『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第2回 アンコール地方で胡椒は取れたか?

『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第2回です。(第1回は、10月17日、以下の投稿になります。)

『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第一回 真臘風土記 周達観 登場!

 13世紀後半、アンコールトムに滞在した周達観は、その滞在記『真臘風土記』の中で、緑色の胡椒の辛さに触れている。周達観の食べた青胡椒は、どこで取れたものなのか?
雨の少ないアンコール地方で、胡椒は取れたのだろうか?


 確かに現在では、アンコール周辺ではコショウは栽培されていない。カンボジア国内で現在胡椒を栽培しているのは、タイ湾沿岸地方東部のコンポンチャム県周辺だ。

 カンボジアの気象情報はまだ限られており、カンボジア気象庁のホームページ[i]には、日々の天気の予報はあるが、過去の気候データは確認できない。ポルポト時代に、過去の気象データも、散逸してしまった。

 数少ない関係資料の中で信頼できるものとして、NGO発行の「The Atlas of Cambodia National Poverty and Environment Maps[ii]という本の中にある、FAO(国連食糧農業機関)や日本国際協力機構(JICA)等のデータを元にカンボジア国内の年間降水量を示した地図がある。それによれば、現在胡椒栽培が盛んなタイ湾に面したスラエオンバル辺りの年間降水量は3000ミリ程度コンポンチャムだと1700ミリ程度。さらに胡椒栽培のないアンコール近くのシュムリアップでは1500ミリ程度で、この数字は東京とほぼ同じ量だ[iii]

 タイ湾沿岸の雨量は、確かに多い。一方、タイ湾に面していない内陸部コンポンチャム県周辺で現在胡椒が栽培できるのは、ポンプで地下水を大量に組み上げているからだ。雨水だけに頼れば、コンポンチャムでは胡椒は栽培できない。雨量が現在と同じ程度だとすれば、コンポンチャムよりも雨量が少ないアンコール周辺で胡椒を育てるのは難しかったろう。

 しかし次のような資料も存在する。

 フランスのイエズス会士タシャールは、フランス軍とイエズス会をシャム王国(現在のタイ)に根付かせることを目的に派遣された使節団の随員としてシャムに赴いている。彼にとって2回目のシャム滞在時の記録によれば、1687年2月6日にバンコクの北部にあるルーヴォ(ロッブリー)近郊にある胡椒の植林地を訪れている。ロッブリーはアユタヤ王朝の副都で、バンコクの北160キロほどのところのチャオプラヤ川東部にあり、タイ中心部から陸路カンボジアに向けての街道が通る交通の要衝でもあった。7世紀にはすでに都市化されていて、真臘と呼ばれたアンコールとも関係が深い場所だ。タシャールは胡椒について次のように記述している。

胡椒の木は匍匐性の潅木で立たせるためには支柱が必要である。人々はこれを他の木の根元に植えてよりかからせるようにする。このためシャム人はマエントランと彼らが名付けている小さな有棘樹を使ったり、或いはヨーロッパでインゲン豆の栽培時に使うような棒を立てたり、二通りのやり方をする。幹にはぶどうそっくりの瘤があり、木質も乾いているときはぶどうの若枝に似ているし、味わうとひどく渋いところも同じだ。木が生のときは艶があり、オリーブ色がかった緑色である。幹から八方にたくさん枝が出て、でたらめに絡み合ったりしている。若木の間、葉は白味がかった緑一色で、木が成長するにつれて色が濃くなるが、表面はいつも白い色合いを残している。葉の形は卵色で、先に行くにつれて細くなり。端はとがっている。葉脈は六本で、内五本は主脈から下部へ分かれ、先でまた合流し、別に最初のものに似た卵形の葉脈を形成している。小さな葉でははっきり識別できるのは五本の葉脈だけだ。これらの葉脈はかなり太い繊維組織で繋がっている。われわれがインネブリにある国王の小庭園で見た最大の葉では、さしわたしが長い方で六ブース、短い方で四ブースだった。葉はピリッとした味で房は小さく、目にした中で最大の房は長さ四ブースだ。熟すのは三ヶ月先のことゆえ、季節がら実は深い緑色をしていたし、柄なしで付着していた。形状・大きさは狩猟用の鹿弾程度だった。胡椒の実はまだ緑色であっても強度があって、丈夫だった。シャム人は胡椒のことをプリクと呼ぶ。胡椒の木はあまり実をつけない。私の見た木々は、一本につき胡椒六オンスほども生っていなかったと思う。[iv]

 このようにタイのロッブリーで胡椒が栽培されていた。ロッブリーはかなり内陸にあり、アンコール遺跡のあるシュムリアップより北緯も高い。タイの気象庁のサイト[v]で調べると、1981年から2010年までの30年間のロッブリーの位置するタイ中央部の平均年間降水量は1275ミリ。先に示したアンコールワット周辺の年間降水量1500ミリ程度よりも、ロッブリーの降水量のほうがさらに少ない。

ロッブリー(地図左の楕円でくくった部分)とシュムリアップ(アンコール。地図右側の赤点で示した場所)

 周達観がアンコールワットに滞在したのは13世紀で、タシャールがロッブリーでコショウを観察した17世紀後半との間には、400年のギャップがある。その両者を、さらに現在の降水量で比較して考えるのは、早計かもしれない。けれども、ロッブリーはチャオプラヤ川流域にあり、雨の少ない時期にも植物園の植物への水やりは溜池や川の水を使うことが可能だっただろう。アンコールにも水はあった。水路・溜池が発達し、乾季でも豊かな水があり、その治水力によって高い国力を誇ったのがアンコール時代の特徴だった。その水を使えば、雨量の少ないアンコール周辺でもコショウの栽培は可能だったのではないだろうか

アンコール時代に、タイ湾沿岸、カンポット周辺の胡椒が運ばれていた可能性は低い!

 アンコール王朝時代のものとされる碑文の中に、900年頃のアンコール王朝の境界は、ミャンマー、タイ湾(当時のシャム湾)、チャンパ(現在のベトナム中部)および中国と接していた記されたものがある。日本でのアンコール研究の泰斗である石澤良昭は、この範囲がアンコール王朝の通商圏であったと推定している[vi]。つまり、タイ湾沿岸にもアンコール王朝の勢力は及んでいた。アンコール時代に整備された王の道と呼ばれる街道網の中で、唯一タイ湾のある南部に伸びたものとして、アンコールからプノンチソール(プノンペンから50キロメートルほど南のタケオ県にある11世紀に建立されたヒンズー寺院)がある[vii]。プノンチソールからさらに南へタイ湾までは直線距離でまだ100キロある。

 一方、現在の胡椒の産地であるカンポット県、コッコン県、シハヌークビル県があるタイ湾岸では、アンコール王朝期やそれ以前の遺跡は見つかっていない[viii]。カンボジアの王家の歴史を記したとされる『王朝年代記』の中にカンポットの地名が出てくるのは、18世紀半ばになってからだ[ix]。18世紀半ばに残された旅行記を見ると、カンボジア海岸部とアンコールのある内陸の間には、野生の象の群れが闊歩し、夜にはトラが人を襲う、鬱蒼とした密林が生い茂り、けして行来の簡単な道のりではなかった。それはアンコール時代でもそうだったはずだ。アンコールから海につながる道は周達観もたどったメコン川であり、アンコールからまっすぐタイ湾に向かうのは困難だっただろう。

 つまり、周達観が書く胡椒が、タイ湾沿岸から運ばれたものである蓋然性は低い。周達観が口にした若い緑の胡椒は、収穫後数日経っていたのかもしれないけれど、それがアンコールの地から離れた場所から運ばれたものと考える必要もないように思える。

 胡椒は取れた、でも少量だっただろう

 一方、アンコール周辺で胡椒が栽培されていたとしても、その収量はたいした量ではなかった。『真臘風土記』の他にも、真臘について書かれた中国の書物がいくつか残っているけれど、胡椒に関して記述があるのは唯一、周達観の『真臘風土記』だけだ。

 13世紀ごろのカンボジア(真臘)に触れた史料として、『諸藩志』『島夷雑誌』『島夷誌略』の三つがある。

 まず『諸藩志』[x]。大港町である中国の泉州で、市舶司という外国貿易の関税徴収事務を監督する地位にいた宋の趙汝が13世紀前半に記した書だ。宋朝と交易のあった東南アジアからアフリカに至るまで、その地理・風俗・産物に関して詳しく触れている。真臘についても記述があり、その産物として象牙、香木、蜜蝋、カワセミの羽、生糸などが挙げられているが、胡椒は出てこない。『諸藩志』には物産として「胡椒」の項もわざわざ設けてあり、胡椒が主にジャワで産すること、特にスンダ地方(西ジャワ)産の質がよく、トゥバン(東部ジャワ北岸)がそれに続くこと、ひでりに弱く、大雨のときには収穫がよいことなど詳細な記述がある。しかし、ここにも真臘の名は出てこない。

 次に『島夷雑誌』[xi]。宋の陳元が編纂した『事林広記』の中にあり、当時の広州の市舶司の記録を利用し13世紀後半に書かれたとされている。そこには広州から真臘まで北風にのれば10日で着くとあり、その他、真臘の社会文化の記述はあるが、産物に関しての記述はない。もちろん胡椒の記述もない。

 さらに『島夷誌略[xii]。『真臘風土記』より半世紀ほど後に元の汪大淵が自ら真臘を始めとする南海諸国を訪ねて書いたものだ。そこには真臘の産物として蜜蝋、犀の角、カワセミの羽、香木などいくつか挙げられているが、やはり胡椒は出てこない。

 胡椒は当時のアンコール王朝の主要な生産物ではなかった。


[i] カンボジア気象庁のホームページ http://www.cambodiameteo.com/map?menu=3&lang=en

[ii] 9ページ「The Atlas of Cambodia National Poverty and Environment Maps」Save Cambodia& Wildlife with support from Danida,  2006

[iii] 東京の年間降水量の数字は、日本気象庁のホームページより。http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=44&block_no=47662&year=&month=&day=

[iv]555~556ページ タシャール・ショワジ/著二宮フサ他/訳『17・18世紀大旅行記ギ業書7 シャム旅行記』 岩波書店 1991

[v] タイ気象庁のサイト  https://www.tmd.go.th/en/climate.php?FileID=7

[vi] 149ページ 石澤良昭/著 『東南アジア 多文明世界の発見』講談社学術文庫 講談社 2018

[vii] 125ページおよび128ページ 石澤良昭/著 『東南アジア 多文明世界の発見』

[viii] 156ページ 北川香子/著『カンボジア史再考』 連合出版 2006

[ix] 162ページ 北川香子/著『カンボジア史再考』

[x]296ページ 趙【カツ】・他/著『関西大学東西学術研究訳注シリーズ5 諸藩志』関西大学出版部 平成三年

[xi] 173ページ 周達観/著 和田久徳/訳『真臘風土記』東洋文庫 平凡社 1989

[xii]  175ページ 周達観/著 和田久徳/訳『真臘風土記』

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