霊を語る物理教師 血液型判断を経験知から認める大学生物教授 干支の運勢に敏感な化学教師、身近なところにある異界

化学教員の研修にあらわれた妖怪 現在はプノンペン教員養成大学 総長 素晴らしい!(本文とは直接の関係はありません)

ぼくたちはどこまで「非科学的」なことから自由だろうか?
そもそも、非科学的なことから自由になることは、必要なことだろうか?

信心と科学との境界

 お正月、初詣でおみくじを引き、その吉凶に一喜一憂する。それは、お楽しみの範囲ならばもちろん問題はないはず。でも、星座や血液型が、就職の可否を決めたり、結婚の可否をきめる世界はどうだろう? それは行きすぎ? 一体、問題なしと行き過ぎの境界線はどこにあるのかしら? そして、その境界線もゆらゆらとゆらぎながら、でも消えはしない。

 フィリピンで理数科教育改善プロジェクトで働いていたときのこと。当時、プロジェクトには日本から30代の“若手”3名が地方教育事務所に派遣されていた。ぼくはそのひとりで、ときどきこのブログでも書いているように、南部ミンダナオ島ダバオ市に勤めていた。同じく若手のひとりにYさんもいた。彼は日本での教員経験後、青年海外協力隊に参加し、フィリピンでの理科教育の応援をした後に、いよいよ開発のプロとしてプロジェクトに参加していた。物理や地学が得意で、タガログ語も堪能な彼は、若手の中でのエース格だった。

 その彼が、霊感が強かったんだ

 ある教員研修の現場で、会場の学校の中を彼とふたりで歩いていると、「村山さん、あの辺りに地霊が集まっているよ」と彼が指差すその先は、構内の隅のちょっとじめじめとした日の当たらない場所で、たしかに誰も立ち寄らないような薄暗いところだ。そんな場所には、そこにいついた地霊が集まるのだそうで、特になんというイタズラをするわけでもないそうだけれど、とにかく放っておくのがよくて、ちょっかいを出しちゃいけない、なんて彼は口にする。彼は判るのだ。でも、ぼくにはそんな霊の存在はまったくわからない。感じない。

 彼によれば、電話がリーンリーンとなれば(携帯ではなく、備え付けの配線電話だった)、だいたいそれがいいニュースか悪いニュースか、電話を取る前にわかるのだという。今も覚えている極めつけは「ぼくは、落ちる飛行機はわかりますよ」という話だ。彼によれば、問題を抱えている飛行機は、その翼が見えないというんだ。「もし、自分の乗る飛行機の翼が見えなかったら、ぼくはその飛行機に乗るのはやめますよ」と彼は言う。でも、幸い、それまで翼の見えない飛行機に乗るような事態は一度も起こっていないとも言っていたけれど。

 うーん。彼にとって、霊魂の存在は当たり前過ぎて、科学的も非科学的もないようだった。自然の物理法則を教えることと、霊が存在することと、彼の中では特になんの矛盾もないようだった。ふーむ。

 カンボジアの理科の先生たち。多くの先生たちが、自分の干支の運勢占いを気にしていた。ある化学の若手教官は、よく自分の干支の運勢占いをフェースブックに示していた。個人で楽しむぶんにはいいけれども、ソーシャル・ネットワークを使ってそれを拡散するのは、理科を教える教師としてはあまりよろしくないんじゃないかということを、少し話したことがある。あなたの生徒さんたちが、あなたから強い影響を受けるんだよ、と。そんなことを話したせいかどうか、そういえば、最近の彼女の投稿には運勢占いはなくなったなぁ。どんな心境の変化があったのか、今度会ったら聞いてみよう。

 カンボジアの理数科教育改善プロジェクトで同僚だったK先生。日本の方だ。ばりばりの生物研究者で、ぼくが彼から学んだことは数多い。でも、そりゃ食い違う面だって当然あった。たとえば男女の格差について。「生物学的に見て、男女が違うのは当たり前だ」と言う彼は、いわゆるジェンダー(社会的性差)を問題視する価値観に強い違和感を表明することが多かった。彼の中ではそれは理路整然と整理されているのだけれど、ぼくからすれば、むしろ整然と整理されすぎていて、社会の複雑性をスパッと切って「よし、ダメ」と白黒判断をつけすぎみたいなところがあるように思えた。

 まぁ、それはそれとして。ぼくが驚いたのは、彼が血液型性格判断にわりと寛容というか、むしろ共感をおぼえているらしいことだった。多くの学生への研究指導の経験から、彼なりにABOの血液型によって、性格の傾向、未知のものへのアプローチが積極的とか慎重派とか、整理整頓がきめ細やかとか大雑把とか、があるという。そんな彼なりの経験則から、彼は学生の血液型によって、指導の仕方を多少変えたりすることもあるらしかった。

 一応、生物教師の端くれとして、ぼくは血液型性格判断はまったく認めることができない「空論」と断定していた。だいたい、血液型にはABO型以外にも何種類かある(国際輸血学会が認定している血液型は34種類もあるそうだ[1])。たまたまABO型が“有名”なのは、輸血時の組み合わせに注意が必要だからだ。たまたまABO型血液型が人の性格にことさら大きな影響を与えているなんて、ぼくにはやはり「科学的」に信じられない。
 B型だから〇〇、という性格は、むしろ学習効果だろう。「あなたはA型だ」と信じ込まされると、性格までA型っぽいと自己判断する、というような研究があったはずだ。つまりは、迷信。日本のODA事業実施機関を始め、NGOなどの世界では、「開発業界はB型の人が多い」ということがよく言われる。そういわれると、実はぼくもB型、ぼくのまわりの仕事仲間にもなんとなくB型が多い(ような気がする)。でもなぁ、ちゃんとリサーチすると、有意差でないんじゃないかなぁ。どうだろう?

 ところが、尊敬すべきK先生は、血液型による性格はあるようだという経験則を持たれている。うーん、それをどう理解すればいいのかなぁ。ぼくはけっこう戸惑った。

異界との日々の折り合い、妥協、そしてそんな折り合いと妥協への疑問も

 そんな“違い”はあっても、ぼくはYさんともK先生とも、理科の教育法に関してよく議論し、それが“霊”とか“血液判断”とかで妨げられることは特になかった。理科は理科、霊は霊、血液判断は血液判断、でことはとりあえず済んでいた。

 もし、YさんやK先生が、日本人ではなくフィリピン人だったり、カンボジア人だったりしたらどうだったろう。何かの機会にYさんが霊を信じていることを指して「フィリピンの理科の先生は霊を信じているからなぁ」とか、K先生が血液型性格差を認めることを指して「カンボジアの大学教授は、血液型性格判断で学生への指導法を変えたりしているからなぁ」なんてことを、どこかで口にしていたかもしれない。個人だった主語が、あっという間にでっかい複数形に変わる。かなり要注意だろう。

 そもそも、考えの違い、価値観の違いは、この世界に満ち満ちている。どうして、ずーっと安倍政権が続いたのか。それは安倍政権が選挙で勝ち続けたからだ。安倍政権を支持して投票する人たちが多かったからだ。もしかしたら、安倍政権を支持したわけではなく、たまたまその選挙区で応援したひとが自由民主党公認だったとか、公明党公認だったのかもしれない。でも、それはやはり安倍政権支持とカウントされたんだ。
 ぼくの価値観からすれば、どうしてーーー???と思う。安倍さん嘘ついてるじゃないかぁ、って。でも、安倍政権支持は選挙のたびに選挙結果としてはっきりと示された。それはそれで事実で、どうしようもなく認めざるを得ない。
 安倍政権支持した人と、ぼくとのあいだには、深―い峡谷が存在しているように思うけれど、日々の暮らしの中では、その境界が表立って立ち現れることは、そうそうはない。

 カンボジアでは、たとえば結婚時には干支の運勢占いは今でもかなり重要な事項だ。占い師に相性を仰ぐことなしに結婚を決めるカップルは、ごくごく少数派だろう。干支の相性が悪いから破断になった結婚も多いはずだ。まぁ、そんなことも、万事塞翁が馬、と言えなくもない。選択しなかった人生と、実際の人生とを比較することは、絶対に無理だ。だから、理由はなんでも、破断は破断、良縁は良縁。それでいいじゃない。うん、そうかもしれない。
 いや、でもね、破断の理由は運勢だけじゃないかもしれない、氏とか、日本なら「被差別部落出身」とか、それまでも、塞翁が馬で丸め込まれるんじゃ、いつまでたっても差別はなくならない。

 とにかく、日常生活のなかでは、科学的も単なる選択肢のひとつなのか。好みのひとつなのか。

 科学的なものと、非科学的なものが、共存して何が悪い。

 でもね、やっぱり危険だよ。血液型で、ふさわしい職業が示されて、それに影響を受けてしまうのは、危険じゃない?物理法則が霊によって影響を受けることがあると考え始めたら、科学は成り立たない。女は論理的思考が苦手で、男は得意であることを、当然のこととする社会は、やっぱり歪んでない? 結婚破断の理由は運勢をうまいこと活用しているのかもしれない。氏とか、日本なら「被差別部落出身」とか、家族の病気とか障害とか、それまでも、塞翁が馬で丸め込まれるんじゃ、断られる側はたまったもんじゃない。そんなふうな非科学的な枠組みに押し込まれて、我慢できる?

 でも、そう書けば「科学的な枠組みに押し込まれる」という事態もいくらでも考えられる。PCR検査で陽性とされることで、自由が奪われるのは「科学的判断」だから仕方ないのかな。亀甲の割れ目で「あんたは陽性」と言われるよりはマシ?

 異界はすぐとなりに広がっていて、実はけっこう油断ならない。カンボジアの政治家には必ず贔屓の占い師がいると聞くけれど、そういえば、日本の政治家も占い師とけっこう親和性が高いらしいし。他人の(隣人の、あるいは家族の中の)の異界と、どうつきあえばいいかは、とっても現代的な課題なんだろうなぁ。そんなことを思ったりしています。


[1] Wikipedia 日本語版 「血液型」の項より

2件のコメント

血液型と星座の性格は良く当たるよー,といつも心理学の講義の「性格」のところで必ず言います。村山さんの仰る「学習効果」ですね。それで、安心できるのならば、良いよね。私はB型と言われますけど。
私自身、「幽霊」にもあったことがあるし、「魔界」的なところにもはいったことがあります。
 でも、科学者です(笑)。

間々田和彦様 
いつもコメントありがとうございます。

『私自身、「幽霊」にもあったことがあるし、「魔界」的なところにもはいったことがあります。
 でも、科学者です(笑)。』

そこそこ、科学者であることと、「幽霊」「魔界」どう両立させているのでしょうか?
またお会いしたときに、いろいろと秘訣を伝授してくださいませ。

村山哲也

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