パラグアイの南西部に位置するピラールから、南東部にあるイグアスの滝に寄って、ほぼ中央西寄りの首都アスンシオンに向かった。パラグアイの南部をぐるりと反時計周りに走ったことになる。
その途中、日本からの移民が開いた開拓村に一泊した。
そこで見たぼくが覚えていることを挙げてみる。学校の校庭には野球場が整備されていた。神社が建てられ鳥居の門があった。お世話になった家に日本から送られてくる雑誌が届いてた。特に〝小学〇年生〟という学習雑誌があったのが印象深い。客間の壁には、昭和天皇夫婦の若いころの写真が掲げてあった。(もう平成に入っていたけれど、平成天皇の写真があったかどうかは記憶にない。)夜にはカラオケを楽しんだのだけれど、リストにあるのは知らない古い歌ばかりだった。「死んだはずだよ、お富さん~」という歌をなんとか歌った。今調べてみたら、1954年(昭和29年)の大ヒット曲だ。
ぼくが一夜交流したのは、移民一世の人たちだったのか、二世三世の人たちだったのかの記憶は不確かだ。今、調べてみると、イグアスからそれほど遠くない場所にあったあの開拓村は、おそらく1950年代の新しい移民の人たちのものだったようにも思う。だとすれば、移民から約半世紀近く経っていたはずだ。そこで移民の子や孫は日本から届く学習雑誌を読み、学校ではスペイン語に加えて日本語も教えられていた。
故郷から遠く離れているからこそ、故郷を強く思う。それは日本人だけではない。パラグアイにはドイツ系移民の開拓地もあり、そこではやはりドイツ語の新聞があり、学校での教育もドイツ語を使っているという。異国に移り住んだ人たちが、故郷の文化的価値観や習慣、言語を維持しようとする。そんな事例は、世界のあちこちにあるはずだ。
ケニアで知り合ったインド移民の家庭では、息子の結婚相手をインドに戻って探したと聞いた。ケニアの地方の町に暮らす彼らが日々交流するのも、その町の小さなインド人社会の集まりだった。東南アジアに限らず世界中に散らばっている中華系の人たちも、それぞれの場所で漢字文化を使い続けている。
考えてみれば、ぼくたちは皆、移民の子だ。パラグアイでも、最初の日本人移民がやってきたのは1930年代でもう90年ほど前のこと。スペイン人の移入は今から500年ほど前。先住民グアラニーの人たちにしたって、この地にやってきたのはせいぜい紀元前千年ごろというから、つまり三千年ほど前。エジプトのギザにある大ピラミッド建設は四千五百年前で、そのころはまだ南米大陸は無人だったのかもしれない。ゴータマシッダールタ(釈迦)の生誕年は諸説あるけれど、そのもっとも古い説は紀元前千年ころで、グアラニーの人々が今のパラグアイにたどりついたのと同じころのことだ。そう考えると、グアラニーの人たちのパラグアイ移入の歴史なんて人類史ではついつい最近のことだ。
ただそれらの移民には違いもある。日本からの移民はパラグアイ政府と日本政府との間で取り交わされた条約によるものだった。スペイン人たちは勝手にやってきた明らかな略奪者だし、グアラニーの人がたどり着いた地は無人ともいえる野生地だったはずだ。そして現在、地球には移民できる無人の野生地は残っていないし、移住先で略奪者になることも許されない。
移動することの意味も、大きく変化した。地球の裏側までも飛行機を使えば一日だし、インターネットで故郷の情報も瞬時で手に入る。異郷だ移住だと力まなくても、ぼくたちはあちらこちらと移動し、停滞し、また移動する。もちろんそれは贅沢なことだろう。でも、止められない。飛行機がどれだけ多くの酸素を消費し二酸化炭素を排出するかを知っても、やはり止めるのは難しい。グレダさん、ごめんなさい。[1]
さすがに世界に名だたる大滝だぁと思わせてくれたイグアスの滝[2]では、ちらっとブラジルへ入国したりした後、ようやくたどり着いたアスンシオンで泊まった宿は、内山田旅館と呼ばれていて(正式名は内山田ホテル)、日本式のお風呂があった。父は会議などでアスンシオンに出張する際には、そのお風呂をとても楽しみにしているとのことだった。

翌日は日本に戻るアスンシオンでの夜、両親が寿司をごちそうしてくれた。南米大陸の真ん中に位置する内陸国の小さな首都で食べた寿司は、正統江戸前で、当時、大学院時代(つまり25年ほど前だ)のぼくが日本でかなりの貧乏生活を送っていたことを差し引いても、文句なしに舌がとろける味だった。
どこの海で捕られてアスンシオンまで運ばれたものだったのか、マグロの立派な握り(多分、大トロや中トロや)を頬張りながら、お金があるってやっぱりいいなぁなんて正直思ったことを覚えている。
[1] グレタさんとは、グレータ・エルンマン・トゥーンベリさん、17歳のスウェーデンの環境活動家。15歳のときに、「気候のための学校ストライキ」という活動を始め、急激な気候変動への対策を世界に呼びかけている。
[2] 世界三大滝は、このイグアスの滝の他に、北米のナイアガラの滝、さらに南部アフリカのビクトリアの滝と言われています。でも、イグアスの滝はこの三大瀑布の中でも圧倒的にスケールがでかいそうで、イグアスの滝を見た後にナイアガラの滝を見た人は、ナイアガラの滝が「小川の段差」に見えるとか。


















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