万紀子さんとのご縁は、障害ネタがらみ
私は東京生まれの東京育ち、といっても杉並区・中野区という辺り、あるいは中央線新宿駅から吉祥寺駅にかけてが青春ゾーンなのです。
その私、来年6月に予定されている埼玉県羽生市の市長選挙に注目しています。なぜなら、先日この市長選に立候補表明をされた斎藤真紀子さん(立候補表記は、「さいとう万紀子」)を存じ上げているからなのです。万紀子さんと始めてお会いしたのは、多分2018年ではないか? 当時、私は埼玉県さいたま市の京浜東北線北浦和駅から徒歩10分強というような辺りの賃貸アパートで暮らしていました。
2014年にアフリカの小国ルワンダでの交通事故で脊髄損傷を負い、下半身完全麻痺の障害を得た後、11カ月の入院/リハビリテーションを経て退院して、車イス者として社会復帰するさいに借りたのが、その北浦和の住まいだったのです。都心に出やすい場所、当時私の両親が埼玉県北部の久喜市にいたこと(でも久喜は都心からはちょい遠い)、入院していた国立リハビリ病院からの車でのアプローチが良かったこと、北浦和駅近くに母方の叔父夫婦が二組暮らしていてちょっと心強かったことなどが、そこにアパートを探し当てた背景にはありました。私が退院したのが2015年7月下旬でしたから、2018年ならそろそろ3年間が経ったころ。
万紀子さんのパートナーさん、斎藤さんは鍼灸師として羽生市のご自宅で開業されていた。万紀子さんとの間にはお二人のお子さんがおられた。2017年当時で2歳と5歳。
そして、斎藤さんが突然の高熱と頭痛で倒れたのです。病名を正確に私は知らないのですけれど、とにかく彼の入院は1年2カ月の長さとなった。晴天の霹靂とはこのことで、彼女たちは万紀子さんのご両親の近くで暮らしていたのですけれど、とにかく病院との往復やらなんやらで、万紀子さんはとつぜんの激動の日々を送ることになったのです。
彼女の知り合いに、後藤雅浩さんがいて。彼は私の高校同期なのです。といっても1学年に400人を超える同期がいて、すまん後藤さん、私は高校時代に後藤さんの印象はまったくない。一度も同じクラスにはならなかったものね。
ただ、彼はサッカー部、私は野球部。同じグラウンドで活動していて、サッカー部と野球部は練習場所の取り合いで当然のように仲が良くない。部員数が多いサッカー部に対して、弱小野球部は部員数も少なく、キャプテンをやっていた私はちょっと悪目立ちしていたに違いません。後藤さんは、なんとなく私のことを知っていたそうです。
さて、この後藤さんが、万紀子さんと私との天使のキューピット(この場合のキューピットは、友人関係の矢を持つタイプよ)。斎藤さんの退院が近くなり、病気の後遺症で車イスも使う生活になりそうだということで、自宅の改造を万紀子さんが後藤さんに相談した。けれども後藤さんには車イス者の生活に関してほとんどまったく情報も経験もなかった。「そういえば、高校同期の村山ってのが、最近車イスになったって聞いたなぁ」と私を思い出してくれた後藤さんが、私への連絡先を探し当て「情報を求む」というメッセージを確かメールで送ってきてくれたのでした。
ほぼ隠遁生活を送り、時間だけはたっぷりある私としては、そういう声はむしろありがたいぐらいで。ならば、同じ埼玉県内だし、北浦和までお越しなさいと返信したわけ。そして、後藤さんと万紀子さんがやって来た。
借アパートメントでしたけれど、(もちろん家主の許可は得て)私の暮らす部屋には簡易でしたけれど車イス生活のための多少の改造を施していたのです。特に重要だったのがトイレと風呂。
見学にきてくれたお二人に、きっと私は嬉々として我がトイレ生活と風呂生活の工夫を実演を含めて語って聞かせたに違いありません。
後藤さんと私は1964年4月~1965年3月生まれの学年。万紀子さんは1981年生まれとのことです。万紀子さんは車イスおじさんの語りを、メモを取り、写真を撮り、熱心に聞き取ってくれました。明るい、素直、率直、まっすぐな人、人の話を聞ける人、自分の言葉を持っている人、そんなさわやかな印象が残ったのです。また会いたいな、そんなふうにも思ったよね、きっと。
というのが、万紀子さんと始めて会った思い出なのです。つまり、第一印象、◎。
万紀子さん議員になる、さらに市長選に立つってさ
後藤さんに言わせると、嬉しいことにこの会見は「斎藤さんちを車イスでも暮らしやすいように改造する」というお仕事にとっても役にたったということなんです。ちょっと専門用語になりますけれど、お風呂を高床式にするとか、その資材とか、あるいは車イスからトイレの移乗のアレンジとか、確かに具体的だったのは有効だったのかもしれません。彼は後日、そのときの私の実演含みの解説を「尻の穴まで見せるかのような、ノーガード戦法だった」と評してくれました。もちろん、服は脱いでませんよ。(若い方向けの注:ノーガード戦法というのはマンガの歴史的名作『あしたのジョー』の中で、ボクサーであるヒーロー矢吹丈が得意とした戦法のひとつです。ガードを下げて打たれながらも前に出るジョーに対戦相手は言いようのない戦慄を覚え尻込みしたといいます。後藤さんも私も、あしたのジョー世代からは少し年少、連載紙少年マガジンでの最終回掲載時の1973年ではまだ9歳、ですけれど、それでもジョーの「真っ白に燃え尽きたぜ」には、連載時に読み込んだのではなかったにせよ、心が震えたのです。つまりノーガード戦法は、後藤さんからの誉め言葉と私は光栄にうけとめているのでした)
そして、自宅の改築が終わり、斎藤さんが退院して自宅生活に復帰した際に、私は斎藤さん宅まで一度遊びに行きました。まだ幼いお子さんたちがにぎやかに歓迎してくれたなぁ。斎藤さん宅の玄関には車イス用のスロープがあつらえられ、そして玄関の真ん前に立派なサクラの樹がありました。室内は車イスでの暮らしに対してとっても優しく改造されていて、鍼灸師の斎藤さんが車イスでもお仕事ができるようにも工夫されていたことを思い出します。
そのときに寄った近所にある後藤さんの自宅が、これもまた印象的。彼は何かのきっかけで勤め仕事を辞めて羽生に移り住んだのでした。そのご自宅は、関東平野独特の防風林に包まれた中に建つ古民家で、その周辺には田んぼやら畑やら、池やら原っぱやら林やらが広がっている。
そこで後藤さんは何やら地域社会とそこにある自然との関係を大切にした暮らしを送っているようで、いわゆる根無し草であっちいったりこっちいったりふらふらしている私から見れば、かなり刺激的な日々があるらしいのでした。だって、月に数回パンを焼いて販売する日があったり、庭にはミツバチが飛び交っているし、山羊たちもわさわさしているし、田植えだ稲刈りだと人々は集まってくるし。

つまりは、そういう文脈の中で、後藤さんと万紀子さん/斎藤さんは知り合ってきたのだなぁということなのです。そこにちょこっとだけ混じることができたような気分が私には湧いてきて、それは嬉しいことでした。
ということで、私は今でも日本にいると、その隠れ家である浅草から羽生の後藤さんちを訪ねることがあります。一昨年にも遊びに行ったし、その機会に万紀子さんにも再会しました。
万紀子さんは、斎藤さんの病気の機会に市役所での福祉関連の“交渉活動”に目覚め、それがきっかけでなんと羽生市議会の議員になっちゃったのでした。なんでも万紀子さんが議員になる以前、羽生市議会には女性議員はいなかった? とにかく、万紀子さんが議員に立候補したとき、羽生市議会には女性議員はいなかったはずです。
そんな男社会に万紀子さんが入ったらさてどうなるのか? そりゃどうしたって注目しちゃうじゃないですか。(ちなみに、市長選に女性が立つのも、羽生市では万紀子さんが史上初と聞きました)
そして、私には幸運だったのは、万紀子さんの考え方は、保守とか革新とかそういう枠組みに縛られない柔軟な“生活者”視線で、でも、人権とか、多様性とか、大きなことでは人として当たり前に共感し合える、そんな風だったのですよ。だから、特に「ゑ===!そうなの!?」とか思うことなしに、彼女の活動を観ることができた。私は羽生にはそれまでまったく縁がありませんでしたから、応援するっていったってあくまで心の中でひっそりでしたけれど、でも「万紀子さん、がんばっているなぁ」なんて、彼女から流れてくるSNSの情報に、感心したり、はらはらしたりして、つまり応援心を盛んに燃やしていたのです。
万紀子さんは議員2期目も半ばとなり、さてこれからどうするのかなぁなんて思ってたところに、入ってきたニュースが「さいとう万紀子、羽生市市長選に立候補を決める」です。なんとなくですけれど「万紀子さん、市長やらないのかなぁ」なんて私思っていたものですので、このニュースを聞いて、うっひょー!と私思ったのでした。そりゃ、ますます注目しちゃいますわよ。
万紀子さん応援表明の辞
人は一人にして生きるにあらず、なんて言いますよね。それは、ときには自分ではあり得なかった人生を歩く他者の日々を垣間みる、想像する。そんな楽しみ方ができるってことだと思うのです。
たとえば、ジャズ奏者の日々、大手商社スタッフの日々、教員の日々、国連関係機関職員の日々、恋多き人の日々、孤高を守るかのような生活の日々、画廊経営者の日々、お医者さん/看護師さんの日々、議員の日々、旨き酒と肴ばかり吞み食いしているかのような日々、NPO運営者の日々、大学教授研究者の日々……。もちろん、それぞれ悩みも多いはずなのですけれど、まぁそういう部分はさておき、自分ではけして経験できない日々があって、SNS(ソーシャルネットワーク)の恩恵もあって、そんな日々をちょっとだけおすそ分けいただけることが増えてきているように感じます。(私自身も、元高校野球監督で、途上国の教育応援者で、中途障害者で……という人生を、ちょっとだけ皆様におすそ分けしているのだという気分は当然ありますし)
で、もしかして、そんな私の密かな楽しみの中に、「市長の日々」が加わってしまうのか? むろん、それは簡単ではないとしても、少なくとも「市長選候補者の日々」というのは、どうやら確実に楽しむことができちゃいそうなのです。それはつまり、「市長選の立候補者を応援する日々」を私が送れるということでもある。先に書いたように私の応援など、応援と表現できる域に達していないのですけれど、まぁそれを私が気にしてもしょうがない。
万紀子さんには大変失礼な書き方になりますけれど、競馬を楽しむなら馬券を買え、ということですよねぇ。つまり、この場で万紀子さん応援をしっかり書くというのは、私には「馬券を買う」一環である。
そしてね、ちょっと真面目に書くと、万紀子さんのような方が市長になるって、民主主義の市民社会でとっても大事なことだと感じます。そういうチャンスに対して、羽生市の人たちがどんな答えを示すのか。それはやっぱりドキドキワクワク、とても興味深いのです。
私の見立てなぞ書いても詮無いことではありますけれど、万紀子さん、市長として素敵な資質を持たれていると推察するのです。直接お顔を見てお話しする機会はまだ5回程度しかないのですけれど、それでも直接お話をすれば、その人のお人柄はわかる。私にとって、会ってみて話してみて「この人は大丈夫、信用できる」と思えるかどうかは、とても重要なことです。これまで「大丈夫」と思って、それほど大きく外した覚えはない(あったとしたらさっさと忘れているかもしれませんけれど)。そして、はい、万紀子さんは「大丈夫」な人です。
まだ若いから、それに市長選挙とかどうしたってスポットが当たってしまうから、そりゃもしかしたら背伸びしたり張ったりかましたりという瞬間もあるかもしれない。そして、はったりの一つや二つもかませなければ、政治などやっていけない、というふうに考える向きもあるかもしれない。けれども、万紀子さんは、素で立つ能力がかなり高い方だと思います。飾らなくてもいられる。そういう方が市長になる、って素敵じゃないですか。身も蓋も無い言い方でいえば、単なる一人の羽生っ娘。それ以上でも、それ以下でもなし。そういうこれまでなかった選択肢(候補者)が、羽生市の市長選に加わる。それはきっと素敵なことだと思います。羽生市の方々、市長選はまだ半年さきですけれど、さいとう万紀子、おススメでございます。
そして羽生市以外の方々、さいとう万紀子、ちょっと心に留めておいてくださいな。心ある方々が見守ることで、それは万紀子さんにとってエネルギーになるだろうし、心くじけて足元をすくわれそうなときの錨にもなるだろうと想像するのです。皆さま、さいとう万紀子への注目、どうぞよろしくお願い申し上げます。
斎藤万紀子さん、今後の展開、楽しみにしています。けして楽ちんではない道だろうとも想像します。まぁ、それもよし。応援しています。心からエールを送ります。ガンバレ~。
そして何よりも、お身体を大切に。しっかり寝て、しっかり食べる、ですぜ。ガンバレ~。
追記:ちなみに彼女は政党の推薦は受けていません。今後も受けないことを表明しています。
記者からの「保守ですか、革新ですか」という質問に、国政と違って市政レベルでは「保守or革新かという主義は重要ではない」と話しています。なるほど。現市長(現在5期目)の政策には議員として是々非々で向き合ってきたそうです。現市長による市政でのこれまでの成果を尊重しつつ、多選の弊害については遠慮しつつですけれど語っています。以下、彼女の市長選出馬の決意表明の記者会見の動画です。
会見中に彼女が現在明治大学の大学院生であることも語られています(来春、修了予定だそうです、修士かな?論文大変だぁ、万紀子さん、健闘を祈る!)。そして、彼女の明治大での教官のおひとりが、私が30代はじめに海外支援(スリランカでした)の現場でお世話になった源由利子さんだったりするのです。なんという偶然。源さんつながりも、ちょっと嬉しい私です。
追記2: 以下は、さいとう万紀子さんの公式ホームページです。

















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