誰もが殺す と、過去は語っていました
「戦争なんかなくなればいいのに」と思っていました。どうして殺し合うのだろう、と。一方で、今思いだすと、ぼくは幼いころ「ゼロ戦の勇姿」のような類の本も夢中で読んでいました。きっと、格好いい!と思いながらページをめくっていたのです。その後の読書歴を振り返って、「戦争」とドーンとぶつかるのは、やはりベトナム戦争だったと思います。多くのジャーナリストが伝えてくれた戦場、沢田教一、石川文洋、中村梧郎、大石芳野、一ノ瀬泰造、そして、開高健に本多勝一……。
さらに視野は過去の戦争から、今このときに移っていく。多くの国でつづく内戦、飢餓、不公平、死。たとえば、長倉洋海(今回の扉の写真をお願いしました)はぼくより一回り上の世代だけれど、彼の写真は今に至るまでぼくに刺激を与え続けてくれています。
さらに、“幸運なことに”、ぼくはカンボジアとルワンダで長期に働く機会がありました。どちらの国でも20世紀後半に人類史に特筆されるような虐殺が起こった場所です。カンボジアでは1975年から4年近く続いたポルポト時代に、全国民の4分の1ともいう200万人が亡くなっています。ルワンダでは1994年に数ヶ月で100万人が殺されました。
どちらの国でも、その負の歴史の影を感じました(そのことは、1月にかもがわ出版から出る拙著『超えてみようよ!境界線』のなかで書いています)。日常生活の場が、殺戮の場になる。兵士でなくても、市民が隣人を殺す。それはいったいどういうことなのだろうか。「戦場の狂気」、「戦争とはそういうものだ」、「極限状態」、「殺らなければ、こっちが殺られる」、そんな言葉で納得すればいいのか。
ぼくは、殺すだろうか
ぼくの思いを簡単に書けば「ぼくも殺すだろうか?」となります。兵隊として送られた戦地で、あるいはタガがはずれた社会でおこる殺戮の場で、ぼくも殺すだろうか?あるいは爆弾投下のスイッチを押すだろうか。あるいは「殺せ」と命令するだろうか。「撃て」と命令されて、撃つだろうか。命令されて「殺させられる」だろうか。
もちろん、「殺される」のも嫌です。でも「殺される」という行為の前提として「殺す」がある。殺さなければ、殺されない。もちろん、この殺すはメタファーでもあって、殺さなければ何をしてもいいってことじゃない。虐げる、ことは「殺す」ことです。
ドイツのユダヤ人虐殺の場でも、日本の東アジア・東南アジア侵略でも、カンボジアでもルワンダでも、普通の市民が、家庭でのいいお父さんが、人を殺している。なぜ自分だけが違うといえるだろう。
ルワンダでも、カンボジアでも、殺戮後に殺戮者が語る言葉は同じだ。「命令に従わなければ、自分が殺されていた」。あるいはリーダーは語る。「知らなかった」「そんな命令は出していない」。アンナハーレンとが使った「凡庸なる悪」。どうやらそれはこの世界に満ち満ちている。
ぼくもそうだろうか。自分が殺されるという状況で、それを避けるために人を殺めるだろうか。とにかく、「誰でも」そうなるという状況証拠は山程あるんだ。
一方、殺される人たちは、ときに静かだ。殺されるとわかっていながら、黙って塀の前に並び、跪き、あるいは自分が埋められる穴を掘る。せいぜい手を合わせて子どもの命乞いをするだけで、命がけの反抗を試みる人のほうが少ない。圧倒的な弱者たちは、「殺されるぐらいなら、殺す」という手段すら持たないように思える。そうやって、静かに「殺された」人たちがこの100年だけで世界にどれだけいるのか。今日、どれだけいたのか。想像してみると目眩がするようだ。実際には、目眩もしなければ、今夜の夕餉で食が細ることすらないのだけれど。
それでも殺したくないんですけど
小田実は『「殺すな」から』という評論集を1976年に出している。今、手元にないけれど、ぼくはこの本を中古本で入手して読んでいる。小田実は大阪大空襲で見た黒焦げの死体から、「難死」という言葉にたどり着く。そして、その言葉は、彼が自ら神戸大震災を経験して再生する。それでも彼が語るのは「殺すな」であって、「殺されるな」ではない。
そうだよね、だって、「殺されるな」で始めれば、正当防衛「殺さなければ、殺されていた」につながってしまう。それじゃ、いつまでたっても「殺す」はなくならない。
ぼくもね、「殺したくない」。では、どうしたらいいか。今のところ「逃げるしかない」と思っています。どこまで逃げられるかはわからないけれど、逃げる。だから逃げ場所を作っておく。作ってきた。ぼくは、祖国なんか捨てて逃げます。近しい人たちも「殺してほしくない」から、声をかけて逃げようと思います。あるいは、逃げた先で、逃げておいでと呼びかけたい。
もちろん、逃げた先でも「殺せ」の声は追いかけてくるかもしれない。どこまで逃げられるか、自信はないのです。
想像してみる。列の中で、殺されるために、一歩を踏み出せるだろうか。言葉で「殺すな」と説けるだろうか。
想像してみる。群衆の中で「殺したくない」と声をあげられるだろうか。
想像してみる。殺す側に君がいたときに、「殺れよ」とつぶやけるだろうか。それで君が殺されないなら、いいじゃないかと、許せるだろうか。
所詮、誰しも死からは逃げられない。殺されなくても、殺されても、世界はそれほど変わりもしない。でも、殺したら、ぼくの世界は大きく変わるだろう。そして、ぼくは、人は慣れることができるってことを嫌というほど知っている、つもりだ。ぼくは自分の罪にどれだけ慣れてしまったか。過去から学べば、みんなそうらしい。殺すことにも慣れる。そして、いつの日か日常が戻り、我が子を抱き、職場へでかけ、ビールを飲む。ときどき、夜にうなされる。そして、死ぬまで生きる。そうなることはわかっている。それを無残とはいわない。そうして日々を過ごしている人がずいぶんいるのだから。過去は過去だ。でも、自分がその群れに加わることを拒みたい。それでも、その群れに加わっていく自分の後ろ姿も想像できる。そこでも、自分だけは違うと、妄想で言い切ることには疑問を感じる。なぜ、そう言い切れるのかって。理想と現実は、いつでも、ずれるじゃないかって。
それでも、それでも……
愛する人を守る?
「自分が殺されるのはいいけれど、自分が愛する人たちが殺されるのは許せない。自分にとって大切な人たちを守るためなら、私も銃をとるかもしれない」
ある知人がそう書いた。そうだよね。苦渋の決断。否定しないよ。
でもね、自分には否定してみたい。ぼくの大切な人たち、ごめんなさい。殺したくありません。ぼくは貴方たちを守れません。そう語ってみたい、そのときが来たら。それも逃げだよね。弱虫、軟弱者。でも、逃げると決めたい。殺されるまで、逃げたい。
殺すのが先か、殺さないが先か、殺されるのが先か、殺されないが先か、殺させるが先か、殺させないが先か……。答えは出ている。「殺す」はダメだ。やっぱりダメだ。もちろん「殺させる」もダメ。ぼくは「殺す」ために存在しているんじゃないはず。あなたもそうなはず。
息子よ、ぼくたちを守ることを理由に、けして「殺す」な。逃げろ。逃げる準備は、するべし。準備ってのは、妄想することだよ。たくさん、妄想することだよ。
マンデラも爪に微かに血のこびり



















間々田です。大学入学の年にベトナム戦争が終わりました。その頃、防衛大を卒業して自衛官として任官していた兄は「おまえとはバリゲードを挟んで対峙するな、きっと」と言いました。高校生の時に阿部知二著「良心的兵役拒否の思想」を読んでいた私は「私は逃げるだけだけど」と答えました。懐かしい思い出でです。小田実「殺すな!」、久しぶりに読みたくなりました。
一ノ瀬泰造氏、確か文京区の護国寺に墓所がありますね。護国寺には旧日本陸軍の墓所もあり、彼の墓所がそのすぐ近くにあったのを思い出しました。「すごい対比だ!」と。
間々田様
いつも読んでいただき、本当にありがとうございます。
お兄さんと、そんなやり取りがあったのですね。
殺す側、と、殺される側、その協会だってけっこう微妙ですよね。
一ノ瀬泰造さん、彼がどんな気持ちでシュムリアップの町から、アンコールワットにつづく
あの直線の道を歩いたのだろうと、想像します。
彼は、クメール語にそこそこ堪能だった。もしかしたら、撮れるのじゃないかと思っていたと思います。
でも、彼の思いは実らなかった。彼が遭遇した人たちは、おそらく日常の延長で、彼を撃って埋めた。
私たちは、一ノ瀬さんにも、彼を埋めたポルポト兵ににも、なる。
そんなことを、いつも思います。
村山哲也