人生は“作品”なのだなぁ… 最近の読書から80億人分の15に当たる人生sをちょっとだけご紹介

人生は作品なのだなぁを感じさせてくれる、本、本、本………

「介助と青春の狭間で―自らボランティアグループ作り」登り口倫子さん1回目 | 当事者の語りプロジェクト -重度訪問介護制度を利用する重度障がい者の等身大の姿- (wawon.org)

4件のコメント

ご無沙汰しております。
私は視覚障害児の学校に勤務しておりました。
就職したとき、障害のある子どもたちと接するのは,彼らの人生全部と関わることが必要だと思いました。学校の期間だけ一生懸命教えれば良いんですよ、との付き合いをする人もいて良いと思います。でも,私はその選択をしませんでした。
私は,カンボジアでの調査では一切の公的資金を使いませんでした。もちろん、使えませんでした,と言う面もあります。あなたは公的な資金を得られない評価なんですよ、と言った方もいます。数年前までは、JICAとも日本大使館とも日本人会とも,関わりなくここまでの教育調査をしました。ですから、これまでいろいろコーディネイトしてくれた妻へは感謝だけでなく、尊敬しております。妻は、私がカンボジアの教育へ大きな(?)力となると思い,支援し続けていると思います。妻がいなければ,私がここで築きあげた結果やそれを元にした人脈はありません。
妻は,ポルポト時代に8人きょうだいの6人までが虐殺されました。きょうだいが連行されるときの姿を思い出すから、と言って私が後ろ手を組むのを嫌がります。ですので、私が虐殺博物館へ行くことを拒みますので、行ったことがありません。
雑ぱくな感想と受け止めていただければ幸いです。

匿名様

読んでいただき、そしてコメントもいただき、ありがとうございます。

書いてくださったもの、高野秀行さんの以下の部分

「まず、誰か信頼できそうな人を自分の取材パートナーに決める。それから、時間をかけて、その人に自分のやりたいことを丁寧かつ詳細に話す。すると、その人が助手件通訳になってくれるのだ。(中略)エンジニアリング的な語学とは対極にあるプリコラージュ語学の神髄ともいえる」(311ページ)

ってあたりに触発されてかいてくださったのかなぁ、と想像しています。

私も、パートナーはカンボジアの方です。彼女には私のカンボジアでの仕事をずいぶんとサポートしてもらっています。本当にありがたいことです。

高野さんの「助手件通訳」と、私のパートナー氏、似ているところも多いのです。けれど、大きく違うこと。それは高野さんの助手件通訳は、期間限定。高野さんの滞在は長くて数か月、短ければ数週間。もちろんきちんと謝金も払われる。それに対して、私のパートナー氏は、24時間雇用??(彼女は平日日中は自分の仕事で出かけていますけれど)
そこは、気をつけなくちゃいけないところだなぁと自分に言い聞かせています。依存し過ぎになるとダメと。私は身体障害があるので、余計依存に気をつけないと、と。

匿名様のパートナー様の献身ぶり、すごいなぁ偉いなぁ見事だなぁ。ちょっとうらやましいぐらいだなぁ。

村山哲也

村山さんは雨期明けを祝う賑やかなプノンペンから何所そかへ移動するらしく、今回は軽い、字数は多くなるが軽く読後感を・・・というようなこと書いているが、恥ずかしい話し、人生をそれこそイイカラカゲンに生きているから『読んだ後のコメントを』などと促されても手はほとんど動かないです。
 制空権も未だにアメリカに支配される非独立国日本の米軍基地の75%を背負う沖縄で体を張って活動する目取真さんの ”ヤマトゥへの怒りを、私はきっと理解できていない” という村山さんの記述に関連して、辺野古への移設問題が遡上したときにある集会で 「”キャンプシャワブからキャンプヘノコではなくキャンプトウキョウへ” とキャンペーンをはったらどうか。必ず在日米軍基地問題について議論が起こるから」という主旨の発言をしたら、若い女性市議から『そもそも基地があることが悪いのにあなたはこの集会の意味を何も解っていない。基地は悪いんですよ!』と半分怒るように、半分諭すように言われたその集会を想起しました。
 私は辺野古問題で現地での反対座り込みへのカンパと東京から座り込み要員派遣取り組みへのカンパしかしたことがない。住んでいる街で行われている辺野古移設反対運動の行動にさえも参加していない。あとは家の中で、心通う仲間と愚痴をこぼすだけ。本当に堕落した生活者です。
 この夏に、非メデイア系の女性映画監督が自らカメラを回した、那覇から70㎞(?)離れた最西端の島のミサイル設置、自衛隊員配備による村の崩壊の現実を映した生テープの上映と講演を聴いて帰宅した日の落ち込んだ自分の心情に次ぐ自分に対する嫌悪の情を味わう一夜になりました。
 人生は ”作品” だ、その通りです。今晩も自責の念で眠れないか。

匿名様

いつも読んでくださってありがとうございます。コメントもありがたく読んでおります。

「基地は悪いんですよ!」と言った市議さんに、目取真さんならなんと言うか。「その悪い基地を沖縄に押し付けているのは、ヤマトゥの人たちですよ」と言うだろう。悪い基地、なくせないのならば、少しは本土で引き受けよと言ったでしょう。
詳細はわからないまま書いていますが、「キャンプトウキョウへ」は、まだ目取真さんの心を少しは軽くしてくれたでしょう。

ちょうど昨夜、オスプレイが火を噴いて落ちましたね。溜息です。

ところで、「堕落した生活です」「自責の念でねむれないか」。
以前、水俣病が社会問題化したときに、電気製品等の現代文明の恩恵を受けていて水俣病に無関心なこの社会の大多数のひとたちは「皆、加害者である」という論調があったそうです。そのことと、沖縄の基地問題に対して反対の行動を起こせない人は「沖縄への加害者である」という論調には何かつながりを感じます。
たしかに
目取真さんの文章には、ときどきそんな怒りがほとばしっていました。
けれど・・・・・

ガザに対して、何もできない人たちは、加害者か?
ウクライナもそう。数年前の香港もそう。戦争や圧政を止められなかった。

途上国の貧困を解決できないのは、私たち先進国の富める者たちのせいなのか。

そうだともいえるけれど、それで責任という話になるのでしょうか?

日本での派遣社員拡大を許してしまった世間も、今の貧困拡大に一役買ったともいえる。
被爆国であるのに、原子力発電の増大を許して、電気を消費し、そして今も原発再稼働へ一直線の政府を止められない私たちも、フクシマ第2事故の間接的加害者。

切りがないです。切りがない。

おそらく、こういう「私も間接的加害者」という考え方にはどこか罠があるような気がします。もちろん、ときには必要な思いではあるかもしれないですけれど、でも、それで「眠れな」くなってはダメなんだと思うんです。
たっぷり寝て、たらふく食べないと。

もちろん、あまりに無駄なエネルギーを消費する(そのラインも明確には示せませんけれど)のもダメだと思いますけれど。腹八文目、ってことなのかな。

そんなことも思いながら、匿名氏のコメント、ありがたく読んでおります。

村山哲也

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