自由学園中等部3年生の皆さまにお手紙を書きました。

@自由学園 こんな感じでお話してきたのです。

自由学園中等男子部3年生の皆さま

 9月29日に皆様と会った後、予定通りプノンペンに戻っています。その後、橘先生が皆さんからのコメントを送ってくれました。楽しく読みました。真摯に私の話を聞いてくれて、本当にどうもありがとうございます。

 以下、皆さんのコメントへの、再回答です。少々長文ですけれど、読んでみてください。

「人生、取り返しのつかないことはない」
「進路には、偶然はつきもの。だから“現在の夢”にとらわれ過ぎないことは大切。柔軟に」

 ということを言いました。すこし補足説明をすると。

 偶然をキャッチするためには、やっぱり鍵になるのは「人との出会い」なんじゃないかしら。その点では、人との出会いのチャンスは無駄にしないほうがよい。人と出会うのが得意じゃないって思うこともあるかもしれません。それはそれ。無理することはありません。とにかく、偶然の出会いはけっこう人生には重要です。出会ってしまえば、仕方がない。それが「コントロールできない」という部分です。いつどこでどんな出会いが待っているかは、そうそう自分でコントロールできることではないのです。例えば、私が皆さんと出会ったのも、かなりのさまざまな偶然が絡み合ってそうなった。そして、その偶然を楽しむ、そんな感じでいいんじゃないでしょうか?そこに何かチャンスが転がっているかもしれないわけですから。

「語学はできればできるほどよい

 ということを言いました。英語に限らず、国際連合の共用語だけでも、フランス語、中国語、アラビラ語、ロシア語とあります。もちろん、このほかにもまだまだたくさんの言葉・言語がある。ぜひ偶然に出会った言語と仲良しになってみてください。

 そして言葉を学ぶには、やはり時間をかけて努力する姿勢は必須です。地道に単語数を増やす。私はそれが苦手で苦労したのです(というか、現在進行形で苦労しています)。ぜひ、皆さんの健闘を祈ります。

 さらに、付け加えると。この前には伝える時間がなかったこと。それは「母語でおしゃべりができない人が、他の言語でおしゃべりになることはあんまりない」ということです。あるいは、「母語が下手な人が、他の言語だと上手になるということもあまりない」と私は感じています。ですから、母語で書くこと、母語でしゃべることをぜひ大事にしてください(ちなみに、母語と母国語は違います。前者は生まれた社会での生活語、後者は学校で学ぶ公用語、大切なのは、まず母語じゃないかしら)。そしてしゃべりたいことをたくさん心に溜めてください。しゃべりたいことがなければ、やっぱり話せません。言葉がうまくなるためには、何かしゃべりたいこと、伝えたいことを持たなくては。結局は、自分の内面を豊かにする、それが言葉を鍛えると私は思っています。

 さらに書けば。話すこと以上に大切なのが、聞くこと、だと感じています。新しい社会に入っていって、最初にしなければいけないのは私とのコミュニケーションが「安心」「安全」だと思ってもらうことです。そのためには、話すよりも聞くことが重要だと、海外支援の仕事をやっているうちにだんだんと気がついたのです。
 聞くためには、話してもらわなくてはいけません。話してもらうにはどうするか? 質問することです。質問するのも技術です。技術ですから、学んで鍛えることができるのです。日ごろ生活していても、ときどき質問力が高い人と出会います。そんなときは、「お主やるな!」と感心してしまいます。自分もそうなりたい、と思うのです。
 ここで技術論を書く余裕はないですけれど、語学を伸ばすためには「聞く力」「質問力」を育んでくださいませ。

 私は学生時代、英語が一番苦手な科目でした。成績も英語はよくなかった。それでも、海外で仕事をしてきました。きっと「伝えたいこと」だけはたくさんあったのだと振り返ります。だから、仕事をしながら英語はだんだん最低限はできるようになりました。今、あなたが英語が苦手だとしても、世界はあなたを待っています。ぜひ、恥をかきながら、前に進みましょう。

「しっかり稼いで、税金を払ってください」

 と私は言いました。けれども、勘違いしないでください。私はこの言葉の前に大事なことを言ったつもりです。「もしあなたが働けるのならば」と言ったのです。そこが、大事なポイントです。

 つまり、働ける人は働きましょう。働けない人は、無理して働かなくてもいいじゃないか、ということです。そして、働けない人をみんなで支える社会であって欲しいと思うのです。

 「働かざる者、食うべからず」という言葉があります。確かに、怠けはけして誉められたことではありません。けれども、「怠け」なのか、「働けない」のか、その判断を第三者がするのは実際にはけして簡単ではありません。他者から「怠け」と思えても、本人は何かが辛くて「働けない」のかもしれない。

 「アリとキリギリス」の逸話もあります。多くの人は、あれはアリのようにしっかり冬に備えて働かないとダメだよという教訓にとります。キリギリスは、夏の間、働かないで歌って遊んでばかりいるから、冬になると食べ物がなくて困るのだと。

 けれども、実際の社会はもっと複雑です。キリギリスはキリギリスで、いろいろと事情があるわけです。夏の間に恋をして、子孫を残さなくてはいけないとか、ね。それに、キリギリスの歌がある社会ってのも、ちょっと豊かじゃないですか? 遊んでいるように見えて、それが社会の潤いになっている、ということもあるかもしれない。アリもよし、キリギリスもよし。そんな社会でありたいです。それが「働ける人(アリ)は働いて、たくさん税金を納めてください」の本当の意味なのです。それじゃ、不公平? 本当にそうでしょうか? 世の中、公平?がいいわけじゃないと思うんだよね。人は生まれる場所を選べないし、たまたまの出来ることも違う。だから公平だけじゃ、全員の幸せには不十分なんだと思うんですよ。全員の幸せ? 目指せるなら目指したいじゃないですか。 また機会があれば、皆さんで議論してみてくださいませな。

「自殺する人がいなくならない事に対してどう思いますか」

皆さんのコメントの中に「自殺する人がいなくならない事に対してどう思いますか」という質問がありました。大事なことだと思いますので、私なりの答えを回答します。

 自殺を完全になくすことは無理だと思います。せめて、減らすことをめざしたい。

 減らしたいのは、やっぱり「死ぬな」と私は思っているからです。でも、「生きていればいいこともある」から「死ぬな」と思っているわけでは、ありません。生きていていいことがあるかどうかは、誰にもわからないし、そんなこと責任持って言えるはずもありません。

 でも「死んだら」取り返しはつかない。それに、ちらりと先日言ったように、あなたの命はあなただけのものではない。あくまで「チームあなた」の命だと思うのです。だからあなた一人の一存で死んじゃうのは、少々辛い。みんなの許可を取れ、とまで言わないにしても、自殺する前にせめて少し思いを広げて考えてみて欲しいわけです。

 それでも、人は誰しも、落とし穴に陥ってしまうがごとく、突発的に「死にたい」と思ってしまうことがある。それがある種の、人間の想像力という素敵な能力でもある。ですから、「死にたい」と思っても仕方がないし、よいのです。けれども、死にたいと思ってから実際に自殺に至るまでには、やっぱり距離はある。多くの場合は、死を思っても、自殺に至る前になにかがストップをかけているのです。

 それでも、それでも、アクシデントのように死の願望がやってきて、それがふと実行できてしまうことってあるのでしょう。だから、自殺を完全になくすことは、できません。もし、あなたの身近に自殺を遂げてしまった人がいたとしたら、静かにその死を悼むしか僕たちはできない。

 自殺に失敗した人(自殺未遂を起こした人)が、実はそのあとはほとんどの場合は自殺を繰り返さないというデータもあるのです(私の知っている人にもそんな方がいます)。つまり、自殺というのは、けして強い意思のもとに行われていることではないということです。強い意志を持って自殺をするのではありません(強い意志が自殺を実行させるなら、失敗してもまたするはずでしょう?)。自殺というのは、アクシデントのように落ちてしまう落とし穴のようなものなんじゃないでしょうか。

 「死にたい」と言ってもいい、思ってもいい。そのことと、自殺には距離がある。そのことはぜひ覚えておいて欲しいです。むしろ、死んでみたいと思うのが、若さの必然じゃないのかな。私も思ったこと、多分、あっただろうと思うよ。もう忘れちゃったけど。

 そして、「自殺する人がいなくならない事に対してどう思いますか」の回答として、自殺というのは、実は自分で自分を殺しているのではなく、外部要因によって殺されていることが多いのだということを指摘しておきたいのです。

 たとえば「人の迷惑になりたくない」という思いがあったりする。これは、迷惑に思う人がいなくなれば、本当は解決するはずです。
 たとえば「働けなくて恥ずかしい」という思いがあったりする。これも、弱者は弱者として生きていい社会であれば、本当は解決するはずです。
 たとえば「虐め」のせいで死ぬ。これも虐めのない社会ならば死ぬ必要はなかった。
 たとえば出産後に鬱(うつ)になって死んじゃう母親がいる。これだって、本当はその人を支えてくれる家庭や社会であれば、死なないですむはずです。

 つまり、自殺がなくならない一つの要因としては、人を自殺に追い込む社会があるからだ、と考えることができるんじゃないだろうか。だから、よりよい社会が創造できれば(あるいは想像できれば)、自殺も減るんじゃないだろうか。つまり、自殺がなくならないのは、まだまだ社会によくなる要素がある証拠だ、とも思う。他者の絶望を減らす機会がいろいろある社会ならば、自殺は減るんじゃないだろうか、ねぇ。

 誰でも、事故のように「死」を選んじゃうことはある。だから、いつでも周りの人のことをちょっと思っていたいですよね。チーム○○のメンバーとして、○○を見守りたい。そのことが、ひるがえってあなた自身の命も守ることにつながるのではないだろうか?

 こんな回答になりました。読んでくれてありがとう。

 それじゃ、また。これから寒くなっていきますけれど、皆さんどうぞお元気で!

 村山哲也 10月〇日 パレスチナとイスラエルの紛争拡大のニュースになんとも辛い気分です、のプノンペンより

追記 以下、皆さんへのおすすめの図書です。厳選して、2冊!

  • 村山哲也『超えてみようよ、境界線』 かもがわ出版 
    私自身が書いた本です。ケニア、フィリピン、カンボジア、ルワンダ、そして障害、について書きました。

  • 立岩真也『増補新版 人間の条件―そんなものない (よりみちパン! セ)』 新曜社 
    立岩さんは、私が尊敬する社会学者です。とても大事なことが書いてある本だと思います。超激、おススメです。

4件のコメント

7年前まで働いていた私学の高1の生徒が1週間ほど前に自死しました。村山さんのお話と重なって、うーん、気が重いです。

匿名様

コメント、ありがとうございます。
そうですか、そんなことがありましたか。運命も、神も宗教も、まったく信じていない私ですけれど、都合のいいときだけ使います。
その生徒さんは、きっとそういう運命だったのだろうなぁと。仕方なかったのだろうなぁと。静かにその死を悼むしかないのだろうなぁ、と。
そして、チームその生徒さんは、少しずつ解散していく。そして、それぞれのメンバーの人生は続くよ。そういうことなんだろうなぁ、と。

どうぞ、匿名様もご自愛くださいませ。

村山さんを招待して生徒たちがお話を伺う機会を設けた自由学園。流石です。

塚原れい子さま

あじあんコモンズでお会いした塚原さんでございますよね。さっそくブログにも遊びに来てくださってありがとうございます。
自由学園、その存在は知っていましたけれど、直接ご縁があったのは初めてのことでした。素敵なキャンパスでございましたよ。
また、ちょっと不思議な場所なのかもしれない。でも、きっと若者たちはいつでも不思議なんだろうなぁ、自分も含めてそうだったし、今もそう。楽しかったです。
でも、自由学園に招待されたというよりは、もっと個人的なつながりで、たまたまそこに行ったという感じなんです。それが偶然自由学園だったみたいな。

ブログ、今後とも御贔屓に、よろしゅーお願いいたします。はい。

コメント、いただけたらとても嬉しいです