新刊『超えてみようよ!境界線』でも書いているけれど 死んだほうがマシについて、考える その1

 まず、来年1月に“かもがわ出版”から発刊予定の拙著のタイトルが、だいたい決まりました。
『超えてみようよ!境界線』であります。おそらく、これでいくことになりそうです。

 ハンダトシヒトさんという方が、ものすごっく素晴らしい表紙絵を描き下ろしてくれたんです。この表紙と出逢えただけでも、本をつくった価値があったと思えるようなすごい絵なんです。どうぞご期待くださいませ。

 今、やはり紙の本、なかなか売れないのですって。ぼくの本も初版は1500部だけの出版です。中高校生向けのシリーズの中の一冊なんですけれど、大人の方にも十分読みがいのある内容となっていると思います。むしろ中学生にはちょっとむずかしいかもなぁと思ったり。
 とにかく、ひとりでも多くの方に手にとってもらえたら嬉しいです。
 出版については、詳細が決まりましたら、またお知らせいたします。

死んだほうがマシ

 6年ほど前に交通事故で突然に障害者の世界にやってきました。1年の入院期間中も、退院して社会の中で生活するようになってからも、障害に関する本を何冊も読みました。それは、ぼくにとっては『地球の歩き方 障害者編』のように、新しい世界の情報を知るためには手っ取り早い方法でした。

 すると、どうしても「生きていても仕方がない」「死んだほうがマシ」という思いと対面することになりました。まず多くの中途障害者の本は、突然やってきた障害というものに絶望し悲嘆し、「死んだほうがマシ」と思い悩み、でも、その思いを乗り越えていく物語でした。
 さらには、生まれつきの障害を持っている人たちが、成長するにしたがって自らの障害者であることに目覚め、健常者として生まれなかったことを嘆く物語もありました。特に学校に進む段階で起きる、大きな葛藤。それを親の苦しみの視点から描いた物語も多くありました。無邪気に生きることを進む障害を持った子どもを前に、「自分が死んだら、この子はどうなるのか」と悩む姿。

 それらの本の中では、「生きていても仕方がない」という思いから、力強く再生していくことが描かれていることが少なくない。あるいは障害者への蔑視・差別との戦いの日々もある。戦いの日々も生きていくエネルギーにつながります。つまり、出版されている本の中には「死んだほうがマシ」と思ったけれど、でも死ななかった人たちの話がありました。

 でも、本を書く、自分のことが本になる、そんな障害者は実際にはごく少数なのだと思います。「生きていても仕方がない」「死んだほうがマシ」という思いの中で日々過ごしている人たちがきっとたくさんいて、その中には死への境界を超えていってしまった人もいるのだろうと想像しました。

 検察庁のデータでは、2019年、日本での自殺者は1万9,959人だったそうです。1998年から2014年までは毎年3万人を超える自殺者を記録していました。性別にみると、例年、男性の値が女性の2倍以上となっています。
 これらの数字は亡くなってしまった方々です。この数字の裏には、自殺を試みたけれど、死にきれなかった人たちがたくさんいるわけです。死にたい理由は人それぞれ、それぞれの固有の理由があるはずです。どれだけの方が、障害を理由に亡くなったのかはわかりません。それに、障害という理由をひとくくりにして考えるのは、ぼくには乱暴に思えます。

大濱眞さん

 ぼく自身は、障害を得た後、「死んだほうがマシ」という思いに囚われたことは、まだありません。障害を得る前も後も「生きていても仕方ない」と思ったこともありません。けれども本を通して出会うことになった多くの「死んだほうがマシ」を、他人事とするだけの器用さもないようです。障害に越境してきた以上、この「死んだほうがマシ」という思いには、それが自分の思いではないにせよ、向き合わないわけにはいかないような気がしました。

 だから、新刊『超えてみようよ!境界線』でも、そのこと、つまり「死んだほうがマシ」という考えにどう向き合うことができるのだろうかということ、を書きました。
 大濱眞さんを知っている障害者は多いでしょう。特定非営利活動法人日本せきずい基金の理事長、さらには公益社団法人全国精髄損傷者連合会の代表理事を務めている大濱さんは、全身に麻痺がある重度の脊髄損傷者で、(あご)で電動車イスを使い、食事などの生活は随時介護者にサポートされながら精力的な活動を行っています。ぼくは、その大濱さんを訪ね、彼から聞いたことから考えたことなどを本の中で(つづ)りました。障害者としての初心者が、ベテランに話を聞くという構図です。本を読んでいただきたいので、ここでは詳細は書きませんけれど、大濱さんにとって大事なのは「生きていても仕方がない」ではなく、「より長生きするにはどうするか」という、健常者が考えるようなこと。つまりそこには生と死という境界があって、健常者と障害者の境界ではないように、ぼくは思いました。なるほど。

 とにかく、「死んだほうがマシ」という価値観は、障害者になったぼくをいつも揺さぶっているのです。このブログ「越境ひっきりなし」でも、このテーマでいつか書かなくちゃいけないなぁと思い続けていたのです。 

安楽死制度を整えながら、安楽死を選ぶ人をなくしていく

 若いころに読んだ畑正憲の本の中で、自殺について心に残っている表記があったはずだと思って、この機会に探してみました。気になっていた記述は『ムツゴロウの青春期』の中にありました。

近所の公営図書館に不在!

 畑正憲は、そこで高校時代の友人Sについて書いています。高校2年生のとき、畑はSから長い手紙を受け取ります。そこには、性に対する悩みと哄笑が書かれていたといいます。

 Sの場合は、あまりにも自分を見つめ過ぎ、特殊な人しか流せない血がこぼれていた。幸福な人生を送りたいなら、決して流してはならぬ血が。(中略)結局、Sは自殺しなければならなかった。(中略)
 私は人間の不可思議さを思う。粗雑なようでいて密であり、騒々しいかと思えば奇妙にしいんとした生きものである。当時私は、あの手紙を貰ってすぐSの元へ行き、いろいろと話をすれば救えたのじゃないかと自責の念を覚えたりしたが、とんでもない思いあがりであったろう。今になって、はっきりそれがわかる。死ぬべくして死に、それでよかったのだと思う。

(畑正憲 『ムツゴロウの青春記』文春文庫 1975、189~191ページ) 

 これを読んだぼくは、それ以後、自殺を一方的に否定することができなくなりました。個人の自由を尊重する以上、自死の選択をすることを他者が否定することはできないと。そして、人のなかには「死ぬべくして死に、それでよかった」という人がいるのだと、思うようになったのです。

 だから、障害者の世界にやってきて多くの「死んだほうがマシ」という思いに(間接的にだけれど)触れ、安楽死や尊厳死をめぐる論争や理論を知ったときも、たとえそれが他人の死であって否定したいという思いがありつつ、一方でこれから「死を選ぼうとする人」を否定できない思いも抱えていたのです。そんなときに手に取ったのが、西智弘という方が書いた『だから、もう眠らせてほしい -安楽死と緩和ケアを巡る、私たちの物語』(晶文社 2020年7月、トップの写真の本)です。

 西智弘さんは緩和ケア医療者です。彼の前には「安心して死ねる場所」を求める人がやってきます。そんな患者たちとの対話を通して、西さんは「安心して死にたいと言える社会」が必要なんだと思います。

 本の中では安楽死尊厳死に関しても、わかりやすく整理してあります。
 安楽死というと、2つあること。ひとつは、医師が注射などを用いて直接生命を縮める「積極的安楽死」。もうひとつは医師は薬を処方し、実際にその薬を服用するのは患者本人、これは「医師による自殺幇助」。どちらも日本では認められていません。
 尊厳死は、延命効果がそれほど認められない治療、激しい苦痛をともなう治療を患者本人の意志に基づき差し控えること。「治療の差し控えと中止」、あるいは「消極的安楽死」と言われることもあります。こちらは日本でも認められています。耐え難い苦痛がある場合、「持続的な深い鎮静」という措置を取ることは可能で、それが緩和ケアの具体的な方法のひとつだそうです。
 では、「耐え難い苦痛」とはなにか?現状では、どうしても身体的な苦痛に焦点が当たりがちだけれど身体的な苦痛以外にも、精神的な苦痛、それぞれの病気に特徴的な「絶望」がある。QOL(クオリティー オブ ライフ)、生活の質は、ひとそれぞれと、西さんは考えます。

 日本でも認められている緩和ケアは、最終的には医療者の裁量がその実施の有無を決めます。その際、家族の意見も当然のように考慮されます。ただ、西さんは、その結果として、当事者である患者が決定の場で弱い立場に置かれていると感じます。

 また、日本でも議論されている、安楽死については、いったん安楽死を認めると、じょじょに法的解釈が広げられ、「障害者があるなら生きていてもしょうがない」という死を選ぶ同調圧力が社会に生まれる危険性が指摘されていて、西さんもそこは心配に思っています。つまり、あの人は死を選んだのに、なぜこの人はそうしないのだ、という声が上がることへの危惧です。

 現在の結論として、緩和ケア医療者である西さんは「安楽死制度があろうがなかろうが、自発的に死に向かおうとする人をひとりでも減らしたい」という思いにたどりつきます。
 西さんは安楽死制度化を否定しません。むしろ、患者にとって安楽死という選択肢が提示されることで、本人や家族にとって「より悲惨な状況を生む自殺」の防止になるとも考えます。患者にとって選択肢が広がることは良いこと。生きることがいい、という生の同調圧力に苦しむ患者もいます。
つまり、安楽死制度を整えながら、安楽死を選ぶ人をなくしていく、ということ。実際には、安楽死制度を整えれば、それを選択する人はゼロにはならないでしょうから、安楽死制度を整えながら、安楽死を選ぶ人をより少なくしていく、ことを目指したいということでしょう。なるほど。

 「死んだほうがマシ」と思うこと、さらには口にすること、そのことと、死を選ぶことは同じことではありません。「死んだほうがマシ」といいながら、死なずに生き続けることがあっても、それはそれでいい。むしろ「死んだほうがマシ」と気楽に口にできない社会が、ちょっと息苦しい。

 「死んだほうがマシ」については、また書きたいと思っています。ではでは、今日はこのへんで。

4件のコメント

本の出版、楽しみにしています。親しい方にも紹介したいと思います。

都筑功様
いつも応援ありがとうございます!内容はさておき、表紙はすごいです!ご期待くださいませ。
村山哲也

出版は、1月になったのですね。
このブログで出版日のお知らせを知る日が楽しみです。

それにしても、この濃さでブログ投稿100日続けるってすごいな~って思いながら拝見しています。

yumiko様

コメントいただいていたのに気がつかず、新しい年になっちゃってました。
はい、本、1月21日に『越えてみようよ!境界線』というタイトルで出ます。表紙がとってもいいんです。機会があったら手に取ってみてください。
出版数が多くないので、すべての本屋さんには並ばないかも。あとちょい高い(税別2000円)。お許しください。

ブログ、実はこっそり100日越えました。もうちょっとがんばります。ぜひ読んでくださいませ。

村山哲也

コメント、いただけたらとても嬉しいです