『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第5回です。(第4回は、10月28日、以下の投稿になります。)
『カンボジアの胡椒とその周辺の物語』第4回 胡椒伝播ルート 原産地南西インドからカンボジアへ
13世紀後半にアンコールの地で周達観が味わった胡椒。その原産地である西南インドは、古くから現在のインドシナとの関係があった。そして、胡椒は、スマトラ島経由の海路ではなく、マレー半島横断、あるいは現在のミャンマー、タイを抜ける陸路で伝わったのではないだろうか、というのが前回までのお話。今回は、さらにインドから伝播の道のりを考えてみます。
宗教と一緒に?
扶南(1~7世紀、インドシナ半島南東部で栄えた国の名、カンボジアではアンコール王朝前のカンボジア史の最初の国名)ではサンスクリット系の文字が使われていたことから、インドと関係が深かったことがうかがえる。扶南の時代にカンボジアで胡椒が栽培されているとしたら(その証拠はまだないけれど)、それはインドから宗教とともにもたらされたとも考えられる。胡椒は薬として使われおり、ヒンドゥー教の司祭であるバラモン、あるいは仏教僧が胡椒を薬として持ち運んだ可能性は十分にあるだろう。
1020年頃カンボジアとチョーラとの間に、政治的な交流があったことはいえよう。ラージェーンドラ一世の統治八年の刻文(カランダイ・タミル・サンガム銅版文章)に、カンボジアとの関係を示す一文がある。カンボジア王(名称不明)が自分の戦車をラージェーンドラに贈り、チョーラとの友好と自国の保護を求めた、と記されている。クローットゥンガ一世の時の刻文(チダンバラムの有名なナタラージャ寺院に残るクローットゥンガ王統治44年(1114)の刻文にも、カンボジアからクローットゥンガに贈られた「石」が神殿の前面にはめ込まれたことを記している。カンボジアとチョーラ朝との友好関係は、11世紀末あるいは12世紀初頭にも続いていたようである。[i]
東南アジアに最初に伝わったのは、仏教の中でも大乗仏教だった。しかし、十一世紀初めにスリランカから伝わった仏教のもう一つの大きな宗派である上座部仏教、さらに島嶼部にアラブ商人が持ち込んだイスラム教、その2つの宗教勢力に押されて、東南アジアの大乗仏教は13世紀になると衰退していった。スリランカから渡ってきた上座部仏教は東南アジア大陸部を西から東に広がっていく。『変わる東南アジア史像』という本の中で、ミャンマー(ビルマ)史及び上座仏教国家論研究者の奥平龍二は次のように書く。
東南アジア大陸部に到来した上座仏教(ママ)は、ビルマ、タイ、ラーオなどの諸民族やクメール族らに受容され、ここにサンスクリット文化に変わって、バーリー文化が興隆する。これらの諸民族は、「上座仏教」を基軸として、政治的統合をおこない、それぞれの王国を建て、今日のビルマ(ミャンマー)、タイ、ラオスおよびカンボジアの基礎を築いた。上座仏教を受容したのは、ビルマが十一世紀中ごろ、ついでタイおよびカンボジアが十三世紀後半、さらにラオスが十四世紀後半であった。[ii]
早ければヒンドゥー教・大乗仏教が伝来した2世紀以降、遅くとも上座部仏教が伝来した13世紀にはカンボジアに胡椒が伝わっていたのだろう。紹介した文献ではカンボジアが上座部仏教を受容したのは13世紀後半とあるが、アンコール朝に広く上座部仏教を広げたことで有名なジャヤーヴァルマン7世の治世は13世紀初頭のことだ。遅くともジャヤ―ヴァルマン7世統治のころには、アンコールには上座部仏教が浸透していた。そして、13世紀後半に周達観はアンコールトム(ジャヤーヴァルマン7世の築いた仏教様式寺院)を訪れ、そこで栽培された胡椒を「一層辛い」と書いた。その地での胡椒の栽培の始まりはわからないけれど、ヒンドゥー教と共に、あるいは大乗仏教と共に、それとは遅れて上座部仏教が広がったとき、この3つの宗教のいずれかと一緒に胡椒がアンコールの地にたどりついたのではないだろうか。
胡椒の呼び名
現在のインドネシア語、マレー語、さらにカンボジア語で、胡椒のことを「マレッ」と呼ぶ。インドからの渡来経路を考えたとき、カンボジアの胡椒はインドネシアやマレーシアから渡ってきたとするのが分かりやすい。カンボジアのお隣、タイ語での胡椒は「ピッタイ」だ。
東南アジア史研究者の永積昭による『オランダ東インド会社』には胡椒の呼び名に関して、以下のような記述がある。
胡椒の場合は互いに関係のうすい数種の植物をひっくるめてペパーということが多いので、一層混乱を生じやすいが、本当の胡椒というべきブラック=ペパー(サンスクリット名マリチャ)はインド北東部が原産地で、アジア南東部でひろく栽培されている。またロング=ペパー(サンスクリット名ピパリ)はジャワやインドなどに産する」[iii](強調文字は、ブログ筆者による)
これを読むと、カンボジア語の「マレッ」は黒胡椒のサンスクリット名「マリチャ」が、タイ語の「ピッタイ」はロング・ペッパーのサンスクリット名「ピパリ」が変化したもののような印象を受ける。ここで出てきたロングペッパー(長胡椒)とは、日本語ではヒハツと呼ばれるコショウ科の木になる実で、やはり香辛料のひとつだ。ギリシャ時代やローマ時代からヨーロッパに伝わっていて、その当時は胡椒とヒハツ(長胡椒)は同じ香辛料として扱われていた。その結果、この長胡椒のサンスクリット語「ピパリ」が、胡椒の英語名「ペッパー」の語源になっている。
胡椒と、さらにコロンブス以降に伝わった唐辛子が普及して、現在ではヨーロッパでは長胡椒はほとんど使われなくなっている。しかし、インドネシアやインドでは長胡椒は現在でも一般的な香辛料として現役で活躍中だ。
胡椒を「マレッ」と呼ぶカンボジア、マレーシア、インドネシアなどは、長胡椒ではなく胡椒のインドでの名前「マリチャ」がそのまま取り入れられたことになる。
連載第2回で紹介したタシャールは17世紀後半のタイで「シャム人は胡椒のことをプリクと呼ぶ」と書いていた。シャム人とはタイ人のことだ。プリク、あるいはプリックとは、現在のタイ語では一般にはトウガラシのことを指す。トウガラシは、アメリカ大陸が原産で、アジアに広がったのは16世紀以降だ。タシャールがシャムに派遣された17世紀には、トウガラシはすでにタイにも伝わっていたと考えられる。
そして、そのころは胡椒もプリクと呼ばれていたようだ。胡椒もトウガラシも「辛いもの」として名前が混同するのは、たとえば日本で柚子とトウガラシを混ぜて発酵させたものを柚子胡椒と呼ぶように、各地で見られる。
現在のタイ地方にタイ語を使う人たちの国家が成立したのは13世紀のスコータイ王朝であり、スコータイ以前のそこはアンコール王朝の勢力圏であった。タイの内陸部を通って胡椒がアンコール地方に伝わったとしても、そこは当時まだタイ語の世界ではなかったわけだ。現在のタイ語とカンボジア語で胡椒の呼び名が違うことで、胡椒がタイを通過せずにカンボジアに伝わったように考えてしまいがちだけれど、当時の言語状況を考えると、一概にそう考える必要はないことになる。それどころか、カンボジア語の胡椒がインド語源の胡椒の名前そのものから来ていることは、タイ語が広がる前に胡椒が内陸路でカンボジアまで伝わっていた可能性すら想像させる。
アンコール王朝初代王とされるジャヤーヴァルマン2世(802年に即位)は、マレー地域にあったジャヴァーと呼ばれる王国あるいは地域に人質として出されていた後、カンボジアに帰還したと当時の碑文には記されている[iv]。その帰還が陸路だったのか、海路だったのかは不明だけれど、9世紀以前にはカンボジアとマレー半島とは強い交流があったのは確かだ。もし胡椒がミャンマーから直接タイ内陸部を通りカンボジアに伝えられたと仮定すれば、カンボジアから陸路あるいは海路でマレーシアに、さらに現在のインドネシア方面に胡椒が伝わっていった可能性だって否定しきれない。

胡椒の呼び名がインドから伝わったと思われるカンボジア語、マレー語、インドネシア語の、その伝播の方向はまだ確定できていない。もしかしたらカンボジアのアンコールを経由して、原産地インドからその後の胡椒の大生産地となるマレー諸島、インドネシア諸島に胡椒が伝播したと考えるのは、なかなか楽しいことだ。
[i] 14ページ 辛島昇/著「シュリーヴィジャヤ王国とチョーラ朝」石井米雄, 辛島昇, 和田久徳編著『東南アジア世界の歴史的位相』 東京大学出版会, 1992
[ii] 90ページ「奥平龍二/著「上座仏教国家(ママ)」池端雪浦編『変わる東南アジア史像』 山川出版 1994
[iii] 21ページ 永積昭/著『オランダ東インド会社』 講談社学術文庫 2000
[iv] 147ページ 石澤良昭/著 『東南アジア 多文明世界の発見』講談社学術文庫 2018


















地図が、とても良いですね。
匿名様
コメントありがとうございます。おほめにあずかり、恐縮です。
あくまで、こういう方向性も考えることができるって素人の戯言でありました。
村山哲也