クウィセロ村での生活が、ぼくの教育支援の原点
1991~1992(平成3~4)年のほぼ丸々を過ごしたケニア西部の村クウィセロ。青年海外協力隊に参加して、派遣されたその村で、ぼくは中等学校(日本の中学3年生から高校3年生に当たる学年)で理科(主に物理)と数学を教えた。その後に続けることになる途上国での教育の応援、その第一歩がこのクウィセロでの日々だった。
電気水道ガスのないクウィセロ村での2年間の生活は、ぼくの原点でもある。あそこで鍛えられたのは、その後の日々を送る上でとても大きかった。とくに、どうやって「寂しさ」とつきあうのか、「2年間」という時間がどれぐらいの長さなのか、それが身に染みたことがとても大事な経験だったと思っている。
クウィセロの日々は、なにも孤独な日々だったわけではない。毎日の授業は必死だったし、同僚たちは親しく接してくれた。50キロメートル離れた町までは貸与されていた50ccのオフロードバイクで1時間。そこまでいけば、協力隊仲間とも会え、月に一度は米国のボランティアたちとソフトボールを楽しんだ。今なら(車イスで暮らすという前提ではなく、ね)、あのときよりももっともっと楽しむ術を持っているなぁと思う。言葉(英語)も、あのときよりは数段うまくなったと思うしなぁ。
でも、20代後半という年齢で、ズブの素人が飛び込んだからこその良さがあったのだと思う。楽しいことも、しんどいことも、まだ若い植物がぐんぐん水を吸い上げるように、ぼくは吸収したのだろう。最後の青春時代だったかな。
夜の野外映画会
さて、クウィセロ村の夜、月に一回ぐらいの頻度で、広場で映画会があった。映写機を積んだ車がやってきて、広場に白い大きな幕を張って、それに投射するんだ。映画の前には、政府の広報ビデオやニュースが流れて、おそらく映画界の目的はそこにあったんだと思う。
映画会の夜には、多くの人が村の広場に集まる。広場はサッカーの試合ができるぐらいの広さがあり、映画会の夜は、その広場の半分が埋まるほどの人が集まることもあった。
映画で上映されるのは、B級アクション映画みたいなものが多くて、しかもフィルムはブツ切れでストーリーを楽しむようなものではなかった。観衆もざわざわとして、けして映画に集中しているわけではない。映画会を口実に、夜の散歩を楽しみ、友人知人と挨拶し、情報交換するような場になっていたようだ。
けれど、映画の中で銃撃だったり、格闘だったりのアクションシーンが始まると、歓声が上がる。ジャッキーチェンの初期の映画なんかは大人気だ。大人も子どももジャッキーのコミカルな動きを真似して身体を大きく動かす。アクションシーンが終わり、何やら会話のシーンになると、みんなはまたおしゃべりに戻る。そして、次の格闘が始まると、映画に目をやり、また大騒ぎ。
東京の映画館や、テレビでしか映画を楽しんだことのなかったぼくには、なんとも不思議な空間だった。
最初のころは欠かさず通っていた村の映画会だったけれど、ぼくはそのうち興味をなくしてしまった。映画会の夜、広場のほうから歓声が聞こえてくるのに気がついて、あぁ、今日は映画会なんだなぁなんて村外れの自宅で本を読みながら思ったりすることが多かったと思う。
妄想、もし『水戸黄門』が広く放映されたら
あの映画会、日本のフィルムを流したらどうだろうと、当時、よく考えた。
海外で人気の出たドラマといえば、『おしん』がある。実はぼく自身は『おしん』を熱心に見た覚えはなく、ストーリーもよく知らない。日中太平洋戦争を挟んだ女性の苦労の人生の物語という程度の知識しかもっていないのだけれど。
日本版Wikipediaによれば、2012年3月の時点で68カ国で『おしん』は放送され、多くの国でとても人気があったらしい。ぼくも何回か海外で「オシン!」と声をかけられたことがある。日本人イコール『おしん』というイメージが広く行き渡った時期が確かにあった。
『おしん』の人気は特に東南アジア、さらには中東で高ったようだ。北アフリカのエジプトでも大人気で、放送中に停電になると、それが元で騒乱になったこともあるなんて話が、Wikipediaでは紹介されている。けれどもサブサハラ・アフリカの国々で放送されたケースは多くないようだ。
クウィセロの映画会を思い出すと、なんとなく『おしん』はあんまり受けなかっただろうなぁと思う。ストーリーを追って、主人公の苦労に涙を流す、なんてシーンを、あのクウィセロの映画会に想像するのはむずかしい。
イケる、ってのは、普遍性を持つ、ってことだよね。『おしん』が多くの国で受けたのは、おしんに描かれた女性の苦労に共感が持たれたってことだろう。そういえば、あのクウィセロの野外映画会、あれは、子どもと男性の社交場だった。もし女性の社交場なら、『おしん』もケニアで受けたのかなぁ。どうだろう。
ケニアでも、男性女性の社会での性的役割分担はあった。たとえば、水くみや台所の仕事は女性の役割のような。ただ、それが即男尊女卑だったかといえば、そんなことはなかったようにも思う。夜の映画会、女性たちはどんなふうに捉えていたのかな。女性たちには、他の社交の場があったのだろうか。
さて、あの映画会にぼくがおすすめしたいのは、『水戸黄門』だ。
まず、ドラマの前半で若い女の子がピンチに出会い、そこに助さん格さんが助けに入る。あそこでまず盛り上がるだろう。
その後、中盤で忍びの「風車の矢七」が天井に隠れているあたりから、格闘シーンに流れる。そこで、さらに盛り上がる。
そして、後半、いよいよ黄門ファミリー全員での大立ち回り。観衆は大興奮だろう。黄門様の影でおろおろする「うっかり八兵衛」の仕草にも、みんな大笑い。黄門様に斬りかかる悪党、黄門様危ない!というときに飛んでくる風車、矢七の登場で興奮は最高潮。
そして、お決まりの印籠登場で、みんな大満足!あぁ、目に浮かぶようだ!!
つまり、『水戸黄門』にも、なにか「イケる!」普遍性があるのだろう。そして、今、ぼくが幼いころにはやったほどには『水戸黄門』の人気がないのは、昔あった普遍性が日本社会では失われつつあるのだろうか。それは何なんだろう。“お上”、という権威への信頼度だろうか。そして、クウィセロの人たちには、権威への恐れと信頼のようなものが、まだあったということなんだろうか。
妄想は続く。
水戸黄門人気は全国で盛り上がる。そして、国賓として水戸黄門ファミリーがケニアを来訪する。飛行機のドアがあき、そこに角さん助さんを伴って現れる水戸黄門。水戸黄門を迎えるケニア市民の大歓声で空港は湧き上がる。恥ずかしそうに顔を出した風車の矢七も、大人気だ。
水戸黄門来訪のニュースは新聞やテレビでも大きく取り上げられ、当然、水戸黄門一行は大統領にも表敬訪問する。そして、それが政府ニュースとしてあのクウィセロの映画会でも流れる。クウィセロ村の人たちも、大喜び。
民放ドラマをベースとした国際交流、国家としてはむずかしいのかな。なにより、水戸黄門外交によって、親日家は増えるだろうけれど、日本の現在を誤解してしまう人たちも増えそうだしなぁ。
でも、水戸黄門外交、なんか楽しそうなんだけれど。ODA関係者皆様、どんなものでしょうか?
ミャンマーでのODA教育支援で導入された教員ドラマ
ミャンマー(ビルマ)では、2014年から初等教育カリキュラム改定の分野で、日本のODAプロジェクトが動いている。ミャンマーの小学校は5年間。2017年に1年生で新カリキュラムに基づいた新しい教科書が導入され、それから毎年1年ずつ導入が進み、今年2021年に5年生までの導入が修了し、プロジェクトは終了するはずだ。その終了を前にして、昨年、新型コロナ禍が起こってしまい、さらには先日の軍事クーデーターだ。きっとプロジェクトは大変な状況にあるのだろうと想像する。
このミャンマーでの初等教育新カリキュラム導入プロジェクトは、ODA支援の教育関係者のあいだではとても注目されていた。なぜなら、これまでのカリキュラム支援がほぼ理数科に限られていたのが、このミャンマーのプロジェクトでは、全教科が支援対象となったからだ。
以前、カンボジアの理数科支援プロジェクトに関わっていたころ、仲間内では「理数科だけではなく、カンボジア語(国語)の支援を取り入れたい」ということを語り合ったことがある。もちろん、カンボジア語の指導をカンボジア語ができない日本が支援するというのは、工夫は必要だったろう。でも、使う題材(さまざまな分野の文章の導入など)の検討や、作文や読書の指導などを取り入れることで、暗記中心の学習からの変化を起こすことができると、ぼくたちは考えた。そのような取り組みを理数科だけで行うよりも、もっと広く学校教育に導入しないと、なかなか効果が上がらないと感じていたんだ。ODA実施機関にも提言したことも、ある。けれど、そのときは、なかなか耳を傾けてもらえなかった。
そんな経験があったので、ミャンマーで全教科でカリキュラムと教科書の改定を行うというのは、とても魅力的な支援だとぼくも思った。それだけに、絶対成功させて欲しかった。失敗したら、また理数科だけに逆戻りしてしまうかもしれない。そんなふうにも思っていた。
ぼくがそのプロジェクトに関わることはなかったけれど、知り合いには何人もおられる。ときどき入ってくる進捗状況の様子を気にかけながら、ぼくは注目していた。そんな情報の中に、啓蒙ドラマを作ったという話もあった。あぁ、それはいい取り組みだなぁと思ったんだ。
今回、この投稿を書くに際して調べてみたら、以下のような映像が作成されていた。興味がある人は、以下のYoutubeで見て下さい。教員ドラマというのは、最初の映像です。ふたつ目以降は、短編の新教科書の宣伝フィルム。最初のふたつの映像は、日本語の字幕も入ります。最後のふたつは英語の字幕です。
(23) Our Hope, Our Future – 私たちの希望、そして未来(日本語字幕版) – YouTube
(23) New primary education textbooks in Myanmar – YouTube
教員中心の授業法から、生徒中心の授業法の導入は、今、世界中で進められている。その現場では、さまざまな問題も起こっている。ドラマで見られるように、保護者の理解を求めることもとても大事なことだ。
ぼくとしては、さらに先生たちの「恋愛」や「イジメ」の問題なども取り入れた、本格的なドラマをどこかの国が作成するのを期待したい。そして、それが他の国々でも吹き替えで放送されて人気を博す、なんてことが起こることを楽しみにしている。
その際には、ぜひアクションシーンも導入して欲しい。たとえば、イジメのシーンでそれを止める役として「風車の矢七」はぜひシナリオに入れて欲しい。さらには、韓国っぽかったり、インドっぽかったりするダンスシーンも、視聴者に受けるだろうと思う。そんなドラマを真剣につくれば、きっと高い費用対効果を生むはずだ。
ただ、クウィセロには、今は電気が通っているだろう。おそらく、今ではあの夜の映画会が開かれることもないのじゃないだろうか。もし、そんな新ドラマができても、夜の映画界で矢七が登場してクウィセロの夜を喝采で満たすということは、ないのだろうなぁ。矢七の登場に大喝采する人たちを、クウィセロで見てみたかったなぁ。

















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