国家試験と不正行為(カンニング)と、さらに・・・・

FaceBookで流れた報道ニュースより。高校卒業資格試験の会場に入る際に身体チェックを受ける受験生。チェックしているのは大学生ボランティアです。

2022年12月上旬に高校卒業資格国家試験が実施されました(カンボジアのニュース)

 まずは、インターネットニュースの報道から。

 プノンペン市役所は金曜日、12 年生国家試験(高校卒業資格=大学入学資格試験)期間中の今日から火曜日までの 3 日間、すべてのコピー ショップとインターネット ショップを一時的に閉鎖すると発表した。
 同発表の中で市役所は、閉鎖は試験の円滑かつ成功した運営を確保し、セキュリティ、安全、秩序、透明性を維持するためであると述べた。国家試験期間中のコピー店は3日間休業 試験・解答の出回りを危惧 |カンボジア生活情報サイト:スター☆カンボジア (starofcambodia.com)

 なぜ高校卒業資格試験にあたり、コピーショップとインターネットショップが閉鎖されるのか?? 日本語のこの文章を読んでいる多くの方には、すぐには腑に落ちないですよね。

 カンボジアでは、もうずいぶん前から国家試験の際にはコピーショップが強制的に営業休止を求められるのです。試験会場に持ち込まれる「解答」のコピー、あるいはアンチョコ(カンニング用紙)のコピーを防ぐためです。

 解答?? 事前に解答がでまわるのか?? つまり問題が漏れている?

 教育省は「問題が漏れることはない」と常に公式発表しています。そして「解答と称されて出回るものは、偽物です。銭失いになるので、そういうものの購入は止めましょう」と市民を諫めるのです。けれども・・・・・、偽物でも一応手に入れたいってのが人情ってもんじゃないですか。

 話を進める前に書いておきますけれど、国家試験での不正防止は2010年代後半から現教育大臣の強力なリーダーシップによって大きく改善されました。現在では、不正はほとんどない(はず)です。冒頭に紹介した写真は、今月(2022年12月)上旬に行われた試験会場入り口での身体チェックです。会場に持ち込めるのは、財布や筆記具、飲み水だけ。財布の中も開いて中をチェックされます。カンニングペーパーを持ち込むことはできません。

正直者がバカを見た!?

 私が本格的にカンボジアでの教育セクターの応援を始めたのは、今から20年前の2002年です。首都プノンペンにある高校教員養成校(全国で一校のみ)で提供する理数科教育の質向上を目指したプロジェクトでは、養成校教員のトレーニングのために現職教員への研修プログラムを実施したのです。教える側(養成校教員)にとっても、教わる側(学校現場の先生たち)にとっても勉強になるという一石二鳥のプログラムということでした。
 研修プログラムの最初には、研修を受ける先生たちが教科内容をどれぐらい理解しているかを調べるための簡単なペーパーテストを実施しました。

 そして、このとき思ったのです。なにか変だぞ、って。

 だって、ペーパーテスト中、多くの先生たちがとなりの方の解答をのぞき込むようにして“写す”のです。ときにはあからさまに“相談(?)”するような様子も見られました。

「(お隣の解答を)見ないでくださいね」

 と声を掛けたりしてペーパーテスト、なんとか終わらせて回収したわけです(成績は・・・・あまりよろしくなかったです)。

 確かその年の高校卒業試験の日、仕事に向かう道筋で見た試験会場校のまわりには警察がたくさん出ています。なんというのかなぁ、日本の入試会場と似た緊張感は漂うのですけれど、でもなんかが違う。

 そのことを職場で話題にすると、警察が出回っているのは「解答を試験会場の生徒に投げ入れる人がいるから」というのです。
 ふーん、そうなんだぁ、・・・・とは思いませんよ! 何、それ? どういうこと? 投げ入れる?? どうやって? 試験監督もいるのでしょう? 話を聞いても、よくわけがわからないわけです。ちょっと想像を上回ることが起こっているらしいのです。

 いや、カンニング(試験での不正行為)はカンボジアに限ったことではありません。

 フィリピンである国際学力比較試験を田舎の学校の生徒対象に実施したときにも、生徒たちが写し合いっこをしているシーンを見たことがあります。
 ある人から聞いた話なので本当なのかどうかは確信できないのですけれど、ある中東の国で留学の資格試験を実施した際のこと。会場外のモスクからコーランを読む声が拡声器で流れてきたそうです。ところが、それ、コーランではなくて資格試験の解答を読み上げる声だったそうで。試験監督の外国人はアラビア語がわからなかった・・・・、そんな不正もあったらしい。

 日本でも・・・、昨年亡くなった落語家の柳家小三治師匠があるCDの中で「カンニングをしたおかげで高校を卒業した」と、そのカンニングのやり方を丁寧に語っておられます。「これを話して高校卒業を取り消されても、いまさら恐れることはない」なんて胸を張っておられる様子がとっても可笑しいのですけれど。

 でもね、カンボジアの最近までのカンニング事情は、かなり深刻だったのは間違いありません。その後、私はなにやらの紙片を試験会場に投げ込む人の現場をこの目で見ています。あるいは以下のような事例も。

事例1
 カンボジア西部で、その町で市場の大きい公立高校を訪問した際のこと。その地方出身の私のドライバーであったラタナックが懐かしそうにきょろきょろしています。
 「○○年前に従妹がこの学校で卒業資格試験を受けたんですよ。でね、ぼくは・・・そうそうこの校舎のあの部屋ですよ(2階にある窓を見上げて)。この雨どいをよじ登って窓から回答コピーをぼくは投げ入れてあげたんですよ。なつかしいなぁ!」

事例2
 ある学校で生物教員と話し込んでいたとき。その日は卒業資格試験の実施日でした。彼の携帯電話の呼び出し音がなり、私は彼に遠慮なく電話を取るように促しました。
 電話を取った彼は、ひとしきり何かを話して(カンボジア語なので私には詳細わからず)電話を切ると言ったものです。
 「アルバイトをしている私立高校の生徒が資格試験会場から電話をかけてきました、判らない問題があるみたいで、ヒントをあげておきましたよ」…「エッ」と私が驚いていると、彼は笑いながら「きっと試験監督に少しお金を払ってるんですよ」。うん、すでにそういう話は山ほど聞いていた私は、「そうかぁ携帯電話もOKなんだ」と納得しちゃったわけです。

 これは人(何人も!)から聞いた話ですけれど、当時は資格試験会場でまず気の利いた生徒(受験生)が参加者からお金(それほどの大金ではありません、せいぜい1米ドル程度?でも会場に40~50人いれば40~50ドルにはなるわけ、当時の教員の月の基本給もそれぐらいでした)を集めて、試験前に監督官にそれを渡すのが通例になっていたそうです。支払いを拒否することは可能ですけれど・・・・それはとっても「空気の読めない」行為だそうで。不正がどうしてもいやなら、払ったうえで問題は自力で解く、のがよろしいとのことでした。

 実際、学校の定期試験でカンニングを強くとがめた教員が、試験後に生徒から撃たれて亡くなるという事件も発生したのを新聞でよんだことがあります。

 私が働いていた教員養成校の定期試験は、日本からの支援プロジェクトが入った理数科科目は多少はましになりましたけれど、試験日にキャンバスを歩き回って他の教科会場をのぞいてみると・・・・、膝に乗せた教科書を読んでいる、生徒同士が輪になって解答を見せ合っている、云々云々。
 試験監督はいるのですよ。でも、注意しない。お目こぼしのために生徒が多少の謝金を払っているからかもしれませんけれど、何よりも試験監督自身が学生時代そうやって試験を乗り越えてきたわけです。心情的に、そうそう厳しくはなれない。うん、それはわかるよ。

 でもねー。

 それでもだんだん不正に対しての規制が始まりました。試験場でカンニングぺーパーを使っているのを見つければ、そのカンニングペーパーは回収されるようになります。
 するとですね。監督官の机の上にカンニングペーパーが山と積まれる、というような状況が実際に起こりました(私は見た!)。
 でもね、規制はそこまで。日本の入試なら、カンニングペーパーが発覚したところで当事者は試験停止で不合格になるのが普通ですよね。でも、こちらでは不正用紙を回収されてしまうだけでそれ以上のおとがめはなしでした。

 そういう状況ではですね。役に立とうが立たなかろうが、カンニングペーパー、お守り代わりに持ち込むのが普通になります。さらに深読みするとですね。カンニングペーパーで対応できる、カンニングペーパーが役に立つ、つまりはそういう試験内容が多いのです。勝負は覚えているかどうか。
 となればね、ひとりつっぱって実力で受けるなんてしても、誰も得をしないわけです。
 小三治師匠は「カンニングペーパーを真剣に作っていると、作っている過程で内容を覚えてしまう」と笑っていましたけれど。小三治師匠の学生時代にはなかったコピー機が今はあります。しかも縮小コピーっていう機能だってついています。そういうわけで、とにかくコピーしてポケットに入れておく。それをやらないというのは、馬鹿正直で、つまり馬鹿なのです。
 正直者だからといって、神様仏様はけっして贔屓してはくれない。

不正撲滅は進んでいる。けれど・・・・

 さて、その後いろいろありまして。とにかく資格試験での不正は一気に減りました。
 その過程では、おそらく悲喜こもごも、いろいろあったのです。
 ただ、国家試験で減った不正が、学校現場でどれだけ減ったのか?そこは私はまだよくわからないでいます。ただ、減りつつあるのは確かでしょう。

 さて、「けれど・・・」の部分です。これは杞憂のようなものなんですけれど。

 冒頭の写真、会場入りする学生は会場校の校門に整列して、ひとりひとり身体検査を受けるのがここ数年の高校資格試験の恒例風景となりました(それでも、冒頭の記事にあるように今でもコピーショップは封鎖になっていますけれど)。

 私が気になっているのは、この身体検査をする側の人たちのことです。受験生のチェックをする役割に、どういうわけか大学生や短大生のボランティアが動員されているのです。不正撲滅運動が起こった時には、カンボジアの高等教育界のヒエラルキートップのプノンペン大学の学生が動員されたという記事を読んだことがあります。これが今では、広く多くの高等教育機関から集められているようです。
 今年私が確認した範囲では、まず全国に20ちょっとある小学校や中学校の教員養成校(2年生の短大)の学生が動員されています。それだけではなく、公立の専門大学の学生も駆り出されています(希望者だけのボランティアなのか、ほぼ強制なのかは未確認です)。わざわざ地方から首都まで遠征してこの作業に繰り出された学生がいることも確認しました。

 私はね、これがちょっと気になっているのです。なんで現場の学校の先生を活用せずに、若い学生を使うのかなぁって、そこが気になる。

 だってね。身体検査をする側って、油断すると気持ちいいかもしれないからです。圧倒的な強者でしょう? 管理する側の快感を、あんまり若い人に感じて欲しくないという思いが私にはあるのです。

 想像すれば、若者を活用する気持ちもわからないではない。不正撲滅の最初の数年は、実はチェックする側の学生は不正世代だったのです。そこは複雑だったと思います、彼らの心境を思えば。
 でも、今の大学生は不正撲滅運動が始まってから高校資格試験をとった人たちです。つまり、自分たちも受けた身体検査を、今大学生/短大生となってチェックする側にまわったわけだ。

 で、それほど年齢の違わない(でもおそらくちょっと若い)人たちをチェックする、管理する。おそらくね、気持ちいいんじゃないかな。
 でも、その気持ちよさが・・・・・、私は嫌なんです、怖いんです。

 虎の威を借る狐・・・おそらく狐には狐の自意識はないだろうと想像するのですよ。でもね。

 いや、若い者が社会正義の価値観を実体験から考える、それのどこが悪いのじゃ? そういう声があるのはよーくわかる。そして、先に書いたような「正直者が馬鹿を見る」社会よりも、カンニングによって得する社会じゃないほうがずっといいのも間違いないと私も思う。だから不正撲滅には大賛成です。

 でもね・・・・、そろそろ身体検査はせめて現職の先生がやればいいのに、とも私は思っているのです。身体検査なんて、二十歳前後の若者にやらせることじゃないんじゃない?って。
 若者のボランティアを活用するのは、経費削減なのかもしれないですけれど。

 公務員=与党支持者で、選挙になると公務員が率先して選挙活動に駆り出される社会があります。駆り出されるのではなく、積極的に参加している人も少なくないとも感じる。いや、選挙ってお祭りで楽しくて、そしてやっぱり勝ってこそ、でしょう? 最初は駆り出されているのだとしても、そのうち楽しくなったりするのだと思います。勝てば官軍。官軍のメンバーであり続けたいし、あり続けるのが楽ちんになる。
 そういう社会で、若者に他者を管理する快感をあんまり経験してほしくないなぁなんて、私は思っているのです。

 あぁ、こういうことは日本語で書いているだけじゃ意味ないよね。
 すぐにとは言いませんけれど、いつかはカンボジア語で書くべきことだと自覚しています。

 じゃ、今日はおしまい。ではでは、また。

1件のコメント

コメント、いただけたらとても嬉しいです