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パートナーの不在 リスク分散にはとってもいい機会なのです
パートナーが2週間留守なのです。そして、私の陰嚢右裏尻部にできた褥瘡もまだ治っていない。
ですから、同居しているパートナーの若い姪っ子夫婦が、この2週間私のケア担当です。姪っ子は25歳、3か月前の昨年12月に結婚式を挙げたのです。高校時代に知り合ったお相手は、姪っ子と同学年ですが、やや年下。カンボジアでは“姉さん女房”は多分日本以上に少ないだろうと思います。カンボジアのジェンダー的保守性はとっても高いから。そんな障害を乗り越えて、出会って8年かな、とにかく、はい、姪っ子たちよく頑張りました。
姪っ子の夫氏がいなかったら、パートナーの不在は私にはちょっと厳しかったかもしれません。若い女の子ひとりで60男の陰嚢裏のケアをするってネェ? ですから、私には彼らの結婚はありがたいことだったのです。カンボジアでは結婚したら女性側の家で暮らすケースが多いのです。家賃がかからないこともあって、彼らも姪っ子が暮らしていた私たちの家での同居を選択したのでした。我が家のボスは私のパートナーですけれど、その付属品(私)も大事にしないと。彼らもちゃんとその点は分っていて、とても優しく心遣いしてくれています。
一昨日は二日に一度の通称“ウンコの日”でした。ウンコの後、シャワーを浴び、そこからベッドへの移動、着衣支援、そして褥瘡の処置と、ふたりはちゃんとケアしてくれた。
その日、ウンコの量も満足のいくものでした。私はすっかり油断していたのです。
翌朝、異臭に気がついたのは出勤前に枕元の水筒に水を補充してくれた姪でした。姪はすぐにまだ寝ている夫氏にテキストメッセージで指示を出します。夫君がベッドで眠る私の肩をそっと揺さぶったのが朝8時。
夫君 「おじさん、調子はどうですか?」
わたし 「なに? 大丈夫だよ」
夫君 「でも、匂いが…」
わたし 「エッツ!?」
指先を背中からそっと紙オムツの中に差し入れると、アラㇻ確かに脱糞。便の感じから、おそらくまだそんなに時間は経っていない。昨夜しっかり出しているのに、それでも大腸に留まらずに押し出てくるのですから、軟便つまり下痢。
ベッド上での事故は、これまで何度も経験済みです。ですから、できるだけ被害を拡大させないような手順で、私はそーっと車イスに移り、トイレで便器に移り、便の処理とさらなる排便に勤しむ。夫君は、ベッドのシーツ等を洗濯済みのものと交換し、洗濯機を回し、あとは昨夜の手順を繰り返します。便器→車イス→ベッドへの移乗で私が落下しないように車イスを支え、ベッドに戻れば着衣支援と、褥瘡処置と。一時間後の午前9時には、私は原状復帰を無事果たしました。
幸運にも、その日の夫君の仕事は遅出で、彼の仕事には影響はなかったのです。
そんなことがあった昨日朝でありました。やれやれ。
名著『リハビリの夜』(熊谷晋一郎著 医学書院2009)
リスク管理って、つまり「問題が起こらないように準備する」って意味です。あるいは「問題が起こったときに、その被害を最小限にとどめる措置」って言い方もできます。
私にとって、リスクを分配するべしという大事な指標を提示してくれたのは、障害者である熊谷晋一郎さんが自らの生育をつづった名著『リハビリの夜』でした。
その本の中には、「支援を必要とする人」が自立するためには限られた介助者(彼の場合、その最初の介助者は母親)に依存してはダメな理由が、彼の経験談を通して明確に描写されていたのです。できるだけたくさんの人に支援にかかわってもらう。支援を分担する。Aさんが都合が悪ければ、Bさんに支援してもらえる態勢を作る。
つまり、リスク分散こそが、支援必要者にとってのリスク管理なのです。
2014年晩夏に非障害者世界から障害者世界に渡ってきた私が熊谷さんの本を最初に手に取ったのは、事故から半年ほど経ったまだ病院のベッドの上でですた。この『リハビリの夜』という本、表紙がものすごく怪しいのです。表紙だけ眺めたら、うーん、内容への憶測が全然およばない。なんじゃこれ?って感じ。でも読んで見れば、とっても大切なことが書かれている、そのことは伝わってきました。けれど、最初の読書ではその重要さはまだ自分の深部には届ききらなかった。なぜなら、私がまだ障害初心者で、病院を出て実際の社会生活を始めていなかったから。
そして、その後、この本を開くたびに、熊谷さんの書く「リスク分散」の重要性はひしひしと私の胸の心底奥深くまで届くようになりました。障害者世界の経験を積めば積むほど、私の実感は彼の実感に近づくことができたからです。

けれども、このリスク分散も、生活の中ではやっぱり簡単じゃない。私の場合、どうしてもパートナーに依存が集中する。パートナーも、必要以上に手を焼きたがる傾向はある。
共依存は心地良い面もあるけれど、やっぱり行き過ぎてはダメだ。
そんなふうに思っていたときの、パートナーの不在です。これはリスク分散を構築するという観点からは絶対にチャンスだったのです。
そして、今のところ(今日で6日目、残り8日)姪っ子夫婦の経験値は確実にアップしている。ありがたいことなわけです(でも、もう朝ウンコはしたくないですけど)。
リスク分散ができないと………
生活するうえでどうしても他者の支援が必要な人にとって、リスク分散はとても大事なのです。限られた支援者だけが支援にかかわると、怖いのが共依存が強まることです。支援を必死でやっている支援者には申し訳ない表現になりますけれど、支援者側の支配欲って怖い。支援者が被支援者を抱え込んでしまうようなケースは頻繁に起こる。また被支援者も社会性を学ぶ場がなくなり、依存ばかりが強まりかねない。そんな状況・環境が生じれば、支援者が「私がいなければダメだ」となったとき、それは無理心中にもつながる。
昨年7月に千葉県で78歳の父親が44歳息子の首を絞めて殺しました(障害のある44歳の次男殺害 78歳の父親に きょう判決 千葉地裁 | NHK | 事件)。 このNHK発表の記事には記載されていませんけれど、男性には二人の息子がいて、第一子は知的障害に身体障害があり、(殺された)第二子にも知的障害に加え軽い身体障害もあった。
「歩くことができず、おとなしい長男に対し、次男は思い通りにならないと暴れることがあった」(朝日新聞3月12日インターネット版記事より、こちらは有料記事でした)
1977(昭和52)年生まれの第一子は、2021年に誤嚥がもとで亡くなっています。そのとき第一子は44歳。そして3年後の2024年、三重ロックのドアをはずし裸で飛び出そうとした次男を引き留めた流れで、男性はやはり44歳になった息子第二子の首を絞めてしまった。家から飛び出そうとする前に、息子は自宅内で三日連続で暴れた。その日もテレビを投げ、障子やカーテンを引っ張り、食器をテーブルの上から落とした。記事には壊されたテレビの数は20台以上ともあります。
息子には自傷行為もあり、顔や身体を拭くとタオルは血で真っ赤に染まった。
新聞の記事を読むと、夫婦が半世紀近く奮闘した、喜怒哀楽の日々が伝わってきます。夫婦は障害のある二人の息子を受け入れ、支援し、ギリギリの線の上をなんとか歩き続けてきた。その中には「幸せ」という時間も確かにあった。そして、ある日、それがついに破綻するときが来てしまった。
あるいは。
3月10日のNHKのインターネット記事によれば、昨年12月に「滋賀県野洲市で34年にわたって寝たきりの長男の介護を続けてきた82歳の父親が、自身の体調の悪化などから将来を悲観し、承諾を得た上で長男を殺害し」た(将来を悲観して…寝たきりの長男を殺害した82歳父親 34年の介護生活の末に孤立していった状況が明らかに | NHK | 事件)。
殺された50歳の彼は、「高校時代、強豪校でサッカー部に入っていた長男は、練習でランニング中にトラックにはねられ、脳挫傷の後遺症で寝たきり」になった。16歳のときでした。
父親は重い障害を負った息子の奇跡の回復を信じ、献身的な介護を34年間続けた(青年期の中途障害に対して、その保護者の奇跡を信じる思いは、ときに社会復帰に必要な過程をじゃましてしまうことがあることをちょっと思い出します)。事件発生時、父親は82歳。自分の体調がだんだんと悪くなる。
NHKの記事は書いています。「今後に大きな不安を覚えた被告は「自身も死ぬし、一緒に死のう」などと声をかけると、長男は抵抗する姿は見せずに了承したといいます」
一方で、長男は「左手は自由に動かせるものの、ことばを発することができず、「うん」という声は出せる状態でした」とも記事は書く。彼は父親からの「一緒に死のう」の言葉に、「うん」とだけうなずいたのだろうか。
上記の最近の事例で、殺害されたのは障害者です。でも「支援を必要とする者」が殺される事例は障害者だけには限りません。
でも、記事は障害者という言葉を強調してしまう。
先日のブログで書いたように、殺されたのを“障害者”と形容してしまうと、これらの事例の本質を掬いきれない気が私はするのです。要は「支援が必要な人」が殺されたと考えたほうがいい。
例えば上記のNHKの記事には、上記の滋賀県の事件の紹介につづいて熊本県での事件も紹介されています。それは、「去年、サービス付き高齢者向け住宅で、長年連れ添った83歳の妻を殺害したとして丸山衛 被告(89)が逮捕・起訴されました」という内容です。殺された83歳の女性を“障害者”とは世間は呼ばないでしょう? 介護が必要な高齢者、という理解が多数でしょう。
44歳/50歳の障害者と、83歳の高齢者。みんな「生活するうえで他者の支援が必要な人」です。そして、シャカリキになって探さなくても、赤ちゃんを殺めてしまった母親という事件もある。この殺された赤ちゃんも「他者の支援が必要な人」。
どの殺人(おそらく未遂を含めれば多数の)事件に共通していること。それは「迷惑をかけたくない」です。そして、だから支援者は被支援者を囲い込んでしまう傾向にある。そして支援者は頼れるのは自分だけという思いにどんどん囚われていく。外部からの干渉を嫌う。そして自分の体調が不安になれば、明日への不安は膨らんでいく。
彼ら(支援が必要な人、支援する人)の毎日は細い線の上をなんとかバランスを取って進んでいく綱渡りの道化師のようなもので、ちょっとしたことですぐに落ち得る、つまり破綻する。サーカスであれば、綱の下には十分な広さと強度のネットが張ってありますけれど、彼ら(支援が必要な人、支援する人)の生活のセーフティネットはあったとしてもとても小さく脆弱で、落下していく彼らを受けとめられない。
50年前も今も続く「殺人者(支援者)1人が責められる問題ではなく、今の福祉制度そのものに問題があったのではないか」
1970(昭和45)年、横浜市で脳性マヒを持つ二歳児の女の子が母親にエプロンの紐で首を絞められて殺されました。女の子の兄にも障害があった。母親は生活に疲労し、将来を悲観して幼女の命を奪ってしまった。
マスコミはこの事件の背景には福祉政策の貧困があるとキャンペーンを張った。障害者の親の団体や地元町内会は、母親への同情から減刑嘆願運動を行った。
当時、横浜には脳性マヒを持つ人たち自身のグループである「青い芝の会」の支部がありました。自分たちの障害と同じ脳性マヒの女児が殺され、「次に殺されるのは私たちか?」と震撼した彼らは、母親を擁護する世間に反論する「障害者は殺されても仕方のない存在なのか?」と声を上げたのです。
殺人者への同情に満ちていた日本社会は、その声に動揺するしかなかった。なにせ“善意”の足元を救われたのですから。
出る釘は打たれる、雨の日列の先頭を歩く者は一番雨に濡れる、ファーストペンギンのリスクが一番高い…。当時、青い芝の会への世間からの誹謗中傷はとても大きなものだったのです。だって、いつだってこの世界では大多数を占める非健常者が強者だから。青い芝の会の異議申し立ては、空気が読めてない地雷を踏む大炎上必須のアクション、だったのです。
(当時はインターネットのSNSがなかったことがせめてものすくいだなぁ!)
私、障害者のハシクレとして、このときの青い芝の会の人たちには敬意と感謝を心から感じています。その後の障害者の権利を求める運動に与えた影響は、ものすごく大きかった。障害者運動に詳しい社会学者の立岩真也さんは、この「青い芝の会 横浜支部」のメンバーのひとりであり、その後の障害者の権利運動の全国的リーダーのひとりとなっていった横塚晃一氏を二十世紀の偉人のひとりだとしています(横塚さんは名著『母よ殺すな』の著者。上記、横浜での事件から8年後、1978年に胃がんで42歳で早逝されました)。
2014年に中途障害を得て車イス者となった私が、今日、駅や公共施設のバリアフリー整備などの恩恵を受けられるのも、青い芝の会を始めとする先人たちの死闘のおかげなのです。そりゃね、障害者世界の中では、青い芝の会の活動があまりに英雄化されてしまっているという批判もあります。横塚さんたちも、自分たちが英雄と称えられて困っているかもなぁ。あるいは、当時の青い芝の会のメンバーが大きな抗議活動ができた背景には、やはり障害者の女性パートナーたちの存在があった。それに対して当時の障害者男どもの女性蔑視はひどかったという批判の声もある。うん、英雄視し過ぎも、男性優位思想も、わかる。でも、やっぱり彼らはヒーローだと私は思う。そして、非健常者世界では、彼らは未だにほとんど無名の存在に留まり続けている。
(突然飛びますが、米寿を超えて先日亡くなった曽野綾子氏は1931(昭和6)年生まれ。上記の横塚晃一氏は1935(昭和10)年生まれ。ふたりはほぼ同世代。長命で日本政府からの文化勲章も受勲した曽野氏と、障害者世界では英雄ですけれど短命でほぼ無名のままだった横塚氏。曽野氏には失礼ですけれども、両者を比較したとき、私は障害者世界と非障害者世界の間の深い谷、断絶、を感じるのですよ。障害者と非障害者の間の境界は不確かでグラデーションとか言われると、カチンとくるのはここらあたりに起因するのですきっと。曽野綾子氏自身と彼女を支持した一定数の人たちについては、やはり早逝したコラムニスト小田島隆さんの『誰にも正義は押し付けられない』(誰にも正義は押し付けられない:日経ビジネス電子版)が私の心に沁みます。読者登録しないと読めない記事なので、ここで一段落だけ引用します。
《彼らは、「人間の生存を保障するために社会が設計されている」というふうには考えない。「社会を存立せしめるために人間の生存が許されている」というふうに考える》
ここでの《彼ら》とは、曽野綾子氏のぶっちゃけ本音放談に拍手喝さいを送る人たち。そして、彼らは障害世界にも牙を剥く人たちだ。インターネット内のSNSの発達によって、《彼ら》の声は世間を席巻しているようで、障害者として私はオロオロと身をすくめるのです)
閑話休題。書きたかったのは、1970年の脳性マヒ児殺害も、それから半世紀以上たって起こっている父親による障害のある中年者殺害も、高齢夫婦間の殺害も、背景にあるのは同じってこと。
「まわりに迷惑をかけたくない」
そういう価値観が根付いた日本社会なのだとして、それをなんとか変えていく努力はなされていない。国会でもほとんどとりあげられない、のだろう。これこそ義務教育で扱わなければいけないことでしょう?「まわりに迷惑をかけるな!」ではなく、「迷惑をかけてかけられて当然」「迷惑をかけられる人になれ!(他者の迷惑を受けとめる人になれ、という意味ですよ)」という教育をしていないから、50年経っても日本社会は変わらない。「他人には迷惑をかけないで生きてきた立派な俺」がエライと思っているから、困ったときにも他者に声をかけられない。閉じているから、破綻する。
もちろん、声をあげられない側だけの問題ではありません。声を上げさせない周りが悪いのです。
先の千葉県の殺人者の弁護団は、「父親1人が責められる問題ではなく、今の福祉制度そのものに問題があったのではないか」と情状酌量の余地ありとして、執行猶予の判決を求めています。あぁ、既視感!いつまでも続く「今の福祉制度の問題」。 55年前の横浜での殺人者も執行猶予付きの判決を受けました。支援が必要な人が殺されても、実刑は出にくい???
(ケースバイケース、とか冷静に呟いている支援を必要とせずに生きている人たちの姿が目に浮かぶよ!!)
おせっかい支援の是非を義務教育で子どもたちに“探究”して欲しいです
このブログで紹介した滋賀県の殺人事件を扱ったNHKの記事には、アウトリーチ型支援の重要性が書かれています。
アウトリーチ型支援とは当事者が求めなくても周囲が1歩踏み込んでいくような“おせっかい”的かかわり型支援のことだそうです。うん、わかる。でも言うは易し、行うは難しなのは、ちょっと想像すればよーくわかる。
だから、このアウトリーチ型支援の重要性を、義務教育で徹底的に子ども世代に考えてもらうことが必要なんじゃないか? 一部のバカな親や祖父母の強い影響を受けて、そこでも優生思想が飛び出すだろう。子どもたちの探究の結論が非健常者優位で「社会の存立せしめるために人間の生存が許されている」となって、社会の財源を無駄に消費している「支援を必要としている人たち」を問題視する可能性も十分にある。
でも、だから赤ちゃんと障害者を同じカテゴリーで考えたいわけです。赤ちゃんの存在すら、邪魔、という結論が子どもたちの中から出るなら、うん、その場合は絶望し甲斐がある!ってもんだよね。俺も黙って逝くよ。
とにかく、義務教育で十分に時間をかけて扱って欲しいのですよ、このアウトリーチ型支援について。有りなのか、無しなのか? 必要なのか、不要なのか?
以下、蛇足
私が車イス者となり、事故後1年たって退院し社会生活に復帰するときのこと。医師に向かって私の父は「わたしたち(父母)はもう高齢で、哲也の母親は介護はとても無理だと言っている。私たち夫婦の家で世話するという選択肢はない」と私の前で語りました。私自身も、両親の家で世話を受けるという選択肢は最初っから持っていませんでしたから、父の言葉を聞いても「あー、そう」程度の感想しかありませんでした。けれども、後日母からは「私はそんなこと言っていない。むしろ、ここ(両親の家)であなたが生活するにはどうすればいいかと考えていた」と聞かされました。つまり父は嘘をついたのです。
母を出汁にすることなく、自分の意見として言えばよかったのになぁと私は父の嘘を、ヤレヤレと思う気持ちが今でもあります。父なりの母への配慮だったことはわかるけど。ああいう嘘をときどきつく、それもそれがかっこいいと思ってという、ずるいところのある父でした。父の小狡さを私は反面教師としております。
でも、「かわいい息子のことであります、社会にご迷惑をかけるのは恐縮で、我々が責任もって面倒みます!」なんて言われるよりはよっぽど楽ちんでありました。その点では、まぁ嘘も方便だったのかしらね。彼が逝って、もう3年半近くになります。85歳の母は元気です。
昨秋、私が東京浅草でやはり陰嚢部裏に褥瘡ができたときの介護班は、私の隠れ家までバスで30分のその母、さらに自転車で15分のところで暮らす妹夫婦の合計3名でした。これも多少はリスク分散できていたかしら?
将来的には、東京にいるときは公的介助にもアンテナを広げなくちゃいけないなぁなんて思う今日この頃です。


















「赤ちゃんに対する支援」すらも「望んでも子を持ち得なかった人への配慮を求める筋違い」から(!?)、あるいは他の理由で、声高には求めることが出来ない社会だと、私は感じていました。さて、、、「支援が必要な他人」に対する態度・感情は、、、上手く纏まりませんが課題の多い世の中です。
そうですか。なんとなく息苦しい感じがあるわけですね。
「高校無償」とかも、子どものない家庭や、高校に行かない人にとっては「配慮のない」措置なのでしょう。
けれども、そういう声は聞こえない? 上がっていてもかき消されている? どうなのでしょう?
私が言いたい「赤ん坊を始めとする支援を必要とする人」という意図は。
植田さんが書かれている「望んでいても子を持ちえなかった人」も、もともとは赤ちゃんということ。
自分たちの子どもの話ではなく、あなた自身が「支援を必要とした人」であったし
さらには実はこれからも常に「支援を必要とする人」となるリスクを負っているということ。
高齢者のすべてが「支援を必要とする人」ではないのかもしれませんが、
そうなる可能性は高い、ということ。
自分自身、の問題なのです。「赤ちゃんに対する支援」はそういうふうに理解してほしいと思っているわけです。
取り急ぎ
村山哲也
ありがとうございます!自分自身のこととして捉える、という点の欠けた書き込みを思わずしてしまいましたが、ご指摘頂き、またその背景も察して頂き恐縮です。それにしてもなかなか、重たい課題です。もっと正面から取り組み自分なりのやり方を見つけられると良いのかなと自省しています。