事故等で脊髄を損傷する人は、日本では年間5千人程度と聞いたことがあります。10年で5万人ですから、けして少ない数ではありません。そんな脊損者たちへの情報提供、福利厚生向上、バリアフリー推進、各省庁交渉及び民間企業等への要請活動などを行う組織に、全国脊髄損傷者連合会(公益社団法人)があります。
(公社)全国脊髄損傷者連合会のホームページへようこそ! (zensekiren.jp)
ご縁があって、私はこの全脊連の埼玉県支部の会員です。そして、2021年3月からこの全脊連が毎月発行している【脊損ニュース】という会報誌に『世界は開いているから仕方がない』というタイトルで連載を書いています。今月で連載開始からちょうど2年(全24回)が経ちました。備忘録として、当ブログにその連載記事を順次掲載いたします(全脊連からは、快く了解をいただきました)。今回は連載第4回から第6回までです。
連載第4回 (2021年7月号)
障害の医学モデルと社会モデルについて。どっちにしてもその度合は人それぞれ。
脊髄損傷者であれば、身体のどこかに「不便になってしまった箇所」があるはずです。頚椎を損傷してしまえば呼吸にも支障がある人もいるだろうし、腰髄をやっちゃった人は、上半身はかなり自由なはず。
同じ脊髄損傷でも、その障害の範囲は人それぞれ、厳密に言えば、きっと誰一人同じ障害を抱えた人はいない。
胸椎6番で神経束が切れちゃった私は、手指は自由です。横隔膜から下の感覚は、触感も温感も全くない。尿意・便意もゼロ。
さらに個人差が大きいのは疼痛の範囲と深刻さでしょう。私は背中全体が常に痛い。特に右側。どうやら感覚が残っている範囲が右背中のほうが広いようで、だから右側が左側より痛い。せっかく残った感覚が痛みに満たされている、というのは、殺生な話です。
そして、足部も右側の方にシビレ感覚が特に内股から内ももにかけて伸びている。と、文字にしても、この痛みやシビレは、どうやっても言葉で表現しきれません。
こんな「恒常的な」症状、障害を、「障害の医学モデル」とひとまず呼びましょう。
私は、ベッドの上以外のすべての時間、手動車イスを使っています。そして、ひとりでも外出します。日本での棲家は東京の浅草にあります。周りには急坂はほとんどありません。未舗装の道もない。ですから、移動は楽です。 ただ、店に入ろうとすると、その入口の形状によって障害が顔を出します。段差の高さはどれだけか?エレベーターはあるかないか? お店の人が協力的か否か? 入りたい店を前にして、障害が問題になったり、ならなかったり、する。
都内を走る公共バスは、今はほぼすべてが車イスOKですよね。しかも障害者手帳があれば、無料だったり半額だったり。障害者はむしろ特権的立場です。
電車は、なかなか微妙です。駅でのエレベーター設置があれば、改札からホームへの移動等は問題ありません。でも、車両への乗り降り、私は最初怖かった。
長い入院を終え、社会生活に復帰してしばらくは、駅員さんに介助をお願いしていました。ただ、介助を頼むと、待つ時間が長いのですよね。目の前で何本も電車を見送ったりすることもあります。
もちろん理由はあるわけで、一応仕方がない。
けれど、車イス者としての技術が上がってきまして(つまり馴れてきたので)、駅で駅員さんに介助を頼むことは止めました。ホームと車両、段差が小さければ一人で乗り降り可能です。段差が大きくて不安なときは、周りにいる一般の方に介助をお願いします。「すいませーん、押してくれませんか」と顔を見て頼めば、断られることは、まずありません。
状況によって見知らぬ他人に助けてもらうというのも、障害を持つ人によって得意不得意があるでしょう。私のように遠慮なしに大きな声で人に声をかける度胸?があれば障害度は下がるけれど、そんな傍若無人ぶりを持てないって方もいるはず。恥ずかしがりが、けして悪いわけでもない。海外から来られていて、日本語は不自由って障害者もいるかもしれない。
つまり、環境や個人のキャラクターによって、障害度は上がったり下がったりしている。これが「障害の社会モデル」。こっちは「恒常的」ではない。
私たちの障害は、「医療モデル」と「社会モデル」が混ざり合って、人それぞれにいろんな様相をしています。

連載第5回 (2021年8月号)
障害の度合いに関わらず、「障害者世界に生きる仲間たち」という感覚。
怪我をして、入院中、私は見舞客に「幸い手と口は動くから」って口にしていました。足はダメになったけれど、手と口が動くからラッキーって。
でも、障害のことを勉強しているうちに、「手と口は動くからラッキー」という言い方は、かなり迂闊(うかつ)な物言いだなぁと思うようになったのです。
私の背骨が胸椎6番で折れたのは、単なる偶然。もっと上、胸椎の1,2番とか、頚椎で折れていたら、手も動かなかったかもしれません。でも、手が動かなかったらどうした?絶望して「死んだほうがまし」って思うのか。
事故では、同乗者に亡くなった方がひとりいました。でも私は死ななかった。それだけで幸運、あのとき死んでいたら、もうみんなには会えなかった。
ことさら、口が動くとか、手が動くとか、そんなことは関係なく、生きているだけでラッキー。だから、「幸い手と口は動く」という言い方は、もしかしたら手も動かなかった、手動車イスも使えなかったかもしれない自分に対して、失礼みたいな気持ちになっていったのです。
境界は「生と死」の間には歴然とある。それで十分。 障害者の中に境界をことさら引くこともない。
そう考え始めてからは、「手と口が動くから」という言い方はしたくなくなりました。手も口も動かない人と、もっと繋がりたいと思いました。同じ、障害者の大きさに関わらず、同じ仲間さ、って思ったのです。
病院のベッドの上で読んだ本の中には「青い芝の会」という脳性麻痺の人たちのグループがあって、1970年代以降、障害者の生きる権利、について強く社会に問いかけていたことを知りました。
今、私が自由にバスに乗ったり、電車を使ったりできるのは、そういう先人たちの努力によって得られた果実のおかげなんだ。脊髄損傷だろうと、脳性麻痺だろうと、同じ仲間だ、って思て思いました。
『星子が居るー言葉なく語りかける重複障害の娘との20年』(世織書房 1998)を読んだのも、病院のベッドでした。最首悟さんが、重度の障害を抱える娘さん(星子さん)のことを書かれたものです。星子さんは、ダウン症で、加えていくつかの重複障害を持ち、言葉を語ることもありません。一日の多くの時間を、ヘッドホンで音楽を横になって聴きながら過ごしている。
音楽の好みはある。気に入れば何度でも繰り返して聞いている。母親と父親もちゃんと区別している。機嫌がいいときもあれば、悪いときもある。障害者の学級に通えば、楽しそうであったりもする。星子さんは、個性があり、彼女なりに世界を認知している。
父親の悟さんにとって、星子さんの存在は、謎でもあるし、でも確実に愛情の対象でもある。星子さんは多くの思索を悟さんにもたらし、そして悟さんが書いた本を通じて、私も星子さんから多くを学ぶ。
あぁ、星子さんも仲間だ、繋がっている、と私は思いました。もちろん、星子さんと私は語り合うことはできない。でも、障害を得る前、健常者としてもし私がこの『星子が居る』を読んだとしても、「星子さんとぼくは同じだ」という感覚は得られなかっただろうと思います。障害を得たことで、同じ障害者世界の人として、星子さんと私はつながったのです。
障害を持つことで開いた新しい世界の扉が、確かにあったのです。

未来を見つめるような生徒たちの瞳が、私を鍛えてくれたのでした。
連載第6回 (2021年9月号)
同じ障害者世界の住民として、障害の違いを乗り越えていけたら
前回、たとえば脳性麻痺の人たちが障害者の権利を主張してきてくれたことで、公共交通のバリアフリー化が進んできたことを知ったり、あるいは『星子が居る』という本で知ったダウン症に重複障害を持つ星子さんという女性のことを知って、障害者世界みんなが自分の仲間なんだという思いを強くしたことを書きました。
知的障害者や精神障害者が過ごすグループホームの建築計画に、周辺の住民から大きな反対運動が起こるという記事を、ときどき読みます。まるで、知的障害者や精神障害者が、幼い子を襲うかのように語って反対するケース、中には土地代が下がると主張して反対するケースもあるそうです(障害者のグループホームが建ったことで、周辺の土地の値段が下がったという実例はこれまでひとつもないとのこと)。
そういう記事を読むと、心から悲しくなります。
みなさんはどうでしょう?
脊損者の多くが中途障害者でしょう。つまり、障害を得る前に、健常者だった日々があった。そのときの基準で物事を捉え続けていると、障害を持った自分を認められないこともある。障害を持ったことで、まるで自分の価値が下がったような気持ちになる。
そんなときに、自分が他の障害者と「同じ」とくくられたら、知的や精神の障害者と同じ世界の住人と云われたら、「私は、あの人たちとは違う!」と思ってしまうって、あるんじゃないでしょうか?
でも、それはどこか、障害者用のグループホームの設置に反対する人たちと重ならないでしょうか?
いや、別に、身体障害と知的障害、精神障害の間に「壁」を作ってもいいのかもしれません。そっちのほうが、生きやすいのならば、壁を作るのもいい。
ただ、その壁が「差別」だったら、それはやっぱりよくないって思います。その差別の壁を容認しちゃったら、自分を差別する他者が作った壁も認めることになる。
障害者の世界には、先天性の障害を持って生まれてきた人たちもいます。彼らは健常者であったことがない。生まれたときの障害を持った自分が基準です。そんな自分の基準が、成長するにつれて世の中とずれていることにだんだん気がついて、苦しむ。それは多くは学童期に起こると聞きます。どうも自分は、級友たちと違うみたいだって思う。
中途障害も、生まれつきの障害も、それぞれ障害の受容の難しさがある。
星子さんのように、自らの障害を障害と認識しているかどうかを確認できないような人もいます。そんな人の心中は、第三者にはなかなかわからない。苦しみがあるのか、それとも苦しみからは自由なのか。
ただ、星子さんのまわりにはきっと苦しみもあるはずです。不安もあるはずです。
つまり、同じ障害の世界の住人やその周辺には、それぞれの人生で障害の辛さがある。そこは同じ。
そして、中途であろうと、先天的であろうと、身体も知的も精神も、障害を持つ私たちは少数派です。
この社会の多数派の健常者は、自分の家族に障害者がいなければ、障害に対してじっくりと考える暇などない人がほとんどです。多くの中途障害者が「障害者になってみて、初めてわかったことがたくさんある」ことを自認しています。そんな社会の少数派だから、障害者同士、みんなで手をつなげたほうが、きっといい。


















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