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2021年4月から2年間、全国脊髄損傷者連合会が発行する会報誌「脊損ニュース」が『世界は開いているから仕方がない』というタイトルで私が書いた連載を掲載していました(当ブログの2023年3月での投稿で読めます)。
そして、さらに2023年4月から2年間『続・世界は開いているから仕方がない』として連載は続きました。その連載24回がこの度終了しましたので、ブログで3回分ずつ掲載します。今回は2024年10月~12月です。
『続・』24回連載も週末へ。その前2年間の『世界は開いているから仕方がない』も加えれば、4年48回連載ですから、振り返れば長いなぁ。『続続』は無い、と脊損ニュース編集部から伝えられています。
ということで、11月からは「脊髄損傷というアクシデント/プレゼント」というテーマで書き進んでいます。いや、アクシデント兼プレゼント、って思うんですよ。起こってしまったという点では事故。その後、見えない世界を体験できたっていう面ではプレゼント。非障害者は、どうしたってそうそうはやってこれないのが障害者世界です。それを(まぁ死ぬまでの短時間ではありますが、でも人生百年でもやっぱり短時間ですし)味わう、それしかできないじゃん?
10月/第19回 言葉・表現に敏感であること 5:グラデーション、それとも境界?
2014年8月、私は事故で脊髄損傷(胸椎6番の脱臼骨折)となり、下半身完全麻痺の障害を得て車イス者となりました。
そのときに、「障害者世界」に越境してきた、つまり境界を越えたという感覚がはっきりとあったのです。新しい世界にやってきたのだと。
先日参加した『ディスアビリティ(障害)とは何か―人文・社会科学的視点から』というインターネットでの勉強会でのこと。そこでも、非障害者(健常者)世界と障害者世界とのあいだに横たわる境界について私は少し話したのです。
それに対して、非障害者であるクラスメイトのおひとりが以下のようなコメントをくれました。
「村山さんは《境界》という言葉を使いましたが、境界というと超えられない線というイメージになります。けれども、健常者と障害者の間には実際には明確な線があるわけではない。そこで《グラデーション》と言い換えれば、もう少し緩くて行き来ができるイメージになり、その方が実態に近いのではないかと思います」
ここでのグラデーションとは、連続的・段階的な変化を意味しています。つまり、非障害者と障害者をはっきりと区分けする境界など存在しないということです。たしかに、心身の不具合のどこからが《障害》なのか、実ははっきりしない。そういう事象はありえそうです。
なるほど。まず私は《境界》を《超えられない線》とは考えていません。境界はつねに越境する対象としてとらえたい。さらに境界はつねに波打つように揺らいでもいます。
そのうえで。障害者と非障害者のあいだにある境の前でたたずむのは、境界で区分けされる両側、その双方ではけしてない。通常、この種の境界線の前でたたずまされるのは、一方の側、つまり障害者側です。もう一方の側の人たちは、境界があることすら意識せずに済んでしまうことが多い。意識せずに暮らしている人たち、つまり多数派で社会的強者である非障害者は、障害者側からとつぜん「境界」を突きつけられると、うろたえるような心理がはたらく。だから境界をグラデーションと言い換えて、安心したりする。そんなこと、ないでしょうか?
グラデーションで語ることを否定はしません。けれども、グラデーションで語ることは、現実社会で問題になりえる差別・区別を隠蔽することにつながりやすいと私は思います。「隠蔽するつもりはない」という声がすぐに聞こえます。隠蔽するつもりの有無を問うているのではないのです。意図はなくとも、ごまかす。そんな不感症から目をそむけないで欲しいのです。
例えば。公教育の中での、インクーシブ教育(非障害者と障害者が一緒に学ぶスタイル)なのか、特別支援学校/学級(両者を分離するスタイル)なのかという議論も、そこでの切実さはつねにまず障害者側から発せられるものです。 一方、障害者世界の中にも、実は(当然、当たり前のように)いくつもの「小境界」がある。身体障害者が、自分は精神障害とは違う、と叫んだりする。それはどうして?それでよいのか? 自省的に考えたいことです。
写真:ヒガンバナ 紅色が秋を彩ります。

11月第20回 脊髄損傷というアクシデント/プレゼント 1
『世界は開いているから仕方がない』と題して2021年4月号から始まったこの連載も、4年経った来年3月で終了になる予定です。つまり、残すところ今号を含めて5回です。
誰に向かって書いてきたのか。二千部を超えるこの脊損ニュースの読者は、誰なのか。
この連載中、読者の方からの反応は、私の知る限り実はひとつもないのです(…かなり悲しい)。ですからまるで霞に向かってラブレターを書いているような、そんなこれまでの3年半でした。
連載をあらためて振り返ってみると、大きなテーマとしては「急いで死ぬことないじゃないか」だったような気がします。脊髄損傷という比較的大きな怪我を負い、それまでの非障害者的人生に突然に中途障害が傍若無人に割り込んできた。
そんなときに、障害の受容がうまくいかない人たち。中途障害に悩む当事者の周りで、やはりしんどい日々を送っている人たち。そんな人たちが偶然でもこの連載を目にして少しでも楽ちんになれたら、というのが、この連載の真骨頂であったなら、嬉しいのでした。さて届いているのか。
それにしても。脊髄損傷を得る人は年間に5千人程度であろうという数値を、以前どこかで聞いたことがあります。そして、脊髄損傷もその後遺症はさまざまで、ほぼ受傷前の生活に戻れる人もいれば、まったく違う日々がやってきたという人もいる。私は後者で、背骨の中を通る神経束は胸椎6番で切れてしまい、下半身は動かず触感も温感もさっぱり消えた完全麻痺となったのでした。
それが10年前50歳のときでした。
もっと若かったら?と、妄想します。まだ自分が何者でもないとき、これから何者かになっていくときの突然の下半身完全麻痺であったとしたら、あんなにすんなりと障害を受容できただろうか?……きっと無理だったと思うのです。
もしかして、この連載を目にする若い脊損者がいるだろうか? 私は彼/彼女にどんな言葉をかけられるのだろう? 確かに輝くはずの未来が突然に閉ざされてしまったような気持ちを、どうやってプラスの方向に向けられるのか?
たとえば私であれば、10代で野球に夢中になっていたころ、20代でアフリカにボランティアで出かけたころ、30代でいよいよ途上国支援の仕事を本格的に始めたころ。そのどの段階でも、今と同じ下半身麻痺の障害を得ていたら、やはり消沈しただろうし、消えてしまった明日に絶望したかもしれない。いや、したに違いないのです。
絶望して当たり前だよ、としか言えない。落ち込むしかないよ。わかる。でも死を求めないで。
その沈滞の時間、周りの人たちはぜひ根気よく待ってあげて欲しいよ。退廃とも思えるような、いじけてしまったような、そんな日々、ゆっくり待ちましょうや。若いんだもん、甘えもあるさ。
きっとやがて何かが起こる。起こるまで、待つしかない。あなた独りでは闘えない。でもね、何かが来るよ。ま、少しは自分で探ってもいいかもしれない。求めてもいい。でも、それはそっと突然やってくる。そういうものなのだと、私は思っています。とにかく、再生の種は、やがて空から降ってくる。それまでは、待つしかない。
写真:ヤマブドウの実 濃紫色?漆黒色?深闇色?

12月第21回 脊髄損傷というアクシデント/プレゼント 2
『体験がそのまま保存され、それがそのまま再生されるなら、それを「正しい記憶」と呼ぶことはできるだろう。これに対し、実際の記憶は、不完全な断片に過ぎず、体験と等価な「正しい」ものと呼べるものではない。ところがこれを思い出すときには、確かに自分が体験したという体験感を思い出すことができ、場合によっては、体験したときのリアリティがまざまざと蘇る。
これは、蓄えられた情報が不完全だからこそ、思い出すとき、想起するとき、その不完全さを補完するように、無際限な情報が総動員され、構成されるからとしか言いようがない。(中略)いずれにせよ、構成される体験が、過去の実際の体験を正確に再現しているという保証など、どこにもない。この想起における構成は、再構成ではなく、恣意的な構成であり、ある意味「でっち上げ」なのである。』
しょっぱなから引用で失礼しました。これは郡司ペギオ幸夫著『創造性はどこからやってくるのか』ちくま新書2023に書かれていた文章です。
中途障害者である私たちの多くは、障害を得る前、非障害者であった時代の記憶を持っている。実はそれが苦しみの素でもある。
けれども、実はそれは自分自身が作った創造物、つまり過去にあった事実ではなく作り物。現実逃避の「でっち上げ」だったとしたら?いや、それを認めるのは苦しいに違いない。でも。
前回、「救いの種は、やがて降ってくる」と私はこの連載で書きました。非障害者であった過去の自分からの離脱、それが救いの種が降ってくるきっかけになるのではないだろうか?
私が書いているのは、おそらく障害の受容のことに違いありません。そして、障害の受容を境に脊髄損傷はあなたの人生の中でアクシデントからプレゼントに変わるのじゃないでしょうか。
そしてね。あきらめとは、自分の外部にある世界を受け入れることなのじゃないか? 外部からやってきた偶然を受けとめる(しかない)、ということ。自分の中だけに留まって外部との接触を拒んでいれば、障害の受容にはたどり着けない。
たとえば、自分内部でものごとが整理完結してきた人生(それは強者の人生であったでしょう)を歩んできていれば、つまりそれまで外部なんか必要なかった人は、中途障害は猛烈に辛い。あるいは、まだ外部の世界と知り合う機会の少なかった若者にとって、やはり大きな中途障害である脊損は死に等しいもののように思える。
外部を受け入れてきた人。たとえば、他者を受け入れるような時間を多く過ごしてきた人。他者とは何かを考えてきた人。体験の「でっち上げ」性に無意識にでも気づいてきた人。つまり、外部や過去に対して謙虚である人。そんな人は、障害の受容にも早く至れる、そんな気がします。
そして、これを読んで「あぁ、私は外部を受け入れてこなかったなぁ」「自分にはまだこれから外の世界とつながる時間があるのだなぁ」なんて気づく人がひとりでもいたら、うれしいのです。
希望は、あなたの外からやってくるのよ。
写真:黄色く染まり落葉を待つ木の葉



















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