カンボジアの留学生の犠牲者も出ています
10月7日のパレスチナのガザ地区を拠点とするハマスによるイスラエル攻撃。イスラエル人が一人死ねば、その100倍の住民が殺されてきたガザ地区です。
今回はイスラエルでの犠牲者は数百を数えているそう。とすれば、ガザ地区でのパレスチナ人の被害はおそらく万の単位に達するのではないだろうか。
天井のない監獄ともいわれるガザ地区に逃げ場はありません。ガザ地区のモスクがイスラエルの報復爆撃で破壊され、礼拝中の人々が犠牲になったという報道もあります。家にいたって、いつ爆撃されてもおかしくない。「殺されるのを待ち」ながら暮らしている200万人のガザ地区の人たち。
そして、さきほど「イスラエル留学中の約450名のカンボジアからの留学生のうち、一人が今回の戦闘に巻き込まれて亡くなった」という報道がありました。カンボジア政府も公式にコメントしているので、間違いないのです。
さらに調べたら、タイ人は12名亡くなり、さらに負傷者8名で、拉致された人も11人いるとの報道がありました タイ人12人死亡、イスラエルとハマス戦闘で (msn.com)。
「タイ労働省によると、イスラエルには約2万人のタイ人労働者が滞在している。多くは農業従事者だ」ということです。2万人!その家族がタイで今どんな気持ちでいるのかを想像すると、黙り込む以外に何もできない気分になるのです。
ハマスだけを非難できない私がいます
ハマスは攻撃しても絶対に勝ち目はないのです。それでもイスラエルを攻撃してきたし、今回は一層規模を増して攻撃した。そして、様々な情報はあるにせよ、ハマスはパレスチナの人たちから一定の支持も受けているのです(ハマスを支持していても、今回の侵攻作戦を支持しない人たちも多いでしょうけれど)。おそらく、今回のイスラエルへの大規模な攻撃も、殺される可能性があるガザ地区住民たちからある程度の支持はあるのだろうと想像します。
なぜ、そうなのか? そのことをよーく考えないと。それだけパレスチナの人たち、特にガザ地区の人たちはすでに長いこと絶望の淵におかれてきたのだ。未来になんの希望もないまま、見捨てられてきた。これまでせめてもの仲間・支援者だと思っていたアラブ諸国が、いよいよ次々にイスラエルとの経済的結びつきを強め、国交を樹立していく。
まさに窮鼠猫を咬むなのです。せめてもの断末魔をあげる、それがガザ地区の状況で、今回のハマスの無謀な攻撃なのです。
今回のハマスの蛮行だけでものごとを見ることが、私にはどうしてもできません。イスラエルの何倍もの蛮行に対して、私はなにもできずに過ごしてきたのです。ガザ地区だけではない、ヨルダン川西岸でもイスラエルの国際条約を無視したユダヤ人入植地拡大は今も続いています。そしてこの入植地拡大には、当然武力も伴っている。さらには非人道的な隔離壁の建設もつづいている。そして、報道はされないけれど、毎日ひとり、ふたり、数名のパレスチナの市井の人の犠牲がある。もちろん、イスラエルの人の犠牲も(パレスチナの犠牲者よりは桁が小さいけれど)ある。
共存するか、パレスチナ人が絶滅するか、そのどちらかしかないのです。そして、共存するにはあまりに不公平な状況が生まれている。つまり、パレスチナの絶滅すら、パレスチナの人たちは日々意識せざるを得ない、そんな毎日がもう何十年も続いているのです。
それを放置しておいて、今回のパレスチナ/ハマス側の蛮行だけを非難するのは、あまりに狭窄した視野だと私は思っているのです。
ヨルダンで一緒に働いたパレスチナ難民の先生たち
ならば、どうする? 私には答えはない。おろおろするばかり。とにかく、戦闘が収まってくれることをまずは祈る。ガザ地区やヨルダン川東岸のパレスチナの人たちが、平穏な日々を送れる日がくることをただただ祈ることしかできない。政治家の人たち、英知を結集してほしいよ。なんとか打開策、見出してくださいませな。この問題は、ずーっと長いのです。もともとは、英国をはじめとするヨーロッパ諸国の勝手な線引きから起こってもいる。ヨーロッパ諸国でのユダヤ人問題を、中東パレスチナに放ってしまったという面もある。
パレスチナ東岸に隣接するヨルダン王国、私は2006~7年ごろに1ヵ月の任期を2回、都合2か月、ODA教育支援プロジェクトの仕事をしたことがあります。もっぱら首都アンマンにある教育センターのようなところで、現地の中等学校の理科の先生たちと授業案作りをしたのです。
そして、あるとき、私が一緒に仕事をしていた先生たち十数名、彼ら彼女らはほとんど皆が“パレスチナ難民”だということを知ったのです。正確には、彼らはパレスチナからヨルダンに逃げてきた難民の子ども、あるいは孫、の世代です。ヨルダンの発行するパスポートも持っている。ですから、彼らはヨルダン人でもあるわけです。でも、パレスチナ人としての意識もとても高いのでした。

彼らから、両親や祖父母の記憶を聞きました。生活のすべてを置いて故郷を去った記憶です。毎年収穫していたオリーブの木の記憶です。おそらく、彼らの故郷は、すでにその姿を変えているのでしょう。家もオリーブの木も、ブルドーザーで破棄され、新たな区画が作られ、そして今ではそこに高い隔離壁もそびえる。それでも、彼らはいつの日かその場所に帰りたいと言っていた。帰りたいという思いが、彼らをパレスチナ人としているかのように。
その後、調べてみると、国際連合パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)があり、パレスチナ国内(ガザ地区とヨルダン川西岸地区)、ヨルダン、レバノン、シリアにいる約500万人のパレスチナ難民の教育・保健・福祉などの援助を継続していることを知りました。つまり、私が一緒に働いた彼らは、UNRWAの支援をうけて学校に通い、教員資格を取り、ヨルダンの公立学校で働いていたのです。そして、彼らの子どもたちも、申請をすればパレスチナ難民として認められ、UNRWAから少額ではあるのだろうけれど、なんらかの支援を受けることができる。
それも、彼らのパレスチナ難民としての意識にかかわっているのだろう、ということがわかってきたのです。
アンマン市内を車で移動していると、「ここが難民キャンプです」と説明される場所がいくつかあります。そこは難民キャンプと聞いて想像するような場所ではありませんでした。単に家々が立ち並ぶ街角です。きっと最初はテントなどが敷設されたキャンプ地だったのでしょう。そしてやがてその場に難民たちが家を建て、今の姿となった。けれども、そこは今でもパレスチナ難民キャンプなのです。つまり、彼らの帰還問題は、まだ解決していないのです。
これが21世紀の人類の日常!
2014年にルワンダで働いていたとき。仕事仲間からちらりと「次はパレスチナでの教育支援を手伝ってもらうかも」というように声をかけてもらったことがあります。そのときは、迷わずにパレスチナに行こう、と思ったのでした。むしろ楽しみにしていた、と言ってもいい。
結果として、パレスチナ支援にかかわることは実現していませんけれど、でも、だからこそ余計に、パレスチナの苦難はとても気になるのです。
これを書いている今も、ガザ地区で誰かが負傷し殺されている。イスラエルからハマスに拉致された人たちは、人間の盾として死と隣り合わせの状況にある。さらなる犠牲者が生まれ続けている。それが世界です。それが21世紀の人類の日常です。
なんと情けないことか。私たち大人、なんと情けない。


















コメント、いただけたらとても嬉しいです