試されているのは私のほう。阿古智子さんへの手紙みたいな?  西暦年末恒例 今年も民主主義を考えながら書くのです。(今さらですけれど)2年前の阿古さんの正論新風賞受賞のことなど改めて。

アンコールワットに続く道、夜明け前。(本文とは直接の関係はないのですけれど)
阿古智子さん(上)と私(ムラヤマ)、2025年9月下旬、飯田橋駅近くにて 9月25日
ローザルクセンブルグ(1871~1919)ポーランド生まれ、主にドイツを舞台に生きた社会主義思想家および活動家。第一次世界大戦に対しては非戦を訴え、戦後、武装労働者によつゼネストへのドイツ政府の弾圧時に、警察権力により秘密裏に虐殺された。写真はインターネット画像より選びました。

 

6件のコメント

長い文章の記事は普段パスしますが、最後まで読んでしまいました。面白かったです。

匿名様 長文、読んでいただき感謝感激雨あられ。普段はパスだけど読んだって、こりゃ超褒め言葉と勝手に受け取って、嬉しく新年を迎えちゃいます。ありがとうございました!

 大晦日にまさか頭が疲れる長文の論文に出会うとは想像しなかった。無学で怠惰の呆け爺が読んだ感想を書くのは不遜かもしれないが何も書かずに2026年が来てしまうのも、曲りなりにも生きている者として悔しいから一言書かせて下さい。そして新しい年に付き合いたい。
 この長文の筆者村山さんもこの一年の時間の中で肩の無駄な力が抜けてきたようでうれしい。カンボジアの理科教育刷新に寄与しようとして動き出している企画が大きく発展するような予感がする。阿古氏もフジサンケイグループの何とか賞を受賞し表彰式に臨んで座った椅子でいささかも大やけどを負ったこともないらしい。お二人の交流を垣間見る時。かの国の民主主義は喘ぎながらも生き続けているように思われます。(無学で、喘ぎながらまだ死なずに生きる呆けた爺さんの生活実感です。)
 あと1時間47分で2026年が来てしまいます。死んだ後に大地の大きな岩になろうが小さな砂になろうが民主主義の担い手して生きる者、希望をもって新年を迎えましょう。

匿名様

大晦日の慌ただしい日に、なんとも浮世離れした長文を送り付けてしまいまして、失礼いたしました。2025年も、いつも良き読者として伴走していただき、さらにはコメントも何本も書いていただき、本当にありがとうございました。

そちら日本列島は、すでに2026年に入りました。こちらプノンペンも、あと一時間半ほどで新年を迎えます。といっても、西洋正月よりも約一ヵ月遅れの旧正月(こちらでは中華正月)、さらには4月のクメール正月のほうが断然盛り上がるのがこちらの事情です。今夜は市内中心部では若者が集まりカウントダウンを楽しめる場所もあるようですが、比較的静かな新年直前です。こう書いて思い出すのがフィリピンの大晦日で、午後10時を過ぎるころになると、年変わりを待ちきれない人々が小さな打ち上げ花火に点火し始めて、そしてそれこそ0時には町中でヒューヒューという音を出しながら花火が飛び交い、町はその煙ですっぽり包まれる、そんな様子だったことを思い出します。今ごろかなぁ。
カンボジアとタイの紛争も、なんとか12月のうちに停戦にこぎつけ、今日大晦日には数ヶ月捕虜となっていた18名のカンボジア兵士も解放されました。よかったー。
でも、この停戦にこぎつける前の、カンボジア国内だけで数百の死者は、いったいなんなのか?(もちろんタイ国内でも犠牲者は出ています、が、この一ヵ月はカンボジアの被害がずっと大きかったのも事実です)。それを考えると、新年の浮きたつ気持ちもシュンと縮んでしまう、そんな心境です。

紛争前の協議で、とにかく実弾が飛び交うのは絶対に防ぐ。それが政治であり、知恵であろうと信じます。最近のかの国のリーダーは、なにやら実弾が飛び交い始めた後のことでの「万が一の備え」への言及ばかりだなぁ……。それ以前の知恵をしっかりと出してほしい、そう思う2026年の始まり、であります。

市井の一人として、こうしてブログで戯言を呟くぐらいしかできないわけで、屁のつっぱりにもならないのだなぁ。まぁ、そんなもんですわね、仕方なし。

さて、私はこれから今年最後の大便の儀に望みます。 ではでは、また~

村山さん、昨日と今日、じっくり文章を読ませてもらいました。種の保存の特質なのか、人間の弱さを考えれば、民主主義とされる政治システムでも、独裁者が生まれる方向に動く傾向が歴史からもわかる。日本の言論空間もリベラル左派と右翼など、違いがある程度顕著ではあっても、その中には濃淡があるし、何かのきっかけで思想や行動パターンが大きく変化する場合もある。自分としては、一人の人間として社会的意識を持ちながら行動しつつ、参与観察を行う研究者として、さまざまな立ち位置にいる人たちを冷静に分析したい、という思いがあります。自分の位置を固定してしまうことで見えなくなってしまうものがあると考えるからです。賞をもらうこともそういう意味で悩みましたが、社会の分断が深刻化する中で、垣根をこえたコミュニケーションが重要ではないかという問題提起をしたかったということもあります。村山さんが書いてくれたように、探検家でいられるように、今年も心身を整えて、できることをコツコツやっていきたいと思います。

匿名さま、ご丁寧なコメントありがとうございます。また無断でタグ付け、許してね。

「種の保存の特質なのか、人間の弱さを考えれば、民主主義とされる政治システムでも、独裁者が生まれる方向に動く傾向が歴史からもわかる」の一文。人間の弱さ、は同意。種の保存の特質、の部分は反論したい。

 「種の保存」というレベルでの、生命を持つ生物種の「本能」的なものを持ち出して、大脳新皮質をこれだけ進化させたホモサピエンス(現代人類種)の行動や選択を説明するのは、無理があると思います。母性とかも、人間は生まれつき持っているわけではなく、学習の結果、そういうものがあるように思いこまされるケースが多いということに過ぎない、と私は一応生物の教師でありますから妥協せず強く主張したい。

民主主義から独裁者が生まれるのはどうしてか? う~ん、いろいろ思うけど、これひとつって正解はないのかもしれない。人間の弱さ、というのは、はい、解りますけれど。

自分の位置を固定したくないのは、自分自身も何かのきっかけで思想や行動パターンが大きく変化する余地を肯定的に残したい、ということだとも理解しました。わかる、けれども、匿名さまがたとえば独裁制を支持する側に“転向”する可能性を良しとするか、恐怖とするか。やれやれ、人生いろいろ、山あり谷あり、あっという間でございますねぇ。

とにかく、はい、結局は「こつこつ」にたどり着くんだよなぁ。手の届く範囲は限られている。だから、でも、そして。

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