『整形外科看護』という月刊雑誌があります。
9月24日の投稿https://incessant-crossingborder.com/%e3%80%8c%e5%b0%8a%e3%81%84%e4%bb%95%e4%ba%8b%e3%80%8d-%e3%80%8e%e6%95%b4%e5%bd%a2%e5%a4%96%e7%a7%91%e7%9c%8b%e8%ad%b7%e3%80%8f%e5%b7%bb%e9%a0%ad%e8%a8%80%e3%81%8b%e3%82%89%ef%bc%91で、以前にこの雑誌に寄稿した巻頭言を紹介しました。その後、昨年の8月号の巻頭言にも以下の文を寄稿しました。
ぼくは将来にもっと年をとって介護されるとき、フィリピンの人やカンボジアの人と出会ったら嬉しいだろうなぁ。ルワンダでの事故後、運ばれたケニアの首都ナイロビの病院で、動けないぼくの全身をひとりで拭いてくれたキクユの女性の細部まで心遣いのおよんだ所作も忘れられません。すっごく安心でした。
『整形外科看護』の巻頭言は「声 患者体験を経て、今、看護師に届けたい“声”があります。」という場です。その主旨に沿って書いたモノです。ちらっとご紹介。
あなたと逢っちゃう場所
「私は患者として、看護師さんの国籍はどこでもいい。言葉が通じなくてもかなりの部分はなんとかなる。性別や容姿も年齢も問わない。そりゃ、点滴注射は一発で決めてほしいけれど、技術も本質じゃない。やっぱり、誠実とか、思いやりとか、忘れない初心で接してくれる人。そっと背中を支えてくれる人。」
と書いて、でもなぜか筆が止まりました。
書いたことに嘘はない。でも、誠実じゃないとか、思いやりがないとか、初心じゃないとか、背中を支えてくれないとか、そんなこともあるんじゃないかなぁとも思うのです。誠実、笑顔、思いやり、そんなもの、求められたって、無理よ、ってことが、私には、あったよ。
私たちが、誠実だろうとなかろうと、世界は本当に不平等で理不尽です。
それでも、誰もが、いつか治療やケアが必要になる。やっぱりひとりじゃ無理みたい。だから、自分でないひとの力を借りる。病院にも行く。それは特別に不幸なことじゃない。単に仕方のないこと。そのことは、世界のどこでも変わりがない。
休んで、食べて、寝て、リハビリして、治る人は治りましょう、治らない人も生きましょう。生命が尽きたら、死にましょう。きっと病院はそんな場所。誰もが通る、そんな場所。どんなあなたであれ、あなたと逢っちゃう、そんな場所。


















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