでした。
この詩の途中で出てくる「頼朝級のやじひとつ飛ばず」の部分。わからなくて、調べてみた。
そうか、これは「後白河以来の帝王学」につながるのですね。頼朝が後白河を「日本一乃大天狗」と呼んだという。大衆の前で直接その言葉を上皇に投げたわけでもなかっただろうけれど、でも、それを茨木のり子は「頼朝級のやじ」と読んだ。
「文学のことは、わからない」と答えた人に、やじひとつ上がらなかったことを、茨木のり子は嗤ったのだ。もちろん、どす黒い怒りのワライ。それは、その人へなのか、やじひとつ飛ばせないモノたちへなのか。
茨木のり子さんには、以下の詩もあったことを、Aさんの投稿に触発されて、このブログを書きはじめてあちこち漁っていて、ようやく知りました。
〈(前略)父母の世代に解決できなかったことどもは われらも手をこまねき 孫の世代でくりかえされた 盲目的に 田中正造が白髪ふりみだし 声を限りに呼ばはった足尾鉱毒事件 祖父母ら ちゃらんぽらんに聞き お茶を濁したことどもは いま拡大再生産されつつある
分別ざかりの大人たち ゆめ 思うな われわれの手にあまることどもは 孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと いま解決できなかったことは くりかえされる より悪質に より深く 広く これは厳たる法則のようだ (後略)>(「くりかえしのうた」)
いま解決できなかったことは……、フクシマ?リョウドモンダイ?イアンフ?アカギさん?ザイセイアカジ?シンガタウィルス?
この詩を茨木のり子が書いたのは、1971(昭和46)年。数行前に前略とした詩の始まりは、次のようだ。
〈日本の若い高校生ら 在日朝鮮高校生らに 乱暴狼藉 集団で 陰惨なやりかたで 虚をつかれるとはこのことか 頭にくわっと血がのぼる 手をこまねいて見てたのか その時 プラットフォームにいた大人たち〉
そして、次の「父母の世代に解決できなかったことどもは」につながる。昭和46年、ぼくは7歳。
チマチョゴリ切り裂きが大きく報道されたのは1994(平成6)年だから、この詩が書かれたのは、その23年前、つまり四半世紀も前のことだ。
昭和46年、きっとちょうど同じころ、ぼくには鮮やかな記憶がある。まだ我が家のテレビは白黒だったのではないか。NHKのニュースで「穢多、非人」とは云わなかったか、おそらく「同和」だったか。とにかく、そんな言葉が流れて、ぼくは横にいた両親に、知らない言葉の意味を尋ねた。戸惑ったように言葉を探す父に、母がなにかたしなめた、「そんな言葉を使うと、殺されるよ」というように。今では、もちろんぼくは知っている。その言葉を真面目に語っても「殺される」ことなどけっしてありはしないことを。でも、解決されていないことも知っている。いまでも、結婚などの際には、問題になったりすると知っている。岡林信康が「暗い手紙になりました」と歌った《手紙》の入ったレコードを世に出したのは1969年。5歳だったぼくは、もちろんその歌をそのときに知ったわけではない。(《手紙》を知らない方は、こちらで確認を 岡林信康 – 手紙 の歌詞 |Musixmatch)
とにかく、社会にはびこるさまざまな蔑視は、茨木のり子さんの詩にあるように、今も解決できていない。ぼくたちは「ヘイトスピーチ」を禁止するための条約をわざわざ作らなければいけない今日の社会を生きている。
〈自分の腹に局部麻酔を打ち みずから執刀 病める我が盲腸をり剔出した医者もいる 現実に かかる豪の者もおるぞ〉
「くりかえしのうた」、先に後略とした、詩の最後は、このように終わる。「病める我が盲腸」は、その後、どうなっているのか。まだ、ぼくのこの腹のなかで、ジクジクと病み続けているのではないか。その痛みを、ぼくたちは感じながら、プラットフォームに立っているのではないのか。
楽しくない話題で申し訳ないけれど、「病める盲腸」のことを、次回でまた書きます。
茨木のり子に再度ゆっくり出会う機会を作ってくれた、Aさん、どうもありがとう!


















「四海波静」、今、息子が謡で習っています。
「りゅうりぇんれんの物語」は読んだことありますか?
荒井育美さま
「四海波静」、今、息子が謡で……謡(うたい)って、つまり吟じてる、ってことですよね。うーん、イメージできない。どういうことになるのだろうか。でも、それだけ生き続けているわけですね、あの詩は。
「りゅうりぇんれんの物語」……恥ずかしいことに、知りませんでした。読み聞かせでは30分以上かかるという詩は、見つけましたけれど、読むのはまだ。
沢知恵さんという歌い手さんが70分の弾き語りで、CDも出されていますね。聞かれていますか?
「6月」のほうを、いろんな風に読んだのですね。うん、そっちのほうが色々と思い描けます。
でも、ブログの本文は変えずに置いておきますね。
村山哲也