「あなたのため」という善意 障害者を健常者にできるだけ近づけるのが障害児教育なのかしら?

『障害者殺しの思想 増補新装版』現代書館  「横塚晃一、横田弘、田中美津は私の3大ヒーロー」という帯が泣かせます。

 昨年、コロナ禍で東京に長期滞在することになってしまったとき、ふと血迷って始めてしまった通信教育過程。その課題レポートを書くために、障害児教育についてちらっと資料を読むことがありました。その中の「肢体不自由」の項の中に、以下のような文章を見つけました。

 肢体不自由児が日常生活を送るうえに必要不可欠なものがADL(Acitivity of Daily Living, 日常生活動作)の訓練である。ADLの自立のためには、早期からの親と専門家による指導・訓練が重要であり、早期であるほどその効果性は高い。ADLの訓練は、単に動作的にできるできないといった身体的な問題だけでなく、自主性・自律性といった精神的な発達の上からも大切なことである。それには、可能な限り日常生活における諸動作を単独でやり遂げるようにすることが大切である。
(深浦勇著『障害児教育』武蔵野大学通信教育学部 72-73ページ)

 ぼくがひっかかったのは、「可能な限り日常生活における諸動作を単独でやり遂げるようにすること」という箇所です。こんなことが今でも教科書に書いてあるなんて、驚いてしまったのです。

 脊椎損傷の大先輩のおひとりに中西正司さんがおられます。障害者の自立生活の道を切り開いてきてくれた偉大な先輩です(と、書きつつ、お会いしたことは一度もありません)。1944(昭和19)年生まれの中西さんは、20歳のとき交通事故で頸髄を損傷し、その後遺症で全身に麻痺があります。最初は、家族の介助を受けて生活していたのですけれど、施設に入り、そして自ら自立生活の道を切り開いてきた方です。昭和の後半に、多くの障害者が施設から出て地域で自立して生活する活動を繰り広げていった、その先駆者のおひとりです。
 その中西さんが、ご自身の半生を語ったインタビューがNHKのアーカイブで見られます(NHK戦争証言アーカイブ 戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2015年度「未来への選択」第6回 障害者福祉~共に暮らせる社会を求めて~https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/shogen/movie.cgi?das_id=D0001810429_00000)このインタビューの中で、中西さんご自身が施設の中で体験したことを以下のように語っています。

《服着るの2時間かかってやったら、看護婦さん来てまた全部脱がして、「はいあんた、一日中これやってるのよ。もう一回やりなさい」って、5回6回着替えばっかりやらされて、俺は一体何をやってるんだ、こんなために生きて来たはずじゃなかった》

 毎朝、中西さんは寝間着から普段着に着替えることを強要されたのです。手足の不自由な中西さんにとって、ズボンを脱いだり履いたりするのは、簡単なことではありません。シャツのボタンを掛けるのも大苦労です。そして2時間かけてようやく服を着る。すると「そんなに時間がかかってどうするの?」と、もっと早く着替えられるようにと、また訓練されたというのです。
 介助があれば、5~10分もあれば着替えられるはずなのに。しかも、夜にわざわざ寝間着に着替える必要だって、けしてなかったはずななのに。
 おそらく、その指導をした人からすれば、それは善意の行為だったでしょう。普通の人(健常者)の日常生活をできる限りコピーすることが、「日常生活訓練」だったはずです。けれど、それは中西さんには苦痛以外のなにものでもなかった。

 脳性麻痺児として育ち、その障害を乗り越えて現在は小児科医をされている熊谷晋一郎さん(1977年生まれ)は、子どものころから18歳まで続いた厳しい訓練について、その著書『リハビリの夜』(医学書院2009)で詳細に書かれています。以前読んだその本、今、手元になくすぐにその内容を詳細に確認できないままで書きますけれど、彼が幼いとき、まさに最初に紹介した教科書のように脳性麻痺児への早期からの日常生活訓練の効果が宣伝され、指導医と保護者による熱心な指導が脳性麻痺児への治療として実施されていたようです。母親によって厳しく指導されたその訓練は、熊谷さんにとっては辛いものだった。彼は、大学生活が始まるのを機に母親を離れ自立生活を始めることで、それまでの「訓練の軛」から脱します。電動車イスを使って生活するようになり、彼は自由を得ます。「できるようになっていくことや、より適応していくことだけを『発達』とみなす従来の考え方には、どこか重大な落とし穴があるような気がしてならない」と、熊谷さんは書いています。

『リハビリの夜』 熊谷伸一郎

 熊谷さんの事例を知れば、日常生活動作訓練は確かに肢体不自由児の「自主性・自律性」につながることもある反面、強い劣等感につながることも多いのじゃないかと思えてきます。
 そもそも障害のある者が、なぜ「諸動作を可能な限り単独でやり遂げる」ことが求められるのでしょうか?それはあまりに健常者の日々をスタンダードとした価値観です。健常者に少しでも近づくことが、障害者の生活の質を確保することではけしてないはずです。

 中西さんや熊谷さんのようなケースは、もはや過去のものでしょうか?「あなたのため」という枕詞とともに、障害者が無理矢理に「健常者に近づく」ことを求められることは、今でも多く起こっているんじゃないかとぼくは危惧します。

 生後すぐに脊髄性筋萎縮症と診断され長く施設で暮らしてきた1987年生まれの川崎良太さんのインタビューが最近公開されました。(『あなたの語りには価値がある、当事者の語りプロジェクト』一般社団法人わをん2021年04月30日公開「僕が自立生活に至るまで――「働いてこそ自立」という考えの呪縛」  https://wawon.org/interview/story/1445/)
 その中で、川崎さんは施設を出て自立することではなくて、「働くこと」にこだわっていたことを回想しています。

「まあ当時の僕は「働くことこそ一番だ」みたいに思ってたんだと思います。それがこう……美徳とされてきたというか、「働いて賃金を稼いで、食いぶちを自分で用意することこそ素晴らしい」みたいな価値観が常にあって。(中略)
 やっぱり養護学校の影響が大きかったんじゃないかなと思います。働ける障害者の方がもてはやされるというか……、「就職できて良かったね」みたいな、そういう空気が強くて。まぁ、「自分のできることはやりなさい」みたいな教えと一緒ですよね。だから、ほんとに働くことに意地になってたと思います。でも、その高齢者施設で働いてたときは、遊びにも行けなかったですし、体力もないし。月曜日から金曜日でもう限界まで働いて、土日は寝てるみたいな生活。なぜそこまで執着して働いてたのかというのは……、やっぱそういう、働いてることが素晴らしいとか、そういう自分の中で優劣みたいなのがあったんでしょうね。「働いてない人は良くなくて、働けてる自分はいい方だ」みたいな。そういう思想があって、(後略)」

 川崎さんは、働くことにこだわりつつ、介助の必要な身でありながら働くことにも限界を感じ、とにかく介助を公助でサポートしてもらいながら自立生活を始めていった。2016年から「自立生活センターてくてく」の代表を務めています。

 この川崎さんのエピソードにある、「働くことへの強い意識づけ」が養護学校で植え付けられていったというのも、障害者が健常者にできるだけ「近づく」ことを良しとする価値観が現在の障害者教育の現場でも広く存在していることを示唆しています。つまり、先に紹介した、不自由な身体でも中西さんに強要された「ひとりで着替えること」や、ひとりで日常生活を送れずに多くの介護者に支えられて生活している熊谷さんが幼いころから長期間続けさせられたリハビリトレーニングのようなことが、今も行われている可能性をぼくに想像させるのです。

 なぜ、最初から介助や補助具を使うことを前提にして生きることを目指してはいけないのでしょうか? できるだけ介助無しで、できるだけ補助具なしで、生活するのが正しい生き方という考え方そのものが障害児をどう教育するか以前に問われるべきです。

 資料を見ると、現在、肢体不自由児として教育を受けている障害児の中で、一番多いのは脳性麻痺の困難を抱えた子どもたちです。脳性麻痺は生まれてくる子どもの1000人に2.5名ほど誕生するそうです。彼らは、身体筋肉の緊張から健常者から見れば異様と思える痙性などの不随意の身体の動きを示したり、股関節脱臼や脊柱側弯症などの合併症で外見が異形とされることが少なくありません。また発語もスムーズでないことも多いです。ぼくが以前参加していたあるグループの中に脳性麻痺の女性がおられました。彼女が会議で発言するときには、みなが集中して彼女の発言をキャッチしようと耳をすませたことを覚えています。彼女の発言は聞き取りにくいものでしたけれど、慣れればしっかり理解できましたし、そこで語られることはとても重要な意見であることが多かったことを覚えています。
 脳性麻痺者たちのグループ「青い芝の会」に代表される障害者権利獲得運動【注】の成果が、現在の障害者の生活の質向上につながっていることを顧みれば、彼らが人社会に果たしている役割はこれからもとても大きいだろうと思います。(【注】「青い芝の会 神奈川支部」メンバーの1970年代の運動に代表されるもの。今日の表紙写真には、その主要メンバーのお一人、横田弘さんの本の表紙を使いました。横田弘さんは2013年に80歳で亡くなりましたけれど、彼を始めとした先駆者のおかげで、ぼくはバリアフリー化が進んだ、まだまだ不十分ですけれど、社会の恩恵を受けています。)

 けれども、「健常者」に近づくことを目的とした多くの生活訓練は、脳性麻痺児の社会生活者としての可能性をむしろ削ぐことにつながることがあることをぼくは危惧します。
(脳性麻痺には合併症としてさまざまな障害が重なることもあるため、その治療、特に障害の度合いが判断しにくい乳幼児期の治療内容の判断は難しいというつらい点があるのもわかった上で、でも、必要以上の訓練が強要されることを心配する気持ちが、ぼくにはあるのです。)
 ぼくに課せられたレポートでは、 脳性麻痺児の「効果的な支援」のあり方を記述することが求められていました。けれど、健常者への意識改革教育のほうが大切で、健常者の脳性麻痺者を含む障害者への負の意識を変えることが、むしろ障害者への「効果的な支援」につながるのではないかということを、ぼくはレポートで書きました。たとえば、脳性麻痺児を異様・異形とみなすことなく、彼らの声をきちんと聞く姿勢を同世代の子どもたちに涵養すること。そのことが、脳性麻痺者の生活の質向上に直結するだろうことは疑いようがないでしょう。そのためには、健常者も脳性麻痺者も、そして脳性麻痺者の家族もが「健常者世界の価値観」にとらわれて、脳性麻痺者を健常者に近づけるという無用の努力から開放されることが必要なのではないでしょうか。そういった観点から始まるインクルーシブ教育(健常者と障害者がともに学ぶ教育)であれば、それが展開することで、つまり、たとえば脳性麻痺児の言葉を丁寧に聞き取る姿勢を多くの健常児が獲得するようになっていけば、社会はもっと気持ちの場になっていかないかなぁ。

2件のコメント

そう、確かに、障害児のいるクラスの方が、子供には良い。だが、例えば体育の着替えを10分待ってくれれば着替えできるその子を、集合時間に間に合わせるために、よってたかって手伝って5分で着替えさせるのは良い統合教育なのだろうか?で、今の制度では、その子は中学校までは通常級で過ごし、高校は特別支援学校高等部へ行く。すると、小学部から特別支援校だった子は自分でさっさと着替えられるが、高等部から入ってきた彼は、もう10分でも難しくなっている。特別支援学校が働くことに力点を置きすぎと言われても、それが多くの親御さんの望みなのではないでしょうか。自分が死んだ後、なるべく困らないように。全部社会に委ねるより、できれば自立してほしいと。そのために、いつ、どこで、何に手をかけたら良いか、本当にケースバイケースだと思います。ヘレンケラーが大人になってからサリバン先生に巡り会えてもきっとどうにもならなかっただろうけど、その機会をじゃあ3才なら?いや就学前検診で判定する?その選別が嫌で、検診を避ける親御さんもいますね。絶対通常級が良いと。それから検診で「特別支援学校が良い」とされた子でも通常級を選ぶことはできる。さて、現状の学級定員のまま、通常級に障害児が入ってくると、介助員をつけてくれると思いますが、全部の時間は無理だったりします。さてここで通常級の先生方がインクルーシブ教育のためにただでさえ大変な毎日なのに過重負担を強いられる。気が散るから黒板横の掲示板に色の着いた掲示物を貼らないようにとか、全部の試験問題にルビをふる、別室で10分長く試験を受けさせる、前の真ん中の席限定、給食汁物にとろみ付け、、、、本当にケースバイケースなのです。インクルーシブ大事といわれても、その前に解決すべき事が多くあるので、インクルーシブ先行は避けたいです。

「確かに、障害児のいるクラスの方が、子供には良い。」
長い目で見ると、障害のある人たちにとっても「障害のある人をケアする意識を持つ人が増える」という点で、障害児のいるクラスは意味があると思っています。5分で着替えを「ムリヤリさせる」ということが日常化してしまうとすれば、それは問題ですけれど。

「特別支援学校が働くことに力点を置きすぎと言われても、それが多くの親御さんの望みなのではないでしょうか。自分が死んだ後、なるべく困らないように。全部社会に委ねるより、できれば自立してほしいと。」
この部分で、「健常者になるべく近づけるのが、障害者の生活の質向上につながる」という価値観が「善意」として広く存在していると思うのです。「親御さんの望み」は理解できます。けれど、障害者目線からみれば、そこだって問題視できる、ということです。親御さんの望みと、障害児の望みは、違うかもしれない。

社会の価値観として、労働性の高いほうが良い、ということがはびこっている以上、多くの支援者(親も含む)が「全部社会に委ねるより、できれば自立して欲しい」と思わされてしまっているのではないか、ということが私のいいたかったことの主要な部分です。

現実問題として、個々ですべてがケースバイケースですよね。その判断は、一般論で語り切るのは無理で、実際、それぞれの立場で多くの人が試行錯誤しながら障害児の未来を思って進んでいる。その前提としての価値観を疑ってみたいのです。それで大西さんや、熊谷さん、近藤さんたちの事例を紹介しました。
どっちに軸足をおくか。すべてを委ねてもいいのだ、という軸足から、できる範囲では自立していこうよ、と考えるのか。できるだけ自分でするのがいいのだという軸足から、自立を考えるのか。前者でいいのじゃないのかと、私は思っている、ということです。(実際、そんなことは、障害を得るまでは、考えていなかったことでした。)

インクルーシブが広く云われていることが、現場をますます疲弊させているという伊藤さんの実感はよくわかります。そして、そのとおりなのだと思います。それは教員がブラック職業になってしまっていることとつながっていきますよね。
そのことはそのこと。社会全体でより良くしていく火急の課題だと思います。
でも、そのことと、障害者の立場からの主張を引っ込めることとは、別。ということになります。

こういうことを書くと、なんか伊藤さんが辛くなってしまっては、こまります。それは、ダメ。
楽観と建設的と、悲観と批判は、別ものとしたいです。

という前提で、いつも書いていきたいです。どちらかといえば、ブラックな職場を変えていく、ほうが早く進むと(楽観的に)思っています。働けるのが良し、という価値観を変えるほうが難しそう。
とすれば、まずは早く教員の職場環境を変えていきたいですね。

最後のインクルーシブ教育に触れた部分、ほんのちょっとだけ書き換えました。現状のインクルーシブ教育でいいの?という意図を含ませたつもり。

ということをここで書けたのも伊藤さんのおかげです。いつもありがとうございます。

コメント、いただけたらとても嬉しいです