Aさんへの手紙 「いいよぉ」とお薦めだった映画『ブータン 山の教室』見ました。   “読み書き算盤”のその後が問題だなんて思ったのですよ。

幸福度で名を売ったブータンの幸福度が揺らいでいる、というお話

Aさんへ 

 「良かったよぉ」と書かれていた『ブータン 山の教室』をようやく見ました。『今風の音楽が録音された小さなオーディオプレーヤーとヘッドホンをいつも身にまといオーストラリアへの移住を計画するブータンの首都で暮らす青年が、僻地の学校に赴任してひと夏を過ごす。すぐにでも町に帰りたかった青年は、子どもたちや村人たちとの生活に馴染んでいき……』というストーリーは、Aさんにお薦めされなくとも、途上国の教育支援にかかわってきた私としては見逃せない映画であります。

 映画を見るという行為の魅力のひとつは、何といっても知らない世界を垣間見ることができるということ。世界に数ある近代国家の中で、「国民一人当たりの幸福を最大化することによって社会全体の幸福の最大化を目指すべき」という政策を初めて国家運営の中心課題にすえた国ブータン。私はまだ一度も訪ねたことはありません。
 さらっと調べてみました。なるほど、近代国家としては1907(明治40)年に独立したブータンは、長い鎖国の後、1971(昭和46)年に国際連合に加盟したのですね。その直後の1972年に、経済発展を追求することが当たり前だった世界に国民総幸福量という経済発展とは違う尺度を国家運営の基準として導入するという新しい哲学を示した。同じころ、私たちは高度経済成長真っ只中の日本で小学生だったわけだ。

 それから40年経って、ようやく2012(平成24)年から、国連が世界各国の幸福度をランキングを発表するようになりました。ブータンは経済指標では最貧国に位置するにもかかわらず、この幸福度ランキングの最初の調査では世界第8位に位置し、「さすが、ブータン」という声が世界で上がったようです(同調査での日本の順位は44位)。ところが、わずか7年後の2019(令和元)年の同調査では、ブータンは95位と日本(58位)よりもさらに低い。インターネット等で世界の情報が簡単に手に入るようになったことで、ブータンの人たちが自分たちの経済的な貧しさに気がついてしまったことが、ブータンの幸福度が大きく低下した理由として上げられるのだそうです。(この段落は、Wikipedia “ブータン”、“世界幸福度報告”の項を参考にしています)。

 『ブータン 山の教室』が製作されたのは2019年ですね。つまり、ブータン国内でも、幸福の概念が大きく揺らいでいる時期、それは現在でも続いているのでしょうけれど、の映画ということになります。

21世紀の王道映画は、満たされた世界の私たちの淡い期待に媚びることはない

 主人公の青年は、おそらく授業料のかからない教員養成校で教員資格を取ったのでしょう。その教員養成校を卒業した者は、授業料が無料である見返りに、卒業後5年間は教員として働かなければならない(転職することはできない)という決まりがブータンにはあるのでしょう。
 私がかかわったことのある国ではスリランカに同じような規定がありました(私がスリランカで仕事をしたのは1990年代後半ですから、現在も同様かどうかは未確認です)。いわゆる社会主義的な政策をとる国家で、このような決まりがあるところが見られます。

 詳細は描かれていませんけれど、この青年はこれまで4年間教員として働いてきたようです。そして、どうやら極めて怠け者の教員なのでしょう。本人も自分は教員には向いていないと自覚している。それでも、あと1年は年季奉公(無給という意味ではありませんけれど)が残っていて、最後の赴任地が、首都から遠く離れた僻地であるルナナという名の山の寒村でした。

 首都ティンプーからルナナまでは、バスで1日行った町からさらに一週間以上かけて歩かなければいけない、途中には標高5240メートル(映画を見ながらメモを取りました)もある峠を超えて。ルナナの標高も、富士山よりもずっと高い4800メートル!!です。
試しにGoogle Mapsで、Lunanaと入力してみました。おぉ、すぐに見つかりました。ふーむ、なるほど。ティンプーから北東に位置するルナナ村までは、直線距離では150キロぐらいでしょう。直通の高速道路があれば、1時間ちょっと? それでも、Google Mapを見ると、確かにルナナ村は道なき道を行く孤立した山奥にあることがわかります。こりゃ、大変だわ。

 Aさんもご存知のように、私は20代後半に青年海外協力隊に参加してケニアの田舎の中等学校の教師として2年間を過ごしました。クウィセロ村という私の赴任地には、首都ナイロビを朝発って、なんとか夕方には到着しました。ルナナ村に較べれば、楽なものです。それでも、そのクウィセロ村も電気ガス水道のない生活でした。映画で描かれる青年の感じた田舎暮らしの不便さを見ながら、どうしたって私は自分のクウィセロでの生活を思い出していました。
 同じころ、ネパールに赴任した知り合いが派遣された学校は、首都カトマンズから丸3日だか4日だかかかった場所にあったと聞きました。やはり歩いて峠を超えていったのだそうです。あの青年と同じような経験をした協力隊員も世界には少なくなかったのだと思います。(現在は、電気水道ガスなしという僻地への赴任は、協力隊では避けられる傾向があると聞いています)。

 とにかく、都会と田舎との対比、文明と自然との対比、物質的豊かさと精神的豊かさとの対比が描かれるというのは、映画の王道の一つでしょう。
 そして、そんな王道映画の道を、この映画もひた走る。町では怠け者で「自分は先生には向いていない」と自負していた青年が、そして村についた途端に「こんな僻地の学校で教えるのは、私は無理です、町に帰してください」と村長に懇願した青年が、なぜかあっという間に村に馴染み、一生懸命に子どもたちを教えるようになる。どうしたって不思議です。私には、「それはこの映画が王道映画だからに違いない」としか言えません。このような舞台に立たされた不良青年は、でも突然改心し、好青年になってしまうのです。王道映画ですもの、仕方ありませんよねぇ。

 楽しく充実した夏の日々が描かれた後、秋が来て、冬前にいよいよ別れの季節がやってきます。そこでも、映画は王道をひた走り続けます。映画を見る者は、いつ青年が「村に残る」と言い出すのではないかと期待する。あるいは、春になって青年が村への山道を登る姿を期待する。

 けれども、青年の村への帰還は描かれず、青年は当初の予定通り移住したオーストラリアの酒場でアルバイトで歌っている、村で覚えたヤクの歌を、というシーンで映画は終わります。満たされた世界で暮らす私たちの甘ったれた淡い期待に応えるほど、21世紀の映画は観客に媚びはしない。ここも現代の王道映画の王道たる所以です。それでも、不良青年が、不便な村でしっかり好青年に変貌してしまうという点で、もうすでに私たちの「甘ったれた淡い期待」は十分に満たされているのですから、文句を言う筋合いではございません。

 甘いだけの映画は評価されにくい。その観点でいえば、この王道映画には、味を引き締めるスパイスも効いてはいます。「世界で一番幸福度の高い国と言われるブータンから、でも先生のような人が幸せをもとめて外国に出ていくのはどうしてなのか」と村長がつぶやくシーンなどがそうでしょう。あるいは、共に町に行かないかと青年に誘われた女性が青年に心惹かれながらも「私はずっとここにいる」と答えたのも、そうでしょう(彼女が青年の誘いを受け入れて共に町に出て、そこで苦労するのもまた違ったスパイスとしては有効でしょうけれど)。それでも映画の味が過激な味、激辛、に変わることはありません。王道映画は万人に受け入れられる必要がありますから。

 と、相変わらず天の邪鬼な書き方をしてしまいましたけれど、はい、ブータンの世界の一端をしっかりと味わうことができました。お薦め通り、面白かった。特に、登場人物一人一人のキャラクターがしっかり描けている点は、見事です。台本に加えて、スカウティングの勝利なのでしょう。
 それでも、さて、Aさんはこの映画のどこに惹かれたのかなぁというのは、ぜひ聞いてみたいのです。長らく東京という大都会の公立高校で教員をされているAさんにとって、王道に徹した、つまり安全運転のこの『ブータン 山の教室』のどんな点が素敵な映画だったのだろうかって、私は気になっています。

(職業病として)どうしたって気になる「教育の質」

 『ブータン 山の教室』を見ながら、これまで何百と見てきた途上国での授業の様子を思い出しました。そして、その職業病の視点から、やっぱり大きくふたつのことを思いました。
 どちらも、教育の質、この映画では描かれない教育の難しさのことです。一つは、教員の質について。もう一つは、「良い教育」について、です。

 この映画で描かれている教育とは、いわゆる「読み書き算盤」です。教室には7名の生徒がいました。彼らに対して昨年も違う先生によって授業が行われていたのですから、当然それぞれの子どもの学年・学習進度は違うのではと想像するのです。先生は一人であれば、つまり、複式学級が行われるはずなのだけれど、しかし映画ではまるで生徒全員が新1年生のようです。実際には、複式学級をしっかり運営することは先生にとって簡単なことではありません。怠け者で教師は向いていないと自覚する若者にとってなら、なおさらです。

 つまり、この映画では教師の質についてはあまり関心は払われていないように思えます。映画の数少ないシーンを見ただけでも、この若者の教える技術が拙いことはよくわかります。教える内容はみな場当たり的なものに終始します。Apple、Ball、Carと続き、村の子どもたちが誰一人Carを見たことがなく知らないことに気づいた青年がCarをCowと書き直すシーンでも、おいおいその場所に立ったらわざわざ黒板に書いた単語が生徒たちには見えないじゃないか!!と、私は授業後の協議のためにメモを取りそうになりましたよ。映画がどこまで意図的に描いたのかどうかはわかりませんが、この若者の教員としての教える力は、本人の自覚どおりとてもお粗末です。青年に指導を受けた生徒たちが、このひと夏の学校期間でどれだけカリキュラムの学習目標を達成できたのか、私は正直、かなり心配です。

 さらに気になるのは「読み書き算盤」の先にあるものです。もちろん、「読み書き算盤」は大切です。そこには良いも悪いもなく、しっかり身につけることが学校教育では求められる。けれど、もはや教育は「読み書き算盤」には留まりません。
 たとえば国語(他言語でも)で、どんな教材が使われるのか。歴史ではどんな“史観”が取り込まれていくのか。理科だって、暗記モノとして学習するのか、それとも探求スタイルで押すのか、結果両者のバランスをどう取るのか。もはや教育にも、「良い」教育と「良くない教育」がある。
 もちろん、そんなことは『ブータン 山の教室』のテーマではありません。けれども、つまり職業病、私は気になる。この山の教室で、学年が上がるに従ってどう「良い」教育は進んでいくのだろうかと。

 近代国家が発明した学校教育制度には、どうしたって優秀な官吏の選抜機能と、質の良い労働力養成のための機能がついて回ります。学習者には、従順と勤勉が求められる。一方で、まことしやかに良いものとされる民主主義では、批判精神、表現の自由、個々の権利意識も大切です。学校が持つ管理機能と、民主主義に必要と思われる自由な精神の涵養とのあいだには、実はなかなか際どい舵取りが求められるのは、おそらく日々教育現場で過ごしているAさんのほうが私より日々痛感されることなんじゃないかと想像します。
 そして、その舵取りの中で、何が「良い教育」なのかも揺れ動く。生徒にとって、保護者にとって、教師にとって、学校管理職にとって、納税者にとって、為政者にとって、雇用者にとって、ひとりひとりの考え方や価値観によって、「良い教育」の解も多様です。映画の中の朝礼で歌われた国歌の中にもあったように、王制というのもブータンでの「良い教育」を考えるひとつの重要な事項でしょう。そして、それは世界が開いていきそれまでの幸福度がゆらぐブータン社会では、きっと微妙な事項であるでしょう。

 「学校教育 イコール 良い教育」という方程式は、もはや過去のものとなりました。それは避けられないことだと私は思っています。「学校教育 イコール 良い教育」のままである社会のほうが、実は危ない。男尊女卑のような因習の維持、狭い学校社会ではびこる虐めという病、保護者を通じ伝播される学歴篇重の価値観、精神の窒息のようなコミュニケーション障害、選抜というシステム上どうしても生まれてしまう脱落者、それらは「学校教育 イコール 良い教育」の負の成果でもあるでしょう。

ヤクはヤクのままではいられない

 しかし、改めて『ブータン 山の教室』に立ち戻ると、「学校教育 イコール 良い教育」という考えに囚われているようにも思える寒村社会で、でも先に書いた学校教育の負の成果がとても遠くに感じられるのはなぜなのだろう。単に映画では「教育の質」に目をつぶっているという理由だけとも思われません。
 大自然に恵まれ物質的豊かさよりも精神的豊かさに富んだ山の教室のほうが、文明に毒された都会の教室よりも、教育の場として何か圧倒的に優位な点があるということなのでしょうか。

 この映画の原題は、『Runana A YAK IN THE CLASSROOM (ルナナ、教室のヤク)』なのには気がつきましたか? YAKとは、言うまでもなく、ヤク((ぼう)(ぎゅう))、 チベット・ヒマラヤに生息する偶蹄類ウシ科の哺乳類です。映画の中でも重要な役割を果たしていますよね。そして、映画を見終わってわかるのは、このタイトルのヤクとは、つまり青年のことだと私は判断しました。だから、村を去る青年に向かって年老いた村長がヤクの歌を歌った。本当のところはわからないままの想像ですが、映画を製作した人たちには、ヤクとは、つまりブータン人であるというような比喩があるのではないでしょうか。だから、オーストラリアの酒場で、青年が思わず歌うのも、ヤクの歌。
 私は、この原題が「A YAK」と単数形ではなく、「YAKS」と複数形であったらと思わないでもありません。つまり、『ルナナ、教室のヤクたち』であったならと。そっちのほうが良くないかぁと。もし複数形であれば、ヤクには青年だけでなく生徒たちも含まれることになります。

 「学校教育 イコール 良い教育」であり続けられる理想郷ルナナの教室のヤクたちには、虐めなどあり得ないように見えますし、精神の窒息もない。
 それでも、「最近は山に積もる雪が少なくなった、心配です」と村人が語るように、外界の影響ははこの理想郷にも侵入してくる。子どもは子どものままでは(ヤクはヤクのままでは)きっといられない。そういえば、ひとりの生徒の父親は精神的豊かさに満ちた村で生きているにもかかわらずアルコール依存症でした。そう思うと、やっぱり残酷な映画でもあります。それも、王道、なのかな。私たちのイマジネーションに「続く」を強要する厚かましさも、王道映画には必須ですものね。

 長いお便りとなりました。まずは激務の中、どうぞ心身大切にお過ごしください。
 またお会いできる機会を楽しみにしています。ではでは、また。

 

3件のコメント

 私は『Runana A YAK IN THE CLASSROOM (ルナナ、教室のヤク)』を視聴していませんので発言をすることは控えるべきかと思いますが、視聴したmuramuraさんのご投稿を読んで、終わってしまった自分の社会的人生を反省させられましたので、恥じながらも書きたくなりました。
 世の中では、一言で『教育』と書かれますが教育実践って難しいですね。”教育実践する者”の思想とか理想がしっかりあって、その上で”教育される者”に対して教育される者の目線で日々対峙する。謂わば、心の内にしっかり教育の理念を確立し、観念的には遠くを見ながら実践的には(多少のスキルを用いながら)直ぐ目先を見て付き合うことの難しさはやはり『百年の計』に値するものだと思いますね。
 教育実践して、まさにその実践の中で(=日々のおどろきの中で)こそ認識を新たにし深めて行く人には、現象の中で価値ある心象を具体的に獲得できると思われます。しかしながら、日々の実践の中でマンネリに陥ると本人は誇り高い人と自覚するかもしれませんが、客観的には気の毒な教員になってしまうように思います。
 一昨日の高梨沙羅さんのように、教員の道を歩む人がご自分の脚で凹む時空を経てやがて新たに獲得した価値ある事実によろこび弾ける経験を積んでほしいと思います。その時にこそ視野や視点の鋭さも、寛容や優しも獲得できるように思います。
 現象を見ながら心象を観るというか、観抜くことって難しいことですね。muramuraさんのご投稿を読みながら、ハッとし、そしてつくづく考えさせられました。社会的人生は終わってしまいましたがまだ生きてこの世に在るので自分が関わる何処かの空間で、今日の反省の想いを具体的に表現したいなあと思います。ありがとうございました。

匿名様 コメント、しかも長文でいただき、とても嬉しいです。どうもありがとうございます。
「心の内にしっかり教育の理念を確立し、観念的には遠くを見ながら実践的には(多少のスキルを用いながら)直ぐ目先を見て付き合うことの難しさ」、はい、本当に教育というのは難しい行為だと思うことしきりです。
まず、自分自身を顧みても、若い時代、そしてその後、現在に至る過程で、理念?が転がっていきます。確立しすぎちゃうのも危ないとおもいつつ、転がる石すぎるのもさて、どうなのか。
また(特に学校教育の場では)多くの場合で、一人の理念でことが動くわけではない。「遠くに見る理念」を共に働く人たちと共有することだってけして簡単なことではない。「けして簡単なことではない」どころが、とっても難しい。ちょっとしたベクトルの角度(方向)の違いは、遠くまでいけば大きな距離の差につながっていく。そんなことを考えると、教育実践以前の段階で、もう気疲れしてへとへとになりそうです。

唯一???の救いは、若人はいつも魅力的だということです。「最近の若い者は」という声は昔から常にちまたに満ち満ちていますけれど、実は素敵な若者のほうがいつの世でも世界でも圧倒的多数派です。それには、本当に救われ、また明日頑張れる。ほとんどの教育実践者は、そんな毎日を過ごされているのだと思うのです。

具体的表現、ぜひぜひ! 風にたなびく葦のごとく、右へ左へ前へ後ろへふらふらとゆれつつ、でも折れることなく。まずは、どうぞお元気でますますのご活躍を。まずは、お礼まで。

村山哲也

(Aさんから以下のように返信いただきました)

Mくんへ
いろいろなりたかったものはありました。海洋学者、島の分教場の先生、新美南吉、小学校の先生…。いよいよ入学手続きという段になって、自分の進むべき道を決めかねて、相談に伺ったとき、他の子もいてなかなか切り出せず、失礼極まりないことでしたが、教室の後ろの出口のところから、帰り際、どちらに行くのがいいと思いますか?と尋ねました。「君は女子大に行きなさい」、黒板を背にして生徒用の机に向かって何かの書類を書いておられた三戸先生は間髪入れず、きっぱりと、笑顔で応えてくださいました。
子どもたちに伝える自分の言葉が、ときには自分の意図せぬ方向にさえも、彼らの人生の舵をきるきっかけになる可能性に責任をとることを求められている、という覚悟はいつも自分に問い続けています。
そして、「ブータン 山の教室」は、あろうことか教育学科に進学した娘の奨めで、岩波ホールで一緒に見ました。教育にはいろいろなアプローチがあります。私は「教育学」は苦手です。30年以上、目の前にいる生徒の現実から出発して、感覚やひらめきだけであがいてきました。新採だったころからちっとも成長していないなあ、と思いながら、娘と一緒に見ました。
すぐには答えに辿り着けない長い道のりを歩き続けてきたし、歩き続けて行くのだろうなあ、と思いながら、日々格闘しています。(何と?)そして、教えているつもりで、いつも、教えられているのは、自分なのだなあ、と思っています。
映画、見てくれてありがとう。

(それに対して、以下、私からの返返信)

そうでした、そうでした、ご自分と同じような方向に進むかもしれない娘さんのお奨めで、一緒に見られたのでしたね。そうかぁ、そうかぁ、なにかとても腑に落ちてしまいました。とすれば、そんな舞台設定で見る映画として、数ある映画の中でも『山の教室』はことの他素敵な映画に違いないと、改めて思います(しかも閉館が決まってしまった、あの岩波ホールで!)。
 機会があれば、むしろ私は「どこがよかったですか?」と娘さんにうかがわなくてはいけませんね。そして、良い映画をお母さんと一緒に見られましたねと、一声もおかけしたい。
 海洋学者は少々難しいとして、島の分教場の先生や新美南吉には、まだまだこれからでもなれるのではないでしょうか(そういえば、なるほど、お茶室というのも、日常に存在する小さな島の分教場のような場所とも思えます。となると、残るは新美南吉か!楽しみだなぁ)。
 生徒用のイスに腰掛けていた三戸先生がそうおっしゃったとき笑顔だったことは、教室の後ろの扉からどうわかったのだろうか。きっと、先生は振り返って顔を向けて伝えられたということなのでしょうね。そして、そのときの高校3年生には、言葉そのものよりも「きっぱりとした笑顔」が大事だったのでしょう。そして、舵を切るには、やはりきっかけが必要で、でもきっかけにされがちな側はそれはそれで覚悟が必要なわけですね。そういえば、映画の中で「あなたはルナナに行きなさい」と青年に告げた長官は、少しAさんに似ていたような気もいたします。
またお薦めがありましたら、教えて下さいませ。
この春は心寒いニュースばかりのように思える春になっています。それでも「美味しいものを食べ、よく寝て、よく語り、よく笑う」のが反戦でもあると、ある方とやりとりしました。まずは、どうぞお元気で。
ではでは、また。

コメント、いただけたらとても嬉しいです