越境と冒険

雨でぬかるみ、滑る坂道で、走行不能になった車を押してくれる道路工事のスタッフや地元の人たち。 ルワンダにて
「安全への逃避」 沢田教一撮影

[1] 5ページ 沢田サタ/著『沢田教一 ベトナム戦争』くれせんと 1989

[2] 沢田教一  1936年青森県出身 UPI通信社カメラマンとしてベトナ戦争の写真を数多く撮る。1970年 カンボジアで取材中に撃たれて死亡

[3] ピュリッツァー賞 米国の報道や文学を対象とした賞で、2019年には21部門が設定されている。ピュリッツァー賞の応募条件は、その作品が米国で発行されている新聞・雑誌に掲載されたものであること。受賞者は米国人に限られているけれど、写真部門だけは国籍が問われることはない。

[4]  角幡唯介 1976年北海道出身。探検家。『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』集英社 2010、『極夜行』文藝春秋社 2018 など著書多数。

[5]  青木冨貴子/著 『ライカでグッドバイ:カメラマン沢田教一が撃たれた日』ちくま文庫 2013

[6]  石川文洋 1938年沖縄県出身。26歳のとき世界1周無銭旅行に旅立ったのがきっかけで、1965~68年にサイゴン(現ホーチミン市)に滞在し、フリーのカメラマンとしてベトナム戦争の報道写真を多く撮る。その後、朝日新聞社カメラマンを経て、1984年から再度フリーに。『写真記録ベトナム戦争』すずさわ書店 1979、『戦場カメラマン』朝日文庫 1886、『日本縦断徒歩の旅 65歳の挑戦』岩波新書 2004、など著書多数。

[7] 一ノ瀬泰造  1947年佐賀県出身 フリーランスのカメラマンとしてベトナム戦争の写真を多数撮る。1973年 ポルポト派に占領されていたアンコールワットに単独で向かった後、消息不明となる。後年になってからアンコールワット潜入直後に処刑されていたことがわかり、9年後の1982年にアンコールワット近くで遺体が確認された。以下の写真集がある。『地雷を踏んだらサヨウナラ』講談社文庫 1985 

[8] 中村梧郎 1940年長野県出身。報道写真家。1970年代にベトナム戦争で米軍に滞留散布された枯葉剤による越米双方の被害を精力的に取材した。著作に以下。『母は枯葉剤を浴びた』新潮文庫 1983

[9] 大石芳野 1944年東京都出身。報道写真家。『女の国になったカンボジア』潮出版社 1980、『カンボジア苦界転生』講談社 1993、『ベトナム凛と』講談社 2000、など著書多数。

[10]  本多勝一 1932年長野県出身。元朝日新聞記者、ジャーナリスト。『極限の民族』朝日新聞社 1967、『戦場の村 ベトナム戦争と民衆』朝日新聞社 1968、『中国の旅』朝日新聞社 1972、『検証・カンボジア大虐殺』朝日文庫 1989、『マゼランが来た』朝日新聞社 1989、『日本人の冒険と「創造的な登山」』山と溪谷社ヤマケイ文庫 2012、など著書多数。

[11] 開高健 1930年大阪府出身。小説家、ノンフのィクションライター。『ベトナム戦記』朝日新聞社 1965、『輝ける闇』新潮社 1968、『オーパ!』集英社 1978、など著書多数。1989年病死。 

[12]  ロバートキャパ 1913年ハンガリー出身。スペイン内戦、第二次世界大戦の写真で有名な戦争カメラマン。1954年、第一次インドシナ戦争時の北部ベトナムで仏軍に従軍中、地雷を踏んで死去。著作に以下。川沿浩史・他/訳『ちょっとピンぼけ』文春文庫 1979、沢木耕太郎/訳『ロバート・・キャパ写真集』文藝春秋社 1988

[13] ヒマラヤ山脈にある標高8850メートルの世界最高峰。〝チョモランマ〟はチベット名。〝サガルマータ(ネパール名)〟、〝エレベスト(英名)〟もある。1953年、英国人エドモンドヒラリーとチベット人テンジンノルゲイが初登頂に成功した。

[14] ジョージマロリー 1886年英国出身。登山家。1924年、チョモランマ頂上アタック中に同行したアンドルーアーヴィンと共に行方不明となる。このときマロリーは登頂を果たした後に遭難したという説も根強い。もしその説が正しければ、彼が人類最初の世界最高峰登頂者となるけれども真相はわからないままだ。彼の遺体は、遭難から75年後の1999年にチョモランマ北壁で滑落した状態で見つかった。

[15]この逸話は、深田久弥が『山があるから』という本の後書きで日本に紹介したのが最初らしい(489ページ 『本多勝一集4 探検部の誕生』朝日新聞社 1998)。「なぜエベレスト(チョモランマ)に登るんですか?」と尋ねられたマロリーが〝Because it is there〟と答えたのを、深田は「そこに山があるから」と訳した。これは明らかな誤訳だろう。なぜなら質問の趣旨から、〝Because it is there〟のitは、明らかに。〝未踏だった世界最高峰チョモランマ〟だからだ。一般名詞としての〝山〟と訳したのでは、マロリーの意図は正反対ほどにも変わって伝わってしまう。彼の「そこにそれ(未踏の世界最高峰)があるから」という言葉は、人類史における探検の本質を表現して秀逸だと私は思う。

[16] 角幡唯介/著 『新・冒険論』 インターナショナル新書 集英社 2018

[17] 207ページ 角幡唯介 前掲書 2018

[18] 212ページ 角幡唯介 前掲書 2018

[19] 村松圭一郎 1965年熊本県出身 文化人類学者

[20] 83ページ 村松圭一郎/著『うしろめたさの人類学』ミシマ社 2017

[21] 84ページ 村松圭一郎 前掲書 

コメント、いただけたらとても嬉しいです