山下達郎のサンデーソングブックがプノンペンで聴けてしまう、幸せ、と、迷い。角幡唯介、岸政彦、高野秀行らの仕事と、「越境」について。

最近の山下達郎さん、現在レコーディングだそうで、新しいCD、楽しみです!

山下達郎の長寿ラジオ番組 サンデーソングブックをプノンペンで聴く

 30年前。1991年、ぼくはケニアのクウィセロ村という場所にある中等学校で、理科と数学を教えていました。ウガンダの国境からそれほど遠くないケニア西部、北には標高4300メートルのエルゴン山を遠望し、50キロメートルほど南に向かえばビクトリア湖に達するという、日本からは遠い場所だった。クウィセロから出したハガキの返事が返ってくるのに丸々2ヶ月必要だった。村からの電話はオペレーターを通しての呼び出し電話が郵便局からかけられたけれど、首都のナイロビにつながるのにも数時間かかった。ビクトリア湖畔のキスムの町まで出かければ日本への国際電話も可能だったけれど、回線はいつも混んでいるし、つながっても10分も話さないで月の支給額の半分が飛んだ。

 電気のなかったクウィセロ村での生活で、電池で動かす機械は短波ラジオ、小さなテープレコーダー、懐中電灯、電気カミソリ(水なしでもヒゲが剃れるように)。手持ちの音楽は今から思えば信じられないほど限られていた。赴任した直後は、短波ラジオで日本からのラジオ放送を聴くのがとても楽しみだった。ラジオ番組といっても、日に30分の放送が2回。雑音混じりのかすかな音を、一生懸命聴いたことを覚えています。それも、クウィセロの日々に馴れていくにつれて、だんだん聞かない日が増えていって、やがて聞き逃すのが普通になっていく。

 それにしても日本は遠かった。ケニアに赴任前、週末にときどき山下達郎のラジオ放送を聴いていた。調べてみると、日曜日のお昼(午後0時)から東芝の提供で「プレミア3」というタイトルで達郎が1990年4月から話し始めている。そして、このプレミア3が、現在放送されている日曜日午後2時からのFM東京「山下達郎のサンデーミュージック」につながっているのでした!
 プレミア3は、1992年10月に「サタデーミュージック」に引き継がれ、このサタデーミュージックが、サンデーミュージックに移ったのは1994年4月。で、このサンデーミュジックは、長寿番組といて現在も放送中なのです。

 ケニアに赴任する際、「毎週、達郎の放送を録音して送ってあげようか」と言ってくれる人がいた。けれどその手間の大変さを思って、断ってしまった覚えがある。インターネットも、パソコンも、スマートフォンも、まだぼくたちの日常生活からは遠い存在だった、前世紀の話だ。
 ぼくがケニアにいるとき、1992年、ODA実施機関であるJICA(当時の、国際協力事業団)のケニア事務所にマッキントシュのPCが入った。ちょっと丸っぽい、とっても未来チックなフォームの。「良いでしょうー」と青年海外協力隊調整員のMさんが、そのマックをなでなでしていたのを覚えている。(つまり、JICAのパソコン初期導入は、全世界でマックだったはずだ。その後、Windowsに移行。) 

 今、カンボジアで、ぼくは「山下達郎のサンデーミュージック」を毎週末に聴いています。これ、思えばすごいことなのです。実は、昨年3月から東京の浅草に1年間籠もっていたとき、ぼくはラジオを聴こうと、小さなポケットラジオをポチッとしてしまった。届いたラジオを狭いマンション内で聴こうとしたのだけれど、雑音混じりでなかなかうまくいかない。窓際ではなんとかなっても、トイレや風呂場では、まったく役に立たない。ラジオって、こんなに聴けないものだったかなぁ。

 で、せっかく購入したラジオはすぐに放ったらかしになって、代わりにラジコというアプリを使うことが多くなった。スマートフォンでも、パソコンでも、どちらもラジオ代わりになった。しかも音は鮮明。これじゃ、ラジオの出番はもうないなぁ。
 それで、久しぶりに聞いた「山下達郎 サンデーミュジック」。やっぱりなんか懐かしいのです。そのサンデーミュジック、プノンペンでも聴けないかなぁ。でも、ラジコというアプリは、プノンペンからインターネットを繋いだだけでは、聴けません。あれは地域限定なのです。
 ところが、いろいろと方法はあるもので。簡単にいえば、プノンペンから繋いでるんじゃなくて、日本国内で繋いでいるんだよ、と、インターネットを騙してしまえばいいのでした。なるほど。

 まぁ、そんなわけで、無事、プノンペンからサンデーソングブックを楽しむことができているのでございますよ。いやぁ、なんというか、本当に便利になりましたね、この世の中。どこでも簡単に繋がれてしまうのが、良いのか、良くないのかは、さておき、便利です。

郷に入れば郷にしたがえ、の衰退?

 どこでも繋がれてしまうのが良いのか?これは、なかなか難しい問いです。カンボジアにいても、日本にいても、なーんも変わらない?「距離」がストレスになるという点からは、どこにいても生活スタイルを変えないでいられるのは、ストレスを減らす方向に働くでしょう。悪くない。
 同じ音楽を聴き、日本語で考え、書き読み、似たようなものを食べ、飲む。
 けれど、どこにいても生活スタイルが変わらないですむというのは、それは越境なんかもう幻想ですよ、ってことになりかねない。

 私が大学院生で、国際開発について学んでいたころのこと。国際開発分野では高名な“先生”が、次のようなことをおっしゃったのを覚えています。

「海外にいっても、生活スタイルを変えないほうがいい。日本の職場と同じような環境を整えて仕事をしたほうがいい。具体的には、云々カンヌン…」

 彼のおっしゃったことは、越境して貴族的な生活を送れと云っているように、当時ぼくには聞こえました。なに甘っちょろいこと云ってんだ、このおっさん、とぼくは思ったのです。現場に入ったら、現地に入り込まないでどうするんだ?郷に入れば郷にしたがえなんじゃ、ないですかぁ。

 そして、実際、ぼくの世代は、そういう人が少なくなかったと思います。入った場所で、そこで暮らす人たちと同じものを食べ、同じ暑さを過ごし、同じ寝床でタオルを抱いて寝…。それは、けして苦しい日々でもなく。
 植村直己の極地単独行を読みながら、「俺は、人がいないと嫌だなぁ、つまらないなぁ」なんて思っていたのです。人がいれば、その人は何かを食べているわけで、水もあるわけで、なんとかなるな、って。そこに越境の醍醐味があるように思っていた。

 さて。世界中、どこでも「山下達郎 サンデーソングブック」を聴くことができるようになった今。以前反発を感じた「日本の職場と同じ環境を作れ」という“先生”の言葉が違った意味をもって蘇ってくる。それが、以前ほど特別なことではなくなってしまっている世界が生まれてきているんじゃないか。別に、貴族的でもなんでもなく。
 それとも、世界中に自分と同じような「階層」、つまり文化的および社会的に同じような「階層」が生まれてつつ合って、それだけどこにいようと自分の居場所を見つけやすくなっているってことなのだろうか? そして、それは、油断していると知らない階層があることに無感覚になっていることなんじゃないだろうか。

 越境のヒント 角幡さん、岸さん、高野さん、から。

 そういう世界に対して、どうアプローチしていくのか。どう越境を試みるのか。

 ひとつのベクトルとして、角幡唯介『極夜行』(文藝春秋 2018)がある。日の昇らない極地の夜を、GPSを使わずに天測だけを頼りに歩く。もともとの計画では衛星電話も持たないはずだった角幡だったのだけれど、探検前に生まれた娘さんとのやりとりのために、そこは妥協しているのが微笑ましい。
 角幡のベクトルを国際開発や、越境に当てはめるとどういうことになるのだろうか。あえて自分の階層をはずす。例えば、電気から離れる。人の中で過ごしつつ、パソコンは持たない。携帯も持たない。そこから、見えてくるものが、あるのかないのか。それは単に、やせ我慢で、仕事にも支障をきたすだけ、なのか。
 不自由を追うことが、越境?? それはなにか違う気がする。それに、携帯を持たなくても不自由になるわけでは、ないような予感はある。ぼくの場合、文章を書くためにはPCを持たないというのは辛すぎるかなぁ。
 その点では、「山下達郎のサンデーソングブック」は小さな存在だ。単なる感傷の断片に過ぎない。聴けなくたって、平気だ。

 角幡とは違うベクトルを示しているのが岸政彦『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版 2013)、さらには岸の共著『地元を生きる 沖縄的共同体の社会学』(ナカニシヤ出版 2020)かもしれない。自分でない対象に対して、話を聴き、考える。座して、超える(もちろん、座しているだけではなくて、行って聴くわけですけれど)。人的資源、人的ネットワークを作り、入り、活かす。それは高野秀行の仕事からも感じることでもある。(最近、高野さんが高田馬場のミャンマー食堂の数々を、ミャンマーの軍事政権に対抗する人たちを応援するという文脈で語られるのを聴きました。彼がミャンマーに関わり続けているのは、『西南シルクロードは密林に消える』(講談社 2009 )からの流れだそうです)。
 社会学者である岸と、辺境冒険家である高野と、その軸足には大きな距離があるように思うけれど、実は上半身でやっていることは似ている(ようにぼくは思う)。入り、聴き、活かす。そこに、インターネットのあるなしは、あまり影響がない。つながる、という点では、それは単純に便利になっただけ。否定するものでは、ない。ならば、使い倒せばいい。

 自分のこんな思考と出会えるのも、プノンペンで「サンソン」を聴けるからでありまして。やはり「現場」で考えるのは、いいよねぇ。

 

 

 

2件のコメント

高名な先生、って誰だろうと思いながら読みました。
そこに拘りすぎてしまいました

N先生??

匿名様
コアなところに感応していただき、ありがたき。
えーと、ご存知かご存知でないか(知らないはずはないと思われますが)、U先生です。
私の理解では、大御所であります。
一時期は絶大なお力を持たれていたとか、いなかったとか。
嫌われたら某業界からは追放される危険性すらあったとか。

わかる?(私、お名前思い出せなくて、U先生のお名前を思い出すまでかなり苦労してしまいましたよ)。

とするとさ、N先生???な、に、ぬ、ね、の・・・・・????
うーん、気になる!

村山哲也

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