トンレサップ西端の水上集落から見上げた皆既月食
2011年だったか、カンボジアの友人に誘われてトンレサップ湖西部奥の湿地帯に遊びに行ったことがある。何人かの若いビール仲間にも声をかけて、招待してくれた友人夫婦とあわせて7名が集まり、陸路で西部の町バッタンバンに向かった。そして、そこから長さ5メートルほどの船に乗りバッタンバン川を下り、広がる湿地帯を抜け、3時間ほど走ったところにある水上集落にたどりついた。
そこは流れのある広い水路?川?の上に水上家屋がそれぞれ50メートルほどの間をあけて点々と浮かんでいるような場所で、水路の周りには水草が生い茂る湿地が広がっていた。その夜は皆既月食の満月だった。
調べると2011年12月10日土曜日に皆既月食の記録がある。週末、しかもカンボジアではもっとも涼しい乾季の初期の月食は、このときだけなので、ぼくがその水上集落を訪ねたのはこのときだったに違いない。
泊まった水上家屋のテラスがちょうど東向きで、夕食後そこに座って、登りながら満月がだんだんと赤く欠けていくのを見ながら、ビールを楽しんだ。水面の上で眺める夜の月は、乾季の雲ひとつない空にポッカリと浮かび、月あかりの下、目の前を流れる水がキラキラと光って、とてもきれいだったのをよく覚えている。
宿を借りたその家は、おおきな生け簀を持っていて、その中でナマズを飼育していた。生け簀は台所のすぐとなりに備え付けられていて、野菜クズがでると、それをその場ですぐにその生簀に投げ込む。するとバシャバシャと音を立ててナマズが群がって食べてしまう。
その家にたどりついてしばらくして、同行した仲間のひとり(カンボジアの20代の若者)が「村山さん、この家、料理に川の水をそのまま使っていますよ!」と報告してきた。確かに、夕食用のスープも、米を炊くのも、家の下を流れる水を直接汲み上げて濾しもせずにそのまま使っている。よく観察すると、ナマズの生簀は台所よりも川下にあたり、水は台所の下を通過してから生簀に到達する。組み上げる水は、特にナマズの糞や餌の食べ残しの影響は受けないように工夫されている。
飲み水も同じ水路の水だけれど、それをそのまま飲むわけではなく、ちゃんと沸かしてから使っている。スープも、米も、どちらもしっかり火は通すわけだから、大きな問題はないはずだ。流れる水をガラスコップにとってみると、透明だけれどけっこう緑がかっている。湿地帯の中を長い距離移動してくる間に水に混ざってしまう小さな藻類の色なのだろう。
ぼくに報告してきた若者は、今はプノンペン暮らしだけれど、生まれはポルポト時代後にタイとの国境沿いにできた難民キャンプのひとつだ。けして、公衆衛生の整った場所で育ってきたわけではない。そんな彼にとっても、川の水をそのまま料理に使っているのは驚きだったようだ。
いよいよ夕食となったとき、出されたスープは一緒に煮込まれた野菜や魚がまざって特になにも気にならなかったけれど、炊かれた白米はなんとなくうっすらと緑がかっていると言えなくもなかった。ぼくはまったく気にならなかったけれど、同行した若者の中には、藻類入りの白米を口にするのを躊躇う姿もあった。
さらに、その家屋にはトイレがなかった。そこの家族のひとたちは、老いも若いも、男も女も、浮き家の裏手に回って、柵につかまりながらしゃがんで水面に尻を突き出すと、そこで用を済ませてしまうのだった。排出物はそのまま流れにのってうまくいけば生け簀に流れ込んでいく。そうすればナマズたちは大喜びだ。
けれども、小はなんとかなっても、そんな開けた場所で大をするのは慣れていないと落ち着かない。それで朝食後には“観光客”のために、宿泊した浮き家から数百メートルはなれたところにある地域の医療センターまでのトイレツアーが行われた。医療センターには壁に囲まれた小さなトイレ、やはり水面にドッポンなのに変わりはないけれど、があった。ぼくも、その朝ツアーには参加して、落ち着いて用を足した。

長期滞在しても、知らないことばっかり
川の水をそのまま料理に使い、水面にお尻を突き出して排便する、そんな水上生活のくらしは、都会暮らしになれたカンボジアの若者たちにとっては、かなりのサバイバル体験だったようだ。
カンボジアには、プノンペンとトンレサップ湖をつなぐサップ川の流域と、さらにトンレサップ湖上にいくつか大きな水上集落がある。その多くが、ベトナム系の人たちが暮らす場所と聞いたことがある。以前、立ち寄る機会があったコンポンチュナンのサップ川に面した港近くにある集落では、確かにベトナム語が生活言語として使われていたし、大きな漁猟網を管理する親方や漁師もベトナム語を使う人たちだった。
けれども、ぼくが皆既月食を楽しんだ家の家族、あるいはその周りの集落では、みながカンボジア語を話し、ベトナム語を耳にすることは一度もなかった。プノンペンから見て、トンレサップ湖の一番奥に位置する地域までは、ベトナム系住民は入っていないのだろうか。あるいは、その水上生活者の人たちも、もともとはベトナム系の人たちで、今やカンボジア化がどんどん進んでいるのか(集落にはカンボジアの公立小学校も浮いていた)。また、このようは水上生活集落にとって、ポルポト時代はどんな生活が強いられていたのか。あのときにもっと色々聞いておけばよかったと、今更後悔している。
カンボジアに長くいても、カンボジアの人たちの暮らしぶりについて知らないことはたくさんある。あるいは、カンボジアの人たちの暮らしも多様だ、とも言い換えることができるだろう。
日本だって、そうだ。ぼくは生まれも育ちも東京の山の手と武蔵野の中間辺り。小学校から大学まで、中央線でいえば、新宿-中野-荻窪-吉祥寺-国分寺、というラインのなかで暮らしいた。
そんなぼくにとって、日本の中だって知らない場所ばかりだ。東北にいけば方言は聞き取れないし、九州に行ったときには醤油が甘いのにびっくりした。各地の風習だって本で読んで知ることがせいぜいだし、アイヌや琉球といった“先住民”固有の文化も体験していない。それでも「日本では……」なんて言い方で、まるで日本のことをよく知っているように口にする。実は、同じ東京だって下町の祭りや、奥多摩の暮らしのこともよく知らないのに。
おなじように、長くカンボジアで生活していても、知っているカンボジアなんてほんのちょびっとだ。それはカンボジアの人たちにしたって同様だ。都会暮らしの人にとっては、田舎暮らしは想像もつかなかったりする。だから、「カンボジアでは……」なんて説明も、実は半分は虚像でしかないのかもしれない。あるいは、国家としてのカンボジアが共有したい「カンボジア像」が語られるだけかもしれないんだ。実際は、数多くのカンボジアがある。そんなことを再確認する、水上集落訪問の旅となった。
滑空するペリカンは、ほれぼれするほどかっこいい(私感です)
翌日は、朝のトイレツアー後に再度ボートに乗り込んで、トンレサップ湖の西の端にあるプレックトアール鳥獣保護区目指して東に進んだ。バッタンバンの町から泊まった集落までは、湿地の中の細い水路をくねくねと進む場所が多かったけれど、この日は水路というよりも幅数十メートルの川を進む。途中、何か所かの水上集落を抜けた。それぞれ小さな商店やガソリンスタンドがある。川の両端は、小さな灌木がちらちらと生える湿地帯がひろがっている。雨季になってトンレサップ湖が拡大すると、その辺りもすっかり冠水するのだろう。
プレックトアール鳥獣保護区へは、アンコールワット遺跡群観光の基地となるシュムリアップからエコツーリズムを謳ったボートツアーが出ている。そこでは、サギやウ、コウノトリの仲間が集団繁殖地(コロニー)を作る様子を見ることができる。そんな中でもぼくが楽しみにしていたのが、ペリカンだ。正確にはハシボシペリカン(別名 フィリピンペリカン)で、プレックトアール鳥獣保護区は、ハシボシペリカンの数少ない営巣地のひとつなんだ。
ペリカンは、地上では大きなくちばしが重そうでよたよたした歩きぶりが鈍重に見えるけれど、飛ぶとほれぼれするほどかっこいい。大きな鳥は、どの種類も飛び姿が美しいものだけれど、その中でもペリカンの飛行する姿のかっこうよさといったら格別だ、とぼくは思っている。これまでケニア、カンボジア、オーストラリア、ルワンダで滑空するペリカンを見上げてきたけれど、どれも忘れがたい風格を漂わせていた。
プレックトアールでも、お目当てのペリカンが群れになって飛び交うすがたを見ることができて、ぼくは大満足だった。
もしチャンスがあったら、サギのように首を折り曲げて大きな頭を胸の上に潜り込ませるようにして、風に乗るペリカン飛行に、ぜひ出会ってください。


















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