本たちを救え! 図書館たちへの感謝と、古本再評価と。

2021年10月15日プノンペンの私の蔵書、わりと新しめのコーナーより。車イスだと本の並べ替えも支援が必要で、ほんとままなりません。というわけで、あれこれごちゃませ。

最初の図書館は柿木図書館(東京都杉並区)

 最近、本代が大変なことになっている(ような気がする)。

 幼いころ、ぼくは図書館派でした。小学校に入った後だったか、それよりも少し前だったか。
 杉並区清水町三丁目で暮らしていたぼくは、近所のお姉さん(多分)に柿木図書館に連れて行ってもらったのです。なんということ!!ここにある本をすべて読んでいい??あの興奮は、今も心の底のどこかに残っているように思います。自宅に帰って母に図書館という場所の存在を誇らしく大興奮して伝えた覚えが遠くかすかな記憶として残っています。

 それ以来、13歳で清水町を去るまで、柿木図書館には長いことお世話になりました。よく覚えているのは、しょっちゅう借りた本を失くしたことです。どういうわけか、返却日がやってくると、本が失くなるのです。泣きたくなるような気持ちで家の中をあちこち探す。ようやく見つけ出して、柿木図書館に向けて自転車を必死にこぐのが常でありました。
 ある日、探しても探しても見つからない本がありました。母からはいつものように「普段からちゃんと片づけないから」という叱責を受けました。とにかく、今、その一冊を見つけなければいけないときに、「普段から…」なんて話を聞いている暇はこっちはないのだ! でもどうしても見つからない一冊に途方にくれているぼくに、「図書館に行って、正直に謝って来い」と母は言うのでした。
 当時は、確か一度に5冊まで借りることができました。無事見つけ出した4冊を持ってしぶしぶと図書館に向かいます。図書館に着いても、まっすぐに受付に向かう勇気はない。次に借りたい本を探すような振りをして書架をのぞいて歩きながら、でも心そこにあらずで、ついに覚悟を決めて受付の人に「本を失くしてしまった」ことを伝えます。
 するとすべてを判っているというふうなその受付のおばさんは「失くなった本が見つかったと、お母さんから電話がありましたよ」と言うではないですか。恥ずかしさで、きっとぼくの顔は真っ赤に染まっていたでしょう。「なんで一緒に探してくれなかったんだ!」という母への怒りと、それでも本が見つかったという安堵とに(もてあそ)ばれながら、必死に往復したそのぼくの髪の毛の先まで赤く染まって見えたのは、けして夕日だけのせいではなかったんじゃないかな。あれは、何年生だっただろうか。

 調べてみると柿木図書館は1965年の創館で、今も当時の建物のまま健在だそうです。そうか、ぼくのほうが一歳年上だったのだなぁ。初めて会ったときは、柿木図書館のほうが、ぼくよりすっと大人っぽく思えたものだったけれど。今頃、おそらく全面改修や建て替えなどの話が持ち上がっているのだろうと想像するけれど、柿木図書館、末永くがんばって欲しい。

(ちなみに借りた本が、返す日になると見つからないのは、大人になってからもぼくにずっとつきまとう、最近の浅草でもよく起こった不自然現象です。なぜ、そういう不思議なことがぼくの身の回りには多く起こるのか!…はい、ここでは書きませんが、理由は自覚しております、よ!)

さらに続く、図書関遍歴

 浪人時代(住んでいたのは、中野区松が丘町)にお世話になったのは高円寺図書館でした。毎週末のように通ったもりました。その帰り道には、中野駅北口にあった「クラシック」という喫茶店に寄ったものです。クラシックは知っている人は知っている(知らない人は、もちろん知らない)不思議な名曲喫茶で、ガラクタのような外装によく似合ったとっちらかった店内で、コーヒーは一杯100円したのか、しなかったのか。ありがたかったのは持ち込みが可だったことで、中野ブロドウェイのパン屋さんで買った菓子パンを持ち込んで、腹を満たしたものでした。店に入ったすぐ右手のレジ横にある黒板にリクエストを書けるシステムになっていて、ぼくのリクエストは「新世界」と決まっていたんです(理由は、また別の話)。
 高円寺図書館通いのとき、たまに贅沢して高円寺駅近くのスパゲティ屋「麦の家」にもお世話になりました。現在まで活かされている事象として、たらこスパには昆布茶を潜ませる技は、麦の家でこっそり目で見て盗んだのです。最初は「あの緑色の粉はなんだ!!!」なんて思ってから昆布茶にたどり着くまでの苦難の道のりといったら…。「麦の家」は、すでに閉店しているみたいだなぁ。
 前段2段落、高円寺図書館に関する記述からは、はっきりとメインは図書館ではなかったという雰囲気が伝わってきますね。ははは、まぁいいではないですか。浪人中ですよ、一人暮らしのアパートでしたから勉強しにわざわざ図書館に行く必要はなかったわけですが。そう、勉強は、あくまで言い訳、なわけです。青春の高円寺図書館、忘れないよー!

 青年海外協力隊に参加した後、ケニアから戻ってきて、でも社会復帰に失敗して、失意で過ごしていた1年間は、荻窪図書館にお世話になりました。1993年、荻窪図書館の蔵書の一冊 ドーア著『学歴社会 新しい文明病』は、ずっとぼくが借り出していました。借りて延長して、返したそばからまた借りて。『学歴社会』という本は、知っている人はよく知っている世界の教育開発における古典本です。この本を何度も読み込んでいたから、ぼくはその後、開発業界に足を踏み入れることができたのでした。その後、開発の仕事で給与をもらえるようになって、『学歴社会』はちゃんとお金を払って購入し、今も探せば我がプノンペン蔵書のどこかにあるはずです。名著とは、身体のそばに置くものなり。

 2014年の事故後、足繁く(車イスだったけど「足繁く」という言葉、使ってもいいよね)通ったのが与野南図書館さいたま市中央図書館です。埼玉県所沢市にある国立リハビリテーション病院を退院して借りたマンションがあったのは京浜東北線北浦和駅の西側で、与野南図書館はそこから一番近くにある図書館でした。マンションから与野南図書館に向かうと、標高がぐんぐん下がる場所がありました。5メートルぐらいは下がったんじゃないだろうか。まさに行きはよいよい帰りは怖い。歩けばたいしたこともない坂でも、その登りは車イスには大事だと思い知らされたのが、あのへんてつもない坂道でした。与野南図書館に行くということは、厳しいリハビリに出かけるということでもあったのです。
 一方、北浦和駅から一駅隣にある浦和駅の東側にどかーんと位置するパルコ8階のさいたま中央図書館に行くのは電車利用の練習でした。電車に乗るとき、最初の1年は駅員さんに介助をお願いしていました。ホームと電車の間に、駅員さんが小さなボードを架けてくれるの、見たことある人もおられるでしょう。でも、あれ、ずいぶんと待たなくちゃいけないこともあるのですよ。それが嫌で、ぼくはやがて介助無しで電車に乗るようになりました。ホームと電車の間に段差や隙間があって怖い場合は、周りにいる人に声をかけて助けてもらうようにしたのです。断られた(無視された、単にこちらが声をかけているのに気がつかなかったのでしょう)ことはごく稀です。

 カンボジアでの仕事を辞めて、日本に介助に来てもらった妻のお気に入りは見栄え美しいこの中央図書館でした。お洒落なパルコの上という立地、高い天井、地平線まで広がるかのような書架の波、そしてそこに集い本を開く老若男女という光景が、彼女のつぼにどっちりはまったのです。午前中は近所の水泳教室に通い、午後は中央図書館で日本語の勉強をするというのが、3年ほど続いた彼女の毎日の過ごし方でした。一方、ぼくは2016~18年ころ、カンボジアの胡椒のことをノンフィクションに書いて、賞に応募して大金せしめようという野望を持っていたのです。そんなとき、中央図書館は強力な味方でした。さいたま市は市内に分館をふくめ25図書館と多くの図書館があり、だから蔵書も多かった。その後、2019年に台東区浅草に引っ越し、そこでお世話になった台東区の図書館(区全体に6図書館)に通って、改めてさいたま市の蔵書の豊富さを知ることになりました。台東区、もっと頑張ってくださいね(といっても、人口130万人を超えるさいたま市と20万人の台東区、さいたま市図書館の蔵書が多いのもしかたないよねぇ)。
 胡椒の話は、一度すごいの(?)を書いたのだけれど、ワケアリで公開を断念しました。改めて書き直したモノで開高健ノンフィクション賞に応募したけれど、あっけなく三振!
 当ブログで一時連載していた「胡椒話」はそのときの残滓です。(だから、胡椒話を開いてくれる読者がいると、とても嬉しい!)

ぼくが去りし後の、蔵書たちの行末は?

 というふうに、図書館には幼いときからお世話になってきました。そして、だからぼくは、未だに本に書き込みができないのです。気になった箇所に線を引くことも、できない。せめて付箋だけは貼らしてもらうのだけれど(返却のときは剥がします)、図書館原理派の人たちにとっては、公共のものに付箋を貼るのもダメ!という人たちもおられる。わかるけど……、付箋もダメは調べ物しながら本を読み込むときにはつらいなぁ(切った紙を挟めばいいのよ、という声が聞こえてきそうだ)。本に書き込みができない、線も引けないという習慣は、自分自身で購入した本に対しても同じです(寝っ転がって本を読むことが多いせいもあるのかな)。

 もうすぐ読み終わる『読む 打つ 書く』(三中信宏著 東京大学出版会 2021)は、本を読み、書評を書き(これが、打つ、の意)、そして本を書く、という本とのつきあいを記して三点てんこ盛りの良書です。そしてやっぱり書いてあるのが「読書という一期一会」(14ページ)について。「蒐書の機会を逃してしまうと次はもうないという“飢餓感”のようなもの」という著者の思いが語られているのだけれど、はい、私もまったく同感です。見逃した本とは、もう出会えない。落ちそこねた恋と同じ。チャンスと書い損ねた本とに後ろ髪なし!
 そういうわけで、ようやく冒頭の本代がすごいことになっている、なのです。そして、それは図書館のない世界(プノンペン)にやってきたことと密接に関係しています。以前の世界でならば、「おっ、これは!」と思う本があれば、まず図書館で探して、借り出すのが当たり前でした(それで、内容が素晴らしければ買う)。ところが、プノンペンにやってくると、その図書館がないわけです(正確を期せば、プノンペンにもカンボジア日本人材開発センター(CJCC)という施設があり、そこに日本語本図書館はありますけれど、でもねぇ…)。結果、どうしても南米密林図書(通称、アマゾン)でクリックとなってしまうのであります。

 それでも、できるだけ安価で済ませたいということで、最近は古本を購入することが少なくありません。実は私、以前は古本購入にはちょっとつらい気持ちがあったのです。だって、著者の懐にはなーんも入らないわけでしょう?できれば新刊をどーんと購入して、著者はじめ関係者の努力にバーンと応えたいって思っていたのです。
 でも、自分でも本を出したりしたことで(『超えてみようよ、境界線』かもがわ書店 2021、増版のニュース未だにまったく音沙汰なし!ま、刷ったうちの8割以上は捌けている様子ですけれど)、最近、その古本購入について少しずつ感覚が変わってきたのです。『読む 打つ 書く』を読んで、それは決定的になりました。古本購入も悪くない。いや、古本こそ購入スべし、なぜなら、そこにも助け(出会い)を待つ本たちがいるのだから。

 『読む 打つ 書く』の著者三中さんは、自分の死後の蔵書の行く末を憂うのです。果たして本たちはどうなるのか?と。個人の蔵書というのは、個人の哲学宇宙がこもった唯一無二のものであり、その個人が亡くなれば、おそらくその蔵書の役割も終わるのです(よほどの著名人で、その宇宙観を残したいという人たちがいれば別ですけれど)。だから、蔵書は解散し、運のいい本には次の出会いの機会を探してあげる。それが古本流通の役割ではないかと、三中さんは書かれている。
 ちなみに、三中さんにとって、本とは紙であることが重要です(ちなみに、彼は電子本の便利さも肯定はしています)。そして、彼は本の中への書き込みをされる人です。それが彼の流儀。
 なるほどなぁ。ま、本への書き込みについては、ひとまず置いておいて、自分の死後、蔵書を解散し、次の出会いを用意してあげる。良い考え方ですねぇ。

 となると、今後もまだまだ増え続けると想定される我が蔵書たちはどうしましょう。上記のCJCCの図書館に寄贈という手もあるかもしれませんが、CJCCではぼくの蔵書は活かしきれないだろうなぁ。かなりミスマッチ。相手に無理をさせるのは、いけません。
 やっぱり古本屋だろうなぁ。プノンペンから日本の古本屋への渡航費用ぐらいは、残して手配もお願いしなくてはいけないなぁ。ふむふむ、できるだけ、そうしましょう、と改めて思います。
 さて、こうして後の憂いが減った以上、やっぱりポチッはますます止まりません。それでも無い袖は触れないわけで、最近はかなり厳選しております。まずよほどすぐに消えてしまうかもしれない本でないかぎり、一週間は購入リストに寝かせています。書いたラブレターは一晩置いて読み直せ(私としては読み直すなとしたいところですけれど)の例え通り、中にはやっぱり今は買わなくていいやと思う本も多くあるもので、それだけでも随分数を減らせます。とにかくね、ほしいと思って全部購入していたら……、ほんと、生きていくって切ないものですねぇ。欲望が限りないことよりも、人生に限りあることのほうが、本質的な問題だったんですよ、井上陽水さん!!

 それでは、またまた。

 

 

 

2件のコメント

その昔、社会教育(今は生涯教育というらしい)の専門家から、アメリカ軍が海外に駐留する時、まず最初に作るのが図書館(室)だというのを聞いたような記憶があります。真偽は確かめておりません。地方から東京に引越して驚くことの1つは、公共図書館が充実していること。住まいのすぐ近く、あるいて10分の所に区図書館の分館があります。そして、大学が多いことも寄与して、かなり専門的な教育関係の本を持っているのです。年金生活、狭いアパートを考えて、これ以上本を増やさないことを誓いました。お金とスペースに余裕があったら、オットマン付きの椅子で、読書に没頭するという、イメージは完璧なものが出来上がってはいます。

匿名様 コメント、楽しく読みました。
アメリカ軍の海外駐留時、まず米軍兵士向けに図書館を作ったのは、確実にそうだと思います。
駐留先の住民向けに図書館を作ったかどうかは、さて、どうなのでしょう。作ったとして、どんな本をおいたのかしら?英文の本中心? フランスが植民地先で(旧植民地でも、今もですけど)仏語普及にとても熱心なのはよく知られています。プノンペンにも、フランス文化センターの図書館は充実しているんじゃないかな。
そう、都会のよい点は図書館の充実ですよね。やはり人口密度が高くないと、近所の図書館ってのは難しいですから。それでも、移動図書館の思い出を持たれている方もおられますよね。週に一度やってくる移動図書館、それも味があっていいなぁ。途上国で移動図書館のような支援を通して、子どもたちに本を読んでもらう活動に取り組んでおられる知人もいます。
そして、そう「これ以上、本は増やさない」という誓い、よくわかります。だいたい本は重たいですから。アパートの床が歪んでしまう、遂には抜けてしまうのも心配です。
オットマン付きの椅子、私オットマンという単語がわからず、今調べました。なるほど、足置き! 
オットマン付きの椅子で図書館から借りてきた本を読む、豊かですよねぇ。
私は、ごろりと横になれるソファーかなぁ。あるいはビーズクッションの大きいやつをベッドに持ち込んでの読書が理想かなぁ。とにかく、今後も素敵な本と巡り会いたいものですねぇ。
「越境、ひっきりなし」今後もよろしくお願いいたします。

村山哲也

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