初心者のスラムでの援助ごっこの顛末

 同じときにケニアのボランティア活動に参加した仲間にSがいた。関西出身で地元の中学校教員だったSは、休職でボランティアに参加できないと知ると、退職してボランティアに参加し、そして帰国後は再度採用試験を受け直して同じ職場に復帰した強者だ。ケニアでのそれぞれの職場は遠く離れていたけれど、彼も私も田舎の学校で理科を教え、たまに会うとお互いの経験を語り合う仲だった。大柄な身体、毬栗頭に細い銀縁眼鏡、人懐っこい小さい目、寝るときも「夢を見たとき困るやん」と眼鏡をかけていた彼のモットーが「まずやってみる、それから考える」だった。

 ケニアに到着して間もなく、首都ナイロビで語学研修を受けていたとき、Sが「スラムに行って、食糧援助をしよう」といい出した。「まずやってみる、それから考える」Sは、いつの間にか宿泊所から遠くないスラムを支援している援助団体とも話をつけたらしく、どんどん計画を進めていった。数名の賛同者も現れた。

 彼のアイデアは、どこか援助ごっこの趣があるようで私は気が進まなかった。何を慌てているんだ、という思いもあった。学校で教えるという俺たちの援助活動自体すらまだ始ってもいないじゃないか。そんな段階で、スラムへの食料援助なんて時期尚早だろうと思った。だから、そういうことはもう少し慎重にすすめるべきじゃないのかとSに伝えた。しかし「失敗してもいいやん」とSはいうのだ。結局、私も参加することになった。正直をいえば、私もまだ見ぬスラムに足を踏み入れてみたかったんだ。

 少しずつポケットマネーを出し合い買った小麦粉の小袋をたくさん抱えて、ある日の午後、私たちはスラムの中に入っていった。今でならスラムだからといって特別危ない場所ではないとわかっているけれど、そのときはおっかなびっくりだった。立ち並ぶ家々のトタンやダンボールでできた壁にはさまれた細い通路がくねくねと伸び、その地面に汚水が小さな流れをつくりドブ臭い匂いを漂わせていた。そして、通路を行く私たちを多くの奇異の目が見つめているように感じた。異世界から届くような目に怯えたように、それほども歩かないちょっとした開けた場所で、私たちは持ってきた小麦粉を配ることにした。

 「並んで!」という呼びかけが意味を持ったのは最初の数秒だけで、すぐに多くの手が殺到し、私たちが持ってきた小麦粉を勝手に取っていき始めた。ひとつの袋をふたつの手が取り合い、紙袋が裂けて白い粉がぱっと散った。あっという間の混沌だった。私たちにそれを制御する技も力も準備もなかった。数分もしないうちに用意した小麦粉はなくなり、群衆は散り散りになった。目の前のぬかるんだ地面には何枚かの破けた小麦粉袋と、そこから散らばった白い粉が無残に広がっていた。

 すぐにその場を撤収し帰り道を急ぎながら、私は無性に腹が立った。自分たちはあまりに素人で、現実の前で子どもっぽ過ぎた。だからいったこっちゃない、止めとけっていったじゃないか、と口に出したかったけれど、それが判っていながら乗った自分が愚かしかった。

 「今回は無計画すぎたけどな、でも勉強になったやん」、Sはあくまでも前向きで、悪びれなかった。「今度はな、道で天ぷらを作ってこっちの人に食べてもらったらどうかと思うんや」。

 Sの挫けることない実直さに私は呆れながらも、もはや圧倒されていていた。貧困や援助に対するステレオタイプともいえる彼のあのときの考え方や行動には、今でも文句がある。でも、「失敗してもいいやん」というSの言動は、まったくもって正しい、と思った。何もしないで書斎で座っているよりも、ずっとずっと正しいと思ったのだ。おそらく私はどんどん行動するSに嫉妬すら感じていたと思う。そしてあれから三〇年近くたった今、「失敗してもいいから行動せよ」というSの〝正しさ〟は、私の中でより力強さを増しているように、思う。

 Sは元気でいるだろうか。私は、元気で、まだ懲りずに失敗を繰り返している。Sよ、君はどうだい、って聞いてみたい。

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