若い人たちに向かって、何を話せばいいのだろう?「伝えたい」こととか、結局こっちの都合だし……

zoomミーティングの写真から。顔出しOKということで。楽しかったなぁ。

急坂の途中にある、在東京カンボジア大使館

 先日、カンボジア大使館でビザの申請をしてきた。通常だと、ビザはプノンペンの空港到着時に、そこで取ることができる。けれど、コロナ禍で入国時のビザ取得は止まっている。そういうわけで、カンボジアには何回も入国しているけれど、東京のカンボジア大使館に行くのは初めてだった。
 人から「カンボジア大使館への道は坂道だから、車イスでは大変だよ」と聞いていた。うーん、どんな坂かなぁ。山手線内はあちこちに坂がある。油断しているとなかなか大変だ。結局、高校時代の友人にヘルプを頼んだ。カンボジア仲間のIさんも「手伝うよ」って言ってくれていたけれど、彼女はぼくより年上の小柄な女性だ。坂道の車イス、けっこう重たい。大使館の用が済んだら、軽く一杯やろうという算段だ。

 地下鉄の青山一丁目駅から向かったカンボジア大使館前の坂は、行きは下り坂で、帰りに登ることになる。いやー、急坂!!Iさんおひとりじゃ、ちょっと厳しかったかも。さらに、大使館の門も、車イスで通過するのはかなり厳しい!(門を開けてもらえば、なんとかなるけど)とにかく、次回行かなければならないとしても、ひとりじゃ無理だわ。納得です。

 さて、なんとかビザ申請を終えて、渋谷に出て友人と昼飲み。彼からは、このブログ『越境、ひっきりなし』について、以下のようなことを言われた。
「ときどき“正義”が言い訳のように出てくる」
 そうかぁ、そうかもなぁ。正義とか、正しいとか、しかもそれが“言い訳”みたいに出てくる文章は、きっと面倒くさいよなぁ。ぼくはホッピーをちびちびやりながら、彼の話を聞いていました。

Sophia GED せかい探検部

 先日、高校生に向かってZoomミーティングで話すという機会があった。日本の上智大学が2019年にバンコクに設立した「Sophia Global Education and Discovery Co., Ltd. (Sophia GED)」という会社法人が提供する「せかい探検部」というプログラムからの依頼だった。最大10人ぐらいになるかもと聞いていたけれど、自由参加ということで、参加してくれたのは大阪、京都、ハワイから4名だった。
 「せかい探検部」の参加者は、これまでもZoomミーティングを使って、いろんなプログラムを経験している。すでに実施された講演プログラムでは、プレゼンテーションに手慣れた大学の先生たちの名前があった。ならば、ぼくはそういう仕込みはなしでやってみようと思った。一応、話したいことはリストにして手元に置いておいたけれど、始まれば行き当たりばったり。時間が来て参加者が多くなかったので、むしろこちらが質問して彼らに応えてもらうというスタイルを目指した。4人という参加人数は、そんなぼくにはありがたいことだった。

質問力

 ぼくは人から話を聞くことに興味がある。どうやって話を聞き出すか。聞くためには、質問をしなくちゃいけない。自分の「質問力」を上げたい、って思っているのです。

 質問って、コミュニケーションの始まりとして、とっても大切な行為だと思う。初めて出会った人と、まず挨拶して、さて……。質問がなければ、沈黙だ。沈黙も悪くないときがあるけれど、出会うってことは、なにかを求めてだったりとかするわけで、沈黙ってやっぱりもったいない、とせっかちなぼくは思う。で、質問が始まる。つまりは、あなたは誰なの?という興味を相手に示すってこと。質問がうまくはまって、会話が円滑に進むのは気持ちがいい。円滑でない場合、なんとか突破口を開こうと苦心して質問を考えるという時間も、刺激的で悪くない。
 相手がこちらの質問に対してどう答えようかと考えている間が好きだ。以前は、その沈黙に耐えられずに、質問を重ねてしまうことが多かった。最近、ようやく辛抱強く待てるようになってきたかな。

 一方で、初めて会った人がこちらになんの質問もしてくれないと、「この人、辛くないかしら?」なんて余計な心配をしてしまう。たとえば、人と待ち合わせをして、その人がぼくの知らない人と一緒に現れる。で、その知らない人を紹介される。挨拶後、タイミングを見計らって、こちらが「ピッチャー振りかぶって第一球を投げた」という感じで質問を投げる。「バッター、見送った。ボール」だったり、「バッター、お、初球から打ってきた」という感じで、対話が始まる。しかし、いつまで経っても、攻守が入れ替わらない。こちらは「まだチェンジにならないのかなぁ」と思いながら、それでも球を、ときに遠慮しながら、投げ続ける。相手は、こっちの球を打ち返しているだけ。うーん、それ、辛くないのかなぁと思ったりすることがあるのです。もし、ぼくが投球を止めてしまえばどうなるのか?相手は、それを待っているのかもしれないなぁ。で、マウンドの後ろで滑り止めを手にとって間を置いてみる。やがて、この人は質問力が弱いのかなぁなんて、勝手にぼくは考える。それじゃ、こんな場でつまらないんじゃないかしら、なんて勝手に心配する。

 逆に、いい質問を投げられると、おぉって感心することもある。そうそう、いいねぇ、とこちらもいい打球を打ち返したい。さらに、チャンスを見て攻守交代、今度はこちらが負けじと質問を投げる。そんなやり取りができたときは、「いやぁ、今日はいい試合だった」と流した清々しい汗を拭うのも気持ちいい。

時間を共有したという記憶

 さて、「せかい探検部」の高校生たちとの時間。1対4よいう勝負は、数としてはちょうど良かったんじゃないかな。相手の数が多くなれば、どうしてもひとりにかける質問時間は限られてしまう。かといって1対1や1対2じゃ、あちらも大変だっただろう。
 ぼくはひとりひとりに、質問を投げながら、なんとか自分の伝えたいこともちらっと語っていくというスタイルで1時間半ほどの試合をなんとか乗り切った。伝えたいこと?なんだったっけなぁ。おそらく、彼らも覚えていないだろう。

 自分が若いころ、人の話を聞いて、すごく感化されたって、どうやらぼくはあんまりないみたいなんです。情報量は、本を読んだときのほうがずっと多いし、感銘度も大きかった気がする。だからか、最近思うけれど、多数(数人でも)相手にこちらが一方的に話すことで、伝えたいことが伝わるなんて、なかなか難しいんじゃないかな。そこは、もう、諦めちゃってもいいのかもしれない。
 むしろ、「講演」なんて時間は、その瞬間を味わうライブのようなものと割り切っちゃう。となれば、大事なのは時間を共有したという記憶だけだ。だったら、話し手ひとりで張り切ってもだめなんじゃないかな。聞き手も気持ちを盛り上げてくれないと。そのためには、話し手であるこちら側から質問を投げる。マイクもどんどん相手に渡す(話してもらったほうが、こっちも楽だし、ね)。

 一方的に話すって、不安なことだよね。不安になると、守りに入って、例の「正義」みたいなものをまぶしちゃったりする自分がいるかもしれない。そんな自己肯定のための話をするくらいなら、やっぱり聞き手の役がぼくは好きだな。

 彼らは、ぼくが投げる質問を受け止めて、真剣に考え、答えようとしてくれた。そのラリーはぼくには刺激的だったし、楽しい時間だった。後日、彼らの感想を知らせてもらった。 

 ⾃分の⽬で⾒て感じて、境界線をグニャングニャンにして⾒たいです笑

 という文章を書いてくれた人がいた。嬉しいです。はい、グニャングニャンにしちゃってみてください!

 村山さんが東南アジアやアフリカに興味を持ったきっかけや、現地の⽅々のリアルな⽣活や価値観について聞きたかった。

 というコメントもありました。はい、『超えてみようよ!境界線』買って読んで下さいませ!

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