まず、このブログ『越境、ひっきりなし』、不思議なことにUSAで読んで下さっている方が何人かおられるようで、WBのDさんは見当がつくんだけれど、さて、あとは一体どなた様が???ありがたいことでございます。今後ともよろしくお願いします。(毎日更新は、そんなに長く続かないと思いますけれど)
宮沢賢治は、宇宙人? とにかく彼は、越境者のひとりだと思うのです。
宮沢賢治ファンは多いと思うのですが、ぼくも好きです。海外で仕事していて、ふと賢治を読みたくなったりするのでした。やっぱり『銀河鉄道の夜』はいい。映画もよかった。細野晴臣の音楽もいい。『猫の事務所』も好きだなぁ。ますむらひろし、の漫画版での『猫の事務所』の印象が強いけれど。賢治の時代から、ああいう職場でのイジメってあったんだなぁってげんなりするけど、それをちゃんと見ている人、悲しがっている人も、ずっといるよねって希望が持てもする。
幼いころに読んだ『雪渡り』の「堅雪かんこ、しみ雪しんこ」とか、『鹿踊りのはじまり』の「ホウ、やれ、やれい」とか、不思議と心に染みついている。
そこそこ大人になってきて、改めて賢治のことを知るようになると、賢治の不思議さがますます際立ってくる。いったい賢治は何者なのか。きっと確かに“でくのぼう”だったのだとも思う。何者かになりたいけれど、本人はその何者かになれないもどかしさで苦しんでいる、そんなありきたりの若者のひとり、でもあっただろう。
さらには、団扇太鼓を叩きながら大きな声で法華経を唱えて町中を歩き、ご近所からは「変わり者」とも囁かれていたという賢治もいた。一方で、科学を知り、天体を知り、農学校で教師をし、農業指導者として施肥を語る賢治もいる。「あめゆじゅとてちてけんじゃ」とうったえる瀕死の妹に松の枝からみぞれを取って差し出す賢治もいれば、その妹を強引に自分の信じる法華経に帰依させたという賢治。
さらには、鉱物を集めてまわり、チェロとオルガンを愛し、エスペラントを学び、性的指向が同性に向いていた、賢治。
どんぐりの裁判も(『どんぐりと山猫』)、カニの「クラムボン」の会話も(『やまなし』)、血を吐きながらのぼっていくよだかも(『よだかの星』)、チェロを練習していると訪ねてきた動物たちも(『セロ弾きのゴーシュ』)、ただ起こったこと見たこと聞こえたことを書いただけらしい異能の人。なんとも、わからない。
宮沢賢治、何者ぞ。
グスコーブドリが腹にマイトをくくりつけ向かうは火山だけなのか?
もちろん、1964(昭和39)年生まれのぼくが知る宮沢賢治は、まったくの無名の人がどういうわけか没後に神格化された、そんな賢治だ。1933(昭和8)年に37歳で早逝した彼は、ぼくにはやはり天才に思えるし、たとえ死後といえ無名にはとどまれなかった人のように、思える。彼の目は、かなり遠くの地平まで見通せたのではないか、とも思う。体力がなかったから物理的な越境は果たせなかったけれど、他の人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる、生来の越境者だったんじゃないだろうか。
でも、でもだからこそ、怖い。彼が亡くなった1933年は満州事変から2年後だ。原爆が広島と長崎に落ちる12年前。もし生きていれば、日中太平洋戦争の敗戦のとき彼は49歳。欧州で第一次大戦が起こっているそのときに、父親の強い反対を押し切って22歳、1918(大正7)年、で徴兵検査を受け、乙種合格で補充兵としてしか認められず肋膜炎持ちでもあった彼が、生きて戦地にいったかどうかはわからない。たとえ出征することがあったとしても、戦闘機乗りにはならなかっただろう。
でも、なぜだかぼくは思わずにはいられない、賢治は特攻機に乗りたかったんじゃないかと。
『グスコーブドリの伝記』は、冷害に苦しむ人々を助けるために、主人公が27歳で自らの命と引換えに火山を爆発させて終わる。自己を犠牲にして人々を助けることを書いた賢治と、特攻隊員、さらには自爆テロとは、なにか細い線でつながっていないだろうか。
もう10年以上前に、ぼくはこの疑問をぼくの師匠筋のある方に直接問いかけたことがある。賢治についても造形の深い彼は、ぼくの疑問はぼくが賢治を誤解しているんだ、とおっしゃった。確かに、賢治は平和主義者でもある。それは確実だ。(論文じゃないから、根拠はめんどくさいや。彼の作品に平和主義はあちこちで書かれているよね。)
でも、ぼくはどこか納得できなかった。たとえば、賢治の思想は天皇賛美とも親和性はある。彼が傾注した法華経を信じる人たちの集団である国柱会に賢治は“嵌まって”いたし、そして国柱会の思想は強いナショナリズムだ。安倍晋三を支えた日本会議につながっていく流れの源流にある。
もちろん、それで賢治を批判しようというのではない。賢治も時代から自由でなかったということだ。賢治が喜んで他者を傷つけるとは思えない。皆を守るため、祖国を守るため、やむを得ず我出撃す、という心境への親和性を持っていたのが圧倒的多数の“日本人”の中の、特に“純粋系”が賢治だったんじゃなかろうか。敵と味方、それぞれの立場で最善を尽くす、というエクスキューズはありえる。そして、賢治の強烈な自己愛は、具体的な自己犠牲の陶酔をアクセルとして、暴走した危険性はやっぱりあると思えるんだ。
賢治が魅力的な特攻兵になったということを妄想するということは、賢治ですらという意味で、肝が縮む。油断すれば、明日は我が身。いやいや油断しなくても、明日は我が身。だから、自己犠牲を語ることには、徹底的に警戒しなくちゃいけないんじゃないかな。「クラムボンが聞こえるよ」なんて囁きながら、人は自爆テロに走れる。自分もそんな存在なんだって。
父が虐殺に参加したなんて、信じられない
ルワンダの若い世代が親の世代と語り合う映像を見たことがある。
子ども前に父親は目をふせる。あのときはみんなが変になっていた、と。私は興奮した人たちについて行っただけだと。あるいは拒否すれば、自分が殺されていただろう、と、ぼそぼそと語る。
父親のいない場所で、若い世代は語る。「どうして父が虐殺に加わったのか、理解できない、人として許せない」と。その次に続くのは、「私なら絶対にやらない」だろうか。
でも、歴史は誰でも誰かを殺せることを何度も何度も証明している。「私なら絶対にやらない」ためには、もしものときに備えてものすごく準備しなくちゃいけないだろうなぁ。最悪、殺される。それでも「私なら絶対にやらない」って、きっとすごいことなんだろうな。そんなことしても、それも自己満足にすぎないのかもしれないし。
でも、あくまで少数派だけれど、そのときにも殺らなかった人たちはいた。それも歴史が証明している。静かに殺されていった人たちがいた。
賢治はどうだったろうな。もちろん、無駄な質問。答えのない妄想。でも、賢治はどうだったろうな。おろおろして立ち尽くしただろうか。でも、それでもいいかな。そんなとき、殺る側もおろおろしてみんなで立ち尽くせばいいのにね。
最近も虐殺のニュースが入ってきます。コンゴで。エチオピアで。ウイグルで。スーダンで。
夕ご飯を口にしながら、そんなニュースを聞く。こんなニュースを聞きながら、飯食えるなんて、鈍感だよなぁと思いつつ、食べる。生きるって哀しいのかなぁ。滑稽なのかなぁ。
なんか、おろおろするのすら、むずかしくなってきちゃってないか?


















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