2021年2月9日に『海外開発支援での「価値観の押しつけ」はダメ? 無色透明はありえないという話。(ミャンマー政変にも刺激されて書きました)』というタイトルで、投稿した記事があります。その主要部分を以下に再掲し、さらに追記も書くことにします。ということで、始めます。以下、ほぼ再掲から。
社会開発支援での“価値観の押しつけ”問題
さて。
先日、友人が若い世代に国際協力理解の講演をした際に、海外でのボランティア経験のある若者たちから、支援のアプローチに関して相談を受けたそうだ。
たとえば、支援する側が支援される側に「もっとこうしたらどう?」、「こんなやり方を導入したらどう?」という提案をする。けれども、そんな提案がなかなか受け入れてもらえない。そんなときはどうしたらいいのだろうか、という質問だ。
回答としては、たとえば支援される側のリーダーをまず説得して、提案を理解してもらうことから始める、なんてことが期待されていたのかもしれない。実際にそういう手法が効果的なことは多いだろう。
友人によれば、若者たちは、「(提案が)自分たちの価値観の押し付けになってしまう」ことに気をつけなければいけないという意識は強いのだそうだ。つまり、違う価値観を持つ者(あるいは集団)が、支援する側と支援される側とに分かれるとき、支援する側は自分たちの価値観を押し付けることには慎重であるべき、と若者たちは思っているらしい。
きっとそれはこれまでの強者が弱者に価値観を押し付けてきた人間社会の歴史から学んでいるわけだよね。強者の価値観を押し付けられた弱者は、反抗すれば弾圧され、従えば自分たちの価値観を失い、主体性をなくし、強者に従属するものとなってきた歴史が連綿と続いてきたということを、21世紀の若者が学習しているというのは、ちょっと感激するよね。
どんなプロセスで、彼女ら/彼らはそれを学んだんだろうと、興味あるなぁ。
また他の場所で、援助における「(価値観の)押し付け問題」を議論したやはり若い世代の中からは「押し付けかどうか判断するのは最終的には受け取る側なのではないか」という声があがったということを、違う友人からも教えてもらった。「押し付けかどうか、援助する側が勝手に迷うのは独りよがりかもしれない」、「(押し付けかどうかは)常に相互的な関係の中で捉えていくべき問いなのではないか」と考える若者たち、よく考えているなぁと思う。ぼくはその場で議論を聞いたのではなく、その結論の一端をちらっと「そんな話があったんだよ」と聞いただけなのだけれど、でも自分が若いときと比べて、今の若者は開発支援や国際協力への認識は高い人が多いなぁと感じることは多い。
まぁ、年長者っぽく余裕をかますと、それは確かにちょっと観念的ではあるよね。机上で考えをこねくり回しているような拙さはあるのだろうと想像する。けれども、経験はこれから積んでいけばいいわけだから。まず妄想するのは、とっても大事なことだよ。
ぼくは、そんな若者に「価値観の押しつけでない“提案”はありえるのか?」と尋ねてみたい。ぼく自身を振り返ると、開発援助の中でぼくがやってきたことに、自分の価値観から自由だったことは何一つない、といっても過言ではないと思う。常に、ぼくはぼくの価値観のいくばくかを、支援する側に「押し付けて」きたんだ。
たとえば、「従うな、自分で考えよ」というようなことだ。「信じるな、疑え」というようなことだ。
たとえば、ミャンマーで教育支援をすることの“覚悟”?
もう20年ほど前のこと。インターネットの中のある場で「軍事政権下にあるミャンマーの社会開発の支援に参加するか?」という議論をしたことがある。ある人は「そこで支援を求めている人がいる限り、自分は行く」と語ったし、ある人は「経済成長を促進する支援は、結果的に軍事政権を支えることにつながるから、(軍事政権を良しとしない)自分は参加を躊躇する」と語った。どちらも、うなずけるなぁと、ぼくは思った。
ぼく自身は、まず躊躇があった。ぼくが関わるのはきっと学校教育支援だろう。理科教育かもしれない。とりあえず、軍事政権であろうと民主政権であろうと、学校の教育カリキュラムの大勢には大差はないだろう。特に、理科や算数・数学といった科目では。
けれども、ぼくの価値観、「従うな、自分で考えよ」とか、「信じるな、疑え」なんて考えは、軍事政権にとっては危険だ(もしかしたら民主的な政権にとっても、政権維持には“迷惑”かもしれない)。もし、ぼくの価値観から影響を受けた若者がいつの日が、反軍事政権のデモに参加し、結果、虐げられることになったら? 最悪、殺されたら? そんなことを考えた(これも妄想ではあるけれど)。今でも、そんな妄想は消しきれない。
一方で、自分は歴史からは自由ではないとも思う。ぼくの価値観は、ぼくが自分で選択的に選んで身につけたものではなくて、20世紀後半に日本という場所で生まれ育ったことから自由でない。大きな影響を受けている。そして、そんな大きな歴史という波の中で、ぼくの存在なんて小さなプランクトンみたいなものだ。波に揉まれて漂っているだけ。
だとしたら、求められれば、どこでも行こう、とも思う。自分が妄想するほど、ぼくの影響力なんて大きくない。縁のあった場所で、より良いと思うことを、結局、自分の価値観に則って、やるだけだ。ミャンマーに縁があったら、行こう(ハハハ、結果としては縁がなかったけれど)と思っていた。
ぼくに若者たちの議論を紹介してくれた友人はこう書いた。
「異文化間のコミュニケーションとして国際教育協力を見た場合、援助される側の実践や価値観の変化だけでなく、こちら側、援助する側の変化にも自覚的であるべきだし、それを相手側と交流することが大事」
異論はまったく、ない。ただ、この場合の「援助される側」も一枚板じゃない。「援助する側」も一枚板じゃないけれど、詰まるところはたとえば「ぼく個人」だ。支援する側のぼくは、支援する側の価値観を「ぼく自身」に収斂することができる。そして、実際、交流の結果、ぼくはどんどん「変化」している。その変化もまずは個人的なもので、他者との共有は簡単ではない。ぼくの支援をうけた「援助される側」も、突き詰めれば、個々の存在だ。Aさん、Bさん、Cさん…、みなそれぞれ勝手にぼくの支援を咀嚼しているはずだ。なかには吐き戻した人もいるかもしれないし、下痢になって痩せた人もいるだろう。それも含めて、ギブアンドテイク、避けられないご縁の中でのリアクションだ。
どうやら、ぼくの中では「支援する側」と「支援される側」の境界線がぼやけつつあるのかもしれない。支援する・される、も、単にコミュニケーション、出会ってしまった関係性の一事例でしかないんじゃないの?ってイメージ。そして、すべてのコミュニケーション、出会いは、それぞれの価値観から自由ではない。無色透明なんてあり得ない。
物理の力学の問題で「ここでは摩擦は無視できるものとする」とある。でも、摩擦はあって、現実社会では無視できない。「ここでは価値観は無視できるものとする」なんて、無理なんだ。だから時には痛い。傷つけ合う(と、ぼくはこの文章をタイプしながら、大きなため息をついた)。 (再掲ここまで。)
以下、追記 今かかわっている小さなプロジェクトでも思うこと。
2年ちょい前に書いたことを、今あらためて読んで、そして特別に追記することもないなぁ、と思っています。それでも、せっかくだから、さらに書いてみる。さて、何が出てくるか。
ちょうど1年ほど前から、ぼくはカンボジアでの小さな教育支援プロジェクトにかかわっています。小さいとは言っても、年間で一千万円を超える経費が掛かっています。互いに日本とカンボジアを訪問するための渡航費や滞在費、さらには通訳や専門家にかかる人件費、等々。
個人のお財布レベルで考えると、年間一千万円を超える経費というのはもちろん安くない。
一方で、年間予算が一億円近くのプロジェクトで働いた経験が何回かあるぼくとしては、年間一千万円強という金額は、やっぱり“小さなプロジェクトだなぁ”と感じる。
今、ちらっと調べてみたあるNGOが実施しているソマリアの教育プロジェクトは、2022年7月~2023年6月、つまり1年の活動の予算は7千万円だった。2022年に大きな干ばつ被害のあったソマリアのひとつの州内の小学校5校に通う子ども約2700人がプロジェクトの支援対象とある。
この援助がなければ、学校教育へのアクセスを止めてしまう子どもたちがいるのだろう。干ばつによる飢餓が背景にあるのだから、一種の緊急援助でもある。2700人の教育のサポートに必要な7千万円。
あるいは、ODAの教育支援の事例としてもうひとつ、小中学校教員養成にはこれまで2年制の短期大学しかなかったカンボジアでの2校の4年制教員養成大学を作るJICA支援プロジェクト(2017 年 1 月~2022 年 12 月)では、日本側の支援総額は40億円ほどです。このプロジェクトでは、教育養成大学の新しいカリキュラム作成や、その実施のための多くの研修実施というソフト面での支援に加えて、2か所の新大学設置のための校舎建築も含まれていたため、金額も大きくなっています。(金額の積算には、教員養成大学建設計画 | ODA見える化サイト (jica.go.jp)と4年制教員養成大学基盤整備プロジェクト計画書 2016_1600198_1_s.pdf (jica.go.jp)を参考にしています。)
ね、年間一千万円強の支援が、教育プロジェクトとしてはけして大きなものではないのが判ってもらえるでしょうか。そして、やはり小さなプロジェクトで期待できる波及効果というものも、どうしても小規模になります。そりゃそうだよね。
でも小さいからといって、ひとつひとつのアクションに手が抜けるわけではありません。関係者は、それなりに努力をする。持てるエネルギーをぶつける。私のかかわるプロジェクトでは、専門家が模擬授業やワークショップの実施、さらには日本の学校視察等を通じて、「探究活動」をカンボジアの教育の中に取り入れるという目的があります。
ここでも、教育において「探究活動」が“良いものである”という価値観がある。それは支援されるカンボジア側にももちろん了解はされていますけれど、でもなぜ「探究活動」なのかと問われれば、やっぱり支援する側(日本側)が持っていた価値観があった、と私は理解しています。
そこには、大なり小なり、支援する側からの価値観の“押し付け”がやっぱりある。
そしてぼくはこのプロジェクトの関係者に、「支援する側・支援される側、両者とも参加している人たちの歓びがなければプロジェクトの存在意義はない。支援する側も、支援される側も、3年のプロジェクト実施を経て自らの変容に自覚的であって欲しい。そして、その変容は、それぞれの人生が豊かになることに繋がっていくことが望ましい」ということを伝えています。
ODAにももちろん評価基準があります。残念なことに、私が掲げた上記の内容は、公式な評価の中ではまったく触れられません。プロジェクトは、あくまで支援される側の役に立つことが必須であって、支援する側の人生の豊かさに貢献することなど、これぽっちも望まれていないのです。
でもね、ぼくは、それはオカシイぞ、変だぞ、と思っているのです。だって、かかわった人がハッピーでないというのは、実はかなり高い確率で失敗プロジェクトではないのだろうか、と感じてきたからです。支援される側がアンハッピーで、支援する側はハッピー、ということは、私が関わってきた支援の経験からは、あり得ないように感じるのです。もしあるとすれば、ハッピーと感じている支援者はかなり能天気なんじゃないか? はっきり書けば、馬鹿なんじゃないか。
これまでの経験から言えそうなのは、実は「支援される側はハッピー」でも「支援する側はアンハッピー」ということはあったりする。両者がアンハッピーということも、もちろんある。
海外協力支援の歴史を振り返れば、ひと昔には支援する側だけがハッピーで、支援される側は不幸せ、ということも少なくなかったのだろうとは想像します。植民地的価値観って、そういうところだったのだろうと思う(植民地が領主国の軛を離れ独立したからといって、植民地的支配が終わったわけではありませんでしたから)。
そして、支援する側として、植民地的価値観(単純に書けば、上から支援ってこと)には常に注意が必要です。自分たちが、そこに陥っていないかという注意です。そのような社会の上下構造への敏感さはこの仕事には必須だと思ってます。勉強して、磨き続けるしか、敏感度を上げる方法はない。
そして、さすがに最近は、アッパー目線で支援が実施され成功するってほど世の中甘くなくなっていると、感じます。最近の若者が、自らの価値観の押し付けに(超)敏感になっていることには、それなりの歴史的背景と教訓があるからなのです。
そして、となるとですね。油断していると、今度は被支援者が主なのだ、という思想がはびこったりもする。特に、誠実な人ほどそこに至る。「あなたには、何が必要なの?」と尋ねる。ぼくはね、それはそれで、実は隠れアッパーだと感じるんですよ。援助業界に、隠れアッパーは少なくないですよ。そして、隠れアッパーはやっぱりどこかイヤらしい気が私はするんです。
支援する側も、支援される側も、どっちの人生も大事でいいじゃない? プロジェクトってのは、期間限定の“お祭り”でもある。そこでの出会いは、互いにとって一期一会、楽しもうぜ、って思うのです、ぼくは。 こっちが楽しむことなしに、相手だけを楽しませるって、どこか嘘っぽいんじゃないかな。
だからね、支援する側も主なのよ。あなたの人生を豊かにするために、あなたはその場にいる。そこに出会う。
そしてね、ぼくが今かかわっているプロジェクトは、「お安い」「小さな」プロジェクトな分、そういことを気楽に公言できるって感じは、やっぱりあるんだなぁ。遊んじゃえ、遊んじゃえ、楽しまなきゃ損損、って思いながら、ぼくは今そのプロジェクトにかかわっています、支援者として、ね。そのような支援では、価値観の交換こそが醍醐味だったりするのですヨ。もちろん支援者だけが楽しんでいるプロジェクトは無様ブザマですぜ。
そして、本質的にはこの醍醐味はプロジェクトの大きさに無関係だ、と私は思っています。けれども、大きなプロジェクトだと関係者も多くなるし注目度も上がるので、あまり不用意なことを言ったり書いたりするのはリスキーってことは、やっぱりあるのですけれどね。ま、そこは「何枚もの舌を持て」であります。


















村山さん、ご無沙汰しております。
ブログ拝見しました。
”そして、となるとですね。油断していると、今度は被支援者が主なのだ、という思想がはびこったりもする。特に、誠実な人ほどそこに至る。「あなたには、何が必要なの?」と尋ねる。”
すみません、続きがあるのに、間違ってしまいました。こちらから続きを失礼します。どの部分も、自分の経験を振り返りながら、「そうだったそうたっだ。」と感じましたが、特に引用したところが、本当にそうだ!と思いました。「実際に被支援者側は何を必要としているんだろう?」と特に自分が支援をすることの意味が見いだせなくなった時に陥りがちでした。でも、そこで、やっぱり自分がそこにいる・きた意味を見出していく中でお互いが寄り添い合える部分が見え、そこに向かって進んでいく目標が見えた時、やりがいを感じられるのかなと思いました。価値観の押し付けではないですが、経験から出てきた価値観を共有することには、意味があるのかなと私は信じております。
ちはるさん、読んでくれて、さらにコメントもありがとうございます。
この回のブログを読んでくれた人たちのコメントへの私からの回答も、8月31日のブログに書きましたので、そちらも読んでいただけたら嬉しいです。
「経験から出てきた価値観」しか、支援者は被支援者に差し出せない。
そのことに意味があるのかどうかは、私は実はよくわからない。
意味などなくてもいいじゃないか、とも思っているところも私の中にはあるみたいなんです。
私たちは、日ごろ、意味なくコミュニケーションをしています。というか、日々のコミュニケーションひとつひとつに、それほど意味づけなどしない。
けれども支援者は、わざわざおせっかいにも支援するわけで。だからそこでのコミュニケーションを意味づけたい。
被支援者には日常がある。その日常の中で、支援しようというおせっかい者とつきあう時間もあったりする。支援者の支援の意味が、日常の中に溶けていき、意味など特にないものになったときにだけ、支援は実を結ぶのではないか? そんな予感もあったりする。 信じるなら、疑いながら。 疑いのない信じるは、やっぱり怖いし危険だと思うんです。 疑いのないのは、確かに強い。 強さは武器だ。 でも強さは、武器は、他者を傷つけはしないだろうか? ゆるやかに、ひそひそと、じわじわと、気づかないうちに、そんな支援を夢見たりもします。
村山哲也