長文です。
今回のブログの、その最後の段落をここにコピーします。この結論(?)に向けて、とにかく書きつづっている。そういう内容です。お時間、少々ちょうだいできたらお礼申し上げます。
《まず、イスラエルをアパルトヘイト国家ととらえて、それを止める取り組みがなくちゃいけないよね。個人じゃできないけど、でもそう考える人を増やすことは、遠回りに見えるけれどせめてそっちに向かう……、このブログ書いて自己満足なわけじゃないのだ。こうして書くことで自分の中ではっきりしてくることもあるんでね。ちょっとあがいてる。ま、死ぬまで生きてるうちは、これですわ。
死んだら、次は次世代に任せることになるのよ。娘たち息子たちよ、読んでいるかい? 今日でなくとも、届く日がありますように。》
南アフリカがアパルトヘイト政策で国内に“独立”させた国々がありました
かってアパルトヘイト政策をとった南アフリカ共和国(以下、南ア)という国があります。
アパルトヘイトは人種隔離政策と訳されるなんとも情けなく辛い国家・社会の在り様でした。
20世紀も残すところ四半世紀のその時代、南アは国内に10のアフリカ系住民国家を設定していました。バンツースタンと呼ばれたそれらの“国家”の中には、海外に向けて独立宣言したところもあったのです(正確に記すると、南アの北西側お隣のナミビアも欧州系白人支配によるアパルトヘイト政策をとっていたため、ナミビアにもバンツースタンは存在していました)。それぞれのバンツースタンは、1976(昭和51)年“独立”のトランスカイ、1977(昭和52)年“”独立”のボプタツワナなどそれぞれの国名があり、もちろん国旗も制定されていたのです。
アパルトヘイト政策が本格的に実施されたのは、第2次大戦後の1948(昭和23)年です。南アのこの政策は、第2次大戦後に植民地支配からつぎつぎと独立を果たしたアフリカやアジアの新興国から当然やり玉にあがり、1952(昭和27)年以降には毎年国連総会でアパルトヘイト政策に対する非難決議が採択されるようになりました。1973(昭和48)年には南アのアパルトヘイト政策は「人道に対する罪」と“認定”されています。
国際スポーツでも1964(昭和39)年の東京オリンピックから南アは排除され、1980年代に入ると文化交流や経済においても南アは国際的な制裁を受けるようになっていきます。
南アが国内で“独立”させたトランスカイやボプタツワナなどのアフリカ系住民国家も、当然のように国際社会から認められることはなかったのです。
これらの偽国家を南アが設置したのは、そこに暮らす(そこに押し込めた)アフリカ系住民は南ア国民ではないため、彼らに南ア市民としての権利を付与する必要もないという理屈でした。それらの偽国家から南ア内に労働者として流入している人たちは、あくまで出稼ぎ労働者であるとしたのです。
南アによるアパルトヘイト政策は、国際社会からの強烈な批判を受けた結果、1990年代に撤廃され、ネルソンマンデラ大統領の登場となるのですけれど、今回はそこは省略しますね。
イスラエル建国と、オスロ合意と、それから
さて。パレスチナです。
イスラエルというユダヤ人中心の国家が1948(昭和23)年に独立宣言をする以前、パレスチナは英国統治領でした。その前は13世紀から始まったオスマン帝国の領地です。オスマン帝国は第一次大戦でパレスチナを始めとするアラビア半島周辺の現在のアラブ諸国領(イラク、ヨルダン、シリア、レバノン、サウジアラビア・・・・)の多くを失い、そこを英国と仏国が統治領としたのです。やがて第二次世界大戦があり、国際連盟は、国際連合に再統合されます。
一応、国連の決議を尊重するとして、イスラエルの建国は国連によってパレスチナ分割決議(1947)を背景にしています。この決議ではパレスチナには「アラブ国家」「ユダヤ国家」「エルサレム周辺の国際共同統治地」の3つに分割されることが賛成33か国、反対13か国、棄権10か国、欠席1か国で承認されました(現在の加盟国と比較して、加盟国数が少ないのに注目ください。まだ多くの植民地が独立に至る前の投票でした)。
そして、その翌年にはユダヤ国家だけが独立となったのです。イスラエル独立宣言直後の第1次中東戦争が起こります。周辺アラブ国との戦争に勝利したイスラエルは国連の分割決議で定められた領土を超えて「戦争獲得地」を領土に加えてしまいます。そして、それを国連も追認することになっていく。
その後の何回かの中東戦争があり、思いっきり話を端折ると、1993年にイスラエル政府とパレスチナ解放戦線(PLO)の間でオスロ合意が結ばれ、イスラエルとアラブ国家の両立がパレスチナで実現するか、ということになったのです。
そのオスロ合意を書き下すと、以下のようになります。
①イスラエルを国家として、PLOをパレスチナの自治政府として相互に承認する。
②イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し、5年にわたって自治政府による自治を認める。その5年の間に今後の詳細を協議する。
しかし、このオスロ合意は2024年現在に至るまで完全実施には至っていないのです。実施されたのは、「PLOがイスラエルを国家として承認する」のみです。イスラエル政府は、未だにパレスチナ国の独立すら認めない(それを認めようとしたイスラエルの政治家が何人もイスラエル人自身の“テロ”によって殺されてきました)。
イスラエルが果たさなければいけない合意事項はどうなったのか?
オスロ合意にあった「イスラエルが占領した地域から暫定的に撤退し」の部分は、一部の地域をのぞいてまったく実施されていません。それどころか、イスラエルのヨルダン川西岸への移住・占領地拡大は続いています。これどう考えてもおかしいのです。国連は何度も非難決議を出しているけれど、米国の庇護にあるイスラエルはまったく意に介する様子もありません。
イスラエル占領地の拡大に伴い、イスラエル占領地とアラブ人住居地との間の隔離壁の設置が続き、イスラエル占領地同士、あるいは占領地とイスラエル“本土”とをつなぐユダヤ人(イスラエル人)専用道路と、占領地を迂回するためのアラブ人専用道路の建設も続いています。
これらの隔離壁、それぞれの専用道路などは、どう言いくるめても人種隔離政策に典型的なものです。イスラエルがこれまで押し進めてきたパレスチナ先住民(アラブ人)排除の政策は、以前に南アが進めていたアパルトヘイト政策そのもの、あるいはそれ以上に露骨なもの、なのです。
そして、「イスラエルが占領した地域からの撤退」が例外的に実施されたのが、ガザ地区です。オスロ合意から10年以上経った2005(平成17)年に、イスラエル政府は第三次中東戦争(1967/昭和42年)以降占領していたガザにあったイスラエル人入植地から撤退し、駐留していたイスラエル軍も引き上げます。一応、ガザをパレスチナ暫定自治政府に委ねた形となったのです(その後、ガザは選挙で勝利したハマスが暫定自治政府的な役割を果たして現在にいたる)。
けれども、ガザはイスラエル国土から隔離壁によって隔たれ、物流も人の流れも、イスラエルが支配しています。物流を支配されているというのは、つまりは水も食料も燃料、さらには医療品に至るまで、そのほとんどすべてをイスラエルに握られているということです(わずかに接したエジプトからわずかな公式な貿易、さらには国境地下トンネルを通しての密貿易がありますけれど)。
地中海に開いたガザには漁港もあり漁民も存在しているけれど、彼らは沿岸3海里(5.5キロメートル沖)以上に船を無許可に進めることはできない。1998 年に開港した国際空港も2001年にはイスラエル軍に破壊されたまま。つまり制海権も制空権もない。そして成人の失業率は50%を超え、貧困生活者の割合も10月7日事件の以前の段階からやはり住民の50%を超えていたのです。
そして、日本を含む国際社会は、未だに30年以上まえのオスロ合意を前提としたパレスチナ国家の設立による2国間共存の道を探ることで、パレスチナへの“責任”を果たしている振りをし続けてきたのです。実際にやってきたのは、オスロ合意を無視して突っ走るイスラエルの袖をちょいちょいと引っ張るそぶりを見せるだけ。そしてそんな国際社会の動向を奇貨として、イスラエルは南ア以上に巧妙に、しかも国連のお墨付きを得ながら、アパルトヘイト政策を強化することに大成功しているのです。
岡真理さんが使った「反開発」という言葉
ガザも、西岸も、結局はイスラエルがその経済を含めてコントロールしているわけです。西岸に関しては、現在どんどんと自治政府領が細分化されていき、ひとつひとつの地域が「ガザ」同様に空の見える監獄化していると、たまたま見たYoutubeで岡真理さんが強く指摘していました。
岡真理さんは私が信用するパレスチナ問題研究の第一人者です。彼女が記した本はどれも印象的ですけれど、その中でも『ガザに地下鉄が走る日』(みすず書房 2018)はすごいです。もしガザのことを理解したいと思われるのであれば、ぜひ一読をお奨めします。ただ、辛い本です。つくづく辛い。でも、それはこの世界の現実なのです。知らないで済ませるのは、やはりずるいと思うんです。知れる人は知っておこう、と思ってる(障害等でそれらを知ることまでエネルギーを回せない人たちがいることも、わかる)。

ジャーナリストや、研究者や、専門家や。ある人を信用する、そういう人と私はときどき出会います。出会うといっても、その多くは単に私が彼らの著作に触れて「この人は信用できる」と思うということで会って、実際にお会いするということではありません。
何を持ってして「信用」するのか……、私自身も自覚的なモノサシがあるわけではありません。けれども、その書きぶりで、その人の言葉に嘘があるかないか、ある程度は判断する何か基準のようなものが私の中にはあります。そして、岡さんは、信用できる。
たとえば今回のガザをめぐる様々な報道ひとつひとつの検証を私自身はする実力はありません。そんなときに、岡さんは私にとっては灯台のような役割を果たしてくれます。岡さんが出してきた情報は、すでに岡さんというフィルターを透過している。岡さんは、いい加減なことは言わない。もし情報フィルターの段階でミスがあれば、後で彼女自身がきちんとそれを明らかにしてくれるはずだ。彼女が「あれは間違いだった」と言っていないのであれば、その情報は大丈夫。そういう感覚が、私の「信用する」ということです。そりゃ小さなミスはあるでしょう(ないわけはない!)。けれども、大きなことでミスはない(なぜならそれは彼女が、その分野での信用できる専門家だからです、専門家とは本来そういう意味でしょう?)。
彼女はイスラエルが「アバルトヘイト国家」であるとおっしゃった(そう言っているのはもちろん彼女ひとりではありませんよ)。そして、彼女が使ったのが「反開発」という言葉でした。
これは「開発」に反対するという意味ではありません。ちょっと説明しますね。
オスロ合意とは、いろいろと問題はあったけれど、ユダヤ国家とアラブ国家を共存させてなんとか平和な日々を作っていこう、そういうことだったと世界の多くは理解した。
で、(イスラエルはすでに確固として存在しているわけだから)いよいよパレスチナ国をこれから作っていくぞと。ガザとヨルダン川西岸を領土として。
国が自立するために、当然経済開発は必要でしょう。インフラ整備から教育整備も、みんな経済開発の一環です(だから教育支援も開発支援のひとつです)。そして、岡さんがおっしゃった「反開発」とは、これから生まれるパレスチナ国家に対して、その経済開発をさせない、そういう取り組みのことです。経済開発をさせない、できなくさせる、それが反開発。
パレスチナ社会は、経済発展できない状況にどんどん追い込まれてる。ガザの例で言えば、輸出入ぜーんぶイスラエルが支配している。イスラエルが認めないものは輸出入出来ない。美味しいトマトもオレンジも輸出できない。あるいは 西岸なら、何かを建設、たとえば工場、しようとしてもイスラエルが許可しなければ建設できない土地が80%もある。つまりね、西岸の80%はけっしてパレスチナ国領ではないのです!しかも残る20%は小さな地域に分断されているから、そこでは大きな経済流通は生まれない。隔離された地域ごとのイスラエル(と国際社会)による分断政策がとられている。ある場所に立派な大学があったとしても、隔離された地区の学生はそこに通うことすらできない。だっていくつもの検問を通って、イスラエル占領地を迂回する遠回りのパレスチナ人専用道路を通って。朝自宅を出ても、運よく大学に着く頃には日が暮れちゃうわけです。だったら下宿すればいい。そうかもね。きっとそうしているのでしょうね。でも同じ国なんですよ。距離だってせいぜい10キロ単位で離れているだけ。それでも通えない。それがパレスチナ自治区の分断された現状なんです。
さらに水源、鉱物資源がある土地、農業生産性が高い土地、そういうところを狙ってイスラエルが入植地化・占領地化でどんどん押さえている。 ここは、まるでアメリカ合州国での先住民が荒れ地のみを自治区として与えられたことを思い出します。
そうなればどうなるか? パレスチナ経済は海外支援にすがって回すしかない。パレスチナ国を物乞い国家に貶めているのです。 実際、西岸のファタハが支配するパレスチナ自治政府の公務員の給与は国際支援に寄っています。海外支援によって維持される西岸パレスチナ自治区警察が取り締まるのは、反イスラエル活動をするハマスら同じ「パレスチナ人」。こういう支配の仕方は、昔々?の植民地主義国家とよーく似ていますよね。英領時代のインドで反英国でインド独立活動をするインドの人たちを警棒で叩くのは植民地政府に雇われたインド人警察官、という図です。オスロ合意から可視化されたのは、結局、パレスチナの植民地状況なんじゃないでしょうか。今の状況でパレスチナ国ができたって、それは自立した国家とは絶対になりえない、そういう状況・仕組み・システム、それが「反開発」、ができてしまっているのです。
ガザだって、国連の国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)なしではなんにも動かない。学校の教師の給与もUNRWAの支援です。
今回、UNRWAの関係者が10月7日のイスラエル攻撃にかかわっていたというイスラエル側からの訴えに基づいて、欧米日ら政府が次々にUNRWAへの支援を凍結しました。「UNRWAの支援していた学校の教師も攻撃にかかわっていた」という記事も読みました。
でもね、UNRWAの支援する学校って、すべての公立学校ですよ。そこの教師が反イスラエル運動に参加するって……、そりゃそういうことはあるだろうと想像するのです。そういう重箱の隅をつつくみたいな理由で、命綱の国際支援を止めて、結局わりを食うのは市井の人たち。子どもたち社会的弱者のはずです。
こうやって援助漬けにしておいて、援助を止める。それがイスラエルをどれだけ利するのか?ガザの虐殺に日本政府も加担していると批判されても仕方ない状況だと私は思っている。
ガザ・ヨルダン川西岸地区「パレスチナ暫定自治国」と、南アによる幻の独立国トランスカイの相似!
オスロ合意後に起こっていることは、イスラエルのこれまでの侵略をないことにして、責任も回避させて、二国間共存というイメージを作って、パレスチナの自滅(援助漬け、反開発に落とし込む)を促進するという事態です。今回のガザ戦争も、その流れの一部として理解したほうがイスラエル政府の狙いが明確になってくるはずです。つまり、封鎖された「国境」を超えたパレスチナ側の領土回復の運動は、すべてテロと呼ぶことにもイスラエルは成功しました。冷戦後の反テロの流れも、イスラエルには優位に働いたのです。20世紀には、イスラエルこそがテロ国家の代表国のひとつだったのに。
2国間構想(オスロ合意)が、イスラエルの人種隔離政策(アパルトヘイト)のカモフラージュになっています。南アで、アフリカ系住民をバンツースタンと呼ばれた架空の独立国家に押し込めようとしたあれです。幸い、南アでは偽国家を国際社会が支援するということはおこりませんでした。けれども21世紀のアパルトヘイト国家イスラエルは、国連公認でパレスチナ仮想国家をあのバンツースタンの役割に落とし込んでいるのです。イスラエルもひどいし、それを後押ししている国連的世界もひどい。
イスラエル政府によって意図的戦略的にパレスチナ国(予定)は反開発に落とし込まれて、身動きが取れない。オスロ合意後、30年かけて制度化システム化されてきているのですから、すでにこの枠組みはかなり強度が高い。しかも今日もイスラエルは無理やりな事実をもはや遠慮なく積み上げて、パレスチナ国を反開発に落とし込むシステムを日々増強している。 もちろん。そこでは近視的に美味しい汁を吸っているパレスチナ側要人はいる。 パレスチナ支援で潤う企業もパレスチナ内外にある。そしてそんなハゲタカ的社会層を指して「パレスチナだって潤っている」なんて言っても空々しいだけです。
そして、そんなハゲタカ的中間層を通過して、最終的にはパレスチナ支援のお金の多くはイスラエルを潤してる。そりゃそうだよね、何かを持ってきたかったらすべてイスラエルから買うか、通すかするしかないんだから。 日本のODA支援も、その点では結局イスラエルのパレスチナ反開発の文脈に乗っています。イスラエルの許可を得てのみ実施できる西岸地区への経済支援!日本政府は、それを将来のパレスチナ国への支援、中東平和構築の支援と呼んでいるけれども、ODAの限界はあからさまだと私は思っています。
もしも20世紀後半に南アにできた偽アフリカ系独立国家を公認して、それらを国際社会が支援していたら、当時の南ア・アパルトヘイト推進政府はそりゃ喜んだでしょう。
そして、オスロ合意は、イスラエル(南ア)と偽独立国家候補パレスチナ(トランスカイらのアフリカ系国家)という構図を公認することになってしまった。ここまでことが上手く進むとは、当時のイスラエル側ですら想像していなかったのではないでしょうか? そんな状況でも、現在のパレスチナ自治区すべてを領土化することを目指しているイスラエル政府は、パレスチナ国の独立も認めようとはしないのです。もはやパレスチナは独立することもできないし、もし独立しても自立はできない、そんな状況です。
南アが国際社会の中で孤立しながらも偽のアフリカ系独立国家を設立してアパルトヘイト耐性を維持しようと苦心していた当時と、今のイスラエルとパレスチナの関係との大きな違いもあります。それは労働力の問題だと私は理解しています。南アには、アフリカ系住民は労働力としてやはり必要でした。アパルトヘイト政策を進めてきた白人系住民は数では少数であったのです。だから経済開発を進めるためには、アフリカ系住民の労働力はどうしても必要でした。
それに対して、イスラエルはすでに労働力でもパレスチナ人を必要としていない。代わりがいるからです。たとえば、今回の紛争の直接のきっかけとなった昨年10月7日の事件では、何人ものタイ人がやはり人質となりました。彼らはイスラエルの農場で働く労働者です。つまり、南アがアフリカ系住民を必要としていた時代と違い、グローバル化によってイスラエルの労働力をパレスチナ先住民に期待する必要はないのです。タイ以外にも、バングラディシュや近い将来にはカンボジアからも、労働力は海を渡るのです(その準備のためカンボジアからのイスラエル留学者、その多くが農業分野が現在400名程度で、この数は近年急増しているそうです。そのうちの一人は10月7日の事件で巻き添えで死にました。彼らは留学中にヘブライ語を学び、やがてイスラエルの農場で仕事を得るのです。今回巻き添えにあった一人も、報道では「留学中」と出ていますけれど、その実際はイスラエル式農場キブツでの研修生的な役割、つまり安い労働力、だったのだろうと私は疑っています)。
20世紀の最後10年を残した段階で、アパルトヘイト国家南アフリカ共和国は、国際的な批判の嵐の中で新たに生まれ変わる決断をすることになりました。その決断の背景には、国際的な経済制裁、スポーツ文化交流の遮断、等々、南アの外部世界からの強い干渉がありました。イスラエルにも同じような措置がやはり必要なのだろうと私は思います。人種隔離政策を国際社会が公然と認めるのはどう考えてもおかしい。間違っている。
昨年の10月7日に起こったこと、正確には私は把握できません。当初流れた「赤ん坊の首を落とす」、なんて話は米大統領までが口にしていますけれど、でも証拠は見つかっていないし、証拠がないことをイスラエル軍将校ですら認めているという記事もありました。
ある程度の規模、民間人も含んだ被害者が出ているし、まだ解放されていない人質もいるのも確かだし。誉められるはずはない。無駄死にとなった人たちの関係者の人たちには、共感したい。でも、キブツで、イスラエルで生活して、平和を満喫することに、何か無理はないのか?
とにかくあの10月7日を基点に考えるのはやはりおかしいと思います。「窮鼠猫を咬む」のネズミとネコとは、どっちもどっち、喧嘩はダメよ、という対象の組み合わせなのでしょうか? ネズミを弄ぶネコの姿は、やはり21世紀のヒトの価値観からすれば尊敬にはつながらない。ネズミは反撃すら許されないのか?
そして、ガザ戦争を停戦させることの後、そこからが長い道のりになるはずです。
人が作ったものなら、それを人が変えることはできるはず
私が信用する知識人のひとりである藤永茂さん(物理化学者、そして歴史的名著『アメリカ・インディアン悲史』朝日新聞社1972/朝日選書1991 の筆者)がご自身のブログで、次の写真付きの記事を紹介されたのは今年の年明け1月4日でした。 ONE STATE SOLUTION – 私の闇の奥 (goo.ne.jp)

1Shot 2Kills……。これ、妊娠している「敵」を撃つことを「一発二殺」ということで奨励しているTシャツだそうです。このTシャツに触れた記事によれば、このTシャツはイスラエル防衛軍が兵士や一般人に配っているものだそうです。このTシャツの記事にあるイスラエル防衛軍とは、いわゆる占領地の自警団のことではないだろうか、と想像しているのですけれど。それとも正規軍のことでしょうか。このTシャツに限らず、イスラエル兵が子どもを狙って撃つという話は、あちこちで紹介されています。少なくとも、アラブ根絶やしの思想がイスラエル社会の中にはその足元パレスチナに限ればあるのです。今、イスラエルの中にいる2級国民としてのアラブ系イスラエル国籍取得住民へのより一層の迫害も今後必ず起きます。この思想、価値観をイスラエルのユダヤ系多数派が離さない限り、必ず起こる。
藤永さんは、このような思想が勝利を得るのでは、人間はほろぶしかない、と書いています。彼は90歳を優に超えている大先輩です。90歳を超えている人に、そんな暗い人類の将来展望を書かせてしまうなんて、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。せめて、今年還暦を迎える“若造”としては、彼の言葉に何か応えなければ。私にとっての2024年新年は、そんな思いで始まったのでした。
そして、最終的に目指したいのは、隔離壁で隔たれた二つの国ではなく、パレスチナで生きる人たちの大きな社会を内包した国家であって欲しいと私も思うのです。夢物語?非現実的? イスラエルの今を思えば、確かに想像するのは難しい。
けれども、どうやらイスラエル国内にだって「ガザ攻撃は間違っている」と思っている人たちがいる。そりゃ少数派です。けれど、ひとりやふたりじゃないのです。イスラエルだけではない。米国にだって、現イスラエルを支持する米国政府への抗議のデモの先頭に立つユダヤ教信者がいる。
歴史を振り返れば、ある段階では「夢物語」だったことが、その後実現を見る、そんなことは山ほどあるわけです。下半身完全麻痺の私が、飛行機に乗って一人で日本とカンボジアを年に何回か往復する、それだってつい半世紀前にはなかなか想像できなかったはずです。
女性の参政権だって・・・、結核の治療だって、月到達だって・・・・。
パレスチナの今の状況は、人が作り出したものです。自然に生まれたものではありません。人が作り出したものなんだから、人が変えることができないはずはない。私はそう思っているのです。
しかし、上記のTシャツを作り、それを受け入れる社会であるイスラエル社会は病んでいると思う。 国家規模の社会を擬人化するのはあまりよろしくないかなとは思いつつ、イスラエル国の主流ユダヤ系社会は精神的な病みが深い。治療が必要なレベルでしょう。
欧州での反ユダヤの実際を改めて知りたくて、ポーランドで戦後に起こったユダヤ系住民への社会的集団暴力のレポートも読んでみました。ナチスドイツからようやく解放されて故郷に戻ってきたユダヤ系住民を、やはり戦火を生き抜いたポーランド系住民が集団暴行してしまった。
それには、ナチスに連れ去られたユダヤ系住民の財産を、ポーランド住民が自分たちのものにしてしまったと言ったような、世知辛く悲しい背景もあるのです。もう死んだと思ってたご近所が、帰ってきてしまった。そのご近所の財産は、村の住民でわけっこしちゃってた。そこにご近所が帰ってきたら??? ナチスのジェノサイド前にポーランドにいた350万人のポーランド系ユダヤ人の中で、ジェノサイドを辛うじて生き延びた人たち(20万人前後)は、いったんはポーランドに戻ったものの、そこでもポグロムと呼ばれる大きな社会差別に再会し、その多くがパレスチナに「逃れた」のです。(私が最近読んだ『アウシュヴィッツ後の反ユダヤ主義 ポーランドにおける虐殺事件を糾明する』ヤン・T・グロス著 染谷徹訳 白水社2008から得た情報で、この段落は書いています。)
そして、イスラエルでは、あのナチス前後の欧州でのユダヤ系排斥の運動の被害者(つまりイスラエルに逃げてきたユダヤ人)は「弱い奴らだったからダメなんだ」と卑下する価値観があるのです。弱かったから、虐殺された。強くなければダメなんだ、と。それが今のパレスチナで加害者となっているユダヤ社会の背景にある。
それを知って私が思い出したのは、辺見庸さんが韓国で日本軍の従軍慰安婦だった女性にしたインタビューでした。その女性も「私たちの朝鮮政府が弱かったから、私は辛い目にあった。だから韓国政府には強くなって欲しい」という主旨のことを辺見さんに告げたのです。
それを聞いた辺見さんは、黙って苦笑するしかなかった。辺見さんと彼女たちは、共にマッコリを飲み、美味しい韓国料理を食べ、歌い踊る仲までになったのです。だから彼女らは本音を語る。それを聞く、辺見さんの悲しみを、私は思い出したのです。
とにかく、イスラエルの多数派が維持する「強さが正義だ」という価値観を崩すには100年かかるか、200年かかるか? その間に静々と醸成されているパレスチナの人たち側の憎しみの連鎖の輪を解きほぐすのだって簡単ではない。しっかりと計画された教育を実施しなければならないでしょう。その結果、イスラエルを去るユダヤ系住民が出れば、彼らを国際社会は受け入れる体制を作らなければいけない。特に欧米諸国にはその責任がある。
それをしないと、パレスチナ問題の解決はない。解決とは、理想的には共存。2国化、ではなく共存でしか根源的な解決はありえない。ユダヤ系だけの国家というのがおかしいし、ダメなんだ。 南アはアパルトヘイトを撤回して、人々の共存になんとかたどり着いた。そりゃ、問題は未だあるにせよ。
その点で、国際司法裁判所(ICJ) に南アがイスラエルのジェノサイドを訴えたでょう?あれは象徴的で、凄いことなんだと私は思う。ICJは審理の結果、1月26日にイスラエルに「ジェノサイド」防止の暫定命令を出しました。イスラエルのガザでの蛮行をジェノサイドの危険性があるという判決を下したのです。その判決にイスラエルのガザ攻撃を止める実行力はなくとも、無意味ではない。南アの歴史が、あの訴えをより真摯なものにしている。 イスラエルはアパルトヘイト国家なのだ。ガザも西岸も、南アのアパルトヘイトのタウンシップ。そして、大きな違いはイスラエルが今やパレスチナの人たちをイスラエル内の労働力として活用しないという方針を取っていること。理由は、パレスチナ社会を根絶やしにするため。 それをかってアパルトヘイト政策を取った南アが告発したのです。
ちなみに、アパルトヘイト政策実施時代の南アを、国際社会の動向とは逆に支援したのがイスラエル政府でした。イスラエルは、以前の飼い猫?アパルトヘイトの先生?同士?だった南アに手を咬まれたのです。
帝国支配、植民地支配、アパルトヘイト的価値観にどう反抗するか?
ハマスがガザを実効支配というのも要注意ワード。実効支配しているのは、ハマースではなく、イスラエル政府です。電気水道といった基本的インフラ、食料医療の確保等々、そのすべてを外部に依存するしかないガザを支配しているのは、壁の向こうのイスラエルです。
ハマースがやっているのは、20世紀の民族自決を訴えるグループの植民地支配に対する抵抗となんの違いもない。ベトナム然り、アルジェリア然り。そりゃ、21世紀的価値観からすれば、古臭くて、と思う。あのやり方は、今ではすぐに「テロ」とされて、弾圧の口実になってしまう。でも、イスラエルは明らかな植民地知的価値の帝国国家だから。ハマスの抵抗が古臭く見えるのなら、それはイスラエルのあり様が帝国的で古臭いから仕方ない(?)。
今の私なら、銃は取らない。でも、私がガザに生まれていたら…、もっと若かったら。窮鼠猫を咬むのネズミにならなかったとは言えない。思えない。おそらく、むしろ積極的に……。だったら、私の人生は21世紀を知ることはなかったはずです。
ハマスが、抵抗に「殺すこと」を選択しているのは古臭いと私は思う。 そして、私と同じ認識とは言えないかもしれないけれど、テロという行為を、古臭く、つまり否定的に感じる層は多いと思う。たとえば。最近話題になった日本での1970年代の爆弾闘争とか、学生運動的なものを、古臭いと感じる、そしてハマースの闘争もそれと重ねてしまう層は、日本社会にはあると思う。
私は、なんとか「殺すな」でで反植民地闘争をやってほしい。殺す戦略は、もう古いと言いたい。 でも、反植民地の闘いに共感はある。自分がガザに生まれていたら、殺すために銃をとったというイメージは容易に湧く。ならば、 イスラエル側は? 確かに、ユダヤ系の人たちが安住の地を求めたその様々背景は理解できるところはある。それらは欧州で起こった。 そして、英国の酷い舵取りでパレスチナにイスラエルが作られた。その段階でアラブはそれを認めずイスラエルを攻め、結果は米国に支援されたイスラエルの一人勝ち、という20世紀の半ばから後半から現在に直接につながる過去は起こってしまった。あのとき私がユダヤの若者なら、ジェノサイドやポグロムによって大事な人たちを殺されていたら、やはり祖国イスラエルのために銃を取ることを選択したかもしれない。歴史や生まれた社会に対して、個人の個性やオリジナリティなど小さなことだとつくづく思う。当時のイスラエル人の思いには「中東にはアラブの国がいくつもあるじゃないか。その中でユダヤ人国家はここだけ。アラブは行くところがあるけれど、我々にはもうここしかないんだ」という刹那は確かにあった。
でも、問題はこれから。もう殺すのはやめようぜ。 そして、一緒に生きるしかない。パレスチナの地にたどり着いたり、住んでいたり、そんな人たちが混ざって暮らせる場所。それを目指すしかない。 イスラエル国内にも、そういう事を考えられるユダヤ系住民は少なからずいる感じです。もちろん少数派だけれど。でも確実にいる。育っている。イスラエルの外で暮らすユダヤ系の人たちの中にも、そういうことを考えられる人はいる。サイード、亡くなってるけど、なんかは典型だよね。 だからね、夢物語ではないのよ、殺すな、は、ガザでも、ヨルダン川西岸でも、イスラエルでも。
数百年かかっても、それを目指すしかない。そんなふうに思うのです。そうでなければ、藤永さんが書いたように「人類はほろぶしかない」。いや、生物種の宿命として、ホモサピエンスは絶対に滅ぶけれどさ。でも、「一発二殺」のTシャツを着れば、憎しみの宿痾にさいなまれて、さっさと滅ぶしかない。そういうことなんじゃないだろうか。
せめて、生物種としての機会をそこそこ長く生きてもいいんだけどなぁ(恐竜が繁栄したジュラ紀だけでも六千万年続いたけれど、ホモサピエンスは種として生まれてまだ数十万年よ)。
だから、パレスチナ、何とかしなくては。
まず、イスラエルをアパルトヘイト国家ととらえて、それを止めさせる取り組みがなくちゃいけないよね。個人じゃできないけど、でもそう考える人を増やすことは、遠回りに見えるけれどせめてそっちに向かう……、このブログ書いて自己満足なわけじゃないのだ。こうして書くことで自分の中ではっきりしてくることもあるんでね。ちょっとあがいてる。ま、死ぬまで生きてるうちは、これですわ。
死んだら、次は次世代に任せることになるのよ。娘たち息子たちよ、読んでいるかい? 今日でなくとも届く日がありますように。


















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