『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第6回です。(第5回は、10月31日、以下の投稿になります。)
『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第5回 インドからカンボジアへの胡椒の越境を思う
原産地の南西インドからカンボジアまで、宗教と共に伝わったのかもしれない胡椒。しかもその呼び名の起源から、カンボジアとマレー世界の胡椒はつながりがありそうです。もしかしたら、アンコールからマレー世界に胡椒は広がったのかもしれない。
そんな想像が膨らむ13世紀アンコールの地にあった胡椒。では、それは、現在21世紀のカンボジアの胡椒栽培にどう継っていくのでしょうか?
13世紀胡椒が今に伝わったのか?
周達観が『真臘風土記』に記したアンコールの胡椒。それが現在21世紀のカンボジアの胡椒につながっていったのだろうか。
『真臘風土記』を記した周達観がカンボジアに滞在した13世紀末、アンコールの国力は衰退期に入っていたと考える研究者は多い[i]。周達観の滞在から一世紀半ほどたった1431年に、アンコールの首都アンコールトムはタイのアユタヤ軍に攻め滅ぼされる。その後、カンボジアは歴史の表舞台から消えてしまう。ポストアンコールと呼ばれるアンコール時代が終わった後、フランス植民地が始まる直前までの300年間、カンボジアの情報は極めて限られる。カンボジア史研究者の北川香子はアンコール後の史料の少なさを次のように書いている。
千点以上のサンスクリット語・クメール語碑文が残っている古代史に比べ、ポスト・アンコールは、『王朝年代記』の他には、数十点の碑文、ポルトガル、スペイン、オランダ、そして日本などの外国史料の断片が存在するだけで、文献資料が非常に少ないことが、歴史研究を困難にしている。特に、この時代の人々の生活を明らかにしてくれるような史料は、現在まで全く知られていない。政情が不安定であったため、考古学的調査もほとんど行われて来なかった。[ii]
北川が書くように、ただでさえ数少ない13世紀以降の数世紀、カンボジアでの胡椒栽培に関する情報もごくごく限られたものしか見つからない。その唯一といえる資料が、16世紀初頭、1512年から1515年に商館員としてマラッカに滞在したポルトガル人トメピレスが記した『東方諸国記』だ。トメビレスは自らカンボジアを訪問してはいないけれど、伝聞情報としてカンボジアの価値のある商品の一つとして「ごく少量のコショウ」を挙げている[iii]。トメビレスのマラッカに滞在の80年前に、カンボジアはすでにアンコール地方を放棄し、ポストアンコールの最も史料のない時代に入っている。その時代に、たとえ伝聞情報でもトメピレスが、ごく少量でも胡椒が産すると書き残したことは興味深い。
一方、その『東方諸国記』には数多くのマレー半島の港市名が挙がっているが、タイ湾東部、カンボジアに当たる地域の港市については記述がいっさいない。15世紀から16世紀にかけてのタイ湾岸東部は、国際貿易の航路から外れていて、アンコール放棄後のカンボジア王朝が海岸地域まで強い支配をもたらしていた形跡もない。このことから、トメビレスが書き記したカンボジアの「ごく少量のコショウ」は、内陸部メコン川流域で作られていたものだったろう。
次のような資料もある。江戸時代後期に記された植物の研究書『重修本草綱目啓蒙』[iv]によれば、『広東新語』という中国の本にマラッカやジャカルタと並んで、真臘、つまりカンボジアから胡椒が来るという記述があるという[v]。『広東新語』は屈大均によって1700年に編纂された本なので、その記述内容は17世紀、あるいはそれ以前のことだ。『東方諸国記』や『広東新語』の記述から、ポストアンコールの時代に、メコン川流域で胡椒栽培が細々と続いていた可能性はあったように思える。
アンコール研究の泰斗に、仏領インドシナ時代にカンボジア美術学校初代校長やカンボジア美術局局長を務めたプノンペン生まれのフランス人ベルナールグロリエがいる。そのグロリエがカンボジア王朝年代記と数少ないヨーロッパ人の資料を基に記した『一六世紀のアンコールとカンボジア』[vi]が1958年に出版されている。その中の第六章「ポルトガル・イスパニア史料が語る一六世紀のカンボジア」の中に「物産について」という項目がある。しかし、グロリエが参照したヨーロッパ人が残したこの史料には、トメビレスが16世紀初頭に「ごく少量」と記述したカンボジアの胡椒に関しては何も触れられていない[vii]。ごく少量栽培されていた胡椒は消えてしまったのか。あるいは限られた量だったためヨーロッパ人の目に触れることがなかったのだろうか。
胡椒の集約的栽培法と粗放的栽培法
後藤隆郎という胡椒の専門家が記した『コショウ』[viii]という本がある。後藤は、ブラジル、インドネシア、マレーシア、ドミニカ共和国で実際に胡椒栽培指導に関わってきた人だ。
後藤によれば、胡椒の育て方には、現在大きく分けて「集約的栽培法」と「粗放的栽培法」との二つがあるという。見た目の大きな違いは、胡椒を這わせる支柱にある。
集約的栽培法は、堅木支柱栽培とも言われ、支柱として比重が大きく硬い木、あるいはコンクリート柱を地面に立てる。さらに高生産量をあげるために、肥料や農薬を多く使用する。つまり集約的栽培法とは近代的農法で、商業的で規模が大きい。
一方の粗放的栽培法は、生木支柱栽培[ix]ともいわれ、自然木を支柱とする、あるいは支柱として生きた木を胡椒と同時に育てて使い、有機農法が営まれる慣行的農法だ。それは自給的で規模はそれほど大きくない。自然木を使う場合にはココナツを使うこともあるし、支柱を新たに育てる場合はデイゴのようなマメ科の木を使うことが多い。マメ科植物の根は根粒菌というバクテリアと共生し、その根粒菌が窒素固定を行うことが胡椒の生育にも有利に働く。また自然木が作る日陰、あるいは支柱とする生木が成長し葉を広げることは、日陰を好む胡椒の栽培には適している。
もちろん土地単位あたりの収穫量は、粗放的栽培よりも集約的栽培のほうが二~三倍以上高く、支柱代、肥料・農薬代、人件費などの投資費用も大きくなる。
後藤の『コショウ』の中では、集約的栽培の事例としてマレーシアの華人やブラジルでの日系移民の栽培が、粗放的栽培法の事例としてインドやインドネシアの栽培が紹介されている。そのインドやインドネシアの生木栽培は、紀元前500年のインドで栽培記録のある伝統栽培を引き継いだものだという[x]。
13世紀に周達観がアンコール地方で見た胡椒栽培は、自然木を支柱とした粗放的栽培だったろう。それは、その後のヨーロッパによる東南アジアからの香辛料大量輸入をもたらす大航海時代まで、まだ一世紀以上前のことだ。『真臘風土記』には、「藤にまつわって生じ」と記載されていることからも、生木栽培が行われていたのがわかる。そして、トメビレスが書き残した16世紀のカンボジアでの胡椒栽培も「ほんのわずかのコショウ」と書かれていたように、小規模で自給的であり、粗放的な栽培が行われていたと考えるのが妥当だ。
ポルポト時代以前、仏領インドシナまで遡れるカンポットでの胡椒栽培は集約的栽培だった。ポルポト時代以降に再開された現在の胡椒の栽培方法も、集約的栽培だ。後藤が集約的栽培例として挙げたマレーシアの華人の栽培手法と似た、支柱を立てるやり方で行われている。

しかし現在は化学肥料や農薬は使っていない栽培法が広がりつつある。カンポットやケップで栽培された胡椒が“カンポット胡椒”を名乗る条件として、化学肥料と農薬を使わない有機農業を営むことをカンポット胡椒協会で定めている。その点からは、現在カンボジアの海沿いで行われている胡椒栽培は、化学肥料や農薬を多用する多収量に最優先順位をおく商業的栽培とは、一線を画した新しい集約的栽培方法といえる。
しかし、有機栽培、無農薬栽培が行われているのは、伝統的というよりは、むしろ現代の消費者の嗜好にあわせてきたものと考えられる。農薬を使わずに持続可能な農業を営むという価値観は、カンボジアの胡椒産業の再開に貢献した日本を始めとする先進国からの参入者が積極的に持ち込んだものだ。
このように、現在カンポットで行われている胡椒の栽培方法は集約的栽培の一形態であり、13世紀に周達観が見たアンコール地方で行われていた伝統的な粗放的栽培の流れを汲むものとはいえない。
次回以降に改めて登場するカンボジアに関する重要な研究者であるジャンデルヴェールというフランス人地理学者は、20世紀の中ごろにカンポット県で行われていた華人による胡椒栽培を「大いに非カンボジア的で異国的」であると評し、カンボジアの農民を調べる目的で実施した調査対象からこの胡椒栽培をわざわざ除いている[xi]。
ここまでのところ、アンコール時代の胡椒が、現在カンポット周辺で栽培されいてるカンボジア産胡椒に直接つながっている可能性は、どうやらあまり高いとは思えないことになる。
[i] 石澤良昭は、周達観滞在時にはすでに衰退期に入っていたという従来のアンコール王朝史観に疑問を投げかけている。詳細は、石澤良昭/著『東南アジア 多文明世界の発見』第九章「東南アジア史から見たアンコール王朝史」に詳しい。
[ii] 16~17ページ 北川香子/著『カンボジア史再考』 連合出版 2006
[iii] 223ページ トメ・ビレス/著 生田滋・他/訳 『大航海時代叢書第1期5 東方諸国記』岩波書店 1978
[iv] 元本の『本草綱目啓蒙』は1803年刊
[v] 52ページ 山崎峯次郎/著『香辛料 Ⅰ』 エスビー食品株式会社 1973
[vi] 以下の日本語翻訳本が出ている。B.P.グロリエ/著 石澤良昭・他/訳 『西欧が見たアンコール』連合出版 1997
[vii] 206~207ページ B.P.グロリエ/著 石澤良昭・他/訳『西欧が見たアンコール』
[viii] 後藤隆郎/著 『コショウ』熱帯農業シリーズ 熱帯作物要覧 No.26 国際農林業協力協会 1998
[ix] 生木による支柱を使えば伝統的粗放栽培だとは簡単には判断できない。滝川嘉彦の論文「Thailandの胡椒生産技術構造(1)」(名古屋文理短期大学紀要第25号2000年 https://ci.nii.ac.jp/naid/110000473092 )によれば、例えば現在のタイでは生産性を多少落してでも環境に優しい生木による支柱栽培が近代的農法の一形態として新たに取り入れられている。
[x] 20~25ページ 後藤隆郎/著 『コショウ』国際農林業協会 1998、および 後藤隆郎/著『胡椒の丸呑み』 http://kocv.jp/contents/info/goto_kosho.pdf
[xi] 41ページ J・デルヴェール/著 石澤良昭/監修 及川浩吉/訳『カンボジアの農民 自然・社会・文化』風響社 2003

















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