シダ類の化石のように見えますけれど、これ酸化マンガンの結晶なんです。カンボジアの地球科学支援について。

忍石 ស៊ុនហេង ខនさんがBiology Education in Cambodia に投稿した写真を使わせてもらいました。

シダ植物の化石? みんなが間違う鉱物結晶 

 知人が主催しているBiology Education in CambodiaというFacebookのグループページに、カンボジアの先生がアップした写真を冒頭に載せました。投稿者は「これなんでしょう?」と尋ねていて、それに対して「シダ植物の化石では?」、「やっぱりそうかな」というようなやり取りが続いていました。その際に、閲覧者から投稿された以下の写真のキャプンションには、「Beautiful footprint of fossilized fern plant on stone, pattern(石の上のシダ植物化石の美しい痕跡)」とも書かれています。 

写真の説明はありません。

 実はこれ、シダ植物の化石ではありません。岩石の亀裂にそって成長した酸化マンガンの結晶です。英語ではDendrite(デンドライト)、日本では忍石と呼ばれています(デンドライトは樹枝状晶を指します。マンガン以外でも樹枝状晶に発達する鉱物はいくつかあります デンドライト – Wikipedia )。そして、樹枝状晶は世界中で植物化石と混同されているそうです。ですから、カンボジアの先生方が間違うのも無理はないのです。

 白状すると、私自身もこのデンドライトを初めて見つけたとき、シダ植物の化石ではないかと思いました。

 私がデンドライトを初めて見つけたのは、多分2005年ごろ、カンボジアの首都プノンペン郊外の採石場で岩石標本を探していたときのことでした。たしか流紋岩の露頭だったと思います。露頭の岩石をハンマーで叩いていると、割れた岩石の中にこのデンドライトを見つけたのです。同じ場所からは、たくさんのデンドライトが出てきました。
 流紋岩は火成岩(溶岩が冷えてできた岩石)ですから、化石が見つかるはずはないのです。けれども、初めてみるデンドライトはやっぱりシダ植物にも思えました。もしかしたら、その場所を流紋岩の露頭と判断していたことが間違いだったのかもしれない、とも思ったのです。
 けれども、やっぱりおかしい。このシダ植物にも思える模様は、指で強くこすると消えるのです。それは、基盤となっている石にだれかが落書きをして、それを布で拭いて消している、そんな感じです。化石であれば、岩にしっかり食い込んで石化しているわけですから、こすって消えるのは変です。

 一緒に岩石採取をしていた教員養成校の地球科学の先生方も「化石ではないか?」とちょっと興奮していました。「化石かどうかはわからないから、学校に帰って、調べてみましょう」と、彼らを諌めたことを懐かしく思い出します。

 そして、戻った学校で英語の岩石図鑑を調べると、このデンドライトが見つかったのです。あぁ、やっぱり化石ではないのだ。水に溶けた鉱物(おそらく二酸化マンガン)が岩石の亀裂に侵入して、そこで結晶化したものだとわかったのです。
 よく注意して観察すると、シダ植物状の模様が見られる岩石はすべて、その模様に沿うように岩石に亀裂がはいっているように見えました(実際はその逆で、亀裂に沿って鉱物結晶が発達しているわけです)。
 その後も、カンボジアのいくつかの露頭で岩石標本を採集しているときに、同じような模様を見つけることがありました。石灰岩での露頭で多かったように思います。そんなとき、自分で一度調べたというのは、とっても強みです。学生たちが「これは化石ですか?」と持ってきても、同僚の地球科学の先生たちは落ち着いて説明をしていた(はず)です。

2002年、教員養成校での地球科学指導の様子

 私は、2002年にプノンペンの高校教員養成校の理科教育改善プロジェクトに参加しました。担当は主に生物でした。ですから、当然、生物を教えている先生たちが指導の対象でした。そして、その勉強会に地球科学を教えている先生たちが2名ほど混じっていたのです。当初、私は(プロジェクトも)地球科学という教科があることも把握できていませんでした。
 「地球科学も支援してください」という先生の希望を聞いて、彼女たちの授業を見学して見ました。ちょうど岩石の内容を教えている授業でした。

 岩石は、大きく三種類に分けられます。マグマが冷えて固まった火成岩、水の中で小さな鉱物粒子(砂や泥)が堆積し押し固められてできた堆積岩、そして、火成岩や堆積岩が地下で熱や高圧によって組織や構造に変化が生じた変成岩、です。
 私が見た授業では、主に火成岩を扱っていました。火成岩も大きく2種類に分けられます。地中深いところでマグマがゆっくり固まってできる深成岩と、浅い場所あるいは地表面でマグマが短時間で固まってできる火山岩です。先生と学生たちが使っている地球科学の高校の教科書には、白黒印刷で深成岩と火山岩の写真が載っていましたけれど、印刷も荒く紙質もよくないその写真からは、岩石を構成する鉱物結晶の粒は深成岩は大きく、火山岩は小さい、といったような特徴を読み解くことは無理でした。となれば、結局、学生たちは教科書に書いてある文章を読むだけ、先生もそれをなぞるだけ、という授業内容だったのです。
 授業が終わって聞いてみると、先生も学生も実際の岩石を手にとって観察した経験はありませんでした。日本にあるようなカラー刷りの資料集もない。たとえば、花崗岩(深成岩の一種)や玄武岩(火山岩の一種)を見せられても、どちらの鉱物結晶の粒が大きいのか判断するのも難しいのでした。それでも、教科書の内容を覚える。それが、彼らの地球科学の授業だったのです。

(日本同様?)忙しすぎるカンボジアの先生たち

 そこから、地球科学支援の話は長くなります。
 地球科学というのは、日本では地学がやはりもっとも近い。対象とする範囲もかなり広い。プレートテクトニクスに代表される地球内部のこと、気象に代表される地球表面のこと、さらに太陽系と天文・宇宙に関すること。鉱物の話は化学と重なる面が多いですし、地球表面については物質循環(水の循環、炭素の循環)で環境という視点で生物と重なりますし、天文に関しては物理と重なる。教える側としては、幅の広い知識と体験が求められる、なかなか手ごわい教科です。
 私も、カンボジアにくるまで地球科学(地学)を本格的に学んだことはありませんでした。彼らと同様で、私もアマチュア、素人だったのです。ですから、彼らと一緒に、地球科学を一から勉強し直すことになりました。

 楽しかったのは、やはり実習系です。岩石採取、偏光顕微鏡を使った岩石切片の観察、大気に関する実験(たとえばペットボトルの中に雲を作るとか)、粘土を使った地形モデルの作成、太陽の(見かけの)日周運動およびその季節変化の観察、夜間の天体観測、潮汐の観察、日々の気象観測、等々等々、いろんなことを彼らと一緒にやりました。

 日本から本物の専門家を招いて教えも乞いました。岩石採取は、そんな専門家の指導を受けてより充実した内容となりました。若い先生方が、今思えば、よく食らいついてきてくれたものです。
 カンボジアの先生たちは、学校だけのスケジュールを見れば日本ほど忙しそうではありませんけれど、でもかなり多忙です。週末に大学や大学院に通う先生も少なくありません。子どもの学校への送り迎えも、カンボジアの特に都市部では親にとって重要な仕事です。つまり、継続的に勉強する時間がなかなかないのです。ましてや、週末に長時間かけて地球科学の実習をする、夜間に拘束されることもある、太陽の日周運動などは朝から夕まできちんとデータを取らなくてはならない、いろんな英文資料も読んでこいと言われる……、それでも数名がしぶとく勉強を続けたのです。一番集中して彼らと勉強していたとき、2年間で数百時間を一緒に過ごしました。かなりの時間数だと思います。勉強会は結局10年ほど続きました。その間に日本に留学するチャンスを掴んだ仲間もいたのです。

 そして、最初に紹介したデンドライトも、そんな実習活動の中で得た貴重な体験なのです。ですから、今、カンボジアのどこかでたまたまデンドライトを見つけて「これはシダ植物の化石じゃないか」と胸をときめかせる先生がいるとしたら、やっぱりとっても嬉しくなるのです。そして、カンボジア語ではおそらくまだなかなか資料が充実していない現実にも気がつくのです。

 カンボジア語の図鑑はまだとても少ない。そして、以前図鑑が果たしていた役割は、どんどんインターネットにとって変わられています。けれども、たとえばデンドライトを見つけたとして、これは化石なのかどうか、それをインターネットで調べるのは簡単ではないでしょう。

 パラパラとページをめくって図鑑を調べるのと同じことが、実はインターネットはあまり得意ではありません。キーワードがはっきりしないものを調べるのは、インターネットでは難しい。とっかかりがつかめない。
 その点、紙の図鑑は強いです。パラパラとめくっていく。そしてあるとき、自分が求めていたものが見つかる。もちろんインターネットでも辛抱強く探すことは可能です。結局は、どちらでも、辛抱強さと、調べるのに十分な時間が必要なことには変わりません。忙しすぎると、時間は取れないし、根気も育たない。

 実はそこがカンボジアの先生方の大きな問題ではないかしら。多くの先生方は理科的な探求をするには「忙しすぎる」のです。

年に一度、彼らと集う日がもうすぐやって来ます

 彼らと過ごした時間は、私にとっても大きな財産になりました。実は、もともとは彼らとそんなに長く一緒に過ごす予定ではなかったのです。2002年からかかわったプロジェクトが2005年に終わるとき、私は次のプロジェクトでそれこそ地球科学の専門家に、彼らの支援をバトンタッチするつもりでした。なにせ私は素人でしたから。
 ところが、次のプロジェクトで地球科学が支援対象から抜けてしまったのです。これには困りました。目の前に問題ははっきりと存在しているのです。支援を待っている先生たちがいる。しかし、その支援が止まってしまうという。
 結局、私はプロジェクト終了後も、プノンペンに残って個人で地球科学の支援を継続する道を選びました。40歳のころのことでした。

 長く生きていれば、人生、あちらこちらで「あのとき違う道を選んでいたら」という節目が誰にもあるでしょう。私にとっては、地球科学の支援を続けると決めたあの判断は、大きな節目になったのでした。
 2月は、そのとき支援した地球科学の仲間のひとりが若くして亡くなった命日が来る月です。若い彼女が逝ったのはとても残念で悔しい出来事でした。彼女の命日を口実に、私がプノンペンにいれば、当時の仲間たちと集まることにしています。その日がもうすぐやってきます(昨年はコロナ禍で集まれませんでした、私は東京でしたし)。さて、もう10年以上前のあの貴重な時間は、今彼らにどんな形で残り役に立っているのか。それを彼らから直接聞けるのが、今からとても楽しみなのです。

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