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私、先日の入院中に胃での出血を補うために輸血を受けたのです。それはちゃんと記憶にあります。そしたら。
昨夜、妻サンワーの言うことには「あなたの輸血に際して、血液センターで10数名献血するように病院から指導された。10数名を集めるのは大変だった。誰と誰が献血してくれて、誰が献血者を集めてくれた」ということなのです。私はちっとも知らなかったのでした。
さっそく昨夜に献血に奔走してくれた方々にお礼のメッセージを書いたのでした。
そういえば。
数年前に義父が前立腺の手術で入院した際のこと。やはり献血者を募らなくちゃいけなかったのでした。昨夜、その詳細を改めてサンワーに聞いてみると。
義父が入院したのは公立病院でした。そして、そこでの輸血の際には、事前にプノンペン市内にある献血センターで定められた人数の献血を行ったという書類を発行してもらうことが必要だったそうです。3名なら3名の献血者が実際に献血センターで献血を行い、そのうえでその証明書を公立病院に患者家族が提出することを求められたというのです。その書類提出があってはじめて手術での輸血が可能になる。つまり証明書が提出されなければ、輸血が必要な手術は実施できないということです。
私が入院したのは、日本の医療機関が支援して設立した病院でした。公立ではなく、私立病院となります。
ICU(集中治療室)で胃からの出血が確認された後、特に献血センターからの証明書はなくても私への輸血はなされました。それでも、病院からサンワーに電話があり、「至急3名の献血者を見つけて、献血センターで献血してください」という指令があったのだそうです。サンワーはすぐに3名の献血者を見つけ、彼らが輸血後に、センターからの証明書をもらって病院に提出したそうです。そんなこと私はちっとも知らんかったよ。
この献血は、私の血液型(B型)と同じである必要はないのです。何型でもいい。けれども、輸血3パックには、3人分の献血が必須となるようです。
その後、私の胃からの出血はすぐには止まらず、いっときは潰瘍部分の切除も選択肢となりました。そのときには、病院からやはりサンワーに「手術に備えて10数名の献血をアレンジするように」という指令が入りました。
そして、サンワーは家族や知人に声をかけて、さらなる献血者を募り、彼らはおそらく平日に時間を割いて献血センターに足を運び、献血してくれたのです(そういうわけですから、献血をお願いできる人は、どうしてもプノンペン在住の方になります。地方まで声をかけられれば、献血者を探すのはもっと簡単だと思うのですけれど…。たとえば、バッタンバンとかコンポントムとか、頼めば献血にはせ参じてくれそうな人たちの顔が目に浮かびます。でも遠いよなぁ)。
幸い、その後出血は止まり、私は外科手術をすることなく体調回復に向かいました。つまり、この後半10数名の献血は、実際には“使われなかった取引き”となったのでした。
献血をしてくれた方々(すべてカンボジアの人たち)の中には、これまでどちらかといえば「私が支援者の側」だった人が含まれています。学費を支援した人もいるし、あるプログラムを支援した人もいる。もちろん、彼らがその恩があるから献血を頼まれても断れない、というようなことではなかったと思っています。心からの好意で、献血してくれたと思います。
それでも、やっぱり思い出すのは「情けは人のためならず」という言葉です。他者に情けを書けることは、まわりまわって自分に返ってくることだ、という意味ですよね。
改めてそんな言葉を嚙みしめたりしているのでした。
そういえば、私は20歳前ぐらいからの10年間、東京都内の献血センターで20回以上献血をしたことがあるのです。半年に一回程度、ちょっと時間があるときに、例えばデートの前の空き時間みたいな際に、30分ほど献血センターで時間をつぶす、みたいな感じで。通常は200㏄(200ml)ですけれど、体格体調の良い人は400㏄献血という選択肢もありました。一応、体力勝負でバリバリやっていた時期でしたから、よく400㏄献血に望んだものです。
それが。その後、30歳前に青年海外協力隊(現在のJICA海外協力隊)でケニアで過ごした際に、マラリアを数回やってしまったのです。帰国後、献血センターに行ったのですけれど、マラリア感染歴を伝えると、受付で献血不可と判断されてしまったのでした。結局、オレンジジュースだけ飲んでセンターを出てくるなんてことがあって。そこで私の献血歴はストップしてしまいました。
そういえば、書いていて思い出したこと。ケニアのクウィセロ中等学校で働いていた際に、学校に献血車がやってきて生徒たちに献血を募ったときがありました。けれども、誰も手をあげない。そこでベテラン献血者である私が手をあげて、生徒たちの前で献血をしてみせたことがありました。私の後、同僚職員や生徒から数名のボランティアが出てくれたのは嬉しいことでした。
けれども、そのことを当時の協力隊事務局に報告すると、あまりいい顔をされなかったのでした。つまり、感染症対策が不十分であることが懸念されるということだったのです。あれは1991年か92年。ちょうどHIVの世界的拡大が起こっていたときでした。HIVの起源は、私が働くケニアのとなりウガンダや、その西側のコンゴあたり?というのが当時の通説でした。
一応、私なりには献血に使用する針の使いまわしはしていないことなどを確認しました。けれど「リスクのあることは避けて欲しい」と事務局から言われてしまったのでした。
その後、私はルワンダで背骨を折った(2014年)とき、ケニアのナイロビに運ばれて手術を受けています。その際にやっぱり輸血を受けました。あれも「情けは人のためならず」だったかなぁ???
マラリラ歴に加え、ケニアやカンボジアでの輸血歴を伝えれば、おそらく私が日本の献血センターで献血したくても、ダメが出るだろうと想像します。やれやれ、残念なことです。
これからは恩をもらうばかりかなぁ? さて、私はその恩に見合うだけの情けをこれまで払ってきただろうかなぁ? ま、それは神のみぞ知る、って無神論者は勝手に都合のいいときだけ「神」を持ち出します。ほんとうに困ったものです。
とにかく、トントン、バン、ラタナックご夫婦、サミスさん、その他、名も知らぬ献血者の皆さま、本当にありがとうございました。オークンチュラン、心からであります。

















各国の献血事情、よくわかりました。改めて献血について考えました。そういえば、私は輸血されたことあるのかなぁ
この投稿の仕方が分からない。それなりに長い文章化板が消えちゃったみたいです。すみません。ガクッ。