ちょっと趣向を変えて。今回はフィクション(物語)です。78年目の日中戦争敗戦の日も少しだけ意識して。

バアソブの花 小野先生撮影

『青と春』

1.下弦の月の夜

 「テン、起きてくれ」、清さんの抑えた声で僕は目を覚ました。「頼みがあるんだ」闇の中、清さんの眼がキラリと光る。
 清さんは僕の五歳年上。一人っ子の僕には兄のような人だ。彼は数年前に本島の中学校野球部の名選手だった。練習中の大けがで左足が曲がってしまい、野球も学校も辞めてぶらぶらしている所を父さんが声をかけた。今は我が家のサトウキビ事業を手伝っている。
 「サクラを柿田の港まで呼び出してくれないか」清さんの声がとても真剣だったので、僕は何も聞かずに寝巻のまま庭に降りて運動靴を履いた。東の空低くに下弦の月がぽかりと浮かんでいる。サクラは清さんの妹で僕と同い年、尋常学校では僕らは同級だった。卒業後、島で一校だけの高等小学校へ僕は進み、彼女は叔母の家で賄い婦のような立場だ。成績はサクラのほうが良かったのに。

 夜半の訪問に迷惑そうなサクラの叔母夫婦に「清さんが病気なんだ」と僕は嘘をついた。まるで待っていたかのように、サクラは風呂敷をひとつ抱えてすぐに平服で出てきた。しばらく見ないうちにまた背が伸びたみたいだ。背低の僕はちょっと悔しい。
 「柿田?」 「うん」 
 サクラがさっと走り出す。追いかける僕。大きな雲が月に掛った。
 港には二艘の伝馬船にびっしり人が乗り込んでいた。女子どももいる。島の炭鉱からの逃亡者たちだ。見ればわかる。朝鮮人か、中国人か。清さんはサクラを迎えると、一緒にその一艘に飛び乗った。
 「テン、俺たちは行く。元気でな」呆気に取られている僕に清さんが言った。アリガトッ、サクラも叫んですぐに闇に消えた。「お袋さん東京で生きているかもしれないぞ!」暗闇の奥から声が響いた。

2.蝉しぐれの午後

 春になった。無理を言って僕は編入先の中学校を東京にした。連絡船に乗る前の夜、僕を部屋に呼んだ父さんは東京本郷の住所を書いた封書を渡し「この家を継ぐ必要はないぞ」と優しく告げた。
 母さんは僕を産んですぐに亡くなったと聞いていた。そのことを問いただした僕に、静かに簡潔に事情を話し、東京行を許してくれた父さんだった。

 宮城のある大都会東京。学校の夏休みを待ち訪ねたそこは、島では見たこともない大きな構えの門と長い壁。ふかふかの椅子。現れた老夫婦に僕は父からの封書を渡した。老人の読む手紙を脇から必死で覗き込んだ老婆は「やっぱり」と僕を見た。蝉の声が騒がしい。
 案内されたのは庭にある離れだった。清潔そうな布団にポツンと座ってその人はいた。「あなたを産んだ後、産褥熱の高熱で敗血症になって。サルファ剤のおかげで命は助かったのだけれど。でも障害が、ね」慈しむように娘の髪をすく老婆は「テンよ、わかる」と女性に問う。無垢な目を僕に向けた女性は、次の瞬間にはもう遠くを見つめた。「母さん…」
 広い庭のどこかでまた蝉が鳴いている。

3.撫順の冬日

 小柄で身体も強い方ではない僕は理系大学にすすんだ。明治神宮外苑競技場での学徒出陣壮行会はスタンドから眺めた。そして大学を出た僕は、せめてお国の役立ちたくて、仕事先に満鉄の撫順炭鉱を選んだ。
 その撫順の町の大衆食堂で「おい、テンじゃないか!」足を引きずりながらテーブルの隙間を縫うように現れたのは清さんだった。
 「よく生きていたなぁ」、「清さんこそ」、肩を叩きあって再会を喜ぶ。「サクラも元気だ」僕が尋ねる前に、清さんはうなずいた。
 「俺たちのお袋は、京城で朝鮮人金持ちの妾でさ」二重三重に電流が流れる鉄条網に防護された日本人住宅街の外に二人の家はあった。そこでの夕餉で清さんはしんみりと言うのだ。「こいつを産んだときお袋は死んだ。5歳の俺は、乳飲み子を抱えて島まで帰った」
 顔色ひとつ変えず静かなサクラ。知らなかった。
 「そうだ東京で母さんと会ったよ」、僕の語りに耳を傾ける二人。「驚いたことにさ…」

 ある寒い休みの日、清さんが僕を郊外の散歩に誘った。スコップを持たされて、東露天坑と西露天抗の間を抜け南に一時間ほど歩く。東西の丘に挟まれた谷の西端で、清さんが「掘ってみろ」と僕に告げた。スコップを使うとすぐに骨が次々と出てきた。頭蓋骨もある。あっちも、こっちも。「ここで3千人の中国人が守備隊に撃たれ焼かれた」どうして?「撫順事件は聞いているだろ。匪賊が襲って日本人が5人殺された。昭和7年だからもう10年以上前のことだけどな。その翌日、見せしめだ」 “五族協和”や“王道楽土”が霞んでいく。
 満州国設立を喜ばなかった父さんの顔が浮かんだ。それを「意気地なし」と冷ややかに見ていた僕。今、僕は冷や汗が止まらない。兵隊になれなかった自分。何ができるのだ。このままじゃだめだ。
 それからしばらくして、清さんはサクラと僕とを残して消えた。

4.鈴懸の大木

 突然の敗戦とその混乱の中、僕ら技術者は中国側から炭鉱施設の維持管理のため町に引き留められた。やがて植民していた日本人たちが大挙して逃れてきた。すでに一緒に暮らし始めていた僕とサクラは力を合わせてできる限りの支援をした。
 そんなある夜、日本人街をソビエト兵が襲った。マンドリン銃を構え「女を出せ!」と凄む。横にいた僕の顔をちらりと覗き込んだサクラの口がゴメンと動いて、そして彼女は静かに立ち上がった。「あたしが行く」
 あのときに掘ったたくさんの骨たちが頭をよぎった。皆がうつむく中、僕は彼女の凛とした後姿をただ見ているしかなかった。

 「妊娠した、きっとあの夜」数週間経った夜にサクラはそう僕に告げた。そして試すように僕を求め、僕は必死に応えた。そうやって二人して汗だくになって、よたよたと氷のように冷たい天の川を一緒に渡っていったのだ。

 翌年、社宅の玄関わきの鈴懸の大木に薄赤い小毬のような雌花が咲いたころ、アオは生まれた。慟哭と別離と破綻が渦巻くのを脇目にしながら、でも僕とサクラとアオの日々は安らかだった。
 引揚命令が出た昭和22年初夏のあの日。夕刻の汽車に乗るために、背嚢を担ぎ僕がアオを抱っこひもで胸に抱え僕たちは社宅を出た。何気なく振り返ったそのとき、あの鈴懸の大木に雷が落ちた。閃光が走り大音がして僕は思わず尻もちをついた。木のすぐ脇でサクラの長躯が崩れ落ちる。すぐに立ち上がった僕は叫びながら倒れた彼女に駆け寄った。白い顔。無我夢中で彼女の胸を両掌で押す。唇を合わせ思い切り息を吹き込む。モノの焦げた匂いがあたりに漂い、大粒の雨が降り始めた。跪(ひざまず)いた僕の肩につかまり立ちしたアオ。

 それから僕の記憶は途切れ途切れだ。貨車の中。高熱で震えるアオ。奉天駅での「テン!テンはいないか!」という清さんの大声。アオを抱えて走る清さんを追いかけてたどり着いた医院。「敗血症」という言葉。サルファ剤があれば助かると僕が言って。そして、清さんが走り回ってそれを探し出してきた。アオは死ななかった。

5.甘柿の実る庭

 アオを抱いて一人乗り込んだ引揚船の薄暗い船倉に入った二日目のこと。近くにいた女が産気づいた。「うーん、うーん」とかなり長い時間呻き声が続き、やがて赤ん坊の弱弱しい産声が流れた。
 どういう勘違いか、「ほら、男の子だよ」と僕にその子が手渡された。「血が止まらない!」という叫びが上がり、赤ん坊を抱いた僕がその人の脇に呼ばれた。「私、襲われてこの子を…」「いいからあなたの名前は」春咲く花の名前を告げて、やがてその人も逝った。 
 「なんだ、あんたは旦那じゃないのかい」「露助の子どもなんだってさ」「殺してやったほうがいいのじゃないか」
 僕の横で、アオが赤ん坊を不思議そうに見上げている。そうだな。大きく息を一つ吸って「私が引き取ります」そう僕は周りに告げた。
 僕はその赤子をハルと名付けた。それから一週間続いた船倉で、さらに佐世保から東京までの長旅で、驚いたことにハルは貰い乳に困ったことは一度もない。必ず誰かがハルを抱き、自分の子と並べて乳を吸わせた。運がいいとアオもそのおこぼれをもらえたほどだ。

 本郷の屋敷は燃えずに残り、祖父母も母さんも生きていた。
 アオとハルを見つめる母さんを見て「サクラは喜んでいる」と祖父母は言う。庭の柿の木の実が色づいている。甘柿だという。僕は庭に出るとその実をいくつか捥いで、借りた果物ナイフで丁寧に剥いた。母さんは縁側の座布団の上で眠るハルをじっと見ている。「サクラさんも食べて」と柿を差し出すと、母さんはハルへの視線は動かさないまま、右手で受けて口に頬張る。それを見たアオも、ちょうだい、と僕に両手を伸ばした。

注1:本文中の昭和7(1932)年の撫順事件、さらにはその翌日に起こった中国人大量虐殺事件(平頂山事件)は史実を基にしています。1932年は満州国が設立された年です。そして、この平頂山事件は、その後の日中戦争での三光作戦、南京虐殺等につながる帝国日本軍の多くの虐殺の原型と見做す歴史研究者もいます。

注2:敗戦直後の満州で、「接待」を名目に日本人社会がソ連兵への日本人女性を提供した、という史実をヒントにしました。

注3:奉天、現在の瀋陽市、には、日本帝国関東局直轄の満州医科大学(満州でもっとも設備が整った附属病院も併設されていた)があった。清さんは、そこでサルファ剤を手に入れたんじゃないかと筆者は想像している。

注4:鈴懸の木とは、プラタナスです。春に雄花と雌花(下写真は雌花、写真はWikipedia日本版から借用しました)が咲きます。

蛇足

 以下、なくてもいい文章。ほら、立川談志が落語の後に少々自分で感想なんかを語るじゃないですか。そんな感じで、書くわけです。

 この物語は、自分で主体的に書いたモノではなく、昨年10月から最近まで続いている、とある“教室”に参加して書いたモノです。
 3000字以内で書かなければいけません。さらに、ゼロから物語をつくるわけではなく、あの映画『スターウォーズ エピソード4』の構成を使って書くようにというお題なのです。『スターウォーズ エピソード4』は、延々と続いたスターウォーズシリーズ中で一番最初に制作されたものです。1977(昭和52)年に公開され、世界的大ヒットとなりました。
 私、このスターウォーズ、見てませんでした。最近では2019年に新作が公開されたスターウォーズシリーズは、全9本あるそうですけれど、ひとつも見ていなかったのです。
 もちろん、話題になったのは知っています。様々な宇宙人や先駆的な特撮の数々をあちこちの媒体で目にしたことがありますし、物語のキーパーソンとなるC-3POとR2-D2という凸凹AIロボットコンビはルーカス監督が敬愛した黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』に登場した2人の百姓(千秋実と藤原釜足が演じた)がモデルになっていたとかも読んで知ってた。でも、今回のお題に対応するために、公開46年?後にようやく初めて観たのです。
 感想は・・・・・、そりゃやっぱりもはや古いですよね。勧善懲悪的なお話にも、なかなか乗れなかった。ま、そりゃ仕方がないわねぇ。若いハリソンフォードも出演していて、楽しかったですけれどね。

 『スターウォーズ エピソード4』は、無名の青年ルークがいくつかの契機を経て英雄(ヒーロー)になっていく成長譚です。その成長譚を「1.旅立ち」「2.困難との遭遇」「3.目的の察知」「4.闘争」「5.帰還」という5つの部分に読み解き、その構造に従って新しいヒーロー誕生物語をつくる、というのがお題でした。
 2週間ぐらい時間をかけて書いていき、その途中で“教室”のアドバイザーからもコメントが入ります。
 私は、この最後の『青と春』という物語にたどり着く前に、ふたつほど書き始めた物語を破棄しました。というわけで、それなりにエネルギーを注いでお題に真剣に向き合ったのでした。
 この作業に取り組んだお仲間は、70名ほど。出し合った物語は、“教室”のお師匠たちが選定して一等二等三等と選ばれる、つまりコンクールになっているんですね。ふふふ、よいの書けちゃったからなぁ、なんて楽しみに発表を待っていたら、あらま~~選外!!天狗の鼻はポッキリ折れて、ざんねーん、という結果になっちゃいました。

 ていねいに書いてもらった寸評では、「主人公は困難に巻き込まれるものの闘う相手が不在のため、物語構造を通した成長が不足した。……無二の闘いに勝利する英雄を描けたはず…」とコメントをもらいました。このコメントをもらって、改めて悪者を描くのは難しいと感じた次第です。『青と春』の中にも、私なりには悪者、しかもかなり大きな悪者、を描いたつもりだったのですけれど、やっぱり力足らずでありました。
 でも、小さな無名のヒーローを書きたいなぁ、と自分では思っておりましたので、テンやサクラ、清さんたちは私にはすでに愛しい実在する者たちとなりました。それが大きな収穫だったかな。ちなみに種明かしをちょっとすると、テンは「転」です。Rolling!さざれ石の巌となりて苔の生すまでより、転がる石に苔は生えないというスタイルのほうが断然好きな私です。

 ちなみに、この“教室”に参加したのは、今後、物語を書きたいというような動機ではありません。信頼する友人が教えてくれたプログラムで、文章修行、編集修行、という意図で参加したのです。うん、面白かったですよー。

 ということで、今回はちょっと変てこりんなブログ投稿となりました。たまにはいいよねー!? ちょうど日中戦争敗戦の日(8月15日)の前日ですので、ちょっとそれも意識しての投稿です。

 ではでは、また。

注:とある“教室”とは、ISIS編集学校です。インターネットで検索すると見つかるはずです。

 

2件のコメント

 夏の全国高校野球選手権大会の試合をテレビで見るようになってから、その期間中に8月15日が挟まることに、『何故だろう?』とずっと頭をよぎっていますが、高校の野球部の監督をなさったあの村山さんがこのような作品を書かれる人間としての多面性に驚かされ、日頃の発言や行動と併せてまた『何故だろう?』という思いを強くします。
 基底がいっぱいある多次元のベクトルとしての村山さんに指導されたあの学校の球児たちは幸せだったとあらためて感じます。
 ありがとうございました。
   (いつもピンボケなコメントですみません。)

匿名様

いつも読んでいただき、また感想もかいていただき、本当に嬉しいです。どうもありがとうございます。
高校野球夏の大会、その日程中に8月15日をむかえ、そしてたしか場内黙祷の時間がある(今でもあるんじゃないかと思うけれど)。それはきっと日本の社会にとって大事なことなんだろうと思ってきました。これからも、100年200年と続いて欲しい。でも、もし次の戦争があったりすれば、そしてそれでも8月15日に祈るのであれば、それはカマトト、単なるポーズに過ぎないってことになるんじゃないかなぁ。
とにかく、小作、読んでいただけて光栄であります。

村山哲也

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