我が青春時代とさだまさし
先日、東京で3週間過ごした際に、昨年(2022年)に発売されたさだまさしの新しいCD『孤悲』を聞きました。
さだまさしとの最初の出会いは、杉並区立中瀬中学校1年生のときです。新学期、多少はドキドキしながら始まった中学校生活で、異彩を放つクラスメイトがいました。トリウミマサアキという奴です。
なぜか文京区の小学校を卒業して中瀬中学校にやってきた彼は、異文化の人でした。遊び場は水道橋駅辺り、後楽園球場や後楽園は庭のようなものと語る彼の話は、杉並の住宅街育ちの僕(たち)にはどこか夢のように聞こえたものです。
そんな彼が、聞いてみろよ、と流したのがさだまさしの「雨やどり」でした。
1977(昭和52)年、春。校舎三階にあった1年F組の南向きの窓から見える校庭と早稲田通り、その向こうの家々、そして空に重なる、さだの少々コミカルな歌声。あぁ、懐かしいなぁ。小さなブラウン管に映る歌謡曲の世界しか知らなかった僕に、フォークやら、ロックやら、洋楽やら・・・・の窓を開いてくれたトリウミ、元気かい。
好きになった女の子がやっぱりさだまさしが好きで。彼女が貸してくれたグレープの3枚のLPがワンセットになったやつ、それもよく覚えています。大事に大事にカセットテープに録音したのだったなぁ。「あなたがきらいになったわけではありません あなたより好きな人ができただけのことです」なんて歌詞に、ドキッとしたりしながら聞いたものです。(村山注 グレープはさだまさしがソロデビュー前、学友の吉田正美と組んだフォークデュオ。グレープのデビュー前か後か、さだは大学を中退している。きっと退路なきグレープのデビューだったと思う。1974年「精霊流し」の大ヒットで、さだの首はつながるのです。)
さだが長崎出身で、バイオリストになることを夢見て中学生のときから上京し、挫折し、でもバイオリンをギターに持ち替えてフォークソングを歌いだす、大学では落研、なんて情報もどっかからか入ってきます。小学校時代からの友人ナガオカユウゴ辺りは、さだまさしを筆頭とするフォークシンガーたちの影響を受けてギターを弾き始める。
次々と出るさだのLPは経済的に豊かなトリウミが買って、我々はそれを着々とカセットテープにダビングしていきました。さだの初期のLPのタイトルはすべて漢字三字に統一されていますよね。1976年の『帰去来』(私12歳)、1977年『風見鶏』(13歳)、1978年『私花集』(14歳)、1979年『夢供養』(15歳)、1980年『印象派』(16歳)。ここらあたりまでが、私にとってのさだ黄金期でした。もっとも多感なころ、彼の歌からは琴線にふれる多くの情感を僕(ら)はスポンジのように吸収していったのです。
その後もさだはほぼ毎年、ときに隔年でLP(やがてCD)を発表し続けます。
彼の一番の代表作ともいえる「関白宣言」がシングルで出たのは1979年(15歳)です。この歌の「お前を嫁にもらう前に・・・・俺より先に寝てはいけない・・・」云々には、当時すでに微妙は違和感はありました。それでも1988年(24歳)に最初の結婚をした際に、友人たちのリクエストに応じて(多少いやいやながらも)歌った関白宣言、おそらく歌詞をそらで歌えたのだったろうと思います。あぁ、今思い出しても、あれは失態だったなぁ。
ファンなんですね、と云われてうろたえる(笑)
20代後半からしばらく、さだの歌をおっかけで聞くことは特にはありませんでした。それでも、ときどき聞こえてくる例えば「風に立つライオン」なんかは気にはなったりしてました。
50歳で事故で日本での生活が数年続いた際には、図書館で聞いていなかったさだのCDを借り出して、今度はウォークマンにデータダビングして、ふむふむと聞いたりしたのです。えぇ、そんなこと歌っちゃってるの?って曲もあったけど、良い歌も多かったです。さだファンが多いのは、判ります。
2011年の『SADA City』の中の「図書館にて」は、我がさだトップ10に堂々とランクインしました。
数年前、客人が家に来た際に、お任せモードで流していたウォークマンからさだまさしの歌が流れました。「さだまさし、ファンなんですね」と客人に言われ。なんか恥ずかしい。「若いころ、よく聞いたんですよ」と返事したのだったか、「若いころは、よく聞いたんですよ」と返事したのだったか。えぇい、なんかずるいぞお前、なんて心の中でさだまさしに詫びたりして。
いや、さだまさし、確かに最新の『孤悲』の中でも少々説教臭いのが鼻につくような曲もあります。うん、確かに年齢を重ねるというのは、説教できるってことでもあるし、さだの説教を聞きたい人たちがかなり大勢おられる。ま、笑って聞き流せばいいことではある。
そして、日本政府が大喜びしそうな「ひとつになろう、がんばれニッポン」というような曲もある。う~ん日本で止まらないでさ、もう一声「がんばれ世界」とか、「がんばれ人類」まで行っちゃってよ、とはけっこう本気で思う。
でも、今回『孤悲』を聞いて、ぼくがさだを全面肯定できずにどこか警戒している(だから、ファンなんですねと言われて少々慌てふためく)のは、他のところにあることに気がつきました。それは、彼が繰り返す「守りたい」なんだと思う。
守りたいは、殺すにつながっているよきっと
大事な人を守りたい、愛するあなたを守りたい。このモチーフは、先に挙げた三漢字タイトルの初期のLPの中の曲にも多くあらわれていたはずです。
10代20代のころ、僕もそう思っていたのは間違いないのです。24歳で最初の結婚をしたときには、「…修羅となり 生命を尽くしてあなたを護る…」(『孤悲』収録曲「孤悲」の歌詩から)そのままの気持ちだった。
49歳のときに結婚した今のパートナーに、僕はこの言葉は吐けません。特に彼女に伝えたことはありませんけれど、「生命を尽くしてあなたを守ることは私にはできない」と日々思っています。むりむりーって思っているのです。だって、「殺したくない」のです。「殺せない」「殺さない」とどこかで決めている。
そりゃ、殺すな―って泣きわめくと思うよ。でも、カラシニコフの前では、そんなの無駄なときも多いでしょう? そんなの守るうちに入らないでしょう? だから、ごめん。守れない。守らない。
いやいや、そんなのわざわざ決めるようなことじゃないし。はい、確かにそうかもね。でもね、本当にそう思うのよ。殺されても、殺しちゃダメっしょ、って。
となるとさ、「愛する人」「愛する家族」「大切なあの人」「大切な故郷」「大切な思い出」「尊厳」「生きる価値」「生きる意味」……、そういうものを守りたいってことは、場合によっては「殺す」に繋がっていくんじゃないって、だから「守りたい」は辛い。
愛するあなたを守りたいとさだが歌うとき、それは「男」あるいは「漢(おとこ)」って感じがあるんですよ。ときに女々しいなんて揶揄されるさだですけれど、いやいや、さだはしょっちゅう男丸出し、本質かなりのマッチョです。彼が「守りたい」と歌うのを、うっとり聞いていていいのか!という思いが、僕にはどうやらある。
いや、さだまさしも「殺すな」の仲間だとも思うよ。彼が「殺せ」と扇動することはけっしてないはずです。「わたしは君を撃たないけれど 戦車の前に立ち塞がるでしょう…… 私が撃たれても その後に私が続くでしょう」(『孤悲』収録曲「キーウから遠く離れて」の歌詩から)と歌うさだが「殺す」ことが大っ嫌いなのは間違いありません。
けれど、さだの「あなたを守りたい」を共感して聞く感情には、「殺す」につながる細い糸がある。もちろん、そのことで「あなたを守りたい」という感情を非難も否定もすることはない。細い糸が「殺す」に結実することは、普段なら、ないだろうから。
そう、何も突き詰めて考えすぎることはない。ないと思いつつ、ね。この世界、なにが起こっても不思議じゃないようにも思うのです。だから、僕の心の中の警戒警報は解除されることはない。良い父、良い母が、愛する者のために殺しあう、そんなことは人類史で腐るほど豊富にある、普遍的な出来事だと歴史は示しているのだから。普遍的? いやいや、普遍的だからってあきらめてちゃダメじゃん。過去に学んで、未来に活かさなくちゃバカじゃん。
だからさ、さださん。ところで、さださん。
さださんがさぁ、「愛する人を、守りたいけど、俺守れないよ。銃は絶対に取らないよ。愛する人が殺されても、自分が殺されても、殺したくないよ」と言ってくれたらさぁ、ほんの少しだけ社会の中の学びの歯車がカチッと前に進むのになぁ。隠れさだファンの僕としては、そんなことをこっそり期待したりしているのよ。
ところでさださん。「死ぬまで歌いたいがそうもいかないしな」(『孤悲』収録曲「偶成」の歌詩から)って歌っているけど、いやいや、あなたなら死ぬまで歌えるでしょう? それを望んでいる人も少なくないでしょう? 歌えばいいじゃん。
歌えばいいんだよ。生きている限り、歌える限り、歌えばいいじゃないのよ。歌えなくなったら、そのときまた考えればいいことで、さ。

















懐かしいな。
理不尽に対し、自分や愛する人の命を差し出す覚悟と誓い、それを愛と共感してくれる人
と共に生きる事が正義なのでしょう。今、ムーがそういう生活をしていることを祈ります。
あっ、元気ですよ。 鳥海正明
あちゃー!トリウミ、でてきちゃったよ!それだけで、あぁ、「さだまさし」で書いたこと、私にはとっても大きな果実となったなぁ。
トリも、さだまさし、ずーっと聞いてきたのかなぁ。
君が都内某所で元気にしているらしい、職業選択においては初心を貫いている、恋についてはきっと紆余曲折あっただろうにしても、ということは、なんとなく知っています。単に、インターネットであなたを見つけたことがある、ってことだけなんだけれどね。
貴兄の祈りのせいだったのかぁ、俺が今こういうことを考えたりしているのは!それは知らんかった。でも、祈りは効果あるみたいよ。
しかし、泣くなぁ。いやいや、俺は泣くよ、君の文章を読んで泣いています。40年ぶり?ぐらいだもんなぁ。うん、ひき続き、元気で!長生きするように。びっくりして、そしてとっても嬉しいよ。メッセージありがとう × ∞ 。
村山哲也