○○ファースト? わざわざ言うの?
このブログのタイトルは『越境、ひっきりなし』。このタイトルは、上野千鶴子先生がまだ無名時代の留学時代(遊牧民/ノマド時代?)の思い出をベースに書かれた名著『国境おかまいなし』( 朝日新聞社出版 2003)へのオマージュとして思いついたのです。
あるいは、出版した本のタイトルは『超えてみようよ、境界線』です。
そういう私にとって、最近インターネット世界でよく流れる「日本ファースト」「日本人ファースト」という枕詞をつけて語られるあれこれの価値観は、なんとも気持ち悪くて仕方がありません。
○○ファーストというのは、いつごろに生まれた言葉なのでしょう。都民ファーストという現職都知事肝いりで生まれた地域政党がその走り? それとも大阪方面で維新の人たちが使い始めたのかしら?
でもさ、そもそも、それぞれの自治体政府が、その自治体で暮らす人たちの生活を第一義に考えるのは、当たり前というか、わざわざ言うまでもないことのように思うのです。それをわざわざ強く主張するというのは、つまり例えば東京都の運営が東京都民を、あるいは大阪府が大阪府民を、さらに日本国政府が日本国市民を置き去りにしていると感じる人たちがそれなりに多くいる、ということですよね。
なに? 日本の医療保険や生活保護といった福祉制度が、一時的な海外からの住民にいいように活用されている? さらには留学生への奨学金制度が、日本の学生が使える奨学金制度よりも金額も大きく返済義務もないという点で羨ましい? 「外国人ばかりが優遇されている」というような言説が、最近は特に増えているような印象を受けます。そういう価値観を主張する政治家や政党に好意的注目が集まる傾向があるようにも感じます。
まず、事実として、それ本当なの?って思います。そりゃ、個々に見ていけば変てこりんな制度の利用はあるでしょう。でも、日本の人の不正(的)利用もある。
批判覚悟で書けば、まぁあんまりセコいあら捜しはせんでもいいんじゃない、と思う。どんな制度・ルールにも抜け道はある。その抜け道を一生懸命すり抜ける輩もいる。それはさぁ、防ぎきれないよ。もちろんそういう問題を取り上げて、ダメなものはダメと言わなくちゃいけないし、そういう役割を担ってくれる人たちも大事。
でも、最近の風潮は、なんかあからさまに差別的じゃない? 排外的・排他的。そういう価値観はやっぱりよくない。過去の歴史に学んでいない態度だと強く思うのです。
我らの血税が…とか、国益が…とか、市井の人が表現することのセコさ!
ちょい話が飛ぶようですけれど。
ユダヤ人と呼ばれる人たちがいる。彼らは、特に欧州キリスト教社会では歴史的に虐げられてきた人たちです。ユダヤ人への集団的迫害はポグロム(ロシア語で「破滅」を意味する言葉)と呼ばれ、東欧を中心にヨーロッパ社会の各地で起こったのです。その一つの極北が、独国ナチス政権による絶滅収容所/ホロコーストでした。
そんな歴史的差別の結果として、現在の超激差別的アパルトヘイト国家イスラエルがある。
ポグロムのような差別的価値観は、鵺のように退治しても退治しても滅びることなく再生産されます。集団ヒステリー。その多くが、社会的多数派の中の弱者が、自分たちよりもさらに弱い者を叩く。
そんな「人間ってバカだよ」という歴史的事実を、日本人ファーストと叫ぶ声は再生産していくんじゃないの? 21世紀中庸の私たちはまた阿保な社会的リンチを繰り返すの? それはあまりに過去から何も学んでないってことなんじゃない?
まず事実はどうなんでしょう? 日本で暮らす日本国籍を持たない住民のパーセントと、国民保険や生活保護支給の日本国籍を持たない住民への支払いパーセントは、後者のほうが少ないという話もあります。けして「外国人優遇」ではないのでは?
さらに「私たちが払っている税金が…」っていうモノ言い。
まず、多くの海外からの移住者は、収入があれば税金は払っているでしょう? そういう人たちのほうが、実際には多数だろうと思います。
たとえば、私のパートナーであるサンワーは、私がルワンダで大事故に遭って日本に搬送されたのを機に2015年から2019年まで日本国の住民として生活しました。その際には、国民保険に入りその保険料を支払っていましたし、年金も支払っていました(税金とはちょっと違うけど)。そして、サンワーが老後に日本政府から年金をもらう可能性はけして高くない。つまり、彼女が払った分は、払ったままで彼女に返ってくることはない。
そんな在住“外国人”は少なくないはずです。
そもそも、税金を払っているかどうかと、社会的権利の問題をリンクさせるのはオカシイ。
例えば、それほど遠くない過去、選挙権は税金を払っている男性だけが持てるモノでした。それはオカシイよね、って議論があって、普通選挙は広がっていったわけです。税金を払っているかどうかで、社会的人権の質や量が変わってくるわけじゃない。
けれども、なんか最近の論調は「血税が外人に使われている」って感じで、セコいんだよなァ。 障害を得た後、私の収入は高くないので所得税を払っていません(労働災害年金には税金がかからないのです、国民保険料等は払っているよ)。そして、私の生活を支えている労働災害保険も、つまりは日本国の公金でしょう? 障害者の私は「税金を払わず、公金を消費している」わけで、いつ無駄金遣いと社会からの攻撃対象になってしまうかもしれない。マジに心配です。
さらに、なぜ、日本の貧困問題が、いわゆる余所者が受ける社会保障等への攻撃につながるのでしょう? 両者は対比させるに相応しい問題なのでしょうか? 一部の外国籍の人たちが日本の社会保障制度を使っているとしても、そのことと日本経済の中での社会保障制度の軽視で生まれる貧困問題は別の話でしょう? 財源の話でいえば、外国籍の人に回っている分を止めて、日本国籍所持者にまわせばいいって話じゃないはず。
何億円云々という話でいえば、日本政府の財政の聖域かのような軍備はどうなの? その大きな軍備費のひとつひとつ、すべてが本当に必要なの?
国費留学生の奨学金云々に関しても、ますますセコさも極まる気がします。
私が大学院生だったころ、たしかに国費留学生はいいよなぁと思った。留学生の中には、車を持っている人もいて、貧乏学生の私から見れば信じられない!って思った。
でも、だから彼らへの支給を止めろなんて思わなかったわなぁ。あれはあれ、こっちはこっち。比較する問題じゃなかった。彼らの奨学金が減額されたからといって、それがこっちに回ってくるわけじゃないわけだし。
生活が苦しい人がいるのはわかる。実際に、社会の中でそういう人の割合が増えているのでしょう。だからといって「弱い者が、さらに弱い者を叩く」のはどうなのよ? 国費留学生の件なんか、「国益に利するのか?」なんて言説があるけど、ものごとのとらえ方があまりに短期的で短絡的。留学生への投資がどうめぐりめぐって「国益」につながるのか、つながらないのか、数字で判断するのは無理だと思いますよ。
そして、日本人ファーストによって刺激される閉じた価値観によって増幅される海外移住者への攻撃は、やがて集団ヒステリーに育っちゃうよ。それこそ「国益」にそぐわないんじゃないかしら? 排他の種を撒くのは、本当にやめてほしい。
悪い奴、ずるい奴は、どこにでもいるさ。あるいは、ラッキーな奴なのかもしれない。保険での治療を求めてやってくる人もいるらしいけれど、それはけして多数ではないと想像するよ。中には滞在中に難病にあってしまう人がいて、それがその人の故郷の社会では得られない治療が日本にいるおかげで受けられるってラッキーだよね、多分。そしてさ、「本当にラッキーだったね」でいいんじゃない? 何イライラしてんの? 意地悪なのはよくないよ。
日本ファースト、はい、それはそれでいいですよ。でもね、それは排他的でいいってことじゃない。目を皿のようにして(自分より弱い、叩きやすい)悪者を探すみたいなことが大きな共感を得るって、怖いよ。貧すれば鈍するにならないようにしませうよ。(この取り消し線の部分、以下に変更します)→ 経済が悪化したからといって、外国からの人たちを攻撃するのは止めましょうよ。税金(けして日本人だけが払っているものではない)は日本人のために使うべき、という言い切りは、良くないです。
(さらに追記)「外国人が生活保護を利用することは最高裁で『憲法違反』との判決が出ている」という言説がインターネットで回っていますが、これも判決の恣意的解釈です。最高裁判決は「生活保護法が永住外国人に適用されると理解すべき根拠が見当たらない」という憲法解釈を示しただけで、同時に「行政措置として一定範囲の外国人に対して生活保護が事実上実施」されてきたことは問題視していません。日本での在留額国籍者への生活保護支給は憲法違反とされたというのは、まったくの嘘なんです。(追記ここまで)
ある情報が流れてきて、パッと判断して何かを言う、そういう風潮、よろしくないよ。やっぱりゆっくり時間をかけて調べて学んで判断していく、大事なんじゃない?
たとえば、川口市で問題になっているというクルド人問題も、「観光ビザで入国して、難民申請するなんて信じられない」なんてこと誰かが言っている。でも、じゃ、どうやって迫害を受ける場所から出国すればいい? 当事者になってみなくては分らないことたくさんあるよ。 僕たちは知らないことたくさんある。経済難民と政治難民の間の境界なんて、それこそグラデーションなんじゃない??
もちろん、すべてを知らなくてはモノを言ってはいけないわけじゃない。でも、パッパッパッと情報が消費されていく。荒い言説だけで、ものごとが判断されていく。
難民申請するクルド人家族を描いた映画『マイ・スモール・ランド』は観た? 舟越美夏さんが丁寧に書いたトルコでのクルド人惨殺の記録『その虐殺は皆で見なかったことにした: トルコ南東部ジズレ地下、黙認された惨劇 』(河出書房新社 2020)は読んだ? 観るのも、読むのも、時間かかるよね。でも、そうやって労力をかけないと、理解が届かないってこと、やっぱりあるよ。そして、もちろん私もやっぱりわからないこと多い。
でさ、結局、ひとりひとりの歴史なんだよね、ああいうことの背景にあるのは。それ抜きに何かを判断しても、それは空虚だったりする。それを仕事として判断しなくちゃいけない立場はある。でも、多くの私たち/あなたたちが、その立場でモノを言う必要はない。
ゆっくり、じっくり、いきましょうや。
追記:たまたま読んでいた本から見つけた文章。ユーゴスラビア解体で紛争(1990年代)が起こったときのことを思い出してのセルビア女性による2015年での語りです。2015年のころ、旧ユーゴ地域はシリアやアフガニスタンからの難民が欧州に向かう通り道でした。
ゼニツァの町に残っていたセルビア人の家族も少なくなり、毎日、誰かが、なんとか方法を見つけて町から逃げ出していきました。それは、シリアやアフガニスタンから逃げていく人たちと同じ道なのです。(中略)家族にとって暮らしが安全でなくなったら、命を守るために逃げていかなくてはならないの。だれでも家族の命の安全のためには、最後の一銭まではたいても惜しくはないものでしょう。(山崎佳代子著『パンと野イチゴ 戦火のセルビア、食物の記憶』(勁草書房 2018)より)
きっと日本までやってくるクルドの人たち(クルドの人に限らず、でしょうね)にも、それぞれの物語がある。その物語の背景等、私(たち)にはなかなか想像もつかないことも多いのじゃないか。「金稼ぎに来ているのに、難民申請とは‼??」と簡単に括っては失礼なこともあるんじゃないか。そんなふうに思うのです。
あなたの○○ファーストは何ですか?
じゃ、○○ファースト。
自分ファーストってのは、やっぱりなんか恥ずかしい。いや、私は私で、十分に自分ファースト的価値観を持っていますよ。まず自分を大事にしなくちゃって思っている。みーんなそうでしょう?
けれども、それをわざわざ口に出して、スローガンみたいに言うのはなぁ。格好悪いと思うんですよ。
かといって、弱者ファーストというのも、あまりにお利巧さんっぽい嫌らしさがある。学級委員的優等生的態度は、ときに嫌味だったりするわけで。
マヌケファースト、なんて言葉もふと頭に浮かぶ。いや、たまたま先日『世界マヌケ反乱の手引書 ふざけた場所の作り方 増補版』(松本哉著 ちくま文庫 2024)なんて本を楽しく読んでしまったので。この場合のマヌケとは、「金持ち優先社会とは無縁の、最高に面白いやつら」って意味みたい。ブレディみかこさんが「間が抜けているのではない。間を抜けるのだ。」という解説を書いておられます。間抜けとは、間を抜けていく者。 そんな者をファーストにできたら、けっこう良い社会になるんじゃないかしら、ね。マヌケ側からしたら、マヌケファーストなんてまっぴらごめんよ、ってことだろうから、ま、マヌケファーストは止めときましょう。
睡眠障害の合間に、いろいろ考えてみたんだけれど。結局は、あなたファースト、なんじゃないかなぁ。あなたって誰よ? それはそれぞれが考えればいいし、考えるしかない。私の「あなたファースト」のあなたは、すぐに思い浮かびます、内緒だけどさ。
みんなそれぞれ、あなたにとっての誰か(単数でも、複数でも)を思い浮かべればいい。 あ、でもそれで日本(人)ファーストだったりするのかぁ(おそらくそこには自分も含んでいてさ)。 なかなか手強いですわね。だから苦しくて、辛くて、心配だわ。
つまりは、スローガンとして○○ファーストはスマートじゃないわけってことなんでしょうね。みんなファースト、それでいいじゃんねぇ。みんな必死に生きている、それを肯定しましょうや。もちろん、やり過ぎれば罰を受ける。それでいいじゃん。
この機会に最後に書いておくけれど、私は今の日本社会に外国からたくさん人が入ってきて、日本社会が変わってしまうのもいいじゃーんと思ってます。そんな状況を指して「日本がなくなる、滅ぶ」なんて言い方をしている人もいるけれど、滅んだっていいじゃない。それは歴史の必然よ。過去、すべての社会が滅んできたんじゃない? 少なくとも、大きく変化してきて、今の社会があるわけで、今の在り様がベストで未来永劫なはずないじゃない。
中国人に日本が乗っ取られる? そんなこと起こりようがないと私は思っているし、乗っ取られたらそれはそれ(もともと「日本」って俺のものじゃないからさ)。人間万事塞翁が馬、なんじゃない??? もちろん、監視国家、表現の自由のない社会は私は嫌だから、そんなときは日本から(すでに日本じゃないんだっけ?)から逃げ出しますけどね、私は。
「あんたは逃げられるけど、逃げられない私たちはどうすればいいのよ」って? それを私に言われてもなぁって思う。だけれど、だから排他で自分を守ればいいわけじゃないはずだよ。
先の『世界マヌケ反乱の手引書』には「くだらないストレスから解放され、日々マヌケ面をして自由に生きることができるようなやつら(=マヌケ)が一人でも増えるのが重要な時代」がやってきたと書いてあった。そして、そのためのキーワードは「繋がること」らしい。排他より、包括なんじゃない。無駄に見えること、大事にしたいです。
亡国の徒の戯言、最後まで読んでくれたあなたは、マヌケの素質、ありそうです。いいねー!


















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