リハビリテーションの前でゆらゆらと陽炎のようにゆらぐ境界線……

ロウバイ(蠟梅)のつぼみ。東京都下。小野久先生撮影。
一般的な手すりが跳ね上げ式の車イス。次の写真の車イスと比較すると、手すりの頑丈性を維持するために手すりの跳ね上げ部分の反対にあたる先端部分が下部と接続さる形状になっています。この車イスは、自走よりも介助者に押してもらうことが重視されているため座面と背もたれ面が垂直で、長時間の座位維持には無理があります。また介助者の持ち手にはブレーキまで装置されています。
私が使う車イスと似たタイプの手すりが固定式の車イス。軽量化のために前の写真と比較してぐっとスリムでしょう? 自走の姿勢が取りやすいような座面と背もたれの角度に設計されていますし、背もたれも先の車イスと比較して低いです(そのことで軽量化が図られています)。剛性と軽量化は相反する要素なので、それを両立させるためのデザインや素材の選択が車イス製造会社の腕の見せ所、かつお値段の差になります。このタイプの車イスには停止時に使う車輪のストッパーは装備されていますが、走行中に使うブレーキはありません。車イス者は自らの両手のひらで車輪との間に摩擦力を生むことでブレーキをかけます。ですから、車イス自走者にとって手袋は必須です。あと上下どちらの写真の車イスでも、実際の長時間の使用の際には座位にきちんとした褥瘡予防のクッションを敷くのが普通です。またこの写真は介助者の手もち部分はありませんけれど、私はそこまで武闘派ではないので(介助者がいれば、遠慮なく押してもらうという意味です)、私の車イスには簡易の介助者用手持ち部分がついています、でもそこにブレーキは付属していません。

4件のコメント

56歳ケイソン20年です。
知り合いの脊損で、排便が安定しなかったところへ過敏性腸症の薬イリボーを処方してもらって落ち着いた人がいます。人によっては便秘になってしまうのですが、薬が合えばだいぶ快適に過ごせるようです。良い解決策が見つかるとイイですね。

kusao_masakari様
おぉ、ケイソン20年ということは、私は今年で満12年となりますので、大先輩でございますね。温かいメッセージ拝読しております。どうもありがとうございます。
イリボーですね。はい、調べてみます。実は昨日、さらには3~4日前にも大噴火、さらにはそれに続く小噴火とありまして、まったく手こずっております。
でもまぁ、それも障害者人生にはどうしたってつきもので、あんまり気にしても詮無いなぁと、ぼちぼちふわふわと日々過ごすようにしております。
まぁ、あわてて焦ってどうなるというモノでもあるまいし、せっかく障害を得たのですから、のんびりと。
kusao_masakari様も、まだ寒い日が続くでしょうから、どうぞお身体大切にお過ごしくださいませ。また気が向きましたらメッセージなど気楽に送ってください。
ではでは、またまた。   村山哲也@プノンペン

q30n03q 80歳
(むずいことはわかりませんが)実は一昨日、日本の新聞夕刊でips細胞で神経の伝達機能を回復させる医療行為が公認されるような記事を読みました。ずいぶん進んだなあと喜びました。直ぐ閃いたのが村山哲也さんのような人に脳の神経が下肢の神経まで伝達されることが可能になるのか!ということを勝手に期待し、それは大きな驚くような歓びでした。でも今日の村山哲也さんの文章を拝読して村山哲也さんはご自身への期待ではなくもっと若い人に対してその治療に積極的に挑戦するようにと勧める印象もちました。やっぱり長く時間がかかることを言外に教えられて凹む思いです。
 当面する(ずいぶん長いこと胃腸の不調が続きますね)胃腸の調子が快復されること、明晰な頭脳と事故後も一心に筋トレで鍛えた腕や手で難解な文章をもガンガン執筆されて老いぼれて朽ちていく老人の頭の劣化に抗うことを援助して下さることを祈ります。

匿名q30n03q様

ips細胞の活用で失われた神経細胞をつなぐ治験はどんどん進歩しているようですね。ただ、それでも私の知る範囲では、まず急性期、つまり受傷から数週間からの治療開始が効果的で、まだ限られた資源・機会はどうしたって受傷から時間のたっていない、できれば若い子たちに向けられるのは当然といえば当然のように私は感じています。
将来は、私のような慢性期で高齢者にも徐々にチャンスは広がるのかもしれませんけれど。ただ、もしもですよ、今私の神経が多少でも再生し、下半身からの信号が大脳まで達するとしたら。私が大いに恐れているのは、下半身から発せられる様々な痛みです。結石が多発している膀胱や、骨折したまま放置されている左脚大腿骨や、きっとかなり痛いに違いない。さらに歩行なんかの訓練となれば、退化してしまった筋肉たちは悲鳴をあげるだろうし。そう思うと、やっぱりそういうのは残り時間の長い若者にどーぞどーぞと譲りたい気分満開だったりするのです。
それに、歩くことを必死に再開している多くの越境者も、実際には車イスの方が移動が早かったりしている。歩いたり立ち上がったりするのは、かなり気分的な回復に留まったりしていないか? 「もう一度歩きたい、立ちたい」という思いは否定するつもりはありません。そして、ちらっとだけでも、たとえば5秒立ち上がれることで生活の利便性はかなり上がる。一方で、あまり当てにならない可能性に、時間と資金をどれだけつぎ込むか?まさに人生は費用対効果の選択を常に迫られるわけで、私の場合は痛みのともなうリハビリにエネルギーをつぎ込むほど退屈はしていない???? ともかく、はい、ふとしたことで思い出していただいてとっても恐縮、かつ嬉しく有難いのでした。

村山哲也

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