前回の投稿、『「日本人?」』の続きになります。
日本人より、日本語人
日本語人とは、日本語でコミュニケーションをとる人のこと。日本語で語り、表現する人。
日本人とは? という定義をしようとするよりも、日本語人のほうがよっぽど明確でわかりやすいと思います。僕は自分を日本人として位置づけようとすると、結局は国籍、つまり日本国政府発行のパスポートを所持していること、ということに至ってしまいます。それだけ。特に他はなし。フィニトー!
けれども、この感覚はけして「日本人」一般のものでもないだろうと予想します。つまり、日本人は人それぞれ。だから、私は日本人、と意識するのは難しい。語るのも面倒くさい。「僕たち、わたしたち、同じ日本人・・・」ってどうも思えないし、思う欲求・ニーズが私の中にはない。
今回の写真キャプションに書いた「春遠からじ」というような言い回しに哀愁を覚えるような感覚はあります。育った場所で身に着いた季節感のようなもの。でもそれを日本人という言葉にひっくるめて考える回路がわたしにはないみたい。だって、今生活するカンボジアの日々からも、季節感を獲得できているから。あの雨季の始めの雨の感じだってとっても素敵です。どちらも同じだとすれば、それは日本人とかカンボジア人とかいう言葉で語れるものでもないらしい。「春遠からじという感覚は、日本人に共通するもの」みたいなの、わたしは嫌いなんです。
それに対して日本語人は日本語という言葉を使う人すべてと考えてスッキリしている。国籍も育ちも関係なし。また日本語人でありながらカンボジア語人だったり英語人・米語人であってもかまわない。そして、心地良いのは「わたしたち日本語人」って言説が馴染まないこと。日本語とは、言葉で、道具。そこへの愛着も人それぞれだろうけれど、その愛着はやっぱり個人的なものに留まると思います。そこに「日本人としての日本語」というような、先に書いたヤヤコシイ「日本人」という枕詞がつかない限り、各々が語り表現する言葉とは、あくまで個々の領域に属するものだろうという予感があるのです。
「春遠からじという感覚は、日本人に共通するもの」の日本人は集合名詞の勢いがとっても強い。日本語人はもっとずっとパーソナルな感じがするのよ。それはわたしだけなのかもしれないけれど。あなたはどんな感じを持つのでしょう?
とにかく、道具として言葉とはコミュニケーションには必須なモノ。自分の思いがどれだけ円滑に伝わるか、という定規一択で、上手になりたい。伝わる言葉を使いたい。
だから他の「日本語人」が使う日本語は話し言葉も書き言葉も、わたしは興味津々。俺ならばあぁは表現しないなとか、こぉいう言葉の使い方は真似したいなぁとか思いながら、楽しく聴いたり読んだりするのです。
言語的危機(クライシス)
日本語人、という言葉には、歴史からはどうしたって自由ではなく、ときに深刻な背景も存在します。
たとえば100年前にあった植民地支配。台湾やパラオ諸島の高齢者のように強制された結果として日本語に親しんでいる人が含まれるようなこと。
さらには現代にも続く経済的な格差がもたらしていること。たとえば日本への出稼ぎ労働者・技能実習生(その多くがブローカーへの多額の借金をしての…)も含まれるようなこと。
それを日本語人が内包する負の印象として、反省的・自省的にとらえるとする考え方はあるでしょう。
けれども、私はそんな少々不条理な存在も含めて、アッケラカンと日本語を使う人たちすべてを「日本語人」と呼んでしまいたい衝動があります。その経緯は問わない。日本語でコミュニケーションを取ろうとする主体があれば、それが日本語人だと言い切ってしまいたい。
でも、それは、もしかしたら、言葉における決定的な危機(クライシス)をわたしが経験していないことからくる無邪気さなのかもしれません。
わたしの父は冬の豪雪地帯である新潟の山奥から20代に入ってから東京に出てきた人。母は東京武蔵野と山の手の中間に育った中流家庭出身でした。その二人の話す言葉が母語。特に母の言葉から影響を受けたはずです。そして、それはそのまま僕が育った東京の杉並区清水町あたりの生活語に重なっていましたし、学校で学ぶ国語(母国語)とも近しい言葉でした。
世界を広く見渡せば、母語と生活語と国語(母国語)との関係は、僕が体験したほど単純でないことは多々あります。
フィリピンの最南部に位置するミンダナオ島東部の町ダバオでは、多くの人たちのはビサヤ語が母語で生活語でしたが、国語(母国語)はフィリピン北部ルソン島で使われるタガログ語を基にしたフィリピノ語でした。さらに、学校教育の算数と理科は以前の統治国だった米国の言葉(米語)によって学ばなかればいけません。家ではビサヤ語を話し(母語&生活語)、職場ではフィリピノ語(これも生活語の一部かしら)を使い、さらに米語も解するというトリリンガルはめずらしくありません。
まったく同じような状況は、ケニアにもありました。20代後半の私が青年海外協力隊に参加して2年間暮らしたクウィセロ村は、ルヒアの人たちが多数派でした。生徒たちの母語はルヒア語、学校の国語はスワヒリ語、さらに公用語として学ぶ英語。英語は、植民地時代の領主国英国の言葉です。
学校では母語を使わない。ひどい場合は、母語を使えば罰せられる。
そんな言語的危機は、わざわざフィリピンやケニアを持ち出さずとも、日本にもあったし、今でもあるのかもしれません。
例えば昭和時代には自らの方言のイントネーションが「恥ずかしい」と思う地方出身者が少なからずいました。テレビでは東北弁や名古屋弁が笑いのネタになってた(今でも?)。自分の母語、故郷の生活語、その訛りが出ないように努力するということ。それも確かな言語的危機。
100年前の関東大震災で、言葉のアクセントによって「日本人か否か」が判断され生死の選別が強要されたのも、その究極の事例です。
世界には自分の母語に対する危機を経験した人、している人は決して少なくない。そして、わたし自身はそんな言語的危機を経験した覚えがないのです。坊ちゃん、でありますわね。
あっけらかんと言ってしまいましょう、○○語人・○○弁人って
言語的危機を経験したうえで「日本語人」に到達しているような人たちは、「日本語人」という表現に忌避感を持つ向きもあるかもしれません。
そして、「山形弁人」や「関西弁人」や…、それもありなのだと思います。いくらでも自称すればいい。そしてどんな自称もOKなのです。そこにも、自分の使う言葉に「人」をつけてしまえる気楽さがあるようにも思います。
わたしは、自分の使う言葉が東京弁だという自意識はあまりない(それが東京生まれ育ちの尊大さなのだろうなぁ)。わたしの話すそれは江戸弁でもけしてない。読む本も日本語で書かれたものばかり。だから、やっぱり「日本語人」。今のところ、それでいいかなぁと思っているのです。今後、また考えを翻すことがあるかもしれないけれど。考えに変化があったら、また書きますわ。
ところで、英語で英語人ってどういうのでしょう? An English speaking person、かな? でもspeakingだけじゃないわけですよね。writingもthinkingもあるわけで。やっぱりダイレクトにAn Englsih language person? 「私は日本語人です」は、I am a Japanese language person. となるのかな? 機会があったら、ぜひ私に教えてくださいませ、熟達の英語人の方々、どうぞよろしくお願いします。
さらに、中国語のように「国」がはいっちゃっているケースはどうすればいいのかな?中国語人と中国人、ふむ、やっぱり違って聞こえるよね。
とにかく、強い集合名詞からはできるだけ距離を置きたいわたしです。

















私は今日まで本当に狭い世界で生きて来たから考えても見なかったこと、ほとんど考えてもみなかった問題意識です。もう少し勝手を言えば、村山さんは日本を出てアフリカのいくつかの国、インドネシア、フィリピン、等々たくさんの国で生活した経験があるから、それもその国の人たちの集落の生活の中に入り込んで生きた経験があるから行き着く、考えさせられるテーマかなと思います。私からもう少し生活圏を広げて ”日本語人” を対象にしてもかなり多くの人が初めて考えさせられることではないか。グローバリズムの中で日本人も国際的になったと言われて、ガイコクでの生活経験がある人でも村山さんのようにその土地の生活の中に入って生きた経験がある人は本当に少ないのではないか。ほとんどの人が公用語で事足りる生活ではなかろうか。だから、この論題について問題意識を持てる人は多くはない(少ない)のではないかと思います。
今 この”日本語人”の文章を拝読して、「ははぁ、こういう問題意識もあるんだあ・・・。」と初めて気付かされる始末です。ひとときを経たら反響を聞かせてほしいと思います。