いろんな人のいる街って、ぼくは好きだなぁ
カナダ北部のイエローナイフにオーロラを見に行ったのは2018年秋。その際に、カンボジアのパスポートを持つ妻のカナダの入国ビザを取るのに、かなり苦労した。あんなに苦労したのに、オーロラを見て帰るだけじゃつまらない。もっとカナダを味わおうということで、イエローナイフに入る前に、カナダ西部の街バンクーバーに1ヶ月ほど滞在した。
(イエローナイフでオーロラを見たときのことは2020年10月26日の投稿で書きました。以下から飛べます。
自分の背中を押して旅にでましょう オーロラを見てみませんか? – 越境、ひっきりなし (incessant-crossingborder.com) )
ホテル代を安くするために、民家(といっても町中のマンションの一室)に滞在した。いわゆる民泊というスタイルで、大家さんと共同生活だ。事前に、車イスでの出入り、滞在ができるかどうかもメールでやり取りしてOKを得た。
バンクーバーは、都市圏人口は250万人という大きな都市だ。ぼくらが泊まった部屋はそのほぼ中央に位置していた。特に何を予定したわけでもないので、とにかく行き当たりばったり。バンクーバーの町中には大きな中央図書館があり、その建物のデザインがとても洒落ている。普段は、昼前に部屋を出て、みちみち昼ごはんを食べてから図書館へ。そこで半日すごして、夜はまた外食して部屋に戻るという静かな日々を送った。図書館では、妻は当時受けていた日本語検定試験のための勉強。ぼくは、何していたのかな?うーん、よく思い出せない。自分で持ち込んでいた本を読んでいたのか、インターネットでなにかやっていたのか。とにかく、図書館という場所にいれば、特に退屈することはなかった。
そのほか、小さなコンサートに出かけたり、郊外での数日のワインツアーにでかけたり、街はずれにある大きなスタンレー公園を散歩したり、メジャーリーグ下部のマイナーリーグの試合を見に行って、人生始めてのホームランボールもキャッチした。久しぶりの「初めてきた場所」を、思いっきり楽しんだんだ。
バンクーバーの歴史を調べてみると、町が拡大したのは19世紀後半、主な産業は林業だったようだ。Wikipedia日本版の記事によれば、人口の半分の人たちにとって、カナダの多くの州で国語して使われている英語は、母語ではないのだそうだ。つまり、世界中から多くの移民が集まった都市ということだ。多いのは中国系の人たちで、特に1996年に香港が英国から中国に返還されるのにあわせ、香港から多くの移民が移り住んだ場所だという。
もちろん、バンクーバーが開発される前には、数千年前からベールング海峡を渡ってユーラシア大陸から北米大陸に移り住んできた先住民がこの地域にもいた。カナダの太平洋岸は、トーテムポールという木造彫刻柱を作る文化が広がっていたことでも知られている。
以前、アラスカを撮った写真で知られている星野道夫さんが、トーテムポールについてステキな文章を書いていたのを読んでいたので、本物のトーテムポールと出会えたのもバンクーバーのいい思い出た(星野さんがトーテムポールについて書いていたのは『旅をする木』ではなかったかと思うのだけれど、再確認しておりません)。街中では、北米先住民と思われる人たちともすれ違った。

こういう、いろんな人のいる街って、ぼくは好きだなぁ。雑多の中に混じってしまう感覚。
街には、大都会特有の浮浪者も歩いていた。それは哀しい姿ではあるけれど、でも、一方で浮浪者でも存在できる場所は健全にも思える。排除されないということ。ただ、バンクーバーの冬は、路上生活者には辛い季節だろう。どう過ごしているのだろう。そんなことも気になった。
レストラン『プノンペン』
カナダの名物料理というのはなんだろう?よくわからない。街角で多く目にしたのは、ベトナムのフォー、日本のラーメン、そして寿司。江戸前の寿司というよりは、カリフォルニアロールのあるアメリカ式寿司という店だ。でも、ぼくはこのアメリカ式の巻きずしスタイルがけっこう好きなんです。そんなバンクーバーの食事事情のなかで、一番印象に残っている、そして美味しかったのが「プノンペン」という名のレストランだった。

Lonely Planetという英語のガイドブックに紹介されているのを見つけた。借りていた部屋からもそんなに遠くない場所にあったので、ある週末にプラプラと出かけていった。
中国系の人たちが集まる地区の一角にあるそのレストランは、外まで待ち人があふれるような人気店だった。ほぉ。店に入るにはちょっとした段差があったけれど、すぐに待ち人たちがサポートしてくれて問題なしだった。
少し待って入店した店内は多くの人で賑わっていた。店名はプノンペンだけれど、メニューにはベトナム系のお皿もあるし、壁に貼られた装飾も、カンボジアとベトナムが混ざったような感じだ。
もしかしたら、オーナーはカンボジア系ベトナム人かもしれない。今でも南部ベトナムのメコン川三角州には、多くのカンボジア系の人たちが暮らしている。
そして、料理を運ぶウィエイターの人たちは、どうやら中国系の人たちのようだ。彼女たち同士は、どうやら中国語で声を掛け合っている。
そして、客人たちは、まさに様々。白や、黄色や、褐色や…、地元の人もいれば、ぼくたちのような一見の観光客も多い感じ。この雑多な感じが、改めて心地良い。
で、上にアタッチした写真は、妻が頼んだバーイサッチュルー(豚ご飯)。カンボジアでは朝食の屋台飯の定番だ。カンボジアの朝の豚ご飯は、安ければ100円程度で、豪華なやつでも300円ぐらいで食べられる。このレストラン「プノンペン」の豚ご飯は1000円弱ぐらいと高価だけれど、その分、カンボジアの屋台飯よりはずっと豪華で、豚肉の量もたっぷりだ。そして、妻の評価は、とても美味しいいとのこと。
その他、頼んだメニューはどれもボリューム満点で、しかも美味しい。妻が言うのには、プノンペンのレストランよりも美味しいぐらいだとのこと。うん、ぼくもそう思った。これなら人気があるのも納得だ。1ヶ月のバンクーバー滞在中、「プノンペン」には3回お世話になった。
変わっていく我が故郷 東京
1992(平成4)年の年末、東アフリカのケニアでの2年間の青年海外協力隊活動を終えて戻ってきた日本で感じたのは、以前より外国の人が増えたなぁという感覚だった。訪日海外観光客数を調べてみると、昭和最後の年1988(昭和63)年の235万人から、1992(平成4)年は358万人と、4年間で50%増えている。marketingdata_outbound.pdf (jnto.go.jp)
外国人労働者の推移を調べてみると、1992年当時の統計は見つからなかったけれど、2008年に48万人だったそれが2017年には128万人、2019年には166万人と急増している。おそらく2021年現在では200万人近くになっているんじゃないだろう。
shiryo_04.pdf (cao.go.jp)
日本の外国人労働者数は165万人:2019年10月時点、中国人とベトナム人でほぼ半数に | nippon.com
つまり、ぼくが「海外の人が増えたなぁ」と感じた1992年当時と比較して、30年近くたった現在では、もう全然比較にならないほどもっと多くの人たちが海外からやってきて、日本で暮らしていることになる。昨年からのコロナ禍で、観光客の数は激減しているけれど、それでもぼくの家の近所のコンビニエンスストアで対応してくれる定員さんの多くが外国から来た人たちだ。
海外からの労働者が増えることについて、特に彼らの中に日本人労働者よりも悪い条件で働いている人たちがいることは、すぐにでも改善すべき問題だと思う。カンボジアにも日本で働くことを夢見る人たちが多くいて、最近は日本に労働者を派遣する事業を運営する日本人による会社がプノンペンでも増えている。この1年、東京に暮らしていて、電車の中でカンボジア語で話す人たちを見かけたこともある。彼らが日本で不必要な苦労をせずに、気持ちよく過ごして欲しいと心から思う。
と、心配する気持ちもあるものの、海外からの人が増えるのはぼくはいいなぁと思う。バンクーバーで感じたような、いろんな人がいる雑多な雰囲気を、わが故郷の東京がもっと醸し出せたらステキだなぁなんて思ったりしているんだ。バンクーバーのあのレストラン「プノンペン」のような場所が、東京でも増えたらいいと、本気で思っています。新大久保辺りにいくと、「プノンペン」みたいな場所、きっとありそうだなぁ。

















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