「人を不幸にすることで儲ける仕事はしないでください」
数年前、東京都内の私立校の中学3年生男子クラス諸君30名ぐらいの前でちらっとお話をしたのです。何を話したかはもうほとんど忘れてしまったのですけれど、印象的で未だに覚えていることがひとつあります。定められた時間が終わりを迎えたとき、最後に私は「これからの人生で、どうぞ人を不幸にすることで儲けるような仕事はしないでくださいませ」と伝えたのです。この言葉への生徒さんたちの反応は確かにあったように感じました。瞬間、みんなの視線がパキッとこちらに注がれたような。話した後に短時間で書いてもらった私へのメッセージでも、その最後の言葉に向けられたものがいくつかありました。
あぁ若人たちは、「人を不幸にして稼ぐようなことは、心底したくないのだなぁ」と思った。一方で、昨今のオレオレ詐欺やら、暗闇職場での搾取やらのニュースの氾濫に、自分の将来のあるかもしれないネガティブな現実の予感に皆どこか怯えているのだなぁとも感じた。
だからこそ、「ダメなものはダメだよぉ」とひとりの大人が呟いたことで、少しだけでも彼らの良心?未来への希望?を勇気づけられたとしたら嬉しいなぁというふうに、今思い返しても彼らの未来に幸多かれとちょっと祈るような気持ちになるのです。
さて、最近インターネットでとても気になる記事がありました。
記事の内容は2013年にトルコからやってきて日本で暮らしていたクルドの人たち家族に、昨年夏に起こった出来事です。彼らは両親、さらに来日時に2歳と1歳だった兄妹(昨年時で兄は中学校3年生の15歳、妹は14歳となりました)、合わせて4人家族。母子には難民申請の在留資格が認められていましたけれど、父親だけは申請が認められず、非正規滞在で「収容を一時的に免れる」仮放免でした(家族で来日する以前に父親は単身で日本での就労滞在経験があったため、彼の難民申請が認められなかったと思われます)。ですから、父親は定期的に出入国在留管理局(以下、入管)に出頭し仮放免の延長の手続きを取ることで、家族みんなでの生活が可能となっていました。2025年8月19日、朝に自宅を出て東京品川の東京入管所に向かった父親が、そのまま連絡が取れなくなります。入管を訪れた父親は、そのまま収監されてしまったのです(理由が母子に伝えられることはありませんでした、高まる外国人排斥の声に入管が強制帰国を数多く執行するようになったことが背景にあるのは、確実です)。父親を心配して同じ日の午後に入管に出向いた母子に、職員は次のように伝えています。
「明日、一番に本人から監理措置の申請をするように。許可されれば解放されます」
監理措置というのは、2023年の入管難民法改正で導入された制度で、この申請が受理されれば父は解放される可能性があるということを職員は伝えたのです。家族が日ごろ連絡を取っていた弁護士が夏休みに入っていたため、母子は苦労して自分たちで父親の監理措置の申請書類を作成したのです。そして翌20日午前中に再度東京入管を訪れ父との面会を求めました。すると職員は母親たちに「あなたの夫はもうここにはいない」と伝えたのです。それを聞いた母親は卒倒してしまいます。けれども、救急車を呼ぶことを求めた子を入管職員は無視します(幸い、母親はその後その場で意識をとりもどします)。その後、母子が入管でできることは何もありませんでした。
その日の夜遅くに、ようやく父親がイスタンブールから電話連絡をしてきました。その際に彼が日本の家族に伝えた内容を、その記事から引用します。
【父親によると、19日に収容された後、20日の午前3時に起こされた。トルコに送還するのだという。父親が「子どもも妻もいるんだ。帰れるわけないでしょう」と言った瞬間、職員約10人が四方八方からスリマンを押さえつけ、馬乗りになった。そして、電気ショックのような鋭い衝撃を受けると、ぐったりしてしまった。「手錠もかけられ、飛行機に無理やり乗せられたんだ」と父親は話した】「入管か何か知らないけど、制度が間違ってます」と悔しがる友だちも⋯“プロサッカー選手になる夢”を奪われた15歳クルド人少年のその後 | 文春オンライン
調べてみると、この8月20日、トルコ航空が成田空港を午前10時35分に発するイスタンブールへの直行便を運航しています(トルコ航空TK51便、このフライトはエジプト航空MS9359と全日空NH6637 とコードシェアしています)。
おそらく、記事の父親はこの便で強制帰国させられたのでしょう。
私が気になったのは父親の証言を基に書かれた記事の以下の内容です。
「20日の午前3時に起こされた。(中略)職員約10名が四方八方からスリマンを押さえつけ、馬乗りになった。そして、電気ショックのような鋭い衝撃を受けると、ぐったりしてしまった」
調べてみると、その日は水曜日、平日です。平日の夜明け前の時刻に入管の収容所には何人の職員が働いているのかは私は知りません。東京出入国在留管理局の職員は2689人(2022年のデータ東京出入国在留管理局との意見交換報告 | 認定NPO法人 難民支援協会)だそうです。想像していたよりずっと多いのだなぁ。東京入管の施設に収容されている外国籍の人たちは30~40人とのことですから、収容所には夜間でも百人を優に超える職員が働いているのかもしれません。
とにかく、午前3時という時刻にひとりの成人男性を約10人の職員が押さえつけ、電気ショックのような機具をつかってぐったりさせるのです。もちろん、時間がそんな早朝でなく、例えば午後3時なら問題がないということではありません。でも午前3時という時間は……やはり尋常ではない。こんな時間にこのような仕事を繰り返しても職員の心が蝕まれない、ということを私は信じることができません。無垢な心であれば、蝕まれて当然だ。かかわった職員の年齢は知りませんけれど、若ければよけいに心に闇を抱えることになるのではないだろうか?
あるいは、父親が拘束された日の午後、入管を訪ねた家族に「明日一番で監理措置の申請をするように。認められれば解放される」と伝えた職員がいました。翌日の日の出前には父親は強制送還のために集団暴行を受け強制帰国となるのですから、この職員の言葉は嘘だったことになります。翌朝に家族が書類を整えて入管を再訪したときには、すでに父親は成田空港だったわけですから。
この嘘を伝えた職員が、意図的に嘘をついたのかどうかは私には判りません。けれども、この組織は、職員に嘘をつかせて平気なのです。言葉は軽過ぎると、その言葉を使う人間の心をやはり蝕むと私は確信しています。翌日に同じ職員が必死の母子に対応したのかどうかも私には判りません。けれど、もし「明日申請せよ」と家族に伝えた職員が、翌朝に「父親はもうここにはいません」と伝えたとすれば、あるいはそれを横目で見ていたとしたら、その職員の心の中は乱れたに違いない。あるいは、もうそういうこと(嘘や暴力や)は日常茶飯事化していて、心はそんなことで乱されることもないぐらい職員たちの心は荒れ、それに慣れてしまっているのか。そうなのかもしれません。8
そういう職場も、やっぱり真っ暗闇な職場といえるのではないか。それを日本国政府は運用しているのです。必要悪? 汚れ仕事? 悪で汚れでもなく、国益のためには必要な胸を張れる仕事なの?
私は私の知人友人、もちろん家族、さらにはすべての人々が、このように心蝕む仕事をすることなく日々を過ごしてほしいと思う。このような仕事は、何か間違っている。もちろん、世の中きれいごとだけでは済まないのだろう。けれど…、これ本当に必要なの? こんなやり方しか、できないの?
このような仕事は、人の不幸につながることで日々の生活の糧を得ているという点で、やはり考え直すべき種類の営みなのではないでしょうか。
遠い(けれど)一国家解決への道へ……
このニュース記事を読んだとき、私は『ホロコーストとジェノサイト ガリツィアの記憶からパレスチナの語りへ』 (オメル・バルトフ著 橋本伸也訳 岩波書店 2024)という本を読み進む数日を過ごしていました。この本、翻訳者自身があとがきで「本書を通読することで(略)著者の複雑な思考の軌跡を読み解くことができるであろう」と書くように、確かに大いに複雑な本だったのです。難解ということではないのですけれど、書かれていることを理解するために私には高い集中力が求められる読書だったのです。あぁ、若い頃と比較して、やっぱり俺の集中力は落ちているのだなぁと改めて思いながら、じわじわと読み進めていたのでした。

この本の最初の3分の2は主に、私にはなじみのなかった東欧のガリツィア(現在のウクライナ西部とポーランド東部をまたぐ地域)を舞台とした、ユダヤの人たち(イディッシュ語を母語とする人たちなのだと思う)、ポーランドの人たち(ポーランド語を母語とする人たちなのだと思う)、ウクライナの人たち(ウクライナ語を母語とする人たちだと思う)をめぐる入り組んだ話が、少々専門的な学術的な背景も含めて、続きます。ここが手強わかった。
ガリツィアで、人々はは400年以上隣人として共に社会を構成していたのだけれど、まず民族主義の勃興によりポーランドの人たちもウクライナの人たちも、それぞれ気持ちが盛り上がり、そこにロシアの侵略やら、ドイツの侵略やらがあり、19世紀から20世紀にかけて世は乱れる。そのなかで「離散した民は最後は神の地に帰る」という宗教に帰依するユダヤの人たちは、つねにその土地の主人公ではない仮留めの存在であり続け、そして排除され、消えてゆく。
この部分を突破すれば、後半3分の1には現在のパレスチナ/イスラエル問題が、筆者の個人史と重なりながら浮かび上がってきて、私の読み進みは一気にスピードアップしたのです。
ガリツィアでのユダヤの人たちの排除は、ナチスドイツによるホロコーストのせいではあるのだけれど、著者のバルトフはその殺戮はアウシュビッツのような絶滅収容所のガス室だけで行われたのではなく、多くはユダヤの人々が他民族と共存していたコミュニティの中で行われたことを実証し強調します。ガリツィアでは、ポーランドの人も、ウクライナの人も、ユダヤ人撲滅に積極的に関与し、消極的に関与し、隣人を匿おうとし、匿っていた隣人の存在を密告し、あるいは自ら匿っていた隣人を自ら殺し、残された財産を得、盗み、売り、目撃し、記憶し……。つまり当時幼かった子どもたちを除けば、社会の皆がその大量虐殺行為のなんらかの「責任」とは無関係ではなかったのです。もちろん、ユダヤの人たちの中にも自分が殺される順番をできるだけ後にまわすために、平時の人の道の価値観からすれば非難されかねないような行動をとった者もいた。
著者バルトフは、イスラエルが建国した1948年から6年後にイスラエルで生まれたユダヤ系イスラエル市民です。彼の父方母方双方の祖父母がガリツィア地方からパレスチナへの移民でした。父親はその両親がパレスチナに到着してすぐに生まれ、母親は幼いガリツィアの日々の記憶を抱えながら、その両親とパレスチナにやってきた。その父と母は、1948年のイスラエル独立戦争を兵士として闘い、そして彼らが勝ち得たイスラエルの地でバルトフは生まれたのです。ガリツィアに残った彼の親族は父方母方ともに、1939年まで連絡が取れていたようですが、その後皆行方不明で、どのように殺されどこに遺体が埋まっているのか、まったくわかりません(ナチス党がドイツの政権についたのは1933年、そしてナチスドイツのポーランド侵攻が1939年です)。
つまりバルトフは、イスラエル国家樹立後、そこで生まれた第一世代のひとりです。彼が育ったイスラエル社会には、誰もが触れることを避けたホロコーストの記憶が沈殿していたし、彼が遊んだ町はずれには誰も世話する人のいないアラブ人の墓地があり、彼はそれとは知らずにアラブの人たちの生活をわずかに示すサボテンの垣根跡で、サボテンの実を取って遊んだ。そして彼が育った社会には、誰一人としてごく近年までそこで暮らしていたアラブの人たちの話を伝えることはなかった。
そして、青年となったバルトフは兵役にも就き、1973年の第四次中東戦争を激しく戦い、深く幻滅するという経験をしています(本書 214ページ)。やがて、彼は第2次大戦のドイツ軍事研究者として米国で職を得、米国を定住地として現在に至っています。
研究上の彼の問いは「なぜドイツ兵は戦えたのか」という疑問から始まり、やがて「ガリツィアに残るユダヤの人たちの生活の遺構」と「イスラエルに残るアラブの人たちの生活の遺構」の共通性に至る。それは、ユダヤ人撲滅作戦の結果であるホロコーストと、イスラエル建国の結果であるパレスチナでのジェノサイドとの類似性に至るということ。
さらにそれは、過去を隠蔽すればするほど過去に取り憑かれてしまう東欧諸国の問題が、イスラエル国家の未来と重なったということ。
貧困で歪んだ見方を抱いたままで足を踏み出すのだとしたら、つまり、自分たちの多様性の歴史と自分たちがその破壊の共犯者だったことの両方に向け合わないのだとしたら、寛容に向けて、つまり他者の文化と伝統と宗教と信仰、あるいは身体的な外見や服装、話し方や行動の受容に向けて、どの程度再教育が可能なのかにある。(240ページ)(ムラヤマ注、これは反語でしょう。つまり「過去を歪ませている限り、寛容・受容に向けての再教育は困難だ」、と筆者は言っているのだと私、村山は理解しました)
私は、一九三〇年代半ばに母親の一家がガリツィアを離れた結果イスラエルで生まれたのだが、そこでも、かって存在したアラブ系パレスチナ人の文化や生活の名残が徹底的に消去されていた。確かに、もはや時計を巻き戻すことは私たちにはできない。だが、気づかれぬまま行われた消去を土台として健全な文化や社会を建設することも期待できない。東欧諸国は除去され破壊された過去の豊かさと折り合いをつけなければならないが、それと同じで、パレスチナ人に対して犯してきた悪事を認めずに、イスラエルが正常な社会になることもけっしてないだろう。過去を消去する社会は、歴史を無視しているわけではない。逆に歴史に取り付かれている。だが、それらの社会は、紛争と流血の惨事と征服の歴史に取り憑かれる傾向があり、そこでは自分たちは犠牲者——と英雄——であり、他者は加害者で敵役である。それは隔たりを埋めるのではなく、むしろ消去を正当化する歴史である。国家は政治的妥協に至り、条約に調印し、補償を与えることもできる。だが、完全で豊かな過去の全体、つまり創造性や多様性と並んでカタストロフィの中に組み込まれなければ、民主化や自由化を図るどんな試みであっても、外国人嫌悪や人種主義、権威主義のために身動きがとれなくなるはずである。(241ページ)
となれば、バルトフのたどり着く場所は自ずと以下のようになります。
彼ら(ムラヤマ注 ユダヤ人とパレスチナ人の双方)は故郷にいない/寛ぐことはない。おそらく追放状態に終止符を打つ唯一の道は、これ以上追い出さずに迎え入れること、境界線を引かず世障壁を崩すこと、ついにこの地のすべての民族の郷土となった時にはじめて、この地は故郷になるのだと認識することである(208ページ)
本文中に明言されてはいませんけれど、この文章は「二国共存解決」ではなく、「二民族一国家解決」のことを書いているように私には思えます。
私が敬愛する物理学者の藤永茂氏は2024年1月に、自身のブログ『闇から光へ(旧 私の闇の中)』で、次ように書きました。
パレスチナ問題の解決は、イスラエルのユダヤ人と先住民のパレスチナ人が一緒に暮らす一つの国土が出来ることしかないと私は思います。その状態が出現しなければ、人間、あるいは人類の未来には絶望があるのみです。根源的な悪(Radical Evil)に人間世界の支配を許すということですから。闇から光へ
私は、この藤永さんのコメントに激しく同意しています。
このパレスチナでの二民族一国家案は藤永さんの独創などではけしてなく、イスラエル建国以前からシオニストの中にも(少数派でしたけれども)例えばマルティンブーバーのような人たちがいましたし、2000年前後にはエドワードサイードら米国のパレスチナ系の人たちにも提唱者はいますし、現在ではオスロ合意での二国家解決が完全に破綻した事実を受けて改めて注目されてもいます(一方で、現在では一国家解決が、ユダヤ系イスラエル国家単独での全パレスチナ支配を意図するアパルトヘイト国家案も、むしろ現実味を持って語られる傾向があります)。とにかく、時間はかかるでしょうけれど、ここ(ひとつの国)にたどり着く努力を全世界の人間社会はするしかないように思います。
もちろん、『ホロコーストとジェノサイド』の訳者(橋本伸也)があとがきで書いている以下の文章を読めば、現状はますます悲観的です。でも、だからといって絶望しても仕方がない。パレスチナから遠い地で、日本政府の政策に影響を及ぼせるわけでもない私が、妥協して理想を捨ててどうするというのでしょう。
バルトフ教授によれば、一年ぶりに(ムラヤマ注 2024年6月、2023年10月のハマースのイスラエル侵攻事件発生から8カ月後)訪れた故郷は「私が知っていたのとは違う国」になっていた。ハマースによる襲撃と虜囚のためにイスラエル社会は「怒りと恐れがあいまって、どれほどコストを払っても安全を取り戻したいという願望とともに、政治的解決や交渉や和解への完全な不信」に陥っており、自己目的化した戦争のために自滅に向かいかねぬ様相だった。他方、ガザ地区住民への共感の余地は完全に消失し、その場で実際に何が起こっているのかを知ろうとも思わない。テレビの報道は自国軍兵士の犠牲とハマースの兵士を殲滅した戦果ばかりで、民間人の犠牲、とりわけ多数の子どもたちの死はまず伝えられることがない。久方ぶりに再会した友人たちは、長く国外に暮らして心の痛みを共有しえない外来者(ムラヤマ注 バルトフ自身のこと)によって悲嘆の思いを遮られることを恐れて心を閉ざした。イスラエルの不正義を認識する左派リベラルだったはずの人々さえ、イスラエル国家の「存在」という大義がパレスチナ人の大義に優越し、勝利しなければならないと信じている。無慈悲な攻撃に晒された他者の被る痛みをともに語る可能性はそこには乏しかった。(236ページ 訳者あとがき)
インドの作家であり社会批評家であるアルンダティロイ氏の言葉を借りれば、やがては必ず「パレスチナは自由になるだろう」(パレスチナは自由になるだろう。Palestine will be free. – 闇から光へ)と信じ願う…、それは確実に私の死後のことですけれど、でも若いホモサピエンスたちにぜひ期待しています。
世界は開いていて、みんなは関係しあっている
冒頭に書いた「人を不幸せにして、稼ぐ」という話。それは詐欺のように一人称が意図的に選択するのとは違ったとしても、たとえば公務員として入管に勤め給与をもらうことは「他者の不幸せを作りながら、収入を得る」にとても近いことになってしまうかもしれない。
あるいは、自らが帰属し信用する国家のために兵士として戦うことも、「他者を不幸にする」ことにつながる可能性を否定できません。
先の『ホロコーストとジェノサイド』で筆者バルトフがたどり着いたように、過去を直視しないままで築かれる社会には真の平和は訪れない、という状況把握は、私たちに何を伝えるのか。わざわざガリツィアを例に出すこともなく、我が祖国日本にも近過去に民族主義や人種主義が跋扈し、全体主義が暴走した時代があった。そして、その過去を隠蔽する動きが現在加速し、新たな民族主義(日本優位主義)や人種主義が日本8社会に広がりつつある。
つまり、ホロコーストの類型は日本にあったし、今後も再生される8可能性は常にある。それはつまり、パレスチナ/イスラエル問題は、私たち人類であれば、いつでもどこでも共通した課題だということである。
1960年代後半、ベトナム戦争が苛烈なときに当時の南ベトナムで、南ベトナム政府に対抗して政府軍および政府軍を支援する米軍と戦っていたベトナム解放戦線のメコンデルタの解放地区をカメラマンの藤木高嶺と共に取材した新聞記者の本多勝一は、解放戦線兵士に日本からの支援のニーズを問い、次のような回答を得ました(ちなみにこの開放地区での取材は、もちろん南ベトナム政府は認めないし/発覚すればスパイとして本多らは逮捕され国外追放になったでしょうし、当時南ベトナム政府を支持していた日本政府にとってもそれはたいへん不都合なことだったでしょう)。
すべてが不足し、苦しい生活に耐えている解放戦線のために、「役に立つものを送りとどけたい」といっている日本人もいるが、何が一番欲しいかときくと、ポンさんは次のように答えた。
「ありがたいことです。しかし私たちは、大丈夫です。やりぬく自信があります。心配しないで下さい。それよりも、日本人が自分の問題で、自分のためにアメリカのひどいやり方と戦うこと、これこそ、結局は何よりもベトナムのためになるのです。(418ページ、『本多勝一集第10巻 戦場の村』本多勝一著 朝日新聞社 1994) 私ムラヤマはこの文章を1994年発行の本多勝一全集で今確認し書き写しましたけれど、この『戦場の村』が朝日新聞に連載されたのは1967(昭和42)年でした。
ここではベトナム戦争の当時の状況を背景に「自分のためにアメリカのひどいやり方と戦うこと、これこそ、結局は何よりもベトナムのためになるのです」と書かれていますけれど、要点は何も「アメリカのひどいやり方」に限らないはずです。たとえば現在のパレスチナ/イスラエル問題でいえば、イスラエル政府のひどいやり方を支援する日本政府の政策を変えさせることこそが日本国の有権者ができる最大のパレスチナ支援です。
もちろん、パレスチナ支援のために寄付をしたり、パレスチナ産の製品を購入することも支援のうちでしょうけれど、でもそれらはもしかしたら単なる免罪符に留まってしまうのではないか。大きな罪(イスラエル政府から、ドローン兵器を購入したりする日本の現政権を支持するというような)を黙認する照れ隠しとしての「小さな親切」止まり。
イスラエル政府、兵士、そして市民による、ガザやヨルダン川西岸での非人道的行為に晒されるパレスチナの人たちに同情し、その痛みに共感するのであれば、(たとえそれが直接パレスチナの人たちに向けられたものではないとしても)なぜ本ブログの冒頭で触れた非人道的な日本国入管のやり口に目を向け怒らないのか。 目の前の「他者を不幸にする行為」を黙認しないことこそが、いつだってこの世界のどこかでの非人道的出来事を止めようとする支援なのですよ、きっと。
確かに、自分の生活の前面で起こっている非道をみつめ、怒り、機会を見つけて反抗するというのは、疲れることです。面倒臭い。でも、やはり自分だけが良ければよい、自分が痛まなければよい、というのは、ダメなのだと思う。イラクへの攻撃が起こって、株の値段の上下が最初に気になり、売り時と買い時を模索する(つまり儲けを考える)のは、長期的には心を委縮させるのだと思う。だって、それは「他者の不幸」で「儲けよう」とすることだから。
いや、それは自由経済下での自由人としての当然の権利だろう……。そうなのかなぁ、僕は違うと思うのです。それはやっぱり間違っている。金には、やっぱり汚れた金ってのがあると思うよ。自分の汗で稼いだ、汚れていない金で美味しいビールを飲むのが嬉しいんじゃないのかなぁ。
なんて書いているそばから、日本政府はこれまで自己規制していた殺傷兵器の輸出を可能とする閣議決定をしちまったよ。ミサイルは、戦争抑止になるのですって。
日本政府は殺傷兵器の輸出は、防衛装備品・技術移転協定の締結国である16カ国?17カ国?に限るとしています。調べてみたら、カンボジアの隣国タイはこの締結国です。そうかぁ、タイ軍が日本製ミサイルなり、他国製ミサイルを発射する日本製火薬を購入する可能性があるわけです。タイ軍が使う日本製兵器で、タイと国境紛争を抱えているカンボジアの市民なり兵士なりが殺傷されることがこれから現実に起こりうる。それとも、日本製兵器を持つタイ軍と戦うのは危ういと、カンボジア側は国境紛争を控えるかしら? でもそれは、要は軍事的優位のタイ側が国境設定を有利に行うということと同義じゃないのか? それがメイドインジャパンの兵器が作る「抑止」なの? (ちなみに、昨年のタイとカンボジアの国境紛争はすでに停戦となっていますけれど、両国国境の一部では紛争前のカンボジア領土内に数百メートル侵食してタイが支配し新国境を主張している箇所が現在もあります。そこに暮らしていたカンボジア市民が、今でも避難生活を続けています。これはタイ国が武力により国境を変更しているということで、やはりタイのやり過ぎだと、私は受け取ってとても悲しい気分でいます)
そして、汗かいて他国に輸出するミサイルなり火薬なりと造っている労働者が生まれる。彼らが労働後に飲むビールの味は、どうなのだろう? 美味いのだろうか? 以前よりも苦い味なんじゃないだろうか? それは「他者の不幸せ」と収入がリンクすることには、ならないか? そういうリンクを新たに作り出す政治や企業戦略は、社会の暗闇度の深化を生み出しているってことじゃないのか? それは、パレスチナの人たち、スーダンの人たち、ミャンマーの人たち、中国のウイグルの人たち、多くの虐げられた人たちを裏切ることではないのか?
だからと言って、ミサイルを製造している人たちを責めても、それは違う気がする。責めるのは、もう少し大きいところだ。それと、僕(たち)自身の心の弱さだ。
ほらね。世界は開いている。僕たちは、みんな関係しあっている。知ろうと知るまいと、感じようと感じまいと、俺らはみな関係しているし、なんらかの責任を分かち合っているのだと思うよ。で、だから、君はどうする? 俺は……、まず食べて、排便して、寝て、勉強するよ、そして、 (……明日も、明後日も、人生は続くわけです、それは悪しからず、なのかどうか……チョイ辛いぜよぉ、気直しに「愛しあってるか~い」とでも書いてみる)。


















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