最近のハリウッド映画の多くの冒頭に、「Based on True Story(事実を元にした物語)」というタイトルが流れる。別にその真似をするわけではないけれど、以下もまた、昨年末から数週間にあった「事実」を基にしたお話です。どうぞお楽しみくださいませ。
登場人物
・セン ランの兄
・ラン センの弟
・ナン ランとセンのお母さん
・頭領 ナンさんが働く工事チームのリーダー
・サンワー 私のパートナー
・私(ムラヤマ)
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僕の名前はセン。もうすぐやってくるクメール正月を過ぎれば13歳になる。生まれはスタントレンの田舎だ。スタントレンはプノンペンからメコン川をずっと上がっていった先にあって、ラオスと接する県だ。そのあたりのメコン川には河イルカがすんでいる。僕の村は、メコン川の東に位置していて、南隣のクラチェとの県境に近いところにある。
お母さんの名前はナン。美人でとても優しいお母さんだ。あと弟のランがいて、ぼくとは3歳違い。ランはとても甘えっ子で、もうすぐ10歳になるというのに、今でも夜はお母さんと一緒に眠っている。
お父さんの名前は……、あんな奴のことはもう忘れてしまった。あいつはお酒を飲めばいつもお母さんに暴力をふるう嫌な男だった。お母さんよりは20歳近く年上で、昼間は畑で働くか、村の市場でカードゲームで賭け事をするか。お母さんに言わせると、結婚する前は優しかったんだって。なんでも、あいつがランと同じくらいの歳のころ、戦争があって、彼のお父さんお母さん、つまり僕のお爺さんとお婆さんが死んじゃった。そのせいであいつは遠い親戚に預けられて、学校にも行けずに辛い思いをたくさんしたのだと言う。その思い出が、あいつを苦しめているのだと母さんは言う。でも、だからと言って母さんや僕たちをぶったりけったりするのは、僕はどうしたって許せない。
でも、あいつのことなんかもう忘れてしまった。なぜなら、今から数年前のある夜、母さんは僕とランを連れて、スタントレンの家を捨ててしまったから。それ以来、僕らは村には一度も帰っていない。
村にはお母さん側のお爺さんとお婆さんがいるし、仲良しの親戚ナックやポラもいるけれど……。多分、ナックやポラは僕たちがいなくなって寂しがっていると思う。でも、仕方がない。もし僕たちが村に帰れば、あいつはきっと母さんのことをひどく打つに決まっている。僕とランだって叩かれるに違いない。だから僕たちは二度と村には帰らない。
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僕の名前はラン。兄さんはセン。母さんはナン。
母さんは頭領たちと一緒に働いている。ボレイ(集合住宅)の建築現場だったり、誰からの家を直したりする仕事だったり、仕事の内容はいろいろだ。長ければ半年か1年か。短ければ数日、仕事は続く。だから僕たち自身の家はない。母さんの仕事のたびに僕たちは寝る場所が変わる。
1年ほど前には、僕たちはタイという隣の国に行ったこともある。そのときは、夜、暗い中をずいぶんと歩いたことを覚えている。僕はまだ小さかったから、ときどきお母さんにおんぶしてもらった。お母さんがつかれると、頭領がおんぶしてくれたこともあった。夜の森は、暗くてとてもおっかなかったことを覚えている。
タイから帰るときはもっとずっと楽チンだった。母さんたちが働いていたところにタイの兵隊たちがやってきて、僕たちはトラックに乗せられて大きな町に運ばれ、そこでは歩いてカンボジアにもどった。タイにいたときは、僕たちはいつも母さんの働いている場所にいなければいなかったから退屈でしょうがなかった。だから、母さんにはもうタイには行かないでとお願いしている。
兄さんのセンは、まだ村にいたころ、小学校に通ったことがあった。だから少しだけ文字が書けるし読める。僕はまだ学校に行ったことがない。母さんや頭領、そして兄さんがときどき文字や計算を教えてくれるけれど、僕はできれば学校に行って勉強したい。
学校に行きたいというと、母さんはちょっと悲しそうな顔をする。兄さんは「母さんを困らせるな」と言うのだけれど、でも兄さんは学校に行ったことがあるのだから、ずるい。
頭領は「学校に行かなくても、大丈夫だ」ってよく言う。頭領も学校には行ったことがないらしい。母さんは、学校に少し行ったことがあると言っていた。つまり、家族3人の中では僕だけが学校に行ったことがないわけだ。それはやっぱり不公平だと僕は思う。1年だけでもいいから、学校に行ってみたいなぁ。
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12月末から1月にかけての数週間、我が家ではちょっと大掛かりな改修工事がありました。2階のトイレが水漏れしたのを直すついでに、各部屋についている全部のトイレを改修することにしたのです。
サンワーは、お兄さんの友だちだという人に修理を頼みました。彼には私の介護ベッドの修理から、ちょっとした下水の水漏れや、エアコンの修理など、とにかくなんでも細々したことを頼むのです。
最初の数日、彼ひとりであれこれやっていましたけれど、翌週から4名ほどの新しいスタッフがやって来て修理に取り掛かりました。トイレの壁や床のタイルを電動ドリルを使って取りはがし、下水管を新しいものに取り換えて、再度新しいトレイを貼っていくのです。4人の職人たちは、夜は我が家の空いている部屋で眠るのでした。ガスコンロを持ち込んで、朝夕は自分たちでご飯を炊いて、スープやおかずは近くの市場から買ってきたり、自分たちで何やら簡単なものを料理したりもしているようでした。
車イス者の私は、上の階で働き泊っている彼らの様子はよく分からないのですけれど、サンワーによれば、彼らは部屋の中に簡易なテントを3つほど張って、まるでキャンプ生活を送っているようだということでした。
その4人の職人チームと一緒に、ふたりの少年が暮らしていました。これもサンワーに聞いたのだけれど、ふたりは兄弟で、職人のうちのひとりが彼らの母親なのだということでした。兄弟は歳は10歳前後でしょう。当然、サンワーと私の間では、「彼らの学校はどうなっているのだろう?」ということが話題になりました。兄弟は日中もここで過ごしています。小さい方はときどき外に出て、近所の同じ年頃の子どもたちと草サッカーをしたり、バトミントンをしたりして遊んだりもしているようでした。大きい方は、その遊びに加わることはなく、ドアのところで弟の様子を眺めている姿が印象的でした。よく注意して観察していると、大きい方、つまり兄のほうは4人の職人の仕事を手伝ったりもしているようでした。
仕事から帰ってきたサンワーに「あれはどう見ても児童労働だなぁ」とか「今日は一階のトイレのペンキ塗りをお兄ちゃんはしていたよ」なんて報告をするのが、毎日の私の決まり事になったのです。
彼らの滞在が10日ほど経った週末の午後、ふと気が付くと家の前の路地で、サンワーが年下の少年とバトミントンをしていました。しばらくすると、年上の少年もそれに加わったのでした。30分ほどして、上気した顔でサンワーが家の中に戻ってきました。
「あの子たちはね、やっぱり学校には行っていないんだって。お兄さんのほうは、3年生まで通ったことがあったみたいだけれど。なんかね、お母さんと一緒に家から逃げたんだって。お父さんがお酒を飲んで暴力をふるう人だったみたいよ。ドメスティックバイオレンス(家庭内暴力)だよ。嫌ね。
ふたりとも、良い子よ。今夜、ちょっと一緒に勉強するって約束しちゃった」
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この家のご夫人が勉強を見てくれるって、夕食をすませると息子たちは階下の台所に行き始めたのは二週間前の土曜日だった。あれ以来、平日の昼前には車イスに乗った旦那さんが、夜は仕事から帰ったご夫人が、毎日息子たちの面倒をみてくれている。
ご主人はなんでも日本の人で、クメール語はよくわからないみたいだけれど、それでも息子たちは嫌がらずに朝9時になるとノートとペンを持って階下に向かう。ノートとペンは、ご夫人がくれたそうだ。
そのご夫人と、昨夜私はゆっくりとおしゃべりをした。そして、彼女に私が故郷の村を出た理由を正直に話した。夫が私に何度も何度も暴力を振るったこと。一度は息子たちを同じ村の私の両親に預けて、私はクラチェの町で働いたこと。けれども、夫は私の両親にも暴力をふるい、息子たちを連れ帰ってしまったこと。そして、酔えば息子たちにも暴力をふるったこと。
そのことを母からの電話で知った私は、一度は家に戻った。そして、村役場や警察に行って夫の暴力のことを話をした。センが通っていた学校の先生にも相談した。けれども、彼らは女の私の話は真面目に聞いてはくれなかった。夫が暴力をふるうのは、若い私がわがままなせいだとも言われた。妻が我慢しなければいけない、と言われたこともある。
私が我慢してすむならば、我慢する。けれども、お酒を飲めば、夫は私だけでなく、子どもたちにも、そして私の両親にも暴力をふるうのだ。
だから、私は夫に黙って息子たちをつれて家を出た。両親にも行き場所は伝えなかった。プノンペンまでバスに乗って、最初はプノンペンの縫製工場で働いていた村の友だちを頼った。携帯電話の番号を変えるために、新しくSIMカードを買った。そして3年前から、人づてに紹介された頭領のチームに入って働いている。話しているうちに、どうしても涙が出てきた。夫人はうなずきながら、やっぱり涙をこぼしていた。
息子たちの学校のことは気にはなっている。でも私の家族もは頼めない。家族に頼めば、やがて夫にきっと伝わる。そうなれば。きっと息子たちは夫に無理やり連れ戻されてしまうだろう。
一度シュムリアップにいる頭領の両親に預かってもらうことも考えた。けれども、まったく赤の他人である子どもを、しかも二人も面倒を見るなんて、やっぱりあの老人たちには難しかったのだろう。息子たちも、馴染めなかったみたいだ。特に下の子ランが、私と一緒にいたいと駄々をこねた。結局、ふたりともそのときに働いていたタイにまで連れて行った。
タイでの仕事はお金にはなったけれど、いつ警察に捕まるか心配でたまらなかった。センもランも、工事現場から一歩も外には出さなかったから、ずいぶんとうっぷんが溜まったはずだ。だから、ついに捕まってポイペトまでトラックで運ばれたときは、ちょっとホッとした気分もあった。
国境紛争が起こったときは、ポイペトの近くの現場での仕事だった。国境から近かったから、工事はすぐに止まってしまい、頭領はとても困っていたみたいだ。だからプノンペンでの仕事の声がかかったときには、私たち全員がとても嬉しかった。
ご夫人が言うには、息子たちは学校に行ったほうがきっと良いという。うん、私もそう思う。
センもランも、学校に行きたいと言っている。けれども、ふたりの出生証明書を取るためには、故郷の村役場に行かなくてはいけない。でも、それはどうしても無理だ。役場に行けば、きっと誰かが夫に連絡するだろう。もし夫に捕まれば、私たちは今度こそ殺されてしまうかもしれない。誰も守ってはくれる人はいない。
そうご夫人に伝えた。彼女によれば、紛争のせいでパイリンから逃げてきたと言えば、出生証明書がなくてもきっと学校は入れてくれるというのだけれど。
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ナンさんの話を聞いて、私も思わず一緒に泣いてしまった。彼女は私よりも10歳以上若い、まだ30歳ちょっとだ。暴力をふるう彼女のその夫は、彼女よりも20歳ぐらい年上だという。
その話をムラヤマに伝えると、もしかしたら子どものころのトラウマがその人にはあるのかもしれないと彼は言う。つまり、ポルポト時代に幼少だった彼には、何か辛い経験があるかもしれないという意味だ。私もそういう可能性はあるかもしれないと思う。
でも、そこまで根掘り葉掘りナンさんに聞くことは遠慮している。とにかく大事なのは、センとランのふたりのことだ。もし彼らが今学校に戻らなかったら、きっと年を重ねれば重ねるほど、学校に戻るのは難しくなるだろう。下のランはもう10歳になる。これ以上大きくなったら、小学校1年生から始めるのは大変だろう。でも、今ならまだ間に合うかもしれない。
算数を見てくれたムラヤマが言うには、お兄さんのセンはいいセンスをしているという。おそらく小学4年生のクラスに入っても、なんとかついていけるんじゃないかという。確かにセンは、クメール語もけっこう書けるし、読める。最初はちょっと苦労するかもしれないけれど、宿題を誰か大人がヘルプしてあげれば、きっと大丈夫だ。
でも、問題はお母さんのナンさんだ。彼女も学校には数年通ったらしいけれど、センやランの宿題を見てあげるのは彼女には難しい。
いったいどうするのが一番いいのか?
先日、政府は国境周辺から逃げてきた子どもたちが学校で転入手続きをする場合、必要書類が整っていなくても受け入れるように通達を出した。これは二人にとっては良いニュース。今なら出生証明書がなくても、きっと転入は可能だろう。ならば、プノンペンの学校に通わせるか? でも、その場合、ナンさんの仕事はどうする? ナンさんがこのあたりで仕事を見つけるのは可能かもしれないけれど、でも彼女が望むだけの収入が得られるかどうかは私にもわからない。それに、どうやらナンさんは頭領のガールフレンドみたいだ。ナンさんは、頭領のチームから離れたくはないのだろう。
子ども二人だけなら、私たちの家から学校に通わせることもできなくはないけれど。でも、それを三人が望むのかどうか。私たちが彼らに強制することは、どうしたって出来ない話だ。
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5つあるすべてのバスルームの床をはがして、排水菅を新しく埋め直し、セメントを敷いて新しいタイルを貼る。その仕事も、あと数日で終わる。国境紛争もどうやら停戦になったようだから、おそらくポイペトでの建設工事も近々再開されるだろう。
久しぶりのプノンペンでの仕事で、1月1日は仕事を休みにして、みんなで王宮まで行って、サップ川沿いの公園をワットプノンの方まで歩いたりできたのは、良い息抜きになった。スタッフたちも、ふたりのチビたちも楽しかっただろう。
この家の夫婦は、なにやら良い人たちではあるようだ。この仕事を紹介してくれた友人も、この仕事の支払いは確実だと言っていた。それは大変ありがたい。
昨夜は、夫人からナンに、チビたち二人をこの家から学校に通わせてはどうかという提案があったらしい。学のある人たちの言うことには、いつも学校、学校だ。
でも俺に言わせれば、それは余計なお世話というもんだ。俺だって、学校には行っていない。正直な話、俺も書くのも読むのも、自分の名前ぐらいがせいぜいだ。でも、それで困ったことはあまりない。ラジオを聞いてれば、ニュースのことだってだいたいわかる。
チビたちは、このまま俺と一緒にいてこの仕事を覚えていけば、将来喰いっぱぐれることはまずないだろう。ランは、もうかなりの仕事ができる。ペンキ塗りならナンよりも丁寧でうまいぐらいだ。まだチビだから、重たいモノを運ぶのは無理だけれど、きっとあと数年経てばずいぶんと大きくなって、なんでも平気で運べるようになるだろう。ランだって同じだ。今はまだガキで、メソメソしてばかりいるけれど、すぐに仕事も覚える。俺もそうだった。
それに、とにかくここ家の人たちは赤の他人さまだ。今はチビたちのことを憐れんでちょっかいを出しているのかもしれないけれど、俺たちがいなくなれば、ふたりをこき使うことだってあるかもしれない。車イスにのっている旦那の世話でもさせられるのが落ちだ。
ナンには、下手な夢なんかみないで、みんな一緒にポイペトの現場に戻るぞ、と伝えた。
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サンワーは、あえてナンさんに電話番号を聞かなかったそうだ。確かに、こちらから連絡を取っても、私らが何かできるわけでもない。
政府のマクロなデータでは小学校への入学率は一応100%近くを示しているけれど、でも、センやランのように学校に通えない子どもは、実はこの社会にはきっとまだ数多く存在する。そんな多くの子どもたちのうち、たまたま偶然にあのふたりは私たちの前に現れた。そんなたまたまご縁があったから、サンワーも私もいろいろと考えたけれど、でもたまたまが必然に変わる奇跡は起こらないまま……、彼らは結局私たちの目の前を通り過ぎていったのです。
サンワーによれば、出生証明書は学校だけではなく、人生のいろんな機会に必要になるらしい。国の保険等の登録や、結婚の届けや正規の就職時にだって出生証明書が求められる。投票のための選挙登録だって、生まれた村の役場で手続する。
ナンさんは、夫の暴力が怖くて村に一歩も足を踏み入れたくないのだけれど、そうなればセンとランが困ることが必ずあるだろうとサンワーは言う。それに、「その夫が同意しなければ、正式には彼女は離婚もできない。離婚には、手続きにお金もかかる。だから、彼女は頭領とは正式に結婚するのは無理なのよ」と、サンワーは溜息をつく。それを聞いて、僕も溜息をつく。いずれにせよ、誰の人生にしても、それぞれなにかといろいろ大変だ。
彼らは今ごろどこで何をしているのか。とにもかくにも、彼らに幸多かれと祈る他に、私たちにできることはなにもない。
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車イスのおじさんはクメール語はできないけれど、算数の計算を教えるのは上手だった。それに、最初は忘れていたけれど、繰り上がりも九九もやっているうちに以前学校で教わったのを僕は思い出した。一度ひとつのことを思い出すと、次々と思い出す。おばさんがくれた本の中に書いてあったお妃をめぐる王様と魔人の闘いの話や、とんちで王様になったキュウリ王の話、それに仏様の話も、ちょっと分からない言葉はあったけれど、読めばとっても面白かった。
おばさんが「学校に行きたい?」と聞いたときは、僕はちょっとドキドキした。ランときたら、僕以上に興奮していた。僕たちが学校に行くことになったら、母さんはプノンペンで働けばいいと、母さんが困っているのもお構いなしに夜遅くまでべらべらしゃべっていた。バカな奴だ。
「お母さんが一緒でないなら、僕は学校に行かなくて平気だよ。学校なんか行きたくない」と言い出したのもあいつだった。
あのとき、僕だけひとり、おばさんの家に残って学校に行くって、行きたいって、僕にはどうしても言えなかった。僕がいなくなったら、お母さんも頭領も、きっと困るだろうし。ランの奴も、僕がひとりで学校に行くと言い出したら、「センはずるい」と、きっとメソメソするに違いなかった。
おばさんたちは僕たちの勉強のために買ってくれた教科書や、計算の本や、物語の本、それにノートとペン、クレヨンも、みんな僕らに持たせてくれた。おじさんは、約束通りに割り算の計算の仕方も最後にちゃんとタイルを使って教えてくれた。使わなければすぐに忘れてしまうかもしれないけれど、必要ならタイルを並べて考えれば、きっとまた思い出せると僕は思う。


















教える喜びを思い出されたお顔に見えます。少年二人が学ぶ喜びを得られますように。
匿名様 コメントありがとうございます。
いやいや、教えるのは難しいと改めて感じました。冷や汗たらたらでした。
少年たちが学ぶ機会は、なにも学校教育の中にだけあるわけではない。
おそらく、まさにオンザジョブトレーニング、働きながらたくさんのことを学んでいくのだと思います。一方で、これまで以上に、非識字にはつらい社会になっていくのがこの世の中。そのあたり、彼らが乗り越えて行って欲しいなぁと願うばかりです。
『藪の中』風の話の運び方が魅力的でした。
学びたいと思う人のところに、教育が届きますように。
匿名様
あぁ、読んで下さり、ありがとうございました。おそらくふたりは今後学校教育を受ける可能性は低いだろうと想像します。そして、それでもまだあれこれ幸せになるチャンスはあるだろうとも、願いを込めて思います。彼らとのひとときは、私には改めて学校教育の意義を考える機会にもなりました。学校教育は、単色ではダメだと心から思います。たとえば、高校卒業資格を得られないのであれば、学校教育を受ける意味が一気に下がってしまうようなのが、「単色」だと感じるのです。一方で、単色だから、それ以外の選択が学校教育の外にも多くある、のかもしれません。この国の学校教育、小学校を卒業して中学校に進む進学率は、子ども全体の数を母集団にすれば、7割にまだ届いでいないだろう。小学校に入学しても、6年生を終えられない子がまだ3割程度存在するということです。
仕事柄、私の知人友人は高学歴が多い。その点でも、世界を広げてくれた今回のふたりとの出会いでもありました。世界は広く深いです。知らないこと、届かないことだらけです。
『藪の中』、芥川龍之介だよなぁ、と、うん、どうやらそういう知識はあったみたい。でも話の中身は全然頭に残っていないのでした。書いていても、『藪の中』が頭に浮かぶこともなかった。教えて下さり、ありがとうございます。
今はね……、と読んでいる本のことを書こうかと思ったけど、またブログにかくかもしれないから、やっぱり今はまだ内緒にしときましょう。