南京での虐殺はあったか、なかったか? 今更そんなこと言ってるんだもんなぁ。
本題に入る前に。
『南京事件と新聞報道 記者たちは何を書き、何を書かなかったか』(上丸洋一著 朝日新聞出版 2023)を読みました。2年前に出版されています。出版直後に購入したまま放ってあったのを、たまたま手に取ったのです。
日中戦争が本格化したのは、盧溝橋事件が起こった1937(昭和12)年。日本政府は上海に陸軍を上陸させ、蒋介石軍の激しい抵抗にあい多くの兵士を失いながら12月には当時の中国の首都南京まで攻め上ります。
その南京での戦闘と、その後の混乱の中で捕虜・民間人への虐殺があった。広い意味では上海から南京に至る移動と戦闘の中で起こった虐殺を含めて、南京大虐殺と呼ばれた。
著者の上丸氏は、1937年12月当時の日本各地の新聞記事をていねいに調べ、さらに戦中戦後の記事や回想記を読み漁り、南京大虐殺をめぐる何冊かの本の中での同一人物の証言の変化を追ってこの本を書きあげています。「戦後に書かれた手記や証言よりも、戦争下のそれのほうがはるかに正確であり信頼できる」という過去の研究者の指摘に励まされながら、彼は「文字のかすれた八十数年前の新聞(マイクロフィルム版)を図書館で閲覧し続け」ました(カギカッコ内は本の39ページから)。労作です。
そして、改めて南京で多くの捕虜・民間人が殺害されていることを証拠付けていきます。戦後、今にまで続く南京大虐殺の“まぼろし”説が、戦後の作られた記述や証言をもとにしている本当の意味での幻であることを明らかにしていく。ある種、痛快な読み物でもあります。
たまたまこの本を読んでいるとき、Youtubeの討論プログラムで「南京大虐殺は本当にあったのか」というプログラムを視聴しました。そこでは、中国政府が主張する30万人殺戮説の不明確さといった「犠牲者は何人だったのか?」から、虐殺の定義云々が語られ、さらに南京大虐殺否定者(討論者の中の多数派)の根拠が語られていました。
否定者が唱えている論は多くがこの本の中でも触れられているものです。その多くは戦後、戦争責任をエクスキューズする中で出てきている論であることが、上丸本から推測できます。そして、虐殺否定派の最後のよりどころは「皇軍ですよ」「当時、世界でもっとも規律が保たれていた」等々、そして結局は「そんなことを日本軍兵士がするわけがない」「信じる」に収斂する(現在の話でいえば、イスラエル兵は世界で一番規律の取れた軍の兵士で虐殺などしない、というイスラエルの人たちが語る言葉と重なります)。
正直に言って、いまさら何を話し合っているのだろうと呆れて、途中で視聴を止めました。
数や定義に惑わされないように、最近では南京大虐殺ではなく、南京事件と書かれることが多いようです。どう呼ぼうと、1937年12月前後の南京で、日本軍は国際法に反し、多くの捕虜と民間人を殺しています。それはなにもこの上丸氏の本以前から、多くの人たちが、多くのエネルギーをかけて証拠を提示してきた。それでも「ないと信じる」が未だに力を持つ。
これはどうしたって日本社会、批判されても仕方がないとその討論プログラムを見ながら改めて思った。いまだにたいして勉強も情報収集もしていない人たちが適当なことを語る。その番組でも触れられていたことには、今や虐殺があったと語れば、インターネットで無数の罵詈雑言が飛んでくるという。
今年の参議院選挙でこれまでにない規模で「外国人問題」が焦点となり、日本(人)ファーストを訴えた党が躍進する。年末にインターネット電話で長話をした日本国籍の友人(外国籍のパートナーがおられる)は、「これまで信じていた民主主義が、風船が針でつつかれたように割れてしまった気がする」と参議院選挙の報道と結果を受けて語っていました。彼女は海外在住ですが、参議院選挙期間中は日本に帰国して、故郷の選挙区での候補者演説をできるだけ多く聞いたのだそうです。ほとんどすべての候補者が、その対応方法はさておき外国人の増加への対応の必要を語っていたのだそうです。そのことと、南京大虐殺のまぼろし化が未だに力を持つことは、きっと大きく関係している。
もし身近に南京事件を矮小化する人がいれば、あるいはあなた自身が南京大虐殺の有無に関して判断できないでいるのであれば、ぜひ上丸氏の労作を勧め、あるいは読んでみて欲しい。この件は「なかったと信じる」では困る問題だと心底思いますよ。
それにしても、専門家を任じる、あるいは政治家やが、「南京大虐殺はなかった」「皇軍の規律は世界一だった」と語る姿。私と同世代の人たちです。実際にはあったことは理解しているけれど、選挙戦略や仕事欲しさで「まぼろし化」を試みているのだろうか? 不思議と言うか、恥ずかしいというか、私にはよく理解できないことが世の中多いのです。彼らはいったいどんな資料を読んで、あの議論に望んでいるのでしょう? それとも私が読むモノが偏り過ぎているのですか? そういうことなの?
いや、もちろん「まぼろし化」ものがたくさん出回ってきたことは知っています。その種のモノばかり読んでいる人たちに、「まぼろし化こそ幻だ」といくら言ったってきっと伝わらないのも想像はつきます。彼らからすれば、私の読んできたものこそが自虐史観的なものばかりということになるのかな。でも、要はその本に書かれている内容の根拠をしっかり見極めるってことだろうからなぁ。
つまり問題は、情報リタラシーなのかもしれません。捏造をかぎ分ける力、事実をかぎ分ける力、結局日本の学校教育はそういった能力養成に失敗してきているのではないか? でもありがたいことに(?)、私も戦後デモクラシー教育の成果なんだよね。いったい何が私と「まぼろし派」の間の深い境界を作ったのか? さて、以下からようやく本題です。
阿古智子さんと私(ムラヤマ)と
阿古さんと私は1994年4月に名古屋大学国際開発研究科大学院(GSID) 修士課程入学の、同級生です。GSIDの2期生か3期生のはず。当時、国際開発系の大学や大学院があっちこっちで誕生した時期でした。
阿古さんと私は修士論文の指導教授が同じ、つまり同じゼミで2年間を一緒しました。彼女は大学卒業後すぐにGSID に入ってきたのに対して、私は7年ぶりの学生生活という違いはありました(大卒後、2年強の高校野球監督活動、2年強の青年海外協力隊活動、1年強の大学院試験準備および就労期間、であわせて7年間です)。当時、彼女はいよいよ本格的に中国での研究活動を本格化する直前の“孵化前”というか、ジャンプに向けての滑走中だったでしょう。夜遅くまで自習室で中国語を独習していた様子が私にはとても印象深く残っています。
修士終了後、彼女は中国農村での参与観察研究に飛び出し、私はODAのニッチで教育セクター支援の道を進みます。彼女と私の道がふたたび触れ合ったのは、私がカンボジアで仕事をしていた2005年ごろ(?)だったんじゃないか。数回、彼女の勤める東京に位置する大学に彼女を訪ねたことがあります。彼女の講義にお邪魔して、私の経験をもとにデザインした多文化理解のワークショップを共催したこともありました。あのときの大学は某女子大だったかな。彼女は数年おきに職場を変え、そのたびに訪ねる場所もちょっとずつ移動し、気がついたら彼女は東京大学駒場キャンパスにおられた。
私がルワンダで大きな怪我を負って障害を得た後もゆるやかな交流はつづき、2018年末(だったと思う)には、彼女はカンボジアの華僑社会やカンボジアと中国の結びつき等の現地調査するためにプノンペンの我が家に数日滞在したこともあります。その際には、当時私が追っかけていたカンボジアの胡椒生産の歴史において重要な役割を担った海南島系華僑の子孫の人たちの調査にも彼女は同行してくれ、中国語の通訳までやってくれたのです。あのころは、阿古さん、そんなにラジオやテレビにも出ていなくて、世間的にはまだまだそのお顔が広まっていなかった。
それから、たとえば香港に象徴されるように中国北京政府の政治的締め付けが一気に強まって…、阿古さんは中国での研究を継続することがむずかしくなり、一方で彼女の声や顔が公共放送に載って流れることも多くなっていったのです。忌憚なく書けば、売れっ子になってしまった。

さて、今年9月に東京上京時に、私は2年ぶり?1年ぶり?で、阿古さんとお会いする機会がありました。
文学座という劇団が香港民主化弾圧をテーマにしたシナリオを上演していて、その楽日にそれぞれ観客として出かけて行って出会ったのでした。私はこの劇のことを阿古さんが投稿したSNSで知り、しかも楽日に阿古さんが出かけると書いてあったのを頼りに出かけて行った。つまり、劇を見ながら、阿古さんとも会ってしまおうという魂胆が最初からあったのです。
そして幸運にも予定通り阿古さんと遭遇し、観劇の後はⅠ時間強も飯田橋駅構内の喫茶店で雑談する幸運に恵まれました。そこでの話は後回しとして。
さて、その後、11月26日に阿古さんがFacebookに以下の投稿をしました(灰色背景の段落)。このころ、日本の新政府の新首相が、台湾の件で中国北京政府を強烈に刺激する発言をし、世間が騒然としていたのです。
こちらは、日本からの視点を重視して書いた文章です。私の中にも日本人、国際人、大阪人・・・さまざまなアイデンティティがあり、その時々に視野が若干異なりますが、日本人として生きている限り、そのポジションからの分析や行動指針を持つ必要があると思っています。
ここでは、中国(政府の動きだけでなく世論も含めて)の動きを捉える上で重要な情報、中国政府とその関係機関による言論統制の特徴、彼らが作り出すナラティブ(語り)について、日本の中国研究者として特に強調したい3点を書きました。
1)中国政府のナラティブには意図がある。それに煽られると日本は国益を損なう。
2)日本にとっての正論は現在の中国政府には通じず、日本は中国のナラティブを覆すナラティブを生み出す必要がある。
3)人間性の破壊が深刻なレベルにまで及んでいる中国と同じ土壌で闘おうとせず、弱みを握られることを避け、淡々と日本自らの目的と利益を見据える。
よろしければお読みください。
ここへきて中国の言論統制・経済状況が悪化…多くの人が理解できていない「中国関係者の暴言・無礼」の構造(阿古 智子) | 現代ビジネス | 講談社
これを読んで、私は以下の文章(クリーム色背景の段落)をつけて、彼女の投稿を友人知人にシェアしました
阿古智子さん(現在は東京大学教授)は、中国の農村社会問題を参与観察(自分もその農村に身を置きそこでの住民の抱える社会問題に参加する・干渉する方法)で社会研究してきた方です。その結果、たまたま関わることになる中国の弁護士や社会活動家もどうしたって多くなる。そして、ある頃からそんな友人知人たちが中国政府による弾圧に遭う。その支援にまた“参与”する。そのため、中国政府からは危険人物と見なされるようになる。今では、阿古さんが中国本土に入ることはあまりに危険です。そのため、以前のやり方では研究を続けられない。彼女なりに試行錯誤を続けながら、研究と教育活動を続けている。この記事はそんな彼女が彼女の日本社会に対する責任感に駆られて書いたものと私は理解しています。彼女が訴えていることの基盤には民主主義に対する信頼があります。それに私は強く共感します。中国側からの一部の過激な反応にのってはだめだと阿古教授は書く。そして、民主主義の王道を行けと説く。当然、日本の人たちの民主主義への深い理解が求められる。どうぞぜひ読んでください。
彼女と中国政府との関係を思うとき、私には【命がけ】という言葉がどうしても思い浮かびます。悲壮感に浸ることは褒められたことではないと思いますけれど、そして彼女には悲壮感を感じさせない明るさと真摯さがありますけれど、でもそれはやっぱり尊敬に値することだ。現代の最も危険な、つまり命にかかわる活動としての冒険的生き方は、強権に対する批判的活動だと喝破したのは本多勝一で、そのことは現代の前衛的冒険家の一人である角幡唯介もその探検論を語る著作で取り上げています。つまり、阿古智子は現代の先鋭的冒険家のひとり、彼女の場合は研究が付随するから探検家かな、でもあるというのが私の理解です。
その後も、11月からこの年末にかけて、ただでさえ忙しい日々に、この日本政府と中国政府の関係悪化のせいで、またさまざまな媒体で発言する機会が増えているようです。多忙な日々の中で、彼女を理解し応援する人たちと会話し食事することで、疲れ切った心身をなんとか支えている様子がSNSで流れているのを、私は見つめているのです。
阿古智子とローザルクセンブルグと
阿古智子様
お元気でご活躍の様子、いつもFacebookで拝見しています。お仲間たちとの当事者研究のプログラムも始まったようで、今後の展開を静かに楽しみにしています。
今年はちらりと直接お会い出来たこと、嬉しい出来事でした。
さて、ではすぐに本題に入ります。
「しかし、かれらにしても衰頽しつつある政治体における民族主義的感情の巨大な力を、正しく測定することはできなかったのである。」(72ページ、『暗い時代の人々』ハンナ・アレント著 阿部齊訳 ちくま学芸文庫 の中の「ローザ・ルクセンブルグ」の項から)
おそらく(と書くのも、私が現代思想史をしっかり理解しているとは思えないので)、ローザルクセンブルグ(1871ー1919)、ポーランド出身のユダヤ人でポーランドとドイツの共産党の指導者のひとり、は「民主主義」を大切にするという点では人並み優れた方だったと想像します。
ルクセンブルグ主義と呼ばれる彼女の考え方は、全体主義を嫌悪し、敵対するものの言論を擁護しようとするという一点で、おそらく阿古さんのものの考え方にも親和性が高いはず。
そしてそのローザを評論したハンナアレント(『エルサレムのアイヒマン』で、悪の陳腐さ凡庸さ、を語った哲学者)の文章の中で、冒頭の一文を読んだとき、ふと阿古さんが思い浮かんだのです。
上記文章の「かれら」とは、ルクセンブルグを始めとする、第一次大戦後の混乱するドイツ社会の中で、民主主義の理想を唱えた人たち、ルクセンブルグはその筆頭のひとり、のことです。

ここで「衰退しつつある政治体」と書かれているのは、19世紀末期から20世紀初頭における欧州における帝国主義時代の国民国家のことです。帝国主義の没落によって何が起こったか。アンナハレントは同じページで「狂気のナショナリズム」という言葉を使っています。そして、その典型としてもちろんヒトラー/ナチスの台頭があった。それは第一次世界大戦後のドイツ共和国(ワイマール共和国)で、一見すればちゃんと《民主的プロセス》を経て起こったのでした。
ワイマール共和国建国の混乱期に、警察組織によって虐殺されたローザはそのナチスによるホロコーストは経験することはなかった。そして、民主主義の未来を信じたローザ(たち)は、ナチスのホロコーストを予言することはできなかったのです。民族主義的感情はローザ(たち)の予測を超えた巨大な力を持ち、狂気のナショナリズムと化したのです。
さて、狂気かどうかはさておき、故安部元首相の日本愛国万歳主義的な言説が、もちろん強いナショナリズム性を帯びていたことは多くの人が認めることでしょう。フジサンケイグループが支援した「新しい教科書をつくる会」が主張していたのも、ナショナリズム、あるいはパトリオットイズム(愛国主義)でした。
ヒトラーもいいことを言ったという言説もあります。たとえば「平和が大事だ」とか。確かにそこだけ取り出せば、まったく異論はありません。でも、「だから我々の平和のために戦え」となれば…。つまりは大きな文脈というのは、やっぱりあるのだろうと思うのです。そして、その大きな文脈、この場合は「巨大な民族主義的感情を基盤とした政治体」と捉えればそれほど間違っていないと私は思っているのですけれど、の「巨大さ」や「狂気さ」を、さて私はどれだけ認知できているのか?
日本社会が1945(昭和20)年以前の狂気に舞い戻ることはないだろうとは私は思っています。ある意味、楽観的です。だってねぇ…。
見渡せば、素敵な人は多い。(私から見れば)まっとうにモノ言う人も、けして少なくはない。
そう辺りを見回したとき、インターネットで顕在するとっても閉塞的な意見が「多数派」だなんて、私には安易に信じられない。閉鎖的、攻撃的な意見が飛び出してしまうって、インターネットの中でのSNS的な場で避けられない“傾向”なんだろうと思っているのです。だからそれが多数かのように感じられる。
けれども、アーレントが書いた「民族主義的感情の巨大な力」あるいは「狂気のナショナリズム」を、私も測り損ねているのかもしれない。高学歴インテリで、途上国の開発支援なんかにかかわってきた私が触れる情報というのは、当然ものすごく偏っていて、その結果「民族主義的な強大な力」が生む「狂気のナショナリズム」の存在とそのパワーを読み間違えている? その危険性を完全に否定することは、例えば今年の参議院選挙の結果を思えば、私にはできない。
阿古さん、私はね、万が一ですけれど多数が自らそれを選ぶのであれば、「狂気のナショナリズム」だろうとなかろうと、それで仕方がないと思っている節があるのです。それならそれで、歴史上無数存在した無名の人たち同様に、私も路上に跪いて、あるいは壁に並ばされて、あるいは拷問を受けて、死ぬしかないのだ、殺されるしかないのだ、と思っている節がある。せめて殺す側にまわらなければ、ま、いいかな、と。
殺される側にまわる人は、映画の中だけではなく、本当に数知れずいた。今日もいる。そういう運命もあって、それが自分の身に(あるいは自分の身近な人たちにも)起きないなんてあり得ない、と思っている節がある。
もちろん、それは嫌なことだけれど。とっても嫌だけれど。でも、社会の多くがそれを選ぶとしたら、何ができるというのでしょう? 雪崩のような事象と言うのは、社会にはあったし、これからもあるでしょう。人類の道徳的進歩は確実にあると感じるけれど(最近の殺し方はより洗練されてもいる、一晩に何十万人も殺せる時代じゃなくなったよね)、でも歴史はどうしたって行きつ戻りつだもの。ガザでのイスラエル政府主導の大量殺人も止められないのが21世紀も四半世紀になろうとしている現実なのだと痛感しています。
だから、読み間違いがあっても、仕方がない。読み間違ったという事実を生きているうちに知ることになるかどうかは、わかりません。今年61歳の私に残されているのは、せいぜい長くて20年? それが30年になってもたいした差じゃない。もちろん、ぐっと短い可能性だって十分にある。多分、「壁に並んで撃たれて死ぬ」危険性は、高くはないでしょう。ウイグルや、ミャンマーや、パレスチナや、ウクライナや…、で生まれ育ち今も生きている人たちが「言いたいことを書いて殺される」可能性のほうが私が同様に殺されるよりもずっと高いのは100%確実なのです。
でね、「狂気のナショナリズム」への読み間違い…。とにかく、歴史上、そういうことがあったこと、例えばローザルクセンブルグという民主主義を信じた人にも読み間違いがあったこと、をアーレントは指摘した。
大衆運動のリーダーであったローザと、研究と教育を仕事にしている阿古さんは、世間の中での立ち位置も生き方も、ずいぶんと違うはずです。けれども、多くの人たちが幸せに生活するうえで、民主主義に大きな価値を置いた考え方において、ローザと阿古さんは重なるものがある。そして、ローザが見誤ったのかもしれない「誤った愛国主義へのベクトル」という大衆運動に直面している、その矢面に立っているという点でも、ふたりは重なって見える。という戯言を書いてしまったのでした。
阿古智子と正論新風賞と
(以下、阿古さんへの手紙なのか、ブログの記事なのか、なんか混在しちゃっていますけれど、どうぞあんまり細かいこと気にせず読み進めてください)
今から2年前、2023年12月に阿古さんはフジサンケイグループが主催する正論新風賞を受賞しました。私とこれまで数多く(数知れず?)議論してきた古い友人は、そのことを知って阿古さんが受賞を承諾したことを問題視する意見を私に言ったのです。
私の中にも、彼と同様に「阿古さん、なぜ!?」という気持ちがまったくなかったわけではありません。下世話な書き方をすれば、朝日新聞にも、産経新聞にも、そのほかあちこちで言論を繰り広げる阿古さんを、産経が取り込もうとして賞を送った。そんなふうにも見える出来事と思えたからです。
一方で、阿古さんは、どこにでも書くことで広く声を届けたいと考えていたことは知っていました。同じ考えの人に声を届けるよりも、むしろ違う意見の人にこそ自分の考えを伝えたい、知って欲しいと阿古さんは常々言っている。もちろん、そこですぐに阿古さんに同調してもらうことは期待していない。でも、大事なのは多事争論。
そんな言論活動の中で、今回の受賞“騒動”も起こってしまったのだろうと想像したのです。おそらく産経系にも良心的なスタッフはいるはず。そんな人たちとも仕事をしている阿古さんだとすれば、あったはずの受賞の打診に対して、ことさら拒絶するのも煩わしかったであろうことも想像できることです。阿古さんにとっては、そういう煩わしいことはどうぞお勝手にという思いもあったろう。
少々憤慨し残念がる友人に、「だがなぁ、まぁ、待て」というのが私のリアクションでした。もし阿古智子がこのままサンケイ的な論調に取り込まれていくなら、それはそれ。それがはっきりしたら、阿古智子を改めて批判する。私には、いわゆるフジサンケイグループが応援してきた、たとえば教科書問題で従軍慰安婦や南京大虐殺などで記述の改ざんを目指した「新しい教科書をつくる会」の人たち、たとえば故安倍晋三元首相に象徴される民主主義の価値を軽く見る「日本会議」に連なる人たち、阿古さんが新風賞を受賞した2年前に同じ賞を受賞した竹田恒泰氏に象徴されるような“真”の嫌中・嫌韓・嫌朝で排他主義の人たち、と阿古さんが同じ穴の貉だとはどうしても思えなかったのです。
(ちょっとだけ、脱線。この竹田恒泰氏、私はずいぶんとマスコミに露出して放言かましている人だな、程度の認識しか持っていなかったのです。阿古さん受賞の機会に、正論新風賞を理解するために、竹田氏の本も数冊取り寄せて読みました。読まずにあれこれ書くのも良くないなぁと思ったからね。竹田氏から名誉棄損で訴えられて闘っている山崎雅弘氏の著作『ある裁判の戦記』(かもがわ出版 2023)も読んだ。あぁ、これは銭に余裕のある強者が弱者を叩くスラップ訴訟というやつ。竹田氏(銭ある側)は裁判では全面敗訴でした。そういう“勉強”過程を経て、今や竹田氏は私にとっては軽蔑の対象となりました。彼の態度には、常に相手への“冷笑”が根っこにある。鼻で嗤う、というやつです。なんとも嫌らしい。
ちょっと可笑しかったのは、中国を笑いものにして批判する種類の彼の本には、彼には中国の友人がたくさんいる、と書いてあることです。その真相真意はわかりません。本当かなぁ、どんな“友だち”だよ。彼の書く「中国の友人たち」と彼との関係が、阿古さんが日々交流する多くの中国関連の人たちと阿古さんとの関係とは、きっとずいぶんと温度差のある種類の違うモノなのだろうと勝手に妄想できてしまいます。もちろん、竹田氏にも“良い面、好ましい面”はあるのでしょう。気のいいオッサンだ。そんなことは当たり前です。そのうえで、竹田氏のような人がもらうのと同じ賞を受賞しなければならなかった阿古さんの心労を勝手にねぎらいたくなってしまいます、さて、以下話を戻して…)
その後、雑誌「正論」令和6年4月号に掲載された阿古さんの「なぜ、開放的な言論空間が必要なのか」と題した正論新風賞受賞記念論文も入手して読みました。沖縄戦争の記憶、独裁者の戦争観の危険性、扇動のメカニズム、情報統制下のウイグル自治区での事例、東京に生まれている華人の新たな言論空間の可能性、等に触れた後、阿古論文は次のように結びに向かっていく。
「日本社会の問題の根源にあるのは、批判精神、公共精神の欠如だと私は考える。異なる考えを持つ人たちが互いに尊重し合い、法の支配を、マイノリティの権利を守りながら、歴史の記憶を継承し、国のあり方を考え、国際政治を分析し、人権を守り、民主主義を推進するための具体的な活動を展開するためには、そうした精神を育むための教育を家庭でも学校でも、コミュニティでも行わなければならない。差別や偏見をなくすための、既得権益で凝り固まった社会構造を変えるための制度改革を行い、あらたな法整備を行わなければならない。
戦争のリスクが高まる中で、声明を尊ぶ民主主義教育の重要性を、批判精神と公共精神を重んじる開放的な言論空間を発展させる必要性を、声を大にして強調したい。
新風賞の授賞式に私は、普段、産経新聞や正論を読まない人たちも招待している。立ち位置が異なっていても、対話すること、議論することで見えてくるものがあるはずだ。問題意識と価値観が似ている人たちとの会話は心地いい。しかし、自分にとって快適な空間で安住しては社会を大きく変えることはできない。(以下略)」(上記、「正論」の182ページ)
たとえば、もし阿古さんが私を授賞式に招待したとしたらどうしただろう。私はそれこそ「普段、産経新聞や正論を読まない人」です。きっとそれは阿古さんも想像がつくだろう。もし2年前に私が東京にいて、もし彼女が私に声をかけたら……。うーん。おそらく欠席した可能性が高いだろうなぁ。面白がって出席しても、きっと後で自己嫌悪に襲われたのではないか。それは私の偏狭のせいかなぁ。あぁいうの(授賞式)もふむふむと楽しめる心の余裕、あったほうがいいのかなぁ。それに、私が呼ばれて出席したからと言って、その後、産経新聞や正論を私が読むようになるわけでもないだろうし。実際、「普段、産経新聞や正論を読まない」人たちとして阿古さんに招待を受けた人たちの、出席率やその後のアクションはどうだったのだろうか。この点では、彼女の戦略はあんまり成功していないんじゃないかとは想像しちゃうけど、さて?
彼女が言っている、考えの違う人にこそ、自分の書くモノを読んでほしいという気持ちはよくわかるけど……。その点では、阿古さんが産経新聞や正論で発表する文章が、産経新聞や正論の愛読者の価値観とは「ズレ」続けていることを祈るし、そのズレを産経新聞・正論の愛読者が受け止めてくれるとすれば、それは効果的戦略であろうとも想像する。
でも心配にもなる。なぜならば、阿古さんの「人間性の破壊が深刻なレベルにまで及んでいる中国」をもたらしている習近平政権への怒りは強い。彼女自身の身近なところで、彼女の友人知人が泣かされているわけで、その分、その怒りは日本社会の中にいる多くの人びとなんかとは比較にならないほど強い。当然、そういう文脈で書かれることが多いフジサンケイグループ媒体での阿古さんの発言や記述による中国政府批判は猛烈なものになりがちだ。
それでも彼女が竹田氏らと大きく違うのは、彼女は“真”の意味で“中国を愛する人”であることだ。中国が大好きだから、ますます北京の圧政を問題視する(その点が、先にあげた竹田氏たちの嫌中と、根本的に大きく違う点だと私は理解しています)。でも、そのことは、どれだけ日本社会、あるいは正論や産経新聞の読者たちに理解されているのだろうか? あまり理解されていないのではないか? おそらくそのことは、彼女をより一層疲弊させているだろう。つまり、受賞は彼女への誤解をますます増長させてしまってはいないだろうか? SNSなどで紹介されている彼女の多様な活動と言論を知っている私には、彼女が受賞後もまったく変節なく、真摯に民主主義の大切さを訴え続けていることがわかるけれども、それらの活動まで目を配っている人たちは多数派ではないだろう。だから、だから…、とついつい私の杞憂は大きくなっていったのです。そして前述した、ローラルクセンブルクの「読み間違い」のことと、阿古さんがちらりと重なったりしちゃったわけなのです。
試されているのは阿古さんではなく、私なのだ
9月に少し阿古さんと話をして。私は、その杞憂を彼女に投げかけてみました。
その詳細はここでは控えます。けれどもひとつだけエピソード的なことを書くことを阿古さんに許していただくとして。
彼女は新風賞受賞にこだわる私に対して「(もうずいぶんと前のことを)まだそんなことを気にしているの~」と笑ったのです。
そうなんだよ、第一線で走り続けている彼女にとって、正論新風賞など、今やどうでもいいことなのです(「どうでもいい」というのは私の考えで、彼女自身の言葉じゃないですよ)。あぁ、よくわかります、わかります。
とにかく、彼女にぶれはない。それは、9月の再会時に話していて私自身は確認できた気がしています。
むしろ試されているのはこちらなのです。右とか左とかいうレッテル張りに右往左往して、その色分け結果に汲々としているのではないか? 同じ意見・価値観同士で集まって、そこでのパフォーマンスに安住しているのではないか? 大事なのは、結論に至る過程なのに、私たちはいつも結論をすでに決めて話しているのではないか?
そりゃね、そう書きながら私にも迷いはある。違う価値観を尊重するって言ったって、「南京大虐殺は無かった」の議論を聞いていれば、「数だ」「定義だ」、しまいには「信じる」だもん。そんな結論や、過程にいつまでつき合はなくちゃいけないのよって本当にイライラする。そこに歩み寄る必要なんかがあるのか?と思っちゃう気持ちが、なかなか抑えきれない。
でも、民主主義は面倒くさいのだ。スッキリしないのだ。そこがいいのだ。スッキリするってのは、おそらく多様性と反対のベクトルなんですよね、きっと。
今や人は80億人もいて、その多様性は果てがないにもかかわらず、交通移動の利便性は増し、さらにはインターネット革命で世界はますます小さくなっていく。ここ数年はAIがいたるところで顔認識精度を高め、世の中の監視を強めてもいる。コロナ禍時に象徴されるように国境の力は強まり、排外主義が闊歩し、ドローンだけが易々と国境を越えてターゲットとその周辺を殺戮する。人々は、ついついすっきりした答えを欲しがる。そりゃ、どうしたって民主主義は危機に立つよね。
そ・れ・や・さ・か・い~、と阿古智子は大阪弁で言うわけだ(「大阪人もアイデンティティのひとつ」と彼女自身が書いていますから……)。面倒臭がっちゃいけないのだと。傷つくことを恐れてはダメなのだと。それができる能を持った者たちは、その労苦をものともとせず民主主義を守らなければ、と、彼女は言っている。そして、それを実際に彼女はこつこつとやり続けている。それこそ命懸けで。そうだよなぁ、顔を出すことで自分を守る、それも中国政府という超巨大強力な敵と戦っている彼女の戦法戦略だと、私自身が以前、このブログで書いたのでした。
つくづく、彼女を批判する暇があったら、自分で闘え、って思ったのです、改めて。もちろん、みんなが闘わなければいけないわけではありません。自分では闘えない人もいる(たとえば、多くの重度障害者、とか、さ)。その分だって、闘える人が闘って、今日がある。つまり、そういう意味では世界はちょっと頑張れる人が支えてくれている。
阿古さんの存在から、そんなことを思うのです。だから、改めて、お・お・き・に、阿古さん。で、私も私のできることを、そっとそっと。
ということで、ではでは、また。
追伸
今年良かったこと。香港からカナダに亡命した周庭さん、少しずつ元気を取り戻している様子がYoutubeで流れて、それは本当に良かった、嬉しいことでした。彼女は「私はもはや活動家ではない」と宣言しているけれど、そんなことはどうでもいい。彼女に幸多かれと祈るばかりです。早く周庭さんと阿古さんが日本で(そして香港で)再会できる日が来るといいなぁ。香港で再会するのは、まだ当面、ずいぶん先のことになってしまいそうなのが、残念で悔しいけれど。
ふたりとも、どうぞお元気で。穏やかな年末年始でありますように。

















長い文章の記事は普段パスしますが、最後まで読んでしまいました。面白かったです。
匿名様 長文、読んでいただき感謝感激雨あられ。普段はパスだけど読んだって、こりゃ超褒め言葉と勝手に受け取って、嬉しく新年を迎えちゃいます。ありがとうございました!
大晦日にまさか頭が疲れる長文の論文に出会うとは想像しなかった。無学で怠惰の呆け爺が読んだ感想を書くのは不遜かもしれないが何も書かずに2026年が来てしまうのも、曲りなりにも生きている者として悔しいから一言書かせて下さい。そして新しい年に付き合いたい。
この長文の筆者村山さんもこの一年の時間の中で肩の無駄な力が抜けてきたようでうれしい。カンボジアの理科教育刷新に寄与しようとして動き出している企画が大きく発展するような予感がする。阿古氏もフジサンケイグループの何とか賞を受賞し表彰式に臨んで座った椅子でいささかも大やけどを負ったこともないらしい。お二人の交流を垣間見る時。かの国の民主主義は喘ぎながらも生き続けているように思われます。(無学で、喘ぎながらまだ死なずに生きる呆けた爺さんの生活実感です。)
あと1時間47分で2026年が来てしまいます。死んだ後に大地の大きな岩になろうが小さな砂になろうが民主主義の担い手して生きる者、希望をもって新年を迎えましょう。
匿名様
大晦日の慌ただしい日に、なんとも浮世離れした長文を送り付けてしまいまして、失礼いたしました。2025年も、いつも良き読者として伴走していただき、さらにはコメントも何本も書いていただき、本当にありがとうございました。
そちら日本列島は、すでに2026年に入りました。こちらプノンペンも、あと一時間半ほどで新年を迎えます。といっても、西洋正月よりも約一ヵ月遅れの旧正月(こちらでは中華正月)、さらには4月のクメール正月のほうが断然盛り上がるのがこちらの事情です。今夜は市内中心部では若者が集まりカウントダウンを楽しめる場所もあるようですが、比較的静かな新年直前です。こう書いて思い出すのがフィリピンの大晦日で、午後10時を過ぎるころになると、年変わりを待ちきれない人々が小さな打ち上げ花火に点火し始めて、そしてそれこそ0時には町中でヒューヒューという音を出しながら花火が飛び交い、町はその煙ですっぽり包まれる、そんな様子だったことを思い出します。今ごろかなぁ。
カンボジアとタイの紛争も、なんとか12月のうちに停戦にこぎつけ、今日大晦日には数ヶ月捕虜となっていた18名のカンボジア兵士も解放されました。よかったー。
でも、この停戦にこぎつける前の、カンボジア国内だけで数百の死者は、いったいなんなのか?(もちろんタイ国内でも犠牲者は出ています、が、この一ヵ月はカンボジアの被害がずっと大きかったのも事実です)。それを考えると、新年の浮きたつ気持ちもシュンと縮んでしまう、そんな心境です。
紛争前の協議で、とにかく実弾が飛び交うのは絶対に防ぐ。それが政治であり、知恵であろうと信じます。最近のかの国のリーダーは、なにやら実弾が飛び交い始めた後のことでの「万が一の備え」への言及ばかりだなぁ……。それ以前の知恵をしっかりと出してほしい、そう思う2026年の始まり、であります。
市井の一人として、こうしてブログで戯言を呟くぐらいしかできないわけで、屁のつっぱりにもならないのだなぁ。まぁ、そんなもんですわね、仕方なし。
さて、私はこれから今年最後の大便の儀に望みます。 ではでは、また~
村山さん、昨日と今日、じっくり文章を読ませてもらいました。種の保存の特質なのか、人間の弱さを考えれば、民主主義とされる政治システムでも、独裁者が生まれる方向に動く傾向が歴史からもわかる。日本の言論空間もリベラル左派と右翼など、違いがある程度顕著ではあっても、その中には濃淡があるし、何かのきっかけで思想や行動パターンが大きく変化する場合もある。自分としては、一人の人間として社会的意識を持ちながら行動しつつ、参与観察を行う研究者として、さまざまな立ち位置にいる人たちを冷静に分析したい、という思いがあります。自分の位置を固定してしまうことで見えなくなってしまうものがあると考えるからです。賞をもらうこともそういう意味で悩みましたが、社会の分断が深刻化する中で、垣根をこえたコミュニケーションが重要ではないかという問題提起をしたかったということもあります。村山さんが書いてくれたように、探検家でいられるように、今年も心身を整えて、できることをコツコツやっていきたいと思います。
匿名さま、ご丁寧なコメントありがとうございます。また無断でタグ付け、許してね。
「種の保存の特質なのか、人間の弱さを考えれば、民主主義とされる政治システムでも、独裁者が生まれる方向に動く傾向が歴史からもわかる」の一文。人間の弱さ、は同意。種の保存の特質、の部分は反論したい。
「種の保存」というレベルでの、生命を持つ生物種の「本能」的なものを持ち出して、大脳新皮質をこれだけ進化させたホモサピエンス(現代人類種)の行動や選択を説明するのは、無理があると思います。母性とかも、人間は生まれつき持っているわけではなく、学習の結果、そういうものがあるように思いこまされるケースが多いということに過ぎない、と私は一応生物の教師でありますから妥協せず強く主張したい。
民主主義から独裁者が生まれるのはどうしてか? う~ん、いろいろ思うけど、これひとつって正解はないのかもしれない。人間の弱さ、というのは、はい、解りますけれど。
自分の位置を固定したくないのは、自分自身も何かのきっかけで思想や行動パターンが大きく変化する余地を肯定的に残したい、ということだとも理解しました。わかる、けれども、匿名さまがたとえば独裁制を支持する側に“転向”する可能性を良しとするか、恐怖とするか。やれやれ、人生いろいろ、山あり谷あり、あっという間でございますねぇ。
とにかく、はい、結局は「こつこつ」にたどり着くんだよなぁ。手の届く範囲は限られている。だから、でも、そして。