相模原障害者施設殺傷事件が起きたとき、私は障害を得た事故現場であるルワンダを訪ねていました。2016年7月下旬のことです。
車イスで初めての海外渡航でした。ルワンダで世話になった人たちと再会を喜ぶ日々に、インターネットでこの事件のニュースが飛び込んできたのでした。でも、事件の詳細と衝撃を実感したのは事件後しばらくたってルワンダから日本に戻ってからでした。
日本の障害者世界は、恐怖で震撼していたと私は感じました。明日殺されるのは自分かもしれない。あの日、殺されたのは自分だったのかもしれない。そういう実際的具体的な恐怖です。
事件を起こした青年の考えに同調するかのような「彼の考えは一概に否定できない」という種類の匿名のつぶやきたちが、「明日殺されるのは自分かもしれない」という恐怖を裏打ちしていったのです。
その恐怖は、事件から6年以上経った今でもまだリアルなものです。何かが起これば、一気に牙を剥いて襲い掛かってくる、そういうモノがこの社会には根深く巣食っているのだ。その気分は常にリアルなのです。
そして、私は、今のパレスチナの特にガザ地区で起こっていることに、同じような感覚を覚えるのです。
何かあったときに、世界は無力である、というような恐怖です。公然と公開殺人が、しかもかなりの多数の、が目の前で起こっているのに、世界はそれを止めることができない。
病院の電源を切る。そのことがどのような結果をもたらすのか。保育器が必要な赤ちゃんたちは電源無しでどうなるのか。人工透析が必要な患者にとって、電源喪失がどんな意味を持つのか。人工呼吸器が使えなければ、それが必要な人はどうなるのか。
結局、弱者がまず殺されるのです。
そして、それがわかっているのに、電源は途絶える。それを世界は止められない。
電気はあるのです。それを供給すればよい。けれど、それを止める人たちがいる。その人たちに「電気を供給するように」と世界は説得できないのです。指をくわえて見ているだけなのです。
病院の患者だけではない。普通に生活を送っている健常者ですら、5分後どうなるかわからない、それがガザなのだ。その通りです。まったくその通り。でも、それを含めて、大量殺人が進行しているのでしょう? それを止められない、それが私たちなのです。
ガザ地区の死者数、ハマスが主導するガザ地区行政府の発表する数字が正しいものなのかどうか、水増しがあるのではないか。そんな記事も出ています。
ならば、以下のようなケースではどうか?
「イスラム組織ハマスが実効支配するパレスチナ自治区ガザ北部のジャバリア難民キャンプが31日、イスラエル軍の空爆を受け、パレスチナ人少なくとも50人が死亡した。パレスチナ保健当局が発表した」イスラエル、ガザ難民キャンプ空爆で「ハマス指揮官殺害」 50人超死亡か | ロイター (reuters.com)
この50人死亡という数字が、水増しなのか、どれだけ正確なのか、私には判断する術はありません。おそらく、現場にいたって、保健当局のスタッフだって、正確な数がわかるはずないだろうと想像します。それでも、何かしらの情報があって出てきているのが「パレスチナ保健当局によると、50人超の死者に加え、150人が負傷した」という数字でしょう。どちらも一の位の数字は0、です。50人程度、150人程度、ということなのでしょう。多少大目にカウントしている? そうだとしたら、私たちの気持ちは少しは楽になるのだろうか? ハマスは世界の関心を惹くために、イスラエルを悪者にするために、被害者を多めにカウントして報道しているよねって。
もちろん、当事者たちにとっては大事な数字ってのはあるでしょう。私にとっては? 私は当事者ではないから、その細かい数字は関係ない? それも何か違う気がしてならない。
いったい何を見て、何を判断するのか。それが問われている気がする。
とにかく、公開殺人が進行しているのです。
南部に住民を移動させた後、その多くをエジプトのシナイ半島に避難させようとしているのではないか? つまり、ガザからパレスチナの人たちを駆逐しようとしているのではないか? 一度そこを離れれば、二度と戻れない。それがパレスチナの人たちがイスラエル建国後に起こった事例から学んでいることです。一時的に避難と言われて、その「一時的」という言葉を信じるガザの住民はいないだろうと想像します。
避難しないでハマスとの紛争に巻き込まれるのが悪い。そういう理屈の展開でものごとは進んでいるように感じます。
想像してみます。このプノンペンで。24時間以内に、あるいは2~3日以内に退去せよ、と命じられることを。
何を持って逃げればいいのか? 逃げた先に何が待っているのかも想像がつかない。とにかく、パスポートと、車イスと。当面の薬や自己導尿や摘便の準備と。車イスのタイヤの空気入れも持っていったほうがいいだろうか(でも、私が使っている空気ボンベ、充電式なんですよね、持って行っても充電できなければ邪魔になるだけ)。着替え?布団????
現金、貴金属、土地の権利書、それぐらいはやっぱり持って避難するのかな。
そうやって考えても、さて、やっぱりそう簡単に退去できるわけないじゃないか!ということになるわけです。1975年4月にポルポト派がロンノル政権を倒してプノンペンに入ってきた際には、実際にそういうことが起こったわけですけれど。「今すぐ退去せよ」と。
でもあのときは、今のようなインターネットによる情報拡散はなかったのです。世界はプノンペンで、カンボジアで、何が起こっているのか正確に知る術がなかった。
今日の、ガザは? もはや携帯電話の充電すらままならない人たちが多数いるようです。やがてガザは沈黙する、1975年のカンボジアのように。そして静かに殺されていく。その図は、相模原事件と何がどう違うのだろうか? あのとき、私たちは何が起こったか、事件後に初めて知ったのです。
ガザは? 何が起こっているのか、私たちはすでに知っている。正確な数は把握できないけれど、百、千、さらには万という数字で人が殺されていく。
それを世界は止められない。静かに見ているだけ。
つまり、それは、自分が「殺される側」になったときにも、世界には期待ができないってことでしょう?
数十年後、今ガザと呼ばれている場所は、瓦礫はかたずけられ、イスラエルによるあらたなリゾート地に生まれ変わっている。
備蓄された軍備が消費され(つまり新たな需要が生まれ)、地域の復興のために公共事業(海外支援を含む)が立案実施され、それで景気が潤う。儲ける人がいる。
それが、絶対に何か間違っているのは確実でしょう? けれども、世界は、私は、それに対して何もできない。それを受け入れるしかできない。わくわくと株が上がるのを待つ人すらいる。
母はインターネットでつないだ電話で私に言ったものです。「嫌な世の中になった」
「良くなったこともたくさんあるんだけれどね」と、私はせめて投げ返した。
「それは、わかる」と母も答えた。そして、「でもね」と。
「早くお迎えがこないもんかね」、とは言葉にはしないでくれたのです。
もしかしたら、「どうしようもない」だったのかも、しれませんけれど。
たしかに、どうしようもない。それも事実だ。でも、私は生きてく。5分後、殺される可能性はほとんどない、今のところ、私は。空襲警報は、まだ聞こえない。
退去命令が出たとき、どうするかはまだ決めていない。

















私はユダヤの歴史も分かっていない。パレスチナの歴史も分かっていない。人間にとって宗教というものがなんであるのかも分かっていない。でもそんなことの理解を超えて今の殺戮行為は極悪だ。本来の人間ができる(やれる)ことではない。水を止め、電気を止め、食料を止め、弱者を兵糧攻めにしながら大量殺戮を同時にやる野蛮さは見るに耐えない。今のむごい大量殺人行為が極悪であることは自明だ。ガザで起きていることは資本の蛮行を語る以前の蛮行だ。
そして今、何もできない自分がここにいる。これが事実です。腹立たしさ、虚しさから逃げるだけの自分がいる。
匿名さま、コメントありがとうございます。
腹立たしい、虚しい、本当にそうですよね。そして、そりゃ現実的にそうそう効果的なアクションなんかとれっこないですわ。けして「あきらめる」ということではなく、けして「逃げる」ということではなく。
ベトナム戦争のときに、「日本の人たちに望むことは?」と問われた南ベトナム解放戦線の兵士が「共感しつつ、どうぞご自分の目の前の問題に取り組んでください。それが連帯なのだから」という主旨のことをおっしゃったという、確か本多勝一さんの取材の中だったと思うのですが、ことを読んだことがあります。
共感したって、世界のダメダメは何も変わらない? そうかもしれない。そうでないかもしれない。どっちにしたって、共感や同情はやっぱりなにか大切なコネクション(結びつき)なのではないかと私は思っている節があります。
「逃げているだけの自分」とご自分を卑下することは、なーんもないと思いますよ。
もしお時間があるならば。『ガザに地下鉄が走る日』岡真理著 でも手にとってみてくださいませ。それを読むということだって、共にあることにつながるように思うのです。まずはご自愛くださいませ。それが一番大事。
村山哲也
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