『カンボジアの胡椒と その周辺の物語』連載第20回 私の中国名は…
聖なる白い牛に叱られて、賭博や酒・タバコから離れたティさんは、農園での仕事に熱心に取り組んだ。聖なる白い牛伝説は、カンボジアに伝わるもので、その牛に夢で打たれたティさんの心はカンボジアの人のものだ。海南島から渡ってきた...
胡椒聖なる白い牛に叱られて、賭博や酒・タバコから離れたティさんは、農園での仕事に熱心に取り組んだ。聖なる白い牛伝説は、カンボジアに伝わるもので、その牛に夢で打たれたティさんの心はカンボジアの人のものだ。海南島から渡ってきた...
海外開発支援スポンサー中心主義でスタートした国際開発援助 参加型開発という言葉が、国際援助、国際開発支援で使われるようになったのは、20世紀の後半、何時ごろなのだろうか。ぼく自身の感覚では、2000年に知っている人は知っている(ぼ...
障害・車イス・脊髄損傷多くの脊髄損傷者が持っている疼痛 2014年8月、今から6年ちょっと前、アフリカの最深部キブ湖南端のルワンダ側、というような場所で助手席に座っていた車がコケて谷に転がってしまったことで負った胸椎6番での脊髄損傷。ぼくは...
理科教育中等部部長の日本での短期研修の成果 フィリピン南端、ミンダナオ島最大の都市ダバオ市の地方教育事務所でODA理数科教育支援プロジェクトの一員として働いていたときのこと(このときのプロジェクトでは、ダバオ以外に、中部パナイ...
胡椒スラエオンバルの町の近くで胡椒農場を統括する頭領のティさん。彼が11才のときにポルポト時代が終わった。ティさんは、学校にはほとんど行かずに、父親の仕事を手伝うようになる。そんなティさんにも、冒険の青春時代があった。 前...
海外開発支援自由民主党のコマになるのか? 20代後半で、ODAによるボランティア活動に参加しようとしたとき。 ぼくのその2年間の使い方に反対するある人から言われた。 「君が日ごろから反対している自由民主党のコマとなるのか?」 確...
海外開発支援まずはカンボジア独立以後の現代史おさらい 1953年 フランスから独立 ノロドムシハヌーク殿下による統治。外交は中立政策をとり、隣国ベトナムでの紛争から距離を取ろうとする。ただ、中立、つまり米国からも距離を取ることが、北...
胡椒海南島からやってきた祖父が開いたスラエオンバルの土地。 その後を継いだ、祖母、父。すでに亡くなった祖先を祀るチェンメン(清明祭)は、4月の乾季明けの前に行われる。2017年4月のチェンメンのとき、ティさんを訪ね、私も彼...
最近のニュースからある若い人の声明 「私たちにとっては、お互いこそが幸せな時も不幸せな時も寄り添い合えるかけがえのない存在であり、結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」https://www...
障害・車イス・脊髄損傷誰が悪いんでもない 2020年11月13日、つまり1ヶ月ほど前に、たまたま目にしたインターネット上での「南インドカレー好きなら必食 カレー激戦区に登場した「三燈舎」(東京・神保町)」という記事。南インドカレー好きなら必...
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