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これが我が祖国の社会なんだと思うと…
まず最初に、今読んでいる池尾伸一著『仮放免の子どもたち 日本人ファーストの標的』(講談社 2026)。帯に書かれている「日本語しか知らずに育ったのに、移動・就労の自由もなく、国民健康保険にも入れず、ヘイト・強制送還に怯える日常……」、同じく帯に書かれた小説家の中島京子さんからのメッセージ「夢を奪われ家族をバラバラにされる子どもたちの実情に胸がしめつけられた。なにやってんの、日本!」。私の心境も中島さんとまったく同じです。なにやってんの、“日本人”!
たとえば、日本で暮らすクルドの家族を描いた素晴らしい映画『マイスモールランド』を私は一昨年の浅草滞在時に池袋で観ました。難民申請が認められない日々の過酷さを私は“知って”います。けれども、本書『仮放免の子どもたち』を読んで、改めて愕然とします。ひどい。本当にひどいことが日本社会で進行しているのです。 《ちなみに、上記の『仮放免の…』に書かれた情報によれば、日本政府への2024年の難民申請が認められたのは認定率2.2%(認定数190名)、不認定に対しての不服審査申し立てによって難民資格が認められたのは2021年6741件中9件(0.13%!)で、欧米と比較して圧倒的に低い数字です。(前述書 122ページ)》
この世界、情けないことは多いです。そんなこの世界の中で、たとえば言論表現の自由という点で、日本国内の状況は、まだまし、なのは確かです。なんだかんだいいつつ、日本国で多くの人たちはそこそこ穏やかに生活している。私も、私の身の周りにいる人たちも、そう。そりゃ、さまざまな苦労を抱えつつ、でもそれぞれの人権はまぁまぁ大丈夫。
でもそのすぐ隣で、健康を害しても医者に行くのも躊躇い、仲良しの家族が引き裂かれ、教育を受けられず(受けられても将来の展望も持てず、さらには異端者として虐められ)、そんな人たちがいる。日本国籍を持てない、在留資格がない、というだけで。なにやってんの、“日本人”!
高市早苗首相、そして彼女が任命した小野紀美経済安全保障担当および外国人との秩序ある共生社会推進担当大臣らがよくおっしゃっているのは、「法に則り」とか「法律に従ってもらうだけ」という印象を私は持っています。1年前に法務省が公表した「不法滞在者ゼロプラン」や、半年強前に法改正された外国人対象の「経営管理ビザ厳格化」(会社経営の必要資本金が五百万円から三千万円に引き上げされたというやつ)なども、はい、法律に従ってのことです。でもさ、「法」がオカシイ、実状にあっていない、国際基準に照らして未整備である、ってことはあり得るわけですよね。
国連が定め日本政府も批准している「子どもの権利条約」や「国際人権規約」という物差しを使って高市さんや小野さんが胸を張ってきっぱりと「法律に…」と語るその日本国の法律を精査すれば、国際的基準からすれば条約違反・規約違反の恐れだって十分あるわけです。
海外は関係ない、国際基準なんて関係ない、ってのはオカシイ。世界は開いているのですから「わが国独自の」なんてさぁ……やめて欲しいよ。なにやってんの、“日本人”!
とにかく、ひどいです。酷いです。冷酷冷淡、無常だよ。 日本社会の市民の皆さま、日本国籍を持つ有権者の皆さま、弱者は社会のカナリアです。カナリアが死ぬのを黙ってみていれば、次に死ぬのはカナリアの隣にいる人たちだよ。死ぬ?殺される? まぁ、私たち生まれてきた者の死亡率は100%だから、その死に方を問わないとするならばどうでもいいのかもしれませんけれど。でも、どうせ生まれたなら、幸せになりたいじゃん、みんなそうよ。

読んでどうなる、ってことじゃない。知ってどうする、かもしれない。でも知る、共感、それはなにかの拍子に思わぬ出会いを呼ぶかもしれない。同情って、バカにしたもんじゃない。大事だと思うんですよ。もしご縁があったら、本屋さんでの立ち読みでもいいから、この本を手に取ってみてください。メディアリタラシー強化のためとしても、有益だと思うんだよね。
さて、以下、トピックは変わり。
プノンペンと東京との違いは何かと問われれば
上記の問いへの答えその1:
筋肉痛、です。場所は、両わきの下から胸にかけて、です。
プノンペンでは絶対的室内派である車イス者の私です。けれど、東京に出ると一気にひとりでで歩き回ることになります。その移動距離の差は、プノンペンを1とすれば、東京では百、いえおそらく千倍に達するのではないかと思うのです。ですから、普段の不摂生が如実に現れるのが車イスを手でこぐ際に使う筋肉の数々なのです。
たとえば、一昨日は自宅から銀座線田原町駅まで車イスをこぎ、赤坂見附駅で丸の内線に乗り換え新宿駅へ。地下から地上に出たら、旧アルタあたりから歌舞伎町奥の映画館まで行くわけです。この旧アルタから歌舞伎町っておそらく標高差が1メートル以上歌舞伎町のほうが低いの。ですから、行きはよいよい帰りはこわい。非健常者は気にも留めないごくごく緩やかな傾斜も、車イス者には華厳の滝なのです。正確には数えていませんが、午後9時過ぎの歌舞伎町からJR新宿駅東口への移動中、数百人の非障害者(いわゆる健常者のこと)が亀と化した私を追いこしていきました。そして、「押しましょうか」と声をかけてくれた方は、ゼロ。
ちなみに、行きはよいよいの旧アルタ前から歌舞伎町への下りも、歩道にある交差点ごとの傾斜はなかなかきつい登り傾斜があります。そこで亀化している私をおひとりだけ、お若い女性が「押しましょう」と言って十数メートル押してくれましたよ。でもね、午後9時過ぎはダメ。繰り返すけど、ゼロよ。数百人いて、ゼロ。難民非認定の不服審査申し立てで難民申請が認められる確率(ほぼゼロ)なみ、ってことだわなぁ。それが2026年5月の国際都市トウキョウのリアルですわ。
プノンペンと東京の違いは何かと問われればの、答えその2:
ウンコ/シャワー対応、です。トイレの構造が大きく違うのです。こちら(浅草)では、トイレと風呂は別室です。風呂は高床式になっていて、高床に乗ってしまえばサポート無しでシャワーは浴びることが可能です。プノンペンでは、シャワー室に便器も設置されています。シャワーは便器に座ったまま浴びますけれど、上半身の体幹がほとんどきかない私がひとりで身体を洗うのは便器から落下の危険性があり、どうしても見守りが必要なのです。
つまり、浅草ではトイレからシャワーはひとりでも危険度は低め。プノンペンでは、ひとりでは危険度高し。

こう書くと浅草のほうが使いやすいと思うかもしれません。でも、ウンコが漏れてしまう、車イスが汚れてしまう、というような状況が発生するとプノンペンが圧倒的に良いのです。プノンペンであれば、便器にまたがったまま身体についたウンコをシャワーで洗い落とすことができます。さらに車イスに付着したウンコも便器の横でバシャバシャとシャワーを使って洗えてしまう。ところが、浅草では……。
実は、昨夜のウンコ作業で大きな問題が発生しました。1時間半ほど便器にまたがりウンコを出し切ったはずだったのに、便器から車イスに移乗後に車イス上でウンコが…。さて、私は再度便器にもどりウンコを今度こそはと出し切る努力をしたのですけれど、その眼前の愛車(車イス)の座面のクッションと背面布張下部に黄金色に光るごくごく新鮮なブツが付着しているわけですよ。これ、どうやって洗えばいいのよ? 結局、同居の浅草宅留守番担当の若者(2019年から留守番担当だった甥っ子千洸君は今年4月に独立し、新規で私の子ども夏草君、25歳就職ホヤホヤ、が就任しています)が急遽動員され、車イスからクッションやら背面布張りやらを外して風呂場で洗ってくれましたとさ。息子よ、人間万事あれこれ経験が肝要であるぞ。
このウンコ事情を俯瞰すれば、私のパートナー氏であるサンワーの存在にスポットライトが当たります。つまり、東京ではサンワーは不在(今回、最初の二週間にはサンワーが同行していましたけれど、仕事を持つサンワーはすでに帰プノンペンしています)、プノンペンでは何があっても彼女の支援が期待できる。この差はやっぱり大きいです。今後も東京滞在中は青年(夏草)の支援は期待できるものの、でもなぁ、素人と玄人の間にはメコン川のような川幅があるのは、そりゃどうしたって仕方がない。とにかく、支援される側も、おそらく支援する側も、状況が求める対応への適応に努める、それしかありません。ケセラセラ(なるようになるさ)とお気楽に乗り越えたいものです。嘆いていても、出ちまったウンコは片付かないのですから。嘆く間があれば、行動せよ、です。
というわけで、メンテナンスと充電です
懸案の膀胱結石の除去手術入院の日程も定まりましたし、今朝には胃カメラも呑んできましたし、来月には区の健康診断がありますし、読書用メガネは新調したし、サンワー帰国後のこの一週間で映画を10本観て(明日に11本目予定)、積み上げられた本は昨日も今日も明日もどんどん高くなるし、友人知人恩人との面談もすでに数件こなし、さらに予定がつまりつつあるし……、そんなこんなで、難民申請が認められずに辛い日々を送っている人たちの隣で、イスラエル軍あるいはイスラエル入植者による虐待が続くガザやヨルダン川西岸、さらにはレバノン南部の人たちが存在するのと同じ2026年5~7月の日々を、私は生まれ育った町東京でのうのうと過ごしているのです。どうぞ、悪しからず。

















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