大運河計画進行中!
冒頭の写真は、カンボジアの多くの人たちが最近頻繁にFacebookなどで共有しているフナンテチョ運河の完成図のひとつです。
先日カンボジア政府から正式に発表されたフナンテチョ運河計画とは、メコン川支流のバサック川を経由し、タイ湾に面したケップ州の沿岸に至る新たな運河建設のことです。建設予定の運河の全長は180キロメートル。運河の開通に伴い、現在メコン川河口デルタ(ベトナム領)を経由して流通している貿易貨物を、カンボジア一国の国内輸送で処理できることになります。
報道によれば、新運河の着工は年内を予定し、工期は4年と想定。事業費の17億米ドル(現在のレートの1ドル=155円程度として約2,635億円)は中国から調達する、とのことです。
フナン・テチョ運河プロジェクトによる主なメリットとしては、貿易促進、雇用促進など素直にうなずけるものから、観光促進、農業促進など本当にそうなるのかな?と思う分野まで含んで、幅広く語られています。
一方で、環境問題や地勢的な軍事バランスの問題などの面の懸案事項の存在など、一部の国からこの運河計画を懸念する声もあります。
タイ湾への出口はカンボジア国の悲願でした
歴史的に見て、メコンデルタを通らないで(つまりベトナムの影響を介さないで)貿易したいというのは、近代カンボジア国の悲願なのです。
19世紀中ごろにフランスの保護国となる直前には、アンドゥオン王が当時の王都ウドンからタイ湾に面した町カンポットの連絡道を整備して、カンポットを貿易港とする努力をしています。このアンドゥオン王は青年期から40代になるまでバンコク王宮で過ごしています。当時はタイとベトナムに挟まれてカンボジア王族から人質的な人材を両国に“差し出す”ようなことがあったのです。そして、彼はバンコク滞在中にバンコク王朝を通して西洋文化と接する機会があった。ですから、バンコク王朝の後押しを受けてウドンに王として戻ったときに、彼は開明的な政策を取ろうとしたのです。
ウドンとカンポットを結ぶ王道は、熱帯雨林のジャングルの中を象に乗って進むようなアドベンチャールートだったようです。当時の様子をウドンを訪ねた西洋人が何人か書き残しています。アンコールワットを“再発見”し西洋に知らしめたフランス人アンリムオーもバンコクから海路でカンポットに渡り、そこから王道を通ってウドンまで旅している。その“冒険旅行”は、その後内陸(サップ川⇒トンレサップ湖)を通ってアンコールワット経由でバンコクに抜けるルートをたどったのです。ちなみに、1860年にアンリムオーが訪れたアンコールワットの地はバンコク王朝の領地だったりもしたのです。ま、それはまた別の話。
ちなみにカンポットは20年間ほどカンボジア王朝にとっての海外への窓口(主にシンガポールとの航路での利用)でしたけれど、フランス領インドシナに組み込まれたあとは、それほど重要視されなくなったのでした。だってメコンを使っての船の往来のほうがモノの輸送には便利だったから。
現在は、タイ湾の窓口としてシハヌーク港があります。こちらはカンボジア王国がフランス領から独立した後に整備されたもの。プノンペンからの物資輸送は陸路となっていて、その点が大規模輸送をする上では十分ではない?、から運河のニーズがあるのかなぁ。
とにかく、そのタイ湾に通じる道へのカンボジアの悲願が、フナンテチョ運河の背景にはあるように私は感じています。そして、ここ数日のFacebookには、「フナンテチョ運河計画を応援します」というメッセージを入れ込んだ写真が多数掲示されています。まるで競うように。
ODAで教育開発支援にかかわってきた私には、どうしても教員職、あるいは教育省関係の方々の知り合いが多い。その多くが選挙時には与党を支持する人たちです。そんな人たちがこぞって「フナンテチョ運河を応援します」という意思表明をSNSの場でする。その中には「私は政治的な話はしない」と以前私に語った友人もいる。つまりは、フナンテチョ運河を応援するというメッセージには政治性は特にない、ということなのだろうなぁ。けれども、政治性がないというのも、きわめて政治的な行動でもあると私は常日頃から考えてもいるのです、よね。
運河計画について素人ながらちょっと考えてみると
私自身は、この国家事業としての運河開発について現時点では以下のように考えます。ちなみに、私はこのような大規模運河の建設や運用についての知識を持っていない、つまりこの件についてはまったくの素人であることは最初に白状(あるいは言い訳)しておきます。
1.技術的には十分に可能であろう。例えば中国国内には内陸の大きな水路は多く建設されてきました。ですから、このプロジェクトを請け負う中国企業には、このような案件に関する技術の十分な蓄積があると想像します。
2.建設の全工程が4年というのは、う~ん、それはさすがに短すぎるんじゃないのか?と反射的に思います。10年単位のプロジェクトに思えるんだけれど。そんなに早く、簡単に建設可能なのかしら?一応、すでに存在する水路を上手に拡張し連結したりする部分も多い計画にはなっているようですけれど(つまりまったくゼロからの建設ではない)。 あまりに楽観的な時間の表示は、以前のタイ湾での石油採掘プロジェクト(こちらも政府の肝いり大プロジェクトでした)を思い出させます。産油国になると連呼されたプロジェクトは、残念ながら未だに成果が上がっていません。最近は、産油国話はまったく聞こえてこないのです。この運河計画もそんなことにならないとよいけれどなぁ。杞憂だったら、ゴメン。
3.建設費、何億ドルはさておいて。問題はメンテナンスにかかる経費なのではないだろうか?淡水域と海水域をつなぐ点(中国内陸部の運河は淡水域同士の連結が主のはずです)、河川側と海洋側の標高差がほとんどない点、などから考えて、メンテナンスの費用は継続的にかなりの金額が必要になるのではないだろうか? そのメンテナンス費は往来する船舶の使用料から捻出するとすれば、それはこれまでのメコン川を使った輸送によるベトナムへの税金支出と、さて、どちらが大きくなるのだろうか? メンテナンス費用が足りないと、海水の内陸への流入などメコン水系への環境的影響、さらには運河に近いエリアの農地への影響などが少々心配です。
4.以上から考えると、けして経済的なリスクは低くない(つまり、建設や運用にかかわるポジネガのポジだけを考えて楽観視はできないのではないか)。
5.カンボジア政府は運河の建設を国内問題と位置付けているように感じます。つまり、他国の干渉は不要だと。けれどもメコン川は国際河川であることは考慮すべきことなのではないかと私は思います。つまり、環境面では他国、特にプロジェクトの下流域のベトナムとの密な連絡はやはり必要なのではないか? さらに、プロジェクトを強力に支援するのは中国です。その中国との複雑な歴史を有するベトナムとの関係を思えば、ベトナムが(必要以上にだとしても)「心配する」のは私は理解できるのです。すでにカンボジア政府はベトナム政府の心配は杞憂にすぎないと表明していますけれど、今後も丁寧な説明が求められるのは仕方がないでしょう。それが国際社会というもの(つまり、世界は開いているから仕方がない)。新運河の平和的建設と運用を切に期待します。
付け加えれば。あくまで私にとってはですけれど、フナンテチョ運河計画は突然舞い込んできたニュースでした。カンボジアの多くの市民の中では、計画段階ではどれだけ知られていたのかなぁ。カンボジア政府の発表によれば、2年間かけて綿密な調査研究を実施していたそうです。そして決定事項として先日発表があった。
大きな国家プロジェクトであればあるだけ、本当は計画段階で社会の中でさまざまな議論があっていいはずです。その点では、「お上から降りてきたプロジェクト」感は私にはどうしてもあるのですよねぇ。
国家プロジェクトとして、カンボジアの人たちがそれを応援する気持ちはもちろん理解できます。一方で、「批判的な視点からの議論がもっとあっても良いのではないか?」という気持ちは、私の中にはどうしても起こるのです。そして、それをするべき知識層は? 私のFacebookでつながるカンボジアのインテリ層である教員や公務員の人たちの中からは「批判的な視点からの議論」が出てくる感じはあんまりしないのですよねぇ、残念ながら。そこのところ、カンボジアの人たちはどう考えているのかなぁ。
応援マークを投稿する人たちは、けして強制されてそれをしているのではありません。多くの人がハッピーな気持ちで、応援マークを掲示する。でも、それは「俺も、私も、応援マーク、やらなくちゃ」という気分を社会に醸成することにつながっていないだろうか? 応援マークの投稿が、ある種の踏み絵になっていくようなものを感じて、臆病な私はちょっとドキドキしてしまうのでした。
テチョとは?
ところで、フナンテチョ運河と聞いて。フナンは漢字では扶南と書いて、中国が残す史書で現在のカンボジアにつながる古代国家が登場したときに使われた名称です。中国企業の協力で作られる運河に「扶南」とつくのは、なるほどと思う。では、それに続くテチョとは?
テチョというのは他の大プロジェクトでも使われている名称です。現在、プノンペン南部で続く新国際空港の名称がテチョ空港(あるいはタクマウテチョ空港、この場合のタクマウは新空港が建設されている地域名)です。あるいは、プノンペンの北東郊外にあるWin-Win記念塔(2019年完成、多分)の平和博物館と、2023年に開設されたシュムリアップの平和博物館、そのどちらもテチョ平和博物館という名称がついています。このテチョតេជោとは、本来はカンボジア国王が軍司令官に付けた称号です。つまり日本語では「将軍」というような意味でしょう。
Wikipedia英語版には、建設中の新空港の記事の中で、テチョについて以下のような記述があります(英語から日本語への翻訳はGoogle翻訳によるもの)。
2021年12月9日、当時のフンセン首相は新空港を視察中に新名称を発表した。「テチョ」という言葉は、王がカンダール州の領土で活動していた元クメール軍司令官のテチョ・ミースとテチョ・ヨートに称号を与えたというカンボジアの歴史に由来しています。首相はまた、「テチョ」は王国の君主制の強さを示していると述べました。(英語原文 Then Prime Minister Hun Sen announced the new name on 9 December 2021 while inspecting the new airport. The word “Techo” is referenced from Khmer history in which the king granted titles to former Khmer army commanders Techo Meas and Techo Yort who operated in the territory of Kandal Province. He also stated that “Techo” shows the strength of the kingdom’s monarchy. Techo International Airport (Cambodia) – Wikipedia)
「テチョ・ミースとテチョ・ヨート」、つまり王様から任命されたミース将軍とヨート将軍が新空港建設中のカンダール州にいた、ということですね。身近な人にちょっと聞いてみたところ、チャクトムク・ロンヴェク時代、つまりアンコール王朝がアンコールの地を放棄した後の時代の人たちらしい(?)。でも、それほどの有名将軍でもないんじゃないか、という印象を私は持っています。ずいぶん古い人の名を出してきたなぁと思う。
「「テチョ」は王国の君主制の強さを示している」。君主制(kingdom’s monarchy)の意味を改めて確認しましょう。「一人の支配者が統治する国家形態であり 、伝統的には君主が唯一の主権者である体制」、それが君主制です。カンボジア王国の君主制とは、日本の象徴天皇制に模した立憲君主制の下にある王制のことになります。上記の記事を素直に読めば、立憲君主制下のカンボジア王朝の強さを示す言葉が「テチョ」なのだということを元首相は表現したことになります。カンボジア王朝の強さを示す言葉なら、クメールとか、アンコールとかでもいいんじゃね? と私は思ったりもする。
一方で、現在のカンボジア社会では、“テチョ”といえばフンセン元首相(人民党党首であり上院議長であり現首相の父)のこと、と言っても間違いではないはずです。フンセン元首相のニックネームが“テチョ”なのです。
テチョ国際空港ならばそれは暗にフンセン国際空港だし、フナンテチョ運河であればそれはフナンフンセン運河、テチョ平和博物館ならばフンセン平和博物館、という暗喩に私は思えてしまうのです。特に、Win-win記念塔は主にポルポト派(クメールルージュ勢力)との内戦を1998年に終わらせたフンセン政権のWin-win政策を記念するもので、その塔内に設置されたテチョ平和博物館のテチョは……、どう考えても彼のことだろうなぁ。もちろん、それは私の勝手な妄想に過ぎません、よ。
そして、現在テチョと呼ばれるものは、やがては具体的な人名として語られるんじゃないかしら。歴史的ヒーローを空港名とするのは、けして珍しいことではありません。
すぐに思い出すのは、米国/ニューヨークのケネディ空港。あるいはフィリピン/マニラのニノイアキノ空港。きっと他にもたくさんあるでしょう。だから、カンボジアの空港にフンセン元首相の名前が冠されたとしても、特別なことではありません。ただ、現役のうちにその名前を自ら冠するというのは、確かに少々やり過ぎのような気はします。だから、間接的・暗喩的(すでに明喩?)に「テチョ」なんじゃないかなぁ、なんて余所者は思ったりしちゃう。
テチョを使うのは、おそらく取り巻きの人たちの忖度なんじゃないかなぁとも思う。現在使われているポーチェントン国際空港でも以前全面改修が行われた際に、フンセン国際空港と呼ぼうという雰囲気があったと聞いたことがあります。それも、周りの人が提案したんじゃないかと、私は勝手に思っていた。実際には、その際にはフンセン国際空港という新名称は見送られたわけですけれど。今回は(新空港は、さらに新運河も)、「将軍」という愛称を使っていよいよ来たなぁということです。
そして、ちょっと恐々とこうして書いたりしちゃう。私、ちょうどビザの延長手続き中なんだけれど……。
物言えば唇寒し秋の風 芭蕉
お後がよろしいようで。では、また。

















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