弱者の越境、強者の越境
越境した先で、越境者は〝よそ者〟となる。
越境における弱者と強者の関係は根が深い。越境ではどうしても弱者が生まれがちだ。
たとえば越境者が弱者であれば、彼/彼女/彼ら/彼女らの越境は、他者からであれ自然からであれ、元いた場所で受けた〝迫害〟から逃避の結果である可能性は高い。越境先でのよそ者としての不利益を顧みず弱者は境界を超え、ほとんどの場合に超えた先でも弱者のままだ。
さらに、これまで多くの越境は強者によりなされてきた。それは古くは〝侵略〟だった。さらに現在行われている途上国への〝開発〟支援も、現代風に洗練された〝侵略〟だとする声も少なくない。そんな声を上げる人たちは、開発で利益を得るのはごく限られた裕福層だけで、多くの住民にとって開発は彼らの生活様式や価値観を破壊してきたと主張する。実際に途上国の社会開発に関わってきた者として、そんな声は常に自らの行為を振り返る契機になった。つまり、それらの主張は常に私にとっては注意喚起として有効だったということだ。開発が侵略性を帯びやすいのは確かで、そうならないためにはいつも油断大敵ということだ。
〝開発〟が侵略かどうかの議論は横に置くとしても、弱者は強者を開発しないことは間違いない。開発は常に強者の仕業だ。侵略だろうと開発だろうと、突然ズカズカと踏み込んでこられた側からすれば、強者たる他者の越境は迷惑極まりない。
社会学者の岸政彦は、マイノリティ(少数者→弱者)の語りをマジョリティ(多数者→強者)が聞くことの意義を次のように書く。
もし境界線が易々と乗り越えられていく物語を、当の境界線を「構造的に押し付けている側」であるマジョリティの人びとが語ってしまった場合、自らが押し付けている壁を否定し、隠蔽し、その責任から逃避することになる。だから私は、私たちは、あくまでも境界線の傍らに踏みとどまるべきなのである。[1]
この文章の背景には、岸がヤマトンチュ(大和人)としてウチナーンチュ(沖縄人)の生活史を研究対象としてきたことがある。多数派に立つ者の気構えとして、岸の指摘は鋭い。もちろん、岸が書く踏みとどまるべき境界線に達する以前にも、岸がウチナーンチュと対面するまでに超えてきた境界はいくつもあるはずだと私は思っているけれど。つまり、どの境界線の傍らで立ち止まるかも、おそらく越境者それぞれの判断なんだ。
心中志願者なのか?
評論家の渡辺京二は水俣病闘争に加わったことでも知られているけれど、その経験から熊本ではない場から水俣病闘争に関わった人びとを〝心中志願者集団〟と呼び、次のように書いた。
心中志願とはいうまでもなく一種の過剰表現である。抑制していえば、それは自分の人生の一時期を、患者とともに歩み通したいというささやかな念願のことにすぎない。水俣病闘争の当事者は、患者とその家族である。それ以外のものは、絶対に当事者ではない、だとすれば、われわれは何によって、水俣病闘争に係るのであろう。支援という言葉はよくない、われわれは自分のこととして、水俣病の運動をやるのだというものがいる。気持はわかる。だが、君は水俣病患者ではなく、水俣病が我が事であるはずはない。[2]
〝心中〟とは、愛し合う者同士が一緒に自死を選び取ることだ。本来は弱者でない者が、あえて弱者によりそい、弱者とともに歩むかのような行為を選び取ることを指して〝心中志願〟と渡辺は揶揄した。なぜなら、心中志願者は、つまりあくまで志願者は、弱者が抱える問題――死に限らなくとも――を自由に回避できるからだ。実際に問題に直面しているのはあくまで当事者であり、支援者(志願者)は絶対に当事者にはなれない。渡辺はそのことを痛感した経験が山ほどあるのだろう。
なぜ心中志願者が絶えないのか。それは、弱者だけが身に纏うことができる〝無垢さ(のようなもの)〟や〝正しさ(のようなもの)〟があると多くの人々が感じ、それが弱者ではない者を惹きつけるからだろう。そしてそんな弱者への勘違いも、強者の特権になってしまう。
渡辺の指摘もわかる。当事者とその支援者との関係を俯瞰すれば、支援者が当事者の切実さに寄り添いきれずに、当事者を助けるどころか困惑させてしまう事例は珍しくない。あるいは、弱者とその支援者が共依存に陥ってしまうこともあるだろう。弱者は支援者を手放したくないからこそ弱者であり続けようとし、支援者は弱者の存在によってのみ自己実現の充実に浸る。そんな危険性に自覚的であればあるだけ、よそ者である支援者は自らの偽善を思い知ることになる。そのことを、私もあなたもときどき思い出していい。
一方で、強者やマジョリティ(多数派)は、弱者やマイノリティ(少数派)の前では未来永劫そのレッテルから自由にはなれないのだろうか。ようやくたどり着いた境界線があってもそれを超えることなく単にその傍らに踏みとどまることに甘んじなければならない。その境界を跨げば「自らが押し付けている壁を否定し、隠蔽し、その責任から逃避する」ことになり、さらに踏み込みすぎれば〝心中志願者〟と揶揄される。それが、これからの越境者が自覚すべき越境のエチケットなのだろうか。でも、私はそんなエチケットを身につけて越境を続けてきたわけでは、おそらくない。
もちろん私にも岸が戒めている「境界線が易々と乗り越えられていく物語を、強者である自分が語ること」への恐れはある。でも、ぼくは語り部の話を聞き取るだけでなく、越境先で共に生活することを選んだ。調査のためではなく。となれば、自分のことを語るしかない。誰が聞いてくれるのかは、さておき。それに、境界線を乗り越えていく過程は、多分、それほど易々ではなかった。もちろん、そんなことは「強者の言い分」の言い訳にはならないけれど。
2015年に亡くなった言語学者で文化人類学者でもある西江雅之は、「わたしにとって、自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と語った[3]。私にとっては、結局は西江の書く〝自分の内と外という境界〟に立ち戻ることが〝越境の技術〟だった[4]。単純にいえば、個として立ち、個の視点を守るということ。私は強者である前にひとりの人で、私の前に立つ人は――たとえ彼が社会的弱者であっても――まずひとりの人としてある。単数形で考え、可能な限り複数形を使わない、そんなとき、ヤマトンチュとウチナーンチュという集合名詞は使いどころを失うし、心中を乗り越えて生き残る希望が生まれるときがある。そんな小さな覚悟だけが、先に書いた越境のジレンマに対抗できるんじゃないだろうか。もちろん、云うは易し行うは難し、だけれども。でも覚悟とは、いつだってそんなものだ。
だからよそ者であるひとりのあなたが卑屈になる必要はない。よそ者として当事者という他者に積極的に関わることがあるならば「世界は開いているから仕方がない」といえばいいし、いうしかない。起こってしまった他人の痛みは、どうやっても事後的によそ者としてしか知りようがない。もしあなたにとって大事な人の痛みをあなたが知ってしまったときには、臆せずその痛みを〝自分のこと〟とする想像力を駆使するしかないじゃないか。
それでも当事者となることへ踏み出す
そんなことがあなたの身に起きるのならば、それはあなたにとって厳しく孤独な体験になるだろう。そして、そんな体験こそが、自分と他者との境界を徹底的に揺さぶり、あなたがやがて身に着けるかもしれない寛容さや憐憫があれば、そのことが他者の痛みをわずかに和らげることを可能にする、そんな第一歩になるはずだ。
たとえ「他人の痛みに同調したように思えた時間」が、一生涯の一時期でしかなかったとしても(つまりふり返って自分は当事者に成り切れたのかという自責の思いが生じたとしても)、恥じることはない。そのことであなたを否定し糾弾する権利など、誰も持ってはいない。自分が「単純に正しくなれない」ことを恐れることはない。むしろ、単純な正しさなど身にまとってはいけない。その一時期があなたの一生涯の財産になるのは確かで、それはあなたが(本当の)当事者になったときにも必ず役立つはずだ。
先に紹介した渡辺の文章をもう一度読んでみて欲しい。やっぱり私は彼の文章を肯定しきれない。「それ以外のものは絶対に当事者ではない」なんてことはないと思う。支援者は支援者として支援者の当事者性を生きる。その当事者性を否定することはないし、渡辺がいうところの「(水俣病)患者とその家族」の当事者性とその“大きさ”を比較しても、それほどの意味はないんじゃないかな。
もちろん、よそ者はよそ者としてそこを去る日がくる。心中志願者は、多くの場合、その片思いに気がつく。でも、それを誰が笑えようか。それを「お前はやっぱり当事者じゃない」と後ろ指を指すことを、私はあなたにしてけして欲しくない。
どうせなら、後ろ指は指されるほうが気持ちが楽じゃないかな。だから、臆せず当事者となってみればいい。大丈夫、きっとそれでいいのだと思う。
[1] 21ページ 岸政彦/著『はじめての沖縄 よりみちパン!セ』新曜社 2018
[2] 72ページ 「現実と幻のはさまで」より 渡辺京二/著 小川哲生/編 『渡辺京二コレクション2 民衆論 民衆という幻像』ちくま学芸文庫 2011
[3] 8ページ 西江雅之/著『異郷日記』青土社 2008
[4] と書きつつ、私自身は自分の内にもいくつもの境界が生まれることを自覚する。自分の内側が、西江ほどは確立していないということなのだろう。西江と私は違うから、仕方がない。


















「弱者は支援者を手放したくないからこそ弱者であり続けようとし、支援者は弱者の存在によってのみ自己実現の充実に浸る」ただただ、分かるなーと。でも、それだけになってしまう。カンボジア支援の方々にお目にかかると、かなりに割合で「自己実現のためにお出でになっている」と感じます。でも、この頃は、そのような人たちであっても、お願いをし、必要なパーツを埋めなければならないと思うようになりました。
間々田和彦様
いつも読んでいただき、ありがとうございます!嬉しいです。
はい、ぼくも「自己実現のために支援者をやっている」のであります。
間々田さんが気になるのは、そのこと(支援とは、支援される側のため以前に、支援する側の自己実現の手段なんだ)に自覚的になりましょう、ってことなんでしょう。はい、ぼくもそう思います。でも、ぼくも最初は初心者でしたから。恥ずかしい思いをたくさんして、今に至っているのだと思います。
そして、使える資源(支援)はぜひ有効活用いたしましょう。何枚の舌を持ちましょう、ってことは、はい、私、本の中で書きました。
村山哲也
村山さん、ありがとう!
そうなんですよ。もっと自覚してください、と言いたいんです。錦の御旗のようにあなたのためなんだから、なんて言われたら「しんどい」! まぁ、私の場合は、趣味でしょうか(これも自己実現の一種?)ねぇ。