ツクシさんへ
学校に戻る、バイクで学校に行く、という約束をして私たちの家からお爺さんの家に戻ったのだけれど、さて、その後、どうしていますか?
最近は、どこかに泊まって家に帰らない日が多い、学校も行っていないと聞いています。
どうしたって、私はあなたのことが心配です。
けれども、無理に学校に戻りなさいとは思いません。学校の授業も、多分あなたにはつまらないのだろうと想像します。つまらない時間のために、頑張る必要はないです。
一番心配なのは、あなたの安全です。どこに泊まっているのか? きちんとごはんは食べているのか? そこがあなたにとって安全な場所であるといいなと願っています。
家に帰らない理由は何だろう? 家にいても、ひとりで過ごすだけでつまらないのかな? けれども15歳の女の子が、だまって外泊するのが良いことではあなたもわかっているのでしょう? おそらく、あなたもこれからどう人生を送っていいのか、自分で未来の道を見通せないのだろうと想像します。
ツクシさん、私はあなたも被害者だと感じています。きっとお父さんやお母さんの在り様に、言葉にできない不満があるのだろうとも想像します。そして、孤独なのでしょう。寂しいのでしょう。以前はにぎやかだった家も、スライニ姉さんも去り、ライチェル姉さんはボーイフレンドのラーに夢中。一番年下のあなただけがひとり残ってしまった。家に帰ってきても、自分の部屋の中にしかいる場所はない。何よりも、未来が見えない。
ツクシさん、けれども、それもあなたの人生です。そして、これから10代後半、そして20代へと、あなたは生きていく。もう自分で自分の未来を考えるときです。いつまでも、自分がかわいそうという気持ちだけで、受け身で過ごすわけにもいかない。
今だけ楽しければいい、という考えは間違っていると私は思う。あなたは学校の成績が良いわけではないけれど、賢い子です。自分の能力をどう生かすか? 誰かの付属品として生きるのは良くないん。友だちにくっついていく。ボーイフレンドにくっついていく。いつも誰かの後についていく。それはとても受け身です。それでいいのかな?
とにかく、あなたはまだ身体も成長する年齢です。しっかりと栄養を取らなくてはだめですよ。どこにいても、しっかりと食事をとってくださいね。そして、もし身の危険を感じたら、必ずだれかに助けを求めてください。
サンワー叔母さんもいつもハナさんのことを心から心配しています。好きなように生きていいのです。けれども、あなたにはあなたのことを心配する人たちがいることは忘れないでください。
あなたの幸せを祈っています。 いつでもポーチェントンの私たちの家に顔を出してください。
じゃ、また。 ○月○日 ムラヤマおじさん
ため息混じりに書くと…
ツクシは、私の義姉の娘さんです。つまり、姪っ子。今、15歳で、高校1年生です。
そのツクシが、なんか生活が、つまり人生が、混乱しているのです。
彼女は、普段はプノンペン市内中心部にある祖父母の家から学校に通っていました。
そして、ちょい前のこと。ちょっとした“非行事件”の後、数週間ほどサンワーと私が暮らす家(中心部からはちょっと離れている)で過ごしていたのです。
その間、学校には行きませんでした。まずは頭を冷やして、という時間だったのです。
それまで、彼女は、トゥクトゥクというミニ三輪車タクシー、スクーターを持つ友人、彼女のお母さん、そのいずれかのの方法で通学していました。祖父母の家から学校は、スクーターを使えば10分もかからない場所にあるのです。歩いてだって30分もあれば着くでしょう。
この機会に、私は、彼女にスクーターを購入するから、それを自分で運転して学校に通うことを強く勧めました。15歳でスクーターで通学することは、当地カンボジアではごく普通のことです。二輪車の運転には、免許証も必要ないのです。彼女自身、スクーターを運転した経験はすでに多少はあるのでした。
彼女が自分でスクーターで行動することで、彼女自身の様々な判断や責任や、そんなことが必要になると私は思ったのでした。そういうことが、今、彼女にはあってもいいんじゃないかと考えたのです。
「ここからスクーターで通えばいい」という私に、彼女は「ここからでは学校までちょっと遠すぎる」と言うのでした。「祖父母の家からならスクーターで通います」とも。
たしかに、この家から彼女の学校までは10キロメートル弱あります。朝夕の渋滞もひどい。今は雨期で、激しい雨がいつ降るかわからない。彼女の心配も理解できました。
そして、彼女自身が学校に戻りたいと言った。学校の先生からも、学校復帰を了解してもらったうえで、とある土曜日に彼女は祖父母の家に戻りました。その際に、中古の50ccのスクーターも購入しました。550ドルでした。
けれども。祖父母宅帰宅後翌日の日曜日の夜に出かけたツクシは、その夜に家に戻らず、月曜日から学校を休んだのです。あらあら。そして、2週間たっても学校に戻る様子はありませんでした。学校どころか、家にもほとんどよりつかなくなったのです。中古のスクーターは、雨に濡れたまま専用駐車場に置かれたまま時間が過ぎ、結局購入した店に再度買い取ってもらうことになりました。400ドルで売れました。
いったい何が叔父叔母である私たちにできるだろう? たいしたことは何もできそうにありません。彼女のお母さんは、当初、「家に閉じ込めて、遊びに出かけられないようにする」なんてことをおっしゃっていましたけれど、じゃ、誰がそれをできるのか? そういうお母さんは、平日だけでなく、週末もさまざまな仕事や約束でやはり寝泊まりしている祖父母の家にずっと滞在しているわけではないのです。15歳の娘を幽閉するだけの気力も体力も、もはや祖父母にはありません。彼女の父親は、プノンペン郊外の家にひとりで暮らしていますけれど、この件にはほとんど貢献を期待できそうにはないのでした。
思えば、彼女の生活の混乱は、2年前、祖父(私の義父)が体調を崩して数週間入院したころから表面化したのです。
それまでは、祖父が彼のスクーターで孫たちの学校の送り迎えをしていました。それができなくなった。
また、カンボジアの病院では、入院患者の世話のほとんどは患者の家族が泊りがけでするのです。食事を準備するのも、薬を購入して飲ませるのも、もちろん下の世話も家族無しでは成り立たない。ですから、彼の入院中、主に彼の4人の子どもたち、ツクシのお母さんもその一人、がそのお世話を分担したのです。
そんな非日常オペレーションが続いたとき、今から思えば、当時まだ13歳のツクシの世話をすることが後回しになった。13歳はまだ世話が必要な年齢だったのです。そして、無事に退院した祖父は、しかし毎日の送り迎えを以前と同じようにする体力はなかったのです。
そして、ツクシは学校には行きましたけれど、学校が終わった後、まっすぐ帰宅しなくなったのです。祖父に代わって迎えができる人は誰もいなかった。それが、今につながる、彼女の“混乱”の始まりでした。
嘘をつくつもりはないけれど、嘘になってしまう彼女の言葉
学校に行きます、スクーターで自分で通います、と言った彼女の言葉は、その言葉を口にしたときには、けっして嘘ではなかったと私は思うのです。
けれども、結局は、それが嘘になってしまう。約束は、守られなかった。
この件だけでなく、彼女にはそういう“実績”がどんどん積み上がっている。「一時間後に戻ります」と出かけたまま、数日帰ってこない。彼女の言葉は、もはや約束としてはまるで意味をなさないものと他者に受け取られてしまう。そのことが、ますます彼女を追い込む。
言葉を発したとき、それは彼女の願いであった。学校に行きたいし、スクーターで通いたいし、一時間後に戻ってきたいと、彼女は確かに思ったのです。そして、それを口にした。
けれども。
それなりの事情があって、その願いはかなわない。やがて、言葉はその場しのぎの道具になってしまう。彼女の願いは、もはやその場しのぎの方便に過ぎない。どうしてそうなってしまうのか? 彼女自身もきっとよくわからない。やがて沈黙。だから叱責。そうなれば、どうしたって楽しい時間と場所に逃げていく。無責任で居られる状況ならば、気楽なのだから。
そもそも、学校の授業で、彼女はお客さんなのです。特に、理科や数学といった科目は、それまでの積み重ねがなければ、手も足も出ない、そんなことが起こる。授業はよくわからない、宿題もこなせない。そりゃ、つまらないよ。ちなみに彼女の通う私立高校の授業料は、年間1000ドル強です。払った学費は、戻ってはきません。
公務員である彼女のお母さんの収入は、週末のアルバイト込みで月に5~600ドルぐらいかなぁ? サンワー叔母さんもちょいヘルプしていますけれど、学費だけで二か月分の収入が丸々飛ぶのですから、けっして安い出費ではありません。 でも、その痛みは、ツクシは実感として持てやしない。
これを書いている私だって、高校時代に親が負担してくれた学費の重みは分らなかった。きっと多くの人がそうでしょう? 親の苦労がわかるのは、自分が親の年齢になったとき。それはきっと世界共通なんです。
経済発展すれば、若者たちの浮遊は必ず起きている
浮遊する若者たちの存在、特に都市部での、は、カンボジアではすでに社会問題化しています。若者のギャング集団の記事が、新聞にもよく載ります。
さらに薬物問題が起こっています。政府は禁止していますけれど、電子タバコはひろく出回っています。そして電子タバコの次には、シンナー、大麻、覚せい剤、危険ドラッグ……。実際に都市部ではそういう薬物が若者のあいだにかなり広がっていると報道されています。
もちろん、その背景には“大人”たちの中にそれで儲ける人たちがいるという、大人として悲しく情けない事実がある。金儲けのために、薬をあつかう集団がある。けして需要が先ではなく、供給が先なのです。若者たちは被害者なのだ。
さらに貧富の格差もある。そして学校教育信仰が急激に拡大したカンボジアでは、当然その波に乘れない子どもたちも多い。そもそも学校教育とは選抜機能を持っているものなのです。選抜から漏れた子どもたちは、どうしたって浮遊することになります。虚無という心の荒廃が彼らに訪れる。ツクシの手首にも、リストカット跡がある。
そして、そんな問題で警察沙汰になると、逮捕された若者たちの写真が広くSNSで流れるのです。微罪で検挙まではされないケースでも、男の子は「丸刈りの刑」(法律的措置ではないと思います)に処されたりしています。“不良”に対する学校での「掃除の刑」もよくあるようです。
もちろん薬物をあつかう大人たちの摘発も毎日のようにあるのですけれど、見てるとなんだかキリがない。本当に、キリがない。
このような若者の社会問題は、多くの発展途上国で共通してみられる事象です。経済発展が起こっているからこそ起こる問題とも言えそうです。なんか人間って阿保だ。
ところで、多くの若者の“遊び賃”はどこからやってくるのか? プノンペン都心部のちょっとしたカフェでお茶するためには、すぐに5ドル(7~800円程度)はすぐかかる。食事でもすれば、ひとり10ドル(1500円程度)は必要です。
一方で、カンボジアの最低賃金は現在は月200ドル強と定められています。ツクシよりも年上の姪っ子のひとりは、大学卒業後、事務会計職の今の仕事で給与は月300ドルちょっと。カフェで食事していたら、1日一食しか取れない計算です。
でも、プノンペン中心部のどこのカフェも利用者の半分以上が若者です。おそらく、その過半数が親の金で生きている。結局、親が一生懸命稼いで、子どもに貢いでいるのです。そういう傾向は、今のカンボジアにはきっとある。実際、ツクシのお母さんも、平日は公務員の仕事、週末はアルバイト。まるでワーカーホリックのよう。ツクシの現実から目を逸らすために、仕事に逃げる気分もあったりしちゃうのかもしれないなぁ。
彼女に限らず、働いて子どもに貢ぐことで、親と子は共依存の関係に陥ったりはしていないだろうか??? お金の切れ目が縁の切れ目? 子に見捨てられないためにも、親は稼がなくちゃいけない。子のほうは、親に見捨てられないように学校でいい成績をとることを目指す。
でも、すべての子どもがそれが達成できるわけじゃない。そして……。
ツクシからSNSで「金送れ」のメッセージを受け、インターネットの電子銀行経由でちょっとしたお小遣いをツクシの口座にふりこむツクシのお母さん。お小遣いのやり取りに、今や顔と顔をつき合わす必要もないのです。あぁ、なんと便利な世の中になっていくことか。そしてツクシは帰ってこない。
24時間営業のコンビニエンスストアで、夜を明かす若者も少なくないのが、今のプノンペンなのです。そして、ツクシにもそうやって過ごす夜があるらしい。
もはや、富裕層中流層の若者で学校教育からはじかれた若者たちならば、ツクシのような悩みを持つのもけして珍しくないのだろうとも思う。多くの若者が通る道。
とにかく、ツクシの“社会復帰”には、まだまだ時間がかかりそうです。仕方がない、と思う。手紙にも書いたけれど、安全と健康、それだけはなんとか維持してくれれば、いくらでも人生なんとかなる。でも、女の子のこんな事例では、「出会うボーイフレンド次第」なんてことが、あちこちで起こっている。ツクシの人生も、出会うボーイフレンドで決まっちゃう可能性、少なくない。でもまぁ、どんな人生もあり。極論をいえば、生きていれば、なんとかなる。
人生、生きてりゃなんでもあり、それでいいじゃんか???? ねぇ。いまのところ、青春の悩み、なんだから、やっぱりみんな通る道??? でも、叔父さんは心配なんです。勝手に心配、それも私が選択した人生の一風景なのです。だから、仕方ない、仕方ない。
















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