「コンダラ」をご存知だろうか。もしかして、あなたが高校時代、テニス部だったりすると、コンダラを間違いなく引いているはずなのだけれど。
(この記事は、日本語以外に翻訳しても、意味が通じないので、ご注意ください。)
私の年齢五十代なかごろより上の年代であれば「巨人の星」という漫画を原作にしたアニメの主題歌を知らない人はむしろ少ないと思う。タラタ・タラタ・タラタ・タラタ…という勇ましい音楽の後に「お・も・いー・こんだぁら、しれんのみちを~、ゆくがー、おとこのー、どこんー、じょー、おー…」と男性の太い声で歌詞が流れる、あれです。
思い込んだら試練の道を行くが男のど根性。「巨人の星」さらには梶原一騎作品(「明日のジョー」や「タイガーマスク」や)に共通する、男性・女性というジェンダー意識づけの根深い問題については、書きたいけれど、今回の本筋ではないので、やめておきます。
この「思い込んだら」。これが「重いコンダラ」の語源です。そして、巨人の星の主人公、星飛雄馬が、アニメ第12話で、特訓のためにコンクリート製のローラー(よくテニスコートを平らにするために使うやつです)を引くシーンに、この主題歌が流れ、それを見た誰かが「思い込んだら」を「重いコンダラ」と聞き違えたのが、コンダラの始まりとされています。今でも、どこかの体育会で「よーし、今日はコンダラ5往復!」なんて使い方がされているかもしれない、のです。
野球部出身の私には、巨人の星のあのメロディーが聞こえると、もうあの歌詞は絶対に「重いコンダラ」にしか聞こえない、そういったものなのです。

こういう勘違いは、歴史的に数多く起こっているに違いない。たとえば、バンコクを流れる大河チャオプラヤ川。あれを私たちの世代は、メナム川と習った。なぜなのか?「メナム」とは、タイ語で「川」の意味。西洋人が「この川の名前は?」と指差した先のチャオプラヤ川を見て、「川(メナム)だけど、なにか?」と答えたタイの人がいたのは間違いない。そしてそれが西洋の地図に、メナムと記され、長きにわたった。最近になってようやく、海外の地図にも“本名”である“チャオプラーヤ”と“正しく”表記されるようになってきた。というわけです。
カボチャもそう。南蛮人が持ってきた見慣れぬ野菜をさして「これはなんという野菜?」と聞かれて、「え?これ?あぁ、これはカンボジアから持ってきたんだよ」というやり取りがあって、あの野菜が“カボチャ”と呼ばれるようになった。もし、両者のコミュニケーションが正確に伝わっていたら、もしかしたらあの野菜の日本名はポルトガル語のAbóbora、あるいはカンボジア語のល្ពៅ、の発音に近いものになっていたかもしれない。前者なら、アボーボラ、後者ならィパウ。「あぁ、今夜はアボボラの煮付けが食べたいなぁ」とか、「へーい、イパウの天ぷら揚がりましたぁ」と私たちが言っていた可能性もあったわけです。
多少は越境の経験が増えてくると、この勘違いに敏感になったりもします。カンボジアの学校調査に同行して、横で話を聞いていたりすると、調査者と回答者との会話がずれるのに気がつく。「昨年入学した一年生で、ドロップアウトした生徒数は何人ですか?」「えーと、10人ですね」「ほぅ、40人入学して、一年生で10人がドロップアウト、ね」というやり取り。質問者の意図は、いったん入学したけれどもう学校に来なくなった生徒は何人?と聞いているのだけれど、回答者の10人という人数は、1年生から2年生に進級できなくて再度1年生をやり直している生徒数を指していたりする。(カンボジアは自動進級制ではなく、各学年で落第留年がありえるのです。)そんなときは、横からちょっと口を出す。「質問の意図は、学校に来なくなっちゃった生徒数ですよね?」と質問者に確認して、「で、10人というのは1年生での留年者の数ですよね?」と回答者にも確認する、なんてこと。
勘違いや聞き違いがどんなときに起きやすいかを知るってのも、越境の面白み、醍醐味なんだろうと思う。
私の妻サンワー(カンボジアの人)は、私がルワンダで怪我をして日本に運ばれた際、カンボジアから来日して、私の両親と一年近く同居しながら、毎日病院の私を見舞うという生活をしてくれました。以前から日本語は勉強していたけれど、来日当時はまだ初級に毛の生えたようなレベル。義母がときどき口にする「あら、それはうらやましいわね」という言葉を、サンワーはかなり長い間「あら、それはムラヤマしいわね」と聞き取っていたのでした。ムラヤマしい。きっとなにか、村山ファミリー(村山は筆者の名字)に関係している、ってことなんだな、と。
「私はたくさん食べてもあまり太らない」「あら、それはムラヤマしいわね」みたいな会話が展開していたわけです。
今でも、私たちのあいだだけで「ムラヤマしい」という言葉は、新しい意味を得て使われています。
「それは、ムラヤマしいじゃない?」というのは、勘違いじゃない?という意味になります。
勘違いは、面白い、けれど、やっぱりとっても怖い。思い込んだら、どこまでもで、怖い。
















重いコンダラ コンダラを引いて
ゆくぞコンダラ どこまでも
真っ赤に燃える 太陽浴びて
ゆくぞコンダラ どこまでも
血の汗流せ コンダラに泣くな
ゆけゆけコンダラ コンダラ引け
taiko ow様
コンダラバージョン、全歌詞、初めて知りました。
今も、コンダラを引く球児はいるのかなぁ。
村山哲也