全国脊髄損傷者連合会報誌での連載転載シリーズ 付録  あるALS患者のお話(ご紹介)

プノンペン市 サップ川東岸より、ほぼ真西に沈む夕日を望むの図。乾季終盤のこの時期、サップ川の水は写真奥方向のトンレサップ湖からメコン川合流地に向けて、つまり上流から下流に向かって流れています。

障害を得た後に出会ったALS患者の人たちが置かれた状況のこと

 2014年に脊髄損傷による下半身麻痺の障害を得た際、11か月ちょっとの病院生活が続きました。そのとき、ベッドの上で取り寄せた本をずいぶんと読みました(「たっぷり時間があった」と一度書いて、それは取りました。3度の食事、リハビリテーション、お風呂、排便排尿処理、そしてやがては自立トレーニング、見舞いに来てくださる方々との時間、等々、実はけっこう忙しかったということを思い出したからです、1日1日、わりとどんどんと時間が経っていったように感じていました)。よく手にしたジャンルに、いわゆる障害関係の書籍がありました。その中で出会ったのが、立岩真也さん(彼には《先生》をつけたい気分!)もそれまで知らなかった、そして出会ったとても重要な方です。彼は、立命館大学先端総合学術研究科教授であり、つまり社会学の研究科です。主著に『私的所有論』があり、この本は、「あなたの生産したものは、あなたのものであるのか?」という問いをとことん追求した、うん、難しいよ、でも面白いし大切なことが書いてあるよ、という本です。

 でも、彼の著作、私が最初に手にしたのは『ALS 不動の身体と息する機械』(医学書院 2004)でした。とても強い印象を得た本です。
 私がグダグダ説明するよりも、インターネット書籍店の中で立岩さんが自ら記されている本の内容をそのままコピペしちゃいます。(以下、Amazonの該当書のページより著者からのコメントの部分です)

 「自分らしく」、「自然に」、はもちろんよいことだと思う。けれど、息が苦しくなったら、自分らしく、自然に、死ぬだろうか。
 筋萎縮性側索硬化症=ALSというやっかいな病気がある。全身の筋肉が動かなくなっていく、まだ治療法のない病気だ。やがて呼吸も苦しくなるから、呼吸を続けるためには人工呼吸器が必要だ。けれど実際にはかなり多くの人がそれを使わず、亡くなる。そして、そのことが、その人によって選ばれた死として、また自然な死として、よいこととされる。それは違う、ように思う。
 私たちは、昨今の決まり文句である、「本人の決定」のための、「中立」の、「情報提供」という路線を、そのまま受け入れてよいのだろうか。死ぬとか生きるとか、こんな時に、こんな時だけ、リベラリストになってしまうのは、妙ではないか。あるいは「機械的な延命」「たんなる延命」に対する「自然な死」「人間的な死」。こんな時だけ、私たちは自然主義者に、人間主義者になってしまう。それもやはり妙ではないか。
 しかし他方、身体がまったく動かなくなるというのは、やはり究極的なことのようにも思う。完全な無為、あるいは身体に閉じ込められる恐怖。そうなって私はやっていけるだろうか。私は、間違いなく臆病な人間だから、息が苦しくなるのは恐怖だ。しかし、私に限ればそれよりはまだましとしても、身体のどこも動かないとはどんなことだろう。その前に生きるのをやめるのも無理のないことなのだろうか。
 これらを知りたいと私は思った。ALSになった人たちが、例えばわずかに動く身体の動きを感知するコンピュータを使って書いた文章がある。そうして作られたHPも多くあり、また本も出版されている。そうした文章をできるだけ集め、並べ、私自身もできるだけ考え、書いた。結果450頁になったこの本に書き切れなかったこと、より詳しい本の紹介、等は私のHPからご覧になれる。

 この本を読んだ後に『逝かない身体―ALS的日常を生きる』 (川口有美子著 医学書院 2009)にもたどり着きます。川口さんは、お母さんがALSとなられたことをきっかけに、1995年から2007年まで、家族とヘルパーで11年間にわたるお母さんの在宅療養を支え、さらにALS患者支援を広く実践されてきたALS介護の第一人者であられます。
 私が退院して社会復帰後数年たってから、川口有美子さんが私が卒業した野球部のある高校の2年先輩である(全然知らんかった)ことから、なんと直接お会いしてお喋りをするという僥倖にも恵まれました。川口さんは、岩立さんの指導を受けに立命館大学に進学されてもいたのです。ナルホドー。川口さんとは、今もフェースブックというSNSでつながっていて、互いの発信にときどきコメントすることもあります。

 そんなわけで、ALS患者とその介護の問題は今の私には、障害を得る前と比較するとぐっと身近で、それほど他人ごとではない(いやいや、当事者やご家族、介護者からすれば、そりゃどうしたって他人ごとレベルでの理解がせいぜいなわけですけれど)ことなのです。

ALS患者 杉田省吾さんが自ら綴る記事  

 さて、数日前、川口さんがひとりのALS患者の日常を綴った記事を紹介してくれました。その内容が、私がちょうど転載していた全国脊髄損傷者連合会報誌での連載記事と、どこかかぶるところがあるものなのです。

 ちょうどいいタイミングと思い、以下ご紹介することにしました。BuzzFeed Japan株式会社が作っているニュースページで 2023年3月24日に公開された『「生きる」を支えるつながりを ALSを発症して10年の僕が考えてきたこと』というタイトルの記事です。タイトル以下の説明には「川崎市の杉田省吾さんは体中の筋肉が徐々に動かなくなっていく難病、ALSを発症して10年が経ちました。「つながることから全ては始まる」。この10年で気づいた生きるために必要なことを綴ります。」と説明書きがされています。

「生きる」を支えるつながりを ALSを発症して10年の僕が考えてきたこと (buzzfeed.com)

 記事の書き手である43歳でALSを発症した杉田さんは、「それほど長くない時間で、自分は死ぬのだ」ということを一度は受け入れます。その杉田さんの意識は、ALS界隈のレジェンドたち、つまり人工呼吸器を装着して生き続けているALS患者の方々と偶然知り合うことで、段々に変化するのです。
 杉田さんは、記事の中で次のように書かれています。

 そこでふと気づいたんです。「あっ、おれは別に死にたいわけじゃないんだ!」ということに。ずっと死と向き合い受け入れることばかり考えていると、こんな当たり前のことまで忘れてしまうんですから恐ろしいことです。
 レジェンドたちから大きな気づきを得て、発症から3年が過ぎてようやく生きること、未来のことを考えられるようになったのでした。

 そこからALS患者としての、杉田さんのさらなる日々が続きます。
 詳細は記事本文を読んでみて下さい。そして杉田さんは、今の日々を以下のように書かれています。

 幸い私のALSは「動かない」以外なんの症状もなく、すでに動かないことが日常なので、日頃自分が難病患者で重度障害者だと意識することはありません。(中略)

 皆さんに強調したいのは、体が動かないから何もできないというのは完全に誤解で、情報とサポートと本人の好奇心次第でやれることはたくさんある、ということです。
 体が動かないのだから何もできない、生きていてもしょうがない、と思っていたヤツが言うのですから間違いないです

 杉田さんの記事から私が改めて感じるのは、適切な情報と出会うことの重要さです。
 脊髄損傷の場合でも、実は情報収集の段階で戸惑ってしまう事例が少なくない。そして、十分な情報と出会うことなく、なんとなく流されていく事例が多いのだろうと、自分のこと、そしてその後に知った事例などから強く感じるのです。

 杉田さんは記事の中で、ケアマネージャーの役割についても触れています。私自身は、まだケアマネージャーにお世話になることはないのでしょうけれど、でも、やはり様々な事例からも、ケアマネ―ジャーの役割の重要さを痛感します。ここも、素直で聞き分けのいい患者に終始していてはダメなのだろうということが多いように思うのです。患者やその家族が、自ら勉強し(情報収集し)主張することは、ケアマネージャーとの協働につながるための、とっても大事な過程なのだろうと強く想像します。たとえあちらがプロフェッショナルで、こちらが素人だとしても、全部お任せじゃ、あかん、と。ここが、なかなか簡単じゃないところなんでしょうけれど、でも、難しさを判ったうえでやっぱりそう思うのです。

 このブログを読んで下さっている多くの方は、健常者でしょう。けれど、高齢化社会では、すべての人が障害者予備軍です。他者のケアが必要になるのは、ごくごく普通のこと。
 その観点からALS患者の事例は、多くの人たちにとって学ぶことのおおいことがたくさんあるように思うのです。

 ということも少々思っての(おせっかいではあるけれど)、記事紹介です。

 杉田さんの記事は長文ですので、私の文章まで長くなっては恐縮至極。ということで、今日はここまで。ぜひ皆様、杉田さんの記事、読んでみて下さい。
 川口さん、杉田さんの記事の紹介、ありがとうございました。

 そして、杉田省吾様。素敵な記事をありがとうございました。ALSからみればちょろい障害の私ですけれど、杉田さんの記事を読んで、とっても元気づけられます。素敵なパートナー様のことも、かっこいいお二人だと感じ入って読みました。この場で恐縮ですけれど、心からお礼申し上げます。引き続き、この世界をぜひご一緒いたしましょう。
 

 ではでは、またまた。

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