香港国際連帯キャンペーン in 東京「香港民主化運動とミルクティー同盟 日本におけるミツなつながり」
5月18日夕刻から行われた香港国際連帯キャンペーン in 東京「香港民主化運動とミルクティー同盟 日本におけるミツなつながり」というプログラムにzoomで参加しました。参加といっても、単に拝聴しただけですけれど。香港だけでなく、タイ、台湾、ミャンマー、ウイグルの方々が、民主主義を求めて各国、各地域の状況を語りました。香港、ウイグルからは、中国北京政府の権威主義に対する抗議、さらには香港からも中国北京政府への警戒感が示されました。ミャンマーとタイからは、自国で続いている民主活動への政府の締付け、弾圧と、それへのさらなる抵抗についてが語られました。
それらの声に対して、日本からは人権外交超党派議連メンバーの2名の国会議員が人権侵害を続ける中国やミャンマーへの制裁措置も含めた国会での動きをポジティブに語りました。一番最後の方は、ぼくはちょっとPCの前を離れてしまって見てないのですけれど。
今回、中国内部および周辺国での民主を求める人たちの集まりが、なぜ「ミルクティー」なのかが、ようやく理解できました。中国の漢民族の人たちは、お茶(紅茶)にミルクあるいはコンデスミルクを入れて飲むことは習慣としてないのだそうです。それに対して、タイ、香港、台湾、あるいは他の東南アジア、あるいはウイグル、チベット、モンゴルでは、お茶(紅茶)にミルクを入れ、甘くしたり、塩味にしたりして、楽しんでいる。中国とは《違う》ということを強く意識した連帯の象徴として「ミルクティー」の名がついたということなのですね。なるほど。
モデレーターのひとりであった友人・阿古智子さん(現代中国の研究者、私の大学院時代の同級です)が、「もともと英国文化として伝わったミルクティーが香港では現在でも広く親しまれていることから、文化は越境するという意味もミルクティーにはある」ということを話されていました。なるほど、民主主義とミルクティーをそんな風にも重ねることができるのだなぁ、ということもわかりました。
現在、切実な問題として弾圧に直面しているミャンマーやウイグルの人たち(日本在住の方々が話しておられました)としては、どうしたって「日本」国として、つまり「日本政府」として経済制裁も含む具体的な行動をという声が上がりました。殺されている人たちからすれば、なんとしてもそれを止めて欲しいという訴えになるのは当然だと、改めて感じます。
ミャンマーの方があくまで個人的な意見、でも多くのミャンマーの人たちもそう思っていますとおっしゃりつつ、「日本企業のミャンマーへの投資も、無条件ではありえないのではないか? 民主化が進むかどうか、見極める必要があるのではないか? 一時的に投資が停まって、職を失うなどが起こっても多くのミャンマーの人たちはそれを容認するだろう」という主旨のことをおっしゃっていました。うん、それも今のミャンマーの状況を見ていれば、そうなのだろうと思いました。
でも、一方で、ぼくたち個々としては、どうすればいいのか。結局は、衆議院選挙で民主化に対して意識の高い候補者に投票することが「日本国政府」の行動変容につながるということですよね。それ以外には、応援の表明をSNS等も含めてできる範囲でやっていく、寄付をする、先日は違う場所で「ミャンマーレストランに食事に行くことだって、応援になるんですよ」って辺境探検家の高野秀行さんがおっしゃっていましたけれど、とにかく、それ以上のことは、なかなかできません。自分の務めている(給与をもらっている)企業が、ミャンマーに投資していたら、ミャンマーで事業をしていたら、ウイグル自治区から原料や製品を輸入していたら、どうすればいいか。会社内で声を挙げられるのか? 場合によっては、その企業を辞めることも考えたほうがいいのか。それがミャンマーやウイグルを助けることに効果があるのか? 誰も簡単には答えられないでしょう。そして、自分以外の誰かに、それを望むことも難しい。
もちろん、日本政府への働きかけは大事です。実際、香港やミャンマーの民主化を求める署名活動があって、ぼくもそれに署名しましたけれど、その署名を取りまとめて国会に請願しに行ってくれる人たちがいる。ロビー活動や、自分の選挙区の議員への働きかけなどは、とっても大事なことなのだということは、わかります。けれども、実際にロビー活動したり、議員に働きかけるチャンネル?を持っている人は多くはないのじゃないかな。例えば、ミャンマーへのODAを続けるか止めるか、そういう議論も簡単には結論が出ない。個人として考えても、それを「日本国政府」の方針に影響させるのは、なかなかその道程が実感できない。それが、正直なところじゃないかな。ぼくは、そうです。
国家としての対応と、個人としての対応と
プログラムの中では、「今日は香港、明日は台湾、明後日は沖縄」という言葉も誰かが使っていました。つまり、香港が北京政府直接のコントロール下に入り、近い将来の台湾への軍事侵攻が噂され、台湾が北京政府に統合されるようなことがあれば、沖縄(琉球)だって北京政府は領土として狙っているよ、ということでしょう。「そんはあまりに突飛な考えだ」という考えが危ない、甘すぎる、というように感じた視聴者もいたかもしれません。実際、今、中国政府の圧政のもとで苦しんでいる人たちが、「北京をあんまり甘く見てはいけない」と表明するのは理解できます。「誰かが覚悟を持って、犠牲になっていかないと、中国の思う通り、ウイグル独自の文化が消えていって、中国一辺倒になっていく」とウイグルの人は言った。「中国共産党の都合のために、何百万という人を拘束したり、拷問したり、伝統文化を壊したり、内部でそういうことをしてきた政権というのは、そういうことを外部にもやります。甘く見ないで欲しい」と、彼ははっきりと語ったのだ。
日本の人が「明日は我が身」と考えてくれなくちゃと彼が思い、さらにけして脅しでなく「北京政府を甘く見るな」と表現するのは、彼や家族の身に起きていることを想像すれば、当然だよね。その気持ちもわかる。
それでも、やはり、「自分は国家ではない」と思う。国家でない自分は、どうすればいいのか。ぼくは日本国ではない。日本国に何かを求められたときに、日本国ではないぼくは、個人としてどうすればいいのか。縁と機会があれば、国会前に行って声をあげるのだっていい。
友人にミャンマーと縁のある人がいて、先日、彼が東京都内のある町で、日本に来ているミャンマーの人たちの集まりに参加して、町を行き交う人たちにミャンマー情勢を伝えるビラを一緒に配っている様子を写した写真がSNSに投稿していた。もし、今東京にいたら、次の集まりには呼んでよ!と友人に声をかけていただろう、とも思った。それはそれで、きっと大切なことだし、ミャンマーの人たちに一声かけるのだって、けして自己満足だけじゃなく、なにか意味があることだと思いたい。
でも、そのことと、今、懸命に戦っていて、命を張っていて、家族を犠牲にしていて………、そんな人たちの力になれるのか?という疑問は、共存する。
ぼくは個人として何をするべきなんだろうか。
ぼくができること。ベトナム戦争時のベトナムの人の言葉から
こんなとき、思い出す言葉がある。
ベトナム戦争が起こっていたとき、米国の侵略を受けた北ベトナム側だったか、南ベトナムの米国の傀儡政権だったサイゴン政府に抵抗していた反政府ゲリラだったかが、「日本からあなたたちを応援するのに何ができますか?」と問われて、「自分たちの足元の不正義に立ち向かって欲しい」という主旨の言葉。誰の取材だったかな。本多勝一かな、石川文洋かな。
手元にある本多勝一集をさらっと見てみる。11巻『北爆の下』の中で、当時の北ベトナム首相であるファンヴァンドン氏が1972(昭和47)年にハノイでのインタビューの中で、アジア諸国の人民の団結の必要性を訴えた際に「皆さんは日本で努力して下さい。われわれはベトナムで努力します」と語っているのを見つけた(『本多勝一集 11巻 北爆の下』朝日新聞社1994、292ページ)。「皆さん」が日本で暮らす市井の人々を指し、「われわれ」というのはベトナムの市井の人たちを指している。
ぼく自身のブログの中で、今あらためて「アジア諸国の人民の団結」という言葉を使うのは、なんとも古臭いかもしれない。けれども、現在のミャンマーに対しても、香港に対しても、そこで民主的な政治制度を求めて悪戦苦闘している人たちを応援するというのは、照れなく表現すれば「人民の団結」ということだろう。民主的な政治制度を求めて苦労している人たちへの共感。弾圧される人たちへの共感。アジア諸国に限る必要はなくて、たとえばパレスチナのガザ地区で今この瞬間も爆撃攻撃に怯える人たち(加えれば、攻撃され被害を受ける可能性はずっと低いとしても、イスラエルでパレスチナのハマスのロケット弾攻撃を恐れる人たちも)の気持ちを考えること、想像すること、というのは、「市井の者として安心して暮らすことができるための世界」を一緒に求めるということだろう。
同じく本多勝一集10巻『戦場の村』で、メコンデルタの開放地区(反サイゴン政府勢力の支配下にある地区)での1967(昭和42)年での取材中、「役に立つものを送りたい」といっている日本人もいることを本多が伝えるた際、ある農民は以下のように答えている。こちらのほうが、先に紹介した首相の談話よりも、より心に響く。
「ありがたいことです。しかし私たちは、大丈夫です。やりぬく自信があります。心配しなくで下さい。それよりも、日本人が自分の問題で、自分のためにアメリカのひどいやり方と戦うこと、これこそ、結局は何よりもベトナムのためになるのです」(『本多勝一集 10巻 戦場の村』朝日新聞社1994、 418ページ)
蛇足ながら書くけれど、本多の取材当時、ベトナムは北と南に別れ戦争状態にあり、米国は南ベトナム政府軍を支援していた。上記で農民が「やりぬく自信があります」と語っているのは、南ベトナム政府を倒してベトナム統一を果たすという意味だ。本多の取材から8年後の1975(昭和50)年、南ベトナム政府は倒れ米軍は去り、南北ベトナムは統一を果たす。その後のボートピープルと呼ばれた旧南ベトナムからの難民の発生や、隣国カンボジアでのポルポト時代の大虐殺等の混乱は、その後のことだ。農民らがやりぬいた結果、またさらなる苦労が生まれたのは確かだけれど、だからといって、世界一の軍事力を誇った米軍を追い出したベトナム統一によって多くのベトナムの人たちが「安全」な生活を取り戻すことができたことも大切な事実だったと、ぼくは思う。
そして、結局、できるのは、自分の足元のことに向かうこと、なのだろうとぼくも思う。今の日本であれば、辺野古の埋め立てをとめること、出入国管理局収容施設での収容者へのあまりにひどい扱い(スリランカの女性への扱いなど、業務上過失致死罪の適応も検討すべきじゃないだろうか?)にオカシイということ、前安倍政権時の公的書類改ざん時の赤木さんの自殺に関する調査をちゃんとやってほしいということ、福島第一原発事故の情報に対する敏感な気持ちを忘れずに持ち続けること……、に限らず、自分や家族の職場や学校での「変なこと」に馴れ合わないこと、自分の他人への言動を反省的に省みること、自分自身を大切にして生きているか考えてみること………。そういうことが、実は、民主化を求めて声を上げている人たちに寄り添うってことなんじゃないだろうか? それ以上でも、それ以下でもないんじゃないだろうか?
おなじようなことは、長倉洋海さんのアフガニスタンの英雄サイードの本にも載っていたんじゃないかなぁ。アフガニスタンを応援するなら、日本での足元をしっかりみろっていうようなことを、長倉さんは誰かに言われていなかったかな。
一杯のミルクティーを、あなたと
一杯のミルクティーをひとりで飲まずに、誰かと味わって飲む。笑顔で飲む。
そのことのありがたさを、とことん、実感する。そこからじゃ、ないのかなぁ。
別に「アメリカと戦う」ことを云いたいのじゃないとおもうのですよ、メコンデルタの農民がいったことは。しっかり生きろ、っていうことなんだろうと思うよ。「俺たちはここでしっかり生きるから、あなたたちもあなたたちの場所でしっかり生きてくれ、それがつながることだよ」って、伝えたんだと思うよ。1967(昭和42)年、今からもう50年以上前のことだ。ぼくはまだ3才だ。メコンデルタ取材を敢行した本多のカッチャンも、もう80代後半だ。
そのときも、今も、世界から「不安な夜」は無くならない。次の半世紀後、ぼくはもう死んでいるだろうけれど、そのとき、今よりも「不安な夜」は少なくなっているだろうか? そうでなかったら、なんて情けないことなんだろうか。爆弾や爆撃に怯える夜、減らさなくちゃいけないし、撃つ人も減って欲しい。そのためにだけ、一杯のミルクティーを、できれば誰かと、できればあなたと、飲みたい。許されるのならば、ウイスキーとか、ブランデーとかも、たっぷりいれて。


















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